第17話 他のクラスに入りづらいのは正直分かる

 授業の合間にある十分間休憩は非常に使いどころに悩む。

 外で一人になろうにも短すぎるし、かと言って教室で留まっているには長すぎる。

陽の者どもはこの短時間でも惜しいと言わんばかりに友達へと話しかけに言ったりするが、俺にそんな友達は一切いない。


 よってやることは次の授業の準備か、あるいは寝る事になるのだが、たまたま目を向けた廊下に見知った人影があり、つい見入ってしまっていた。


 その人影はそわそわとした様子で後ろの扉の前をうろちょろし、時折中の様子を窺っては誰かが目を向けるたびに肩をびくつかせ、別に用なんてありませんよと言わんばかりに通り過ぎる素振りを見せる。そしてまた戻って来ると同じようにうろちょろし始めるのだ。


 次の授業は大して用意する事が無いので寝ようかと思っていたが、朝から腹の調子がよくない。念のためトイレに向かってみるかと席を立つと、さっきの人影はほんの少し嬉しそうに顔を綻ばせる。


 しかし俺は後ろからは出ず前の扉から教室を出ると、遠い方のトイレへと進路を向けた。


 廊下を歩いていると、パタパタと慌ただしい足音が聞こえたかと思えば、不満げな声が後ろからかかった。


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ雀野! どこ行くのよ!」


 染石だった。そういえば部室以外で会うのはいつぶりだっただろうか。あるいは一度も無かったかもしれない。長い黒髪を二つに結った姿は相変わらずだが、その眼には眼鏡が付いている。普段かけてないからなんか新鮮だな。


「トイレに行くんだ」

「トイレって……え、そっちじゃないわよね?」


 隣に並んでくると、染石が訝し気にをこちらを覗き込んでくる。


「俺は職員用のトイレが好きなんだ。何故なら、先生との遭遇率が高いため、滅多に生徒が立ち寄らないからだ。俺くらいになるとトイレにまで追いかけてきて一緒に水浴びしようとする輩が出てくる。別に夏の暑い日なら涼しくていいんだが、残念な事にそいつらは冬でも楽しく水浴びする元気っ子だ。俺はそんなのはごめん被る」

「そ、そうなの……」


 実にくだらないトイレ談義を染石は遮る事無く聞いてくれる。もしかしてけっこうこういう話って女子受け良い⁉ よっしゃ、調子に乗ってもう一つやっちゃうもんね!


「だが理由はそれだけじゃない。そう、職員用トイレは温水洗浄便座なのである。だがこれは酷い話では無いか? 生徒が立ち寄りづらい場所に温水便座だぞ。あいつらは生徒がやってこないのをいい事に春でも、夏でも、秋でも、冬でもその太ももをぬくぬくと暖めてほっこりしているんだ。そう思うと腹立たしくて仕方がない! だから俺は決めたんだ。あいつらの思惑通りにはさせないとな。そう、俺は先生の目などお構いなしに堂々と温水便座を使わせてもらう!」


 空に向けて吠えたい気持ちをぐっと握った自らの拳に収める。流石に叫ぶと目立つからな。何のために職員用トイレを選んだのかって話になる。


「で、でもそれ職員用トイレなのよね? 生徒が使ってもいいの?」

「知らん。そもそも先生専用なんて学び舎に作るのが間違いだ。学校は生徒のものだ。よって使う」

「どっちが暴政なのよ……」


 随分と呆れ気味な染石だが、ふと何か思い出したかのように口を開く。


「そうよ、それより」

「それより染石」


 言葉をかぶせ、染石の発言を遮る。


「トイレついたんだけど、流石に一緒に入るのは恥ずかしいぞ」

「なっ……!」


 俺の言葉に染石が顔を真っ赤にして、手をわちゃわちゃさせる。


「だ、だ、だ、誰があんたとトイレになんて、」


 一歩間違えれば永遠に染石に嫌われてしまいそうな発言だったと思うが、そうなったらそうなったでむしろ好都合……。


「そういうのは、おじいちゃんになってからでしょっ!」


 染石がぎゅっと目を閉じて言い放つ。

 ……ああえっと、これはあれですね。要介護的な。

 深く考えると凄まじい事を言われた気がするが、まぁなんだ、染石だし仕方ないな。うん。深く考えないでおこっと!


「まぁ、とにかく去れ。俺は今から温水便座の恩恵にあやかるんだ」

「あ、ちょっと雀野……」


 職員用トイレはでかい個室だ。中に入り締め切ってしまえば完全に孤立できる。さっさと扉をスライドさせ、閉めようとすると、肌荒れない綺麗な手が割り込み阻止してくる。


「え、え? なに? まさか一緒に入るつもりなの? 俺まだ十六歳だが?」

「そ、そんなわけないでしょ⁉ とりあえず話があるから昼休みちゃんと教室にいて! それを伝えようと思っただけよ!」


 染石は顔を真っ赤にしながら、吊り上がった目を間から覗かせてくる。


「なんだ……」

「な、なんでそんな悲しそうな顔してんのよあんたは」

「別に? まぁとりあえず分かったから、もう行け。授業に遅れるのは良くないだろ。俺はトイレと言い訳できるからいいが」

「い、言われなくてもそうするわよ」


 染石が扉を閉めようとするが、再び顔を覗かせる。


「絶対だからね!」


 それだけ言うと、今度こそ染石の足音は遠ざかっていった。

 まったく、厄介な事になった。何せ俺は今、あまり染石と一緒に居たくない。

 クソみたいなトイレ談義だってそのためにしてたんだからな。ん、トイレだけにクソってか? なるほどこりゃ一本取られたぜ! HAHAHA☆


 まぁそんなしようもない事はどうでもいい。染石に絶対と言われた手前、それを無視するわけにはいかないだろう。


 こちらから行くのは風評被害の観点から見て論外な行為だったが、あちらから来てくれる分にはまだやりようがある。何の話かはだいたい察しは付くが、さて、どうしたものかね。

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