第29話 俺がここまでやってきた訳

〇side 雀野


 目の前には殴られた頬に手を当て蹲る男。かたや休憩所の長椅子には濡れた目で呆然とこちらを見る女。

 ほんと、なんでこんな事になっているのか。

 いや、なんとなく嫌な予感はしていた。だからこうしてここまで走ってきたわけだが、それにしても本当にこの人がストーカーだったとは……。

 状況を整理していると、頬をさすりながら男が起き上がる。


「き、君は雀野……」

「名前はよく忘れられる方なので覚えてもらえてるのは光栄です楠木さん」


 驚いたような眼差しを向けてくるのは楠木さんだった。


「ああそりゃ覚えているとも……そんな苗字は苗字マニアの僕でも少し前まで聞いた事が無かったからね」

「少し前?」


 という事は俺と初めて会った段階でこの人は既に俺の名前を知っていたのか?


「驚いたよ……。テーブルを拭いていたら柊木さんが絶対に好きな人ができたとかで話しているのを聞いた時は」


 少し前に好きな人ができた、か。

 絶対にという単語は少し気になるが、まぁ文脈的に俺の事だろう。それで俺がその事を伝えられたのは日直当番の日か。そういやあの日最後にあいつ言ってたな。今日はバイトがあるって。大よそあの後バイトに行って店員の友達か誰かにでも話したのだろう。それを楠木さんが小耳に挟んだと。だから俺の名前反復されたのね……。


「なるほど、俺の名前を覚えている理由は……」

「ほんと君っていつも僕の邪魔するよね」

「はい?」


 突然遮られたと思ったらまったく身に覚えのない事を言われる。

「今も僕たちの愛の時間を邪魔してきたし、さっきも時間聞くのを邪魔してきたし……」


 なるほど後半は同意する。前半何言ってんだこいつ……。ていうか目がすごい泳いでいるが大丈夫かこの人。軽いパニック状態になってそうだなこれは。


 どうしたものかと考えあぐねていると、突然楠木さんがポケットからナイフを取り出してくる。おいおいマジかよ……。


「ああああああああああ!」


 獰猛な雄たけびを上げながら、楠木さんが疾駆。俺へと刃の切っ先を向けてくる。こりゃ完全に冷静さを失ってるな。


 楠木さんがナイフを突きつけてくるので、すかさずその腕を拿捕。同時、軸足を蹴り上げバランスを崩させる。そのままうなじを抑え、楠木さんを地面に転がした。

抱えたままの腕をひねり、ナイフを落とさせる。


「アァ……ッ」


 ナイフを蹴り飛ばし遠ざけると、楠木さんから力が抜けた。

 どうやら気を失ったらしい。肩も外しちゃったみたいだしちょっと手荒にしすぎたな……。


 とは言え野ざらしにしていてもいつ目覚めて襲ってくるか分からない。理性が破綻した人間ほど怖いものは無いからな。


 倒れる楠木さんを休憩所の柱の所まで運ぶと、羽織っていた服を脱ぎ、腕とくくりつけておく。これで万が一目覚めても体勢を整える時間はできるはずだ。


「さてと」


 とりあえずまずは警察か。


「チュン……」


 警察を呼ぼうとポケットから携帯を探していると、弱々しく俺を呼ぶ声が聞こえる。まぁ、今回のこれについては気の毒と言わざるを得ないな。

 着いた時の柊木の状態から察するに、最悪な所までは行ってなさそうだったが。


「大丈夫か? ってんなわけねえか……」


 とりあえず尋ねるがすぐに撤回する。こんな状況生まれて一回も遭遇した事ないからどう声をかけるのが適切か分からない。

 ただ茫然とした様子の柊木を見る事しかできないでいると、ふとその瞳が揺れ出した。


「怖かった」

「……だろうな」


 柊木の湿った声にとりあえず同意する事しかできない。

 ややあって、柊木が再び口を開く。


「怖かったよ~!」


 柊木は瞳の形を崩し滴を落とすと、俺の胸へと飛び込んでくる。

 その身体は熱を帯び、肩は小刻みに震えていた。

 こればかりはもう仕方ないな。俺が何か言えるような事じゃないだろう。


 自らの懐で涙を流す少女を見つつ、ここまでの事を思い出す。


 柊木が誰か別の人間にストーカーされているのは俺の中ではほぼ確定していた。俺が冤罪を被せられる前からその話は出てきていたからな。あの段階でわざわざ嘘を吐くと思えない。


 それに柊木が事を起こしたのは俺の前日のこの場所での言葉が発端と推定される。その事を踏まえると、むしろストーカーされているという事実があったからこそ、柊木は俺をストーカーに仕立て上げる事を思いついたと考えるのが妥当だ。


 しかし当初はその事について、本当に困っていれば警察に相談するだろうと特に気にしてはいなかった。少なくともそこまで親しくもない奴がでしゃばるような案件では無い。


 だが、俺が部室にできるだけ早く戻ると決めた時点で状況が変わる。というか俺が認識を変えた。柊木のストーカー事件を関係の無い話ではなく、俺が解決すべき話として見た。


 理由は単純に本物のストーカーが捕まれば俺の冤罪を晴らす事が出来るからだ。加えてその冤罪者が解決したとなれば、被ったマイナスの認識は一気にプラスに変わるだろう。そうなれば大手を振って部室に帰ることができる。


 とは言え問題はそのストーカーが誰なのかだ。それについてはもうつい最近までまったく見当などついてなかった。だからこそ柊木近辺の情報を探るべく、まずその足掛かりとしてラウワン行きを決めたのだ。


 無論、少しでも他者の俺への印象を良くできたらという理由もあったが、どちらかというとそっちの方がついでだな。


 何せ俺がストーカーを捕まえてしまえば噂そのものがひっくり返って、どの道俺への認識は元に戻っていく。まぁ最初から信用してくれる人がいれば俺の評判をいち早く拡散する事ができるし、そもそも俺はもう少し長期戦を想定していたから、味方を増やすというのはかなり大事な要素ではあったのだが。


 そんなこんなで情報集めをするためにアンテナを張り巡らせていたわけだが、その過程で浮上したのが楠木さんだった。


 初対面の印象は良い人。だがその後すぐに俺らの名前を聞いて来たあたりから不信感はあった。ただこの人は見たところ陽の者で俺の知らない世界の住民のため、案外これが普通なのかと納得しようとはした。その上、後から苗字マニアという事も判明したため、さらに疑念は薄くなったものの……やはり話を聞いているうちに違和感を覚え、軽く鎌をかける気分で俺は空気をぶち壊すような発言をしたというわけだ。


 まぁこれについては案外空気は壊れてなかったようだが、なんにせよ楠木さんにはうまい事躱されてしまった。


 一応この時点でかなり楠木さんが怪しいと思っていたが、まだまだ疑惑の段階だ。とりあえず推しラノベの新刊を買いつつ、せっかく自分の苗字が珍しいのならそれを使わない手は無いと思い到り、個人的に苗字マニアであるという楠木さんにコンタクトをとる事にした。


 近づけばいずれ柊木をストーカーしている事実が浮かび上がり確信を得られると思ったからな。


 というわけで喫茶店に戻ったわけだが、ここからが完全に予想外。まさかの楠木さん早退宣告を店長と思しき人にされるとは。


 なんとなく嫌な予感がしたのでリスク承知で急いで柊木を探しに行ってみたら、あんな状況になっていた。


 本当にあの爽やかな人がストーカーだったのも驚きだったが、これまでストーカーしていたとはいえ特に手を出してなかった奴が何故急に襲うに至ったのか、これが分からない。俺の存在を知って焦ったとかか?


 まぁいずれにせよ、最悪の事態にならなかったのは不幸中の幸いだったと言えるだろう。逆に少しでも遅れていたらと思うと、少し想像したくないな。家に行く事も考えたが、先にこっちへ来たのは正解だった。


 未だ俺の胸の中で柊木は泣いている。確かにこの女にはひどい目に遭わされてきたが、やはりこうしているのを見ると、こいつも一人の弱い人間に過ぎないのだと痛感させられる。

 そしてまた俺もその一人の人間に過ぎないのだろう。


 もし仮に、俺の周りに本当に一人も味方がおらず、たった一人になっていたのだとしたら。

 その時果たして俺は、誰にも縋らずに平然と孤独に立っていられたのだろうか。

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