第28話 陽の者は空気を読まなければならない


〇Side:柊木葵


 今日はみんなと遊んだあと公園でおしゃべりすることになった。

 正直な所、すぐにでも帰りたい。

 だって今私は猛烈にイライラしてるから。とても誰かと楽しくおしゃべりなんて気分じゃ無い。もっとも、おしゃべりなんて楽しいと思った事なんてあまり無いんだけど。ましてやチュンすらいないのになんでこんなところに……。


 それでも頑張って笑顔を振りまいていると、ようやく解散となった。

 帰り際瑠璃がチュンの事を遠回しにフォローしてきたけど、それがもっと私のイライラを加速させる。


 ほんと、あんなに嫌ってたくせにちょっと助けられただけでこれだもん。チュンの十五分前行動に合わせて来たら瑠璃がいて、しかも変な人に絡まれてた時はびっくりしたな。解決した後に二人の距離が近くなったのもびっくりしたというかちょっと腹立ったけど。


「はぁ……」


 一人歩きながらついため息が漏れる。

 本当に散々な一日だった。せっかく一緒に遊びに行けるから楽しみだったのに、チュンの周りにはいつも誰かしらいるし、隙をつこうとしてもすぐにチュンから離れていく。あれじゃあ一緒にいられない。


 その上瑠璃もどんどんチュンと仲良くなってくし、なんか見せつけられてる感じがして本当に嫌だった。割って入ろうにも入れなかったのもまたもどかしい。


 どうしてこうなってしまったのだろう。私の作戦は完璧なはずだったのに。

 普段一人が好きみたいな空気出してるけどああ見えてチュンは寂しがり屋だ。けっこう色んな人の事を羨ましそうに見てるし、私たちの会話も意外と聞いていたりする。それに普段人がいっぱいいる教室から出ようとしないのが何よりの証拠だ。本当に一人が好きならどこか人気のない所に行くはず。


 だからたまに会話に巻き込んでみようとしたこともあるんだけど、そうすると知らんぷりして自分から拒絶していく。何がチュンにそうさせたのかは分からないけど、そういう所も可愛くて好き。


 でもそんなチュンが完全に孤立しちゃったらどうなるだろうか。そう考えた時私はあの方法閃いた。


 ちょっぴり可哀想な気はしたけど、それでも私はチュンに振り向いて欲しかった。寂しがり屋の人が孤独になった時に手を差し伸べられたら、きっと心が揺れ動くと思ったから。それにこの方法は一番私らしい、そう感じたから。


 だってチュンが言ってくれたもんね。他に何か惚れさせる方法を思いついたのなら、それこそが本当の私のやり方なのかもしれないって。


 でも今のところそんな様子はチュンに無い。それどころか孤立させたはずがむしろ人が寄って来ている。そんなの駄目。こんなはずじゃなかった!



――ただ。



 どうしてだろう。少しだけ嬉しいとも感じているのは。

 チュンの周りに人が寄って来るのは嫌だ。だって私に振り向いてくれなくなる。私はチュンが好き。すごく好き。私だけを見ていて欲しい、私だけに笑いかけて欲しい。私だけがチュンの全部を独占したい。


 でもそんなにも私が好きな人を、他のみんなも好きでいてくれる。そう考えると、少しだけ……。


「うーん」


 やっぱりむしゃくしゃする。凄く嫌だ。チュンがトイレで席を立った時も、ちょっとみんなに疑念を抱いてもらおうとしたのに無駄だったし。喫茶店でもチュンは瑠璃の隣に座るし。ほんと何もかもうまくいかない。

 こういう時はいつもの公園に行って心を落ち着けよう。あそこは数少ないチュンとの大切な思い出の場所だ。


 家への道を外れ、公園の方へ。

 しばらく歩くと市街から緑が目立つようになり、やっとすすけた看板を見つける事が出来た。


 暗くなってきからか読みづらいけど、そこにはどんぐり広場と書かれている。

思えばここから全部始まったんだよね。


 少し懐かしい気分に浸りつつ、奥の階段まで歩いていく。最近は奥まで行くことは無かった。一休みするならチュンと座った手前のベンチで十分だし、階段も疲れる。でもなんとなく今日は行きたい気分だったのだ。


 できればチュンと一緒に行きたかったけど、前来た時は塾があるみたいだったから行けなかったんだよね。


 それなりに高い階段を上りきると、木々の中にひっそりと佇む屋根付き休憩所を発見する。多少ささくれてるみたいだけど、昔行った時とあまり変わった感じはしない。


 休憩所の中に入ろうと足を進めると、葉が擦れて揺れるような音が聞こえるので立ち止まる。


 ああ。まったく。なんで今日もいるのだろう。いつもこそこそ付きまとってきて、本当に煩わしい。


 これと言って何かしてくるわけでも無いし、関わるのも面倒なので放置していたけど、今日の私はイライラしているんだ。そろそろ好きにさせるのはやめよう。

 振り返ろうとすると、不意に声がかかった。


「あれ、もしかして柊木さん? 偶然だね」


 視線の先には柔和な笑みを浮かべる楠木さんの姿があった。

 隠れられないと悟ってあちらから出て来たようだ。偶然だねってどの口がそんな事を言うのだろう。ただなんとなくその言葉は自分に返ってきそうと思うのは気のせいかな。あはは……。


「え、楠木さん! よく……」


 いつものように対人スマイルを造る。


「よく、後ろ姿で私ってわかりましたね?」


 言うと、楠木さんが気まずそうに口元を歪める。


「ま、まぁ一緒に働いてるしね。仲間の後ろ姿は見分けがつくよ」


 はい嘘。ずっと付けてるんだから当然分かるだけですよね。


「へぇ、凄いんですね! 流石フロアチーフ」

「あはは、それほどでもないよ」


 楠木さんは軽快に笑い飛ばす。ああ何かこの人見てると喫茶店でのチュンと瑠璃の距離思い出して余計イライラしてきたなー。あの二人がカップルなんて信じられない。さっさと終わらせちゃおう。


「なーんて、全部嘘です」


 冗談めかした口調で言うと、楠木さんが少し訝しそうにする。


「えと、嘘?」

「はい。私知ってるんですよねー。楠木さんがずっと私をストーカーしてた事」

「え? な、何を言ってるんだい柊木さん……」


 楠木さんの表情が強張る。

 何か月か前にバイトを始めて、それから少しして後に付けてくる人に気付いた。最初は誰か分からなかったけど、こっそり確認したら楠木さんだった時はびっくりしたよ。特に何かしてくるわけでもなかったけど、気持ち悪いからいつかぎゃふんと言わせてやろうと思って色々用意してたんだよね。


「証拠なら色々あるんですけど、何から見ます?」


 スマホを取り出し、色々と撮り溜めていた写真を見ていく。


「例えばこれ。電柱からこっそり覗き込んでくるフード付き楠木さん」

「なっ……」


 携帯の画面を見せると、楠木さんの顔が青白くなる。あるいは携帯の光のせいかな?


「あまりにもザ・ストーカーって感じで撮れた時は笑い堪えるの必死でしたよね。撮られたのも気づいてないし」

「そんな……」


 楠木さんの顔が恐怖に染まっていく。いつも相手に合わせるけど、逆に圧倒していくのも意外と楽しいかも?


「他にもありますよー? これは私がわざと見える位置に干した下着ですね。写真をスワイプするとほら、匂いを嗅いでる気持ち悪い男の人が! あれ、楠木さんに似てますよ? 持って帰ったそれどうしたんですかね?」

「そ、それは……」


 思い当たる節でもあるのだろう額には脂汗がにじみ出ている。


「ま、この時のはお母さんのなんですけどね」


 種を明かすと、楠木さんは吐き気でもしたのか口を抑ええづく。えー……その反応はちょっとお母さんに失礼過ぎない?

 呆れ笑いを収めつつ、さらに写真をスワイプする。


「次はー」

「もういいやめてくれ!」


 懇願してくるのでとりあえず携帯を引っ込める。


「ま、要するに楠木さんのストーカーの証拠はしっかり揃ってるって事です」


 にっこりとして言うと、楠木さんが脱力したように地面に膝をつき項垂れる。

 あ、そうだ。この人を使えばチュンをまた一人にする事もできるかも。そうなったら今度こそ私がずっとチュンの傍にいてあげるんだ。


「まぁ、そういうわけで二度とストーカーなんてしないでくださいね楠木さん。でも……」

「ふざけるな」


 楠木さんが私の言葉を遮る。私まだ話してる途中なんだけどな……。


「冗談じゃないよ。ハハ……。このままじゃ、警察行きじゃないか僕は」


 お、丁度いい事を言ってくれた。


「あー、その話なんですけどね? 条件次第で警察には」

「どうせ全部終わるんだ。だったらここで何したって……」


 楠木さんがゆらりと立ち上がる。


「あのちょっと、楠木さん話を……」


 後ずさると、楠木さんがよろりと付いてくる。

 どうやら私の声が聞こえて無いらしい。この人たまに一方的に喋って来る事あるけど、よりによってこんな時に……!


「柊木さんッ!」

「いたっ」


 飛びかかってきた楠木さんが肩が鷲掴みにしてくる。

 抵抗しようとするが、ビクともしない。男の人の力ってこんな……。


「フフフ……」


 楠木さんが不気味に笑うと、徐々に体重が身体にかかってくる。なんとか相殺しようと後ずさるが、ついに足が耐えきれなかった。


「っ!」


 背中が休憩所の長椅子に貼り付く。楠木さんの重みが身体にのしかかり、身動きが取れない。

 楠木さんの手が私の頬をなぞると、指を唇当ててくる。


「ああ、綺麗だなぁ柊木さんは……なんて軟らかな唇なんだ」

「あ、う……」


 声が出せない。ただただ怖かった。

 そんな嫌だ。なんでこんなことになってるの? 意味分からない。触らないで。


「ひっ……」


 不意に肌の感触が腰をつたい、視界が歪む。

 え、どこ、触ろうと……。


「なんですべすべした肌なんだ……」


 恍惚したような声に、全身が硬直するのが分かる。

 生暖かな手の感触が背中を伝い、腰を伝い、お腹を伝うと、ゆっくりと素肌が外気に晒されるのを感じる。


「え?」


 身をよじる。依然として身動きが取れない。なんとか起き上がろうとすると、空いてる方ので乱暴に押さえつけられてしまった。


「そんなに抵抗しないでよ。どうせ僕は捕まるんだ。せめて最後くらい楽しいことしたいじゃないか」

「い、嫌……」


 嘘でしょ、やだ。やめて。絶対に嫌。そんな、あり得ない。無理……。無理だよ……。


「は、話を……」


 なんとか声を絞り出すが、楠木さんの耳にはやはり届いていないようだ。

 嫌。そんなの嫌だよ。嫌、嫌。全部初めてなのに……こんな、しかもこんな場所でなんて、もっと嫌。だって……だってここは、チュンとの大切な思い出の場所でもある!


 これから起こる悪夢のような光景が脳裏によぎり、私の中の綺麗な部分が侵されていく。恐怖で目なんて開けられない。

 ふと、背中に手が回される。


「チュンっ!」


 生々しい不快な感触から逃れたい。その一心でその名前を叫ぶと、慌ただしく枝を踏みつける音が聞こえた。


 瞬間、のしかかっていた体重が嘘みたいに軽くなる。

 目を開くと、人影の頭が思い切り揺れるのが見える。

 鈍い音が聞こえると、ドサリと重いものがぶつかるような音が聞こえた。


「なんでこんな事になってるんですかね……。普通あり得ないだろ……」


 呆れたようなだるそうで投げやり。それでいて芯を感じ取れて、かと言って冷たいわけでもない。そんな声が耳に届いた。

 その、声の主は――

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