第9話 その少女の真意は声の陰に身を隠す
「それじゃ、今日はそろそろ帰るかな」
「え! もう帰るの⁉」
俺の言葉に柊木は驚きの声を上げる。
「今日は塾があるんだ」
「え、もう塾なんて行ってるんだ⁉ 流石チュン偉い偉い~」
「頭を触るな鬱陶しい」
柊木が頭に手を乗っけてくるので振り払う。
「別に俺は行かなくてもいいと思うんだがな。親が俺のために金を出してくれるって言うから有り難くそれにあやかってるだけだ」
俺自身別に勉強好きというわけじゃない。しなくていいと言われれば一も二も無く飛びつくだろう。全部学歴社会であるこの日本が悪い。まあ親父の方針で無意味な武道とかの稽古もさせられてるんだが。タダなので文句は言うまい。
俺が椅子から立ち上がると、いつの間にか単行本を手に取っていた染石が声をかけてくる。
「今日は随分と早いじゃない」
「ああ悪い。今日は模試があるんだ」
「……そ。あんたも大変ね」
染石は素っ気なく言うと、その視線は本の方へと落とされる。
その所作に少し寂しそうな気配を感じ、僅かに後ろ髪をひかれる。部活楽しみにしてたみたいだしなこの子。一年の前半までは先輩が一人いたから俺が早退しても問題なかったんだが、残念ながらその先輩は去年卒業している。
まだ少しはいられない事も無いが、今日についてはこいつもいる事だし、まだやる事はあるだろうから大丈夫か。
柊木の方へ目を向けると、視線に気づいてか気付かなくてか笑みを浮かべる。
「じゃ、私もかーえろ」
「え、いやお前は帰るなよ」
柊木がスクールバッグを持ち直すのでつい焦ってしまう。
「え、なんで?」
素で尋ねて来る柊木に頭が痛くなる。
「なんでってまだ入部届書いてないだろ」
「あーそういえばそうだっけ? でもチュン帰るなら次の日でいいか!」
「いやでもそれだと染石一人に……」
「別にあたしは構わないわよ。入部届切らしてたし丁度いいんじゃない?」
こちらを見ずに染石が言う。
うーむ、少しへそを曲げられてる気がする。こういう時はそっとしておくのが一番か。
「そうか。それじゃまぁ、またな」
「……また」
染石の短い返事を聞き届けると、部室から出て行く。
廊下に出ると、いくらか肌寒さを感じる。四月後半とは言え、まだ当分半袖にはできそうにない。
「それにしても本いっぱいあったね~」
当然の如く付いてくる柊木だが、まぁ学校内なら仕方あるまい。
「そりゃ文芸部だからな」
適当に返事をしつつできるだけ並ばぬよう歩調を速めるが、きっちり柊木は合わせてくる。
「普段からああいう風に小説書いてるんだよねチュンって。すごいなぁ~」
「そうでもない」
できるだけ気の利いた返事は返さない。もっとも、気の利いた言葉なんて陰の者に思いつくわけないんだけどね!
「じー……」
下駄箱で靴を履き替えていると、柊木が視界の端でずっと視線を飛ばしてくる。
「なんだよ……」
たまらず尋ねると、柊木はにこっとほほ笑む。
「チュンってけっこうかっこいい顔してるよね」
出し抜けに言われたのでつい喉が詰まりそうになるが、どうやら俺は今まで空気を食べていたらしい。
「……クマが常駐してる上に顔色最悪な奴のどこにそんな要素があるんですかね」
「え、そんな事ないよ⁉ 別にクマもそんなに無いし、顔色も普通普通!」
「少しはクマもあってか顔色も良いわけじゃないって事か。参考になった」
「もう、すぐそういう事言う!」
柊木がわざとらしく怒って見せてくるので、ついため息が漏れる。
「はぁ、それにしてもいつまでそのノリ続けるんだよ」
さっきからペッパーくんに相手してもらってるみたいで息が詰まりそうだった。というか実際詰まらせたよね。原因はそれまでではないが。
部室の時から主に柊木のせいでうるさかった俺の周辺が、急に静けさを取り戻す。
「ま、学校出るし、人いないし、もういっか」
水を打った後のような涼しさがその声にはあった。
なんていうか本当につかみどころのない奴だと思う。学校での時はとにかくみんなに笑顔を振りまいてるし、かと思えばいきなり今みたいに表情を無くす。まだ十六年やそこらの浅い人生ながらも、これまで色んな人間の二面性というものを垣間見てきた。だが柊木はそのどれよりもはっきりとしている。あるいははっきりしすぎている。
「それじゃ、俺こっちだから」
家とは逆の方向に塾はある。それはつまり小中が同じである柊木の家とも逆の方向という事だ。
歩く距離が増える上に少し町から外れたところにあるので不便だが、生徒が少なくほぼ個別指導みたいな感じなのでそこを選んだのだ。
「そっか。じゃあ私も付いていくね」
「いや逆方向だよね君の家」
「それがどうかした?」
「どうかしたって俺に付いてくる意味がまったく分からなくなるんですがそれは……」
「好きな人と一緒に少しでもいたい、そう思うのはおかしい事なのかな?」
「おかしくはないかもしれませんがね……」
そもそも、こいつが俺の事を本当に好きなのかも怪しい。何故なら、柊木の俺への距離の詰め方が今までとまったく変わっていないからだ。真偽はさておき、少なくとも柊木は俺の事を嘘が嫌いな人間と認識しているはずだ。にも拘らず嘘で固めた笑顔を振りまき続け俺を篭絡せんと迫ってくる。
普通に考えれば悪手。そんな事は柊木だって理解できるはずなのだ。
「そうだ、どうせこっち側行くならちょっと寄り道していかない?」
「だから今日は模試があるんだって」
「どこの塾で?」
「ウワナベ塾だが……」
つい反射的に教えてしまったが、まさか入ってきたりとかしないよね? 知り合いはおろか、同じ学校の連中もあまり通わなそうな塾だからこそ選んだのに。
「へー。こんなところにあったんだ」
柊木はスマホをぽちぽちしながら言う。
「まさか塾に入ろうとか考えて無いよな?」
「まさか。流石に塾なんて面倒くさい所には高二で入らないよ」
「そりゃよかった……」
ただでさえ面倒な場所に余計な面倒ごとまで入ったら胃もたれで瀕死になってしまう。
「でもここなら行きたいところのすぐ近くだから。ちょっと付き合ってよ。チュンの事だし早めに行動してるんでしょ?」
柊木が無感動な眼を向け小首をを傾げてくる。
情報ソースなんて無いくせによくそう自信満々に言えるもんだ。
「時間が来たらすぐ塾へ行くからな」
「うん、それでいいよ」
同意は得たので学校を出て行く。
柊木は相変わらず俺の隣を陣取って来るが、特になにかするでもなくただ隣にいるだけなので、学校の時よりはいくらか気が楽だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます