第25話 何事も慢心していては足元をすくわれかねない

 スポーツ、ボーリング、ゲーム。一通り遊べることで遊ぶと、流石に他の連中も飽き気味になってきたらしい。館内にある休憩場の一角を陣取り、各々好き好きにスマホを触ったり喋ったりしていた。俺も団体競技とか慣れない事をして疲れていたから少しありがたい。


 全ての元凶である柊木も今は風見と同じスマホの画面を見て雑談している。

 こいつの事だからてっきり何か仕掛けて来るんじゃないかと身構えていたが、バッティングエリア以降今のところ特に接触はない。


 まぁでも何か仕掛けるには相応のリスクを要するからな。柊木もそれを警戒しているのかもしれない。何せいつもの柊木は誰にでも優しく皆から愛されるような奴だ。もし表立って攻撃なんて始めようものなら、その柊木像が崩れかねない。柊木にとってそれはあってはならない事だろう。何故なら、俺をあそこまでの状況に追い込めたのは、被害の対象がみんな大好きな柊木であったからこそだ。


「でもチュン兄すげぇよな」

「何が」


 突然淳司君がそんな事を言いだすので尋ね返す。


「いや喧嘩強いのは知ってたけど、運動も超できるとかマジリスペクトっしょ」

「ああ……」


 教育熱心な親には小さい頃から色々させられてたからな。勿論その中にスポーツもあった。

 まぁもっとも、その期待に応えられなかった結果が今の俺なわけだが。

 小学校の時の苦い記憶が呼びさまされ、たまっていた疲労感が増す。


「それうちも思った。だって普段暗いだけでそんな雰囲気全然ないじゃん」


 相変わらず風見は息を吐くようにディスってくるな……。まぁ最初に比べれば全然マシかもしれないが。


「俺は知ってたけどな。一年の時同じクラスでたまたまスポーツテストの相方が謙信公でさ、普段そんななのに突然余裕でA判定行ってた時マジびびったよなー」


 そんな事もあったか。本当なら適当にやりたかったが、うちの親はテストという言葉が大好きだからな。


「え、マジ? 流石チュン兄っしょ!」

「A判定なら光野だってそうだろ。淳司君もどうせAだろうし」

「あー、バレちゃったか~」


 淳司君がわざとらしく自らの額を抑える。リア充は得てして運動もできるものだからな。


「謙信公のA判定は格が違ったけどな」

「変わんねぇよ」


 Aであるのならばその評価はそれ以上でも以下でもない。


「ちょっとトイレ行って来る」


 別に本当に行きたいわけでは無かった。

 ただ、なんとなくこの場の持ち上げられるような弛緩した空気が、昔を想起させて嫌だったのだ。


 俺だって人である。誰かに好意的な言葉を投げかけられたら悪い気はしない。だが、いつだって上に登れば登るほど落ちた時の衝撃は大きくなるものだ。


 そこらへんの低い踏み台から落ちたとてさしたる痛みも無いだろう。だが、もし高いビルから落ちたらどうなる? それはもうケガどころの話じゃない。致命傷だ。死だ。下から突き上げるような不快で激しい浮遊感に晒された後、叩きつけられて、刹那の強烈な痛みと共にすべてがぶちまけられる。後に残るのは無残な人であった破片だけ。


 俺はそんなのはごめん被る。もう痛いのは嫌だ。

 だから俺は低い位置を維持し続けてきた。実際、そうしていたおかげでどん底に叩き落とされてもほとんど痛みなど感じなかったしな。ファインプレーだったと思うねほんと。


 ただまぁ、残念な事に状況がそうはいかなくなった。落ちるのを恐れようが痛いのを嫌おうが、少し高めの所までは登っていく必要がある。

そうしなければ安心して部室に戻る事が出来ないからな。


 自分一人がどん底で這いつくばるのはいいが、そんなところへ他人を引き込むのは俺の本意ではない。何せどん底というのは痛みは無い代わりに衛生面が最悪だ。具体的には上靴でティラミスが作られたりする。女子には悲鳴ものだろう。


 まぁ何にせよ、せいぜい落ちた時の衝撃はできるだけ軽くはしておきたいものだ。


 そんな事を考えるが、どうやら少し甘すぎたようだ。


 落ちた時のことなど、本来登り切ってから考えるべき事だった。


 それでもなおそんな先の事を考えてしまっていたのは、心のどこかで慢心していたからに他ならない。リスク管理は常に怠るべきでは無かったのだ。


 トイレから戻れば、向けられるのはここまで感じた事の無いひりつくような視線。誰一人言葉を発する事なく、全員が俺の事を注視する。


 一目見ただけで何かあったと分かった。先ほどの弛緩していた空気とは一変している。だが、席を外していた俺には何があったか分からない。まったく油断していた。


「……なぁ、謙信公」


 光野がおもむろに口を開く。


「えっと、なんだ?」


 聞き返す事しかできない。情報が少なすぎる。

 背に汗が滲むのが分かった。せっかく乾いていたのに最悪だ。

 返答を待つと、やがて光野が尋ねてきた。


「柊木の事、けっこう見たりしてたのか?」


 光野が放った言葉を意味を咀嚼する。


 俺が柊木を見ていたかどうか、か。


 まだ情報が足りないな。質問の意図が断定できない。できればこちらからも色々聞きたいところだが、変に何か言うとかえって怪しまれるかも知れない。

 ここは素直に答えておくべきか。


「……いや。別に意識して見たとかそういうつもりは無い。状況も状況だしな。そりゃ視界に入る事はあったが」


 とにかく事実を羅列すると、ふと光野の口元が緩む。

 同時に場の空気が弛緩するのが分かった。あるいは元々張りつめていなかった?


「だってよ柊木」

「う、うん。それなら良かったかな、あはは」


 柊木が気まずそうな笑みを浮かべる。


「柊木ちゃんも気にしすぎっしょ!」

「そうだよねエヘヘ……」

「まーでも無理もないよね~。神経質になるのは当然じゃない?」

「うんありがとう瑠璃」


 俺を置き去ざりにどんどん話が進んでいく。疎外感を覚えたというわけでもないが、気にはなったので尋ねてみる事にした。


「えっと、何かあったのか?」

「ああ、柊木がずっと謙信公に見られてる気がするっていうからじゃあ本人に聞けばいいって話になったんだよ。ま、柊木の気のせいみたいだったけどな」


 淳司君たちが何やら騒いでいるのをしり目に、光野が教えてくれる。なるほど、何があったのかは理解した。柊木についてはやってくれたなという感じだが、それ以上に疑問が残る。


「待ってくれ」

「どうした?」

「いや、自分で言うのもなんだけど一応俺柊木のストーカーって事になってるはずだよな? そんな奴の言葉を信じて大丈夫なのか?」


 尋ねると、光野が小馬鹿にしたような視線を向け肘で小突いてくる。


「なんだぁ? やっぱりお前、柊木のストーカーだったのか?」

「いや違うが」

「だろ? ならたぶんそうなんじゃねえの? 少なくともここにいる奴らは誰ももうそんな事思って無いと思うぜ? 元々根拠なんて無かったわけだしな」

「はあ」


 そうは言われても腑に落ちないでいると、光野がバシバシ俺の背中を叩いてくる。


「ま、お前がストーカーじゃないって根拠も未だねぇけどな! だからもうフィーリングよフィーリング」


 それだけ言うと、光野は淳司君たちの会話に加わっていく。


「そういや柊木のバイト先ってここの二階に入ってる喫茶店だったよな?」

「うん、そうだよ輝也君」

「じゃあさ、この後そこ行こうぜ」

「んー、でもあんまり美味しくないかもよ?」

「そうなのか? まぁでもさ、友達の働いてる店ってちょっと気になるくね?」


 少し先で陽の者共の会話が繰り広げている。

 かたや俺はその姿を遠巻きに見ているだけだ。その構図は今も昔も変わらないし、これからも変わらないだろう。何故なら俺は陰の者で、あいつらは陽の者だ。光と影は決して交わる事が出来ない。


 が、そもそも二者の間を隔てる壁が無ければ、陰などできないのである。その壁を作っているのがどちらかは場合によるかもしれないが、もしその壁を取っ払う事ができたのなら、陽の者と陰の者が交わる事も、ひょっとしたら不可能ではないのかもしれない。

 まぁ、至難の業とは思うが……。

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