第10話 平穏な日常は無邪気な笑顔に崩される

 お互い一言もしゃべらず歩き続ける事十数分。

 気は楽だと思ったのだが、存外無言で歩き続けるというのは気まずいなおい。今まで誰かと二人で歩くなんて事ほとんどなかったから気付かなかったよね!


「……ほ、ほとんど塾へ行く道と変わらないんだが、まだ着かないのか?」

「もうすぐだよ」

「なるほど」


 会話終了。いやムリゲーでしょこれ。なにこれ、陽の者共は一体どうやって会話繋いでるの? あいつらひょっとして天才なのでは? いつもぎゃーぎゃーうるさい奴らだとか内心で毒吐いててごめんね? 


 ハッ、もしかしてうるさいのって会話を続けるためだったのか⁉ だとすれば俺もここでギャーギャー喚き散らせばワンチャン……いけるわけ無いわ。ただの変質者だわ。つまり陽の者も変質者。はっきりわかりますね。陽の者は滅されろ。別にお前らの事なんてすごいとも羨ましいとも思ってないんだからね!


「着いた」


 精神が荒んでいるところに、ようやく柊木から声がかかる。


「やっとか……」


 まるで柊木が口を開くのを待っていたかののような口ぶりになり、我ながら苦い笑みがこみ上げてくる。


 柊木の視線を追いかけてみると、そこにはどんぐり広場と書かれたすすけた木の看板が、一本の木の前に打ち立てられている。書かれてある通り目の前にある広場は短い雑草で覆われ、その奥には鬱蒼とした木々が立ち並んでいた。階段で少しだけ奥にも行けるらしい。まだ太陽はあるためよく見えるが、夜になればだいぶ視界も悪くなりそうだ。


 総じて、少し規模の大きい公園と言った所だろう。だがどうしてか、少しだけ懐かしい感じはする。


「あそこのベンチに座ろうよ」

「まぁ、構わんが」


 スマホのロック画面を開き、まだ少し時間がある事を確認する。

 柊木が座るので俺もまた腰を掛ける。

 いやていうか成り行きで座ったけど大丈夫だったかなこれ。一応俺の事を好きとは言ってるから不快になってないと信じたいが、こうも距離が近いと何されるか分かったもんじゃないからな。俺にとってもこいつにとってもデメリットしかない気がする。


「ここ落ち着くから一人でよく来るんだよね」

「そうか」


 短く返すと、束の間の沈黙が訪れる。

 柊木が話を振って来てくれたのに秒で断ち切っちゃう俺の陰の者ぶりに敬礼。会話難しいぴえん。だからまず最近の言葉を使って形からは入ってみる事にしましたぴえんこえてぱおん。いやこれはねぇわ。


「私、チュンの事好きだよ」


 また口を開いたかと思えば、突然そんな事を柊木が言ってきた。


「それはもう分かったよ……」


 これが陽の者共のトラップではないのはもう確かだろう。もしそうならあまりに何も無さ過ぎるからな。乱入できる場面はたくさんあったはずだ。


 とは言え、その言葉を信じるかは別問題だし、本当だとしてそれに俺が頷くかどうかもまた別の話だ。


「だからね、私の事を好きなって欲しいとも思うし、嫌いになっても欲しくない」

「ふむ……」


 嫌いになってほしくないね。

 わざわざ俺の十五分前行動を犠牲したんだ。俺からも少し訊かせてもらうか。


「だったらなんでお前は俺とあんな方法で距離を詰めて来ようとする? 俺は嘘が嫌いと言ったはずだが?」


 尋ねると、柊木の視線が地面に落とされる。

 正直、日直の時にぶつけたあの言葉は柊木を突き放すために選んだ言葉だったが、別に嘘が好きでは無いのは本当だ。まぁ嫌う権利までは俺にはないが。


「そうだよね。うん分かってるんだよ。あんな事やってもチュンは振り向いてくれないって」


 沈む声には悲しみが内包しているようで、ついかける言葉を見失う。


「でもね、分からないんだ」

「……分からない?」

「うん、私、あんな方法しか分からないんだ。これまでずっとそうしてきたから。人に好かれるためにずっと似たような事をやって来た」


 似たような事か。俺がされた事はハート書かれたり抱き着かれたり当てられたり……えぇ、嘘でしょ? なんか柊木を見る目が一気に別方向にシフトしそうなんですけど。


「流石にハート書いたり抱き着いたり当てたりはしてないけどね」

「やっぱあれ当ててたんですね……」


 ていうかこいつサイコメトラーかよ怖っ。俺が思った事まんまリピートしてきたじゃん。


「実際、そんな感じでやってたら上手く行った事の方が多かった。たまに失敗はしたりしても、味方になってくれる子の方が多いから結局上手く行くんだよね」

「えぇ……」


 それって要するにたてつく奴らは排斥されたって事じゃないの? 怖過ぎるんだけど。聞きたくなかった。知ってた事実とは言え、改めて民主主義の恐ろしさが身に染みましたね。これはナチスのような国家社会主義に加担するしかないのでは? いやそっちも十分怖いか。つまり人間は怖い。俺もう出家して俗世から隔離されたくなって来たよ。


「ねぇ、どうすればチュンは私の事をすきになってくれるのかな?」

「いやそんなもん本人に聞かれましても……」


 とりあえず俺の血塗られた(嘘)過去を変える事が第一条件だと思うんだぜ……。


「そうだよね。うん、ごめん。変な事聞いて」

「まぁ……」


 俺もどうやったら自分が人を好きになれるのか、聞けるもんなら聞いてみたいところですし、そこはおあいこという事で何卒よしなにしていただいて。


「でもやっぱり、これってすごく難しい事だよね。もし今のまま続けてチュンが振向いてくれたとしても、それはたぶん本当の私じゃない。だとすれば私とチュンって一生好き同士になることは無いって事になっちゃうね」


 柊木が顔を上げると弱々しい笑みを向けてくる。

 ポッケからスマホを取り出し見てみればもうそろそろ塾の時間だ。


「そろそろ行く。話途中で悪いが模試に遅れるわけには行かないからな」


 立ち上がるが、柊木は相変わらず座ったままだ。まぁ特に俺をここに縛り付けておく必要は無いだろうからな。


 とは言え、ここまで聞いて何も言わないというのも物書きを目指す者として語彙が少なすぎるか。まぁ俺が何をあげつらったって人生経験の少ない高校生じゃ薄っぺらいだけの言葉にはなるだろうが。


「まぁなんだ。俺が振りむくかどうかとかそういうのは分からないが、一生好き同士になれないってことは無いんじゃないか。確かに今の方法じゃ望み薄だろうが、それしか思いつかないなら仕方ないし、それこそが他でもないお前なんだろう。それでもなおその姿が偽りだというのなら、たぶんそれは柊木が今の自分を受け入れる事ができないだけに過ぎない。言ってしまえば駄々をこねる子供同然だな」



 得てして人は自分の理想像と言うものを持っているはずだ。だが往々にして現実とは天と地ほどの差があるものだろう。とりあえず俺の場合それを叶えるにはまず整形に着手しないといけないな。あとコミュ力の底上げ。前者は金さえあればなんとかなるが、後者はもうこれだけで無理だね。不可能だ。だから俺なんてもう全部諦めてる。


 とは言え、柊木はどうやらそうではないらしい。恐らくまだ理想の自分というものに近づこうとしているのだろう。子供同然と切り捨てるのはいささか乱暴というものだ。


「まぁでもだ。もしもうちょっと深く考えみて、他に何か俺を惚れさせる方法を思いついたのなら、それこそが本当の柊木のやり方なのかもしれない。もしその方法が成功すれば晴れて本当のお前と俺の幸せな日々が送る事が出来るだろう。もっとも、何やっても俺の心は揺らがんだろうから、諦めてくれる方がありがたいが……」


 ていうか言ってて何言ってんだこいつって感じだな。好きと言われてそれを受け入れなかったのに随分と偉そうに……。はぁ、物書きへの道はまだまだ遠そうだな。もっと言葉を上手に扱えるようになりたい。


「思いつく事……」


 柊木が何やら呟くが、流石に喋り過ぎて時間がやばくなってきた。ついでに恥ずかしいので早々に退散させてもらおう!


「それじゃ、俺は行く」


 足早に広場へ出ると、模試にはなんとか間に合う事が出来た。


 これにて一先ず安心。俺の平穏な日常はまだまだ揺るがないだろう。


 そんな事はわざわざ言葉として自覚していたわけではないが、無意識には思っていたと思う。


 少なくとも模試に間に合って安堵した瞬間は。


 だが次の日、開けた教室の黒板には大きな赤文字でこう書かれているのだ。



『雀野堅心は柊木葵のストーカーである』



 目を疑った。

 まず日直が終わったのに俺と柊木の文字が並べられていた事に一つ。そしてもう一つは根も葉も無い事がそこには書かれていた事にだ。


 さしもの俺もこれを放置するわけにはいかない。黒板消しで文字を消すと、一旦考えをまとめるため、ささめき立つ教室から廊下に出る。


 そういえば、柊木は中に見当たらなかった。この事をあいつは知っているのだろうか? いずれにせよこの事を柊木に否定してもらえれば、あいつの求心力で変な方向に話は転ばないはず。

 そう結論付けた時、向こうから柊木が歩いて来た。


「……丁度良かった。お前」

「ねぇチュン」


 俺の言葉を遮るように柊木が言葉をかぶせてくる。


「黒板、見てくれたかな?」


 薄い笑みを浮かべる柊木の口から放たれた単語に、言葉を失う。

 ああ、こいつやりやがったんだ。遂にやりやがった。目的はなんだ? 単に俺をハメて楽しむためか? あるいは昨日言った事が逆鱗に触れたか? いずれにせよこいつは敵だ。だから嫌なんだ。人間という生き物は。


「ほんと、困るよね。ああいうの。根も葉もない事を好き勝手書かれて。私は被害者だからいいけど、チュンは加害者だもん。絶対みんなから批難浴びちゃうね」

「……ああそうだな。できれば被害者の方から説明してくれると助かるんだが」


 無駄だと分かりつつも、頼んでみる。


「うーん、別にいいけど無駄じゃないかな。もうたぶん噂は広まってるし、人って一度叩いても良い相手がいればとことん叩きたがる生き物でしょ?」

「ぐうの音も出ない正論だな……」


 もし柊木が訴えかけたとしても、きっと善意と言う名の悪意に呑み込まれるだろう。柊木は優しいから、柊木はおどされてる、理由なんてなんだってこじつけられる。


 ああまったく、なんでこうなるんだ。俺はただ平穏な日常を送りたいだけなんだがな。誰にも干渉されずに、誰にも干渉せずに、ただ迷惑にならない趣味を一人で楽しむことが出来ればいい。そんなどこにでもいるただの陰の者なんだよ俺は。陽の者はそれすらも許してくれないというのだろうか。


「でも安心してチュン」


 俺の前に立ちはだかる敵対者が囁きかけるように言う。

 そいつは俺にスキップするようにして一歩近づくと、これまで見たどれよりも無邪気で、明るく満天の笑顔を向けてきた。


「何があっても、私はチュンの味方だよ。ずっと一緒に居てあげるっ」


 もはや何の声も発する事ができなかった。

 ……ああそうかよ。そういう事かよ。別に逆鱗に触れたとかじゃなかったんだ。柊木は単に俺が昨日言った事を実践しているだけ。こんな事になるなら何も言わずに立ち去ればよかった。

 自らの行いを悔いていると、柊木が俺の懐へと入り込み、囁いてくる。


「きっとこれが本当の私。気に入ってくれると嬉しいな」


 その声は弾むようで、これから来る幸せな日々を心待ちにしている少女のようにすら聞こえた。

 いつも柊木、暗い柊木、そして今の柊木。どれが本当のこいつかなんて俺の知る事ではない。

 ただ、それでも一つだけ確かな事がある。

 それは、こいつが他のどの誰よりも危うい人物であるという事だ。

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