第8話 ある意味これは平和な日常と呼べるのかもしれない

 部室前に到着したので、仕方なく柊木と合流する。


「部員は俺含めて二人だけだがまぁ同学年だしせいぜい仲良くしてくれよ」

「え、そうだったんだ! ちなみに女の子?」

「まぁそうだな」

「へぇ……」


 柊木が心なしか目を細め部室の扉を見やる。うわ怖っ。いきなり声のトーン低くしてくるじゃん。


「もう一度言っておくが仲良くな」


 釘を刺すと、柊木が俺の方を向き、やがて輝かしい笑みを浮かべる。


「ふふーん」

「肯定しないところがいやらしいな」


 まぁでも柊木なら大丈夫だろう。俺の見立てじゃ人前にいる時はみんな大好きな人気者を演じ続ける。証拠にここまでほとんどノリが教室と同じだった。何せ廊下には学校の生徒が歩いているからな。

 でも待てよ。それってよく考えれば俺だけ人間扱いされてないって事だよね。なんか悲しくなって来た……。


「ねーねーチュン、早く入ろ?」

「先に入るからちょっと待っててくれ」


 柊木が急かしてくるので取っ手に手をかけると、既に鍵は開いているようだった。

 扉を開くと、染石が大判の単行本を片手に読みながら座っていた。


「お疲れさん」

「遅いわよ」


 挨拶すると、染石は本から目を離さないでそう言った。


「そういうお前はいつも早すぎないか?」


 尋ねると、染石は単行本から目を離す。


「そ、それはあれよ! 部室の鍵の管理は副部長である私の務めだからで、別に部活動が楽しみではりきってるとかそういうんじゃないから!」


 顔を紅くし眉をしかめる染石。あからさまにそれが理由ですね。


「ま、つまらない授業聞くよりは何倍も部活の方が楽しいわな」

「だから別にそうじゃないって言ってるでしょ!」

「うんそうだね」

「絶対信用してないし……」


 染石はむむむと顔を真っ赤にしたまま視界の端を少し濡らす。今日も相変わらず曲者で安心感すら覚えるね。


「チュンまだー?」


 なんとなくほっこりしていると、後ろから声がかかる。


「分かったからもうさっさと入れ」

「やた~。おじゃましまーっす。うわすごい、本いっぱいだ!」


 部室へ招き入れると、柊木は部室内をきょろきょり見回す。

 その姿に訝し気な眼差しを送るのは染石である。


「え、誰?」

「なんか入部希望らしいから連れてきた。名前は柊木葵」


 手ごろなパイプ椅子へと座り、染石に説明する。


「柊木葵ってあの柊木葵?」

「どの柊木葵かは知らんがたぶんその柊木葵だ」

「や、やっぱりそうなのね……。高校一年生の時行く人行く人に元気に挨拶して回って噂になったって言うあのリア充……」

「あー、そういう話もどっかで聞いた事あったな」


 ほんと、あり得ないくらいの良い人エピソードだよな。だがそれが計算だと分かった今、多少納得してしまった自分がいる。


「でもなんでそんな子がうちに入部するのよ?」


 染石が言う事はごもっともだろう。だが正直どう説明すればいいのか……。


「えっと、確か染石百合奈ちゃんだよね?」

「な、なんであたしの名前知ってるのよ」


 急に名前を呼ばれ戸惑い気味の染石。


「え、そりゃそうだよ。同じ学年だもん」


 さも当然という風に言ってのける柊木に、染石が目を逸らす。


「そ、そうよね。同じ学年だもの、当然よ? うん」


 お前さっき柊木見ても分かって無かったよね。そんな事言ってると雷様におへそとられちゃうんじゃないかな? 

 まぁもっとも、この場において異常なのは柊木の方だとは思いますがね。俺とかクラス連中の名前と顔すらまだ全然一致してないもん。なんなら一年間過ごした高一の時ですら半分も覚えてなかったよね!


「それでね、どうして私が入部したのかって言ったよね?」


 どうやら俺達の会話は柊木に聞こえていたらしい。


「それはね~?」


 さしもの柊木とて流石に俺以外の人がいる手前変な事は言わないだろうと思っている時期が俺にもありました……。

 柊木はとてとて歩き俺の背後へ回り込むと、同時にバニラのような甘い香りに包まれる。


「チュンの事が好きだからだよっ?」


 暖かい温度が背中ら首を通じて心臓の辺りに伝わって来る。

 あろう事か柊木は椅子の裏から手を回してきやがったのだ。しかも俺が好きとか言う特大爆弾ワード付きで。


「お、おいやめろ今すぐ離れろ!」

「断る~。もっと引っ付いちゃえ~チュンちゅ~ん」


 柊木が声を弾ませると、俺を包んでいた熱がさらに暖かくなる。同時に何やら柔らかいものを背中に感じるまでになった。あててんのか! あててんのね⁉ 


「なっ……なっ……」


 目の前には顔を真っ赤にし絶句した様子の染石の姿。その両手には本が握られわなわな震えている。しかも大判だから当たったら絶対痛いやつじゃないか! 

 たんこぶを覚悟していると、染石はその本を机に叩きつけるように置く。

 日に照らされた埃が舞うと、置いてあったペン立てが倒れる。


「ちょ、ちょっとやめなさい! 雀野が嫌がってるでしょ⁉」


 ぱたぱた駆けつけてきた染石は、どうやら俺と柊木を引きはがしに来てくれたらしい。この子が野蛮な子じゃなくてよかったと心から思う。


「えー嫌じゃないよねー? チュン」

「い、いうおあ……」


 嫌だと言おうとするが、腕で口元を抑えてきたのでなかなか言葉にできない。

 視界の端には言わせないよとばかりに、いたずらめいた笑みを浮かべる柊木の口元が僅かに見えた。この女め……。


「そ、そうなの雀野?」


 尋ねる染石の瞳は僅かに揺れ、動揺が見て取れる。いや違うから、ほんと。マジでまったく喜んで無いのでなんとか伝えねば……。


 どうにかあまり痛くない方法で柊木を引きはがしたいが方法が思いつかない。五里霧中の状態にどうにか状況を打開できないかと手が自然と机を探り始めた。


「ね、ねぇ雀野……?」


 軽い混乱状態にでもなってるのか、目の端を僅かに濡らす染石が尋ねて来る。

同時に手が万年筆を探り当てた。部誌に使うB5用紙をなんとか引っ張り出すと、字を書く。


『タスケテ……』


 体制が体制なのでミミズ文字になったがなんとか読めるはずだ。

 染石も俺が書いたのを確認すると、何故か少し嬉しそうな笑みを浮かべる。


「ほ、ほらやっぱり嫌がってるんじゃない! 早く離れるの!」

「ちぃ!」


 柊木はわざとらしく舌打ちをする真似をすると、ようやく俺を解放してくれる。あー助かった。


「まったくどういう神経してるのよあんたは。いきなり雀野にその、」


 染石は頬を染め目を泳がせる。


「だ、抱き着いたりして……」


 ぽしょぽしょと言う染石に、柊木はあっけらかんと答える。


「えー、だってチュンの事好きなんだもん」

「なっ、す、好きって……! あの好き……いやでもだからってそんな事……!」

「百合奈ちゃんも、好きな人には抱き着いちゃっていいんだよ?」

「え、そ、そうなの……?」


 染石が俺の方に目を向けてくる。なんで俺に解答を求めてくるんですかね? 人に聞くまでも無く分かるよねそれくらい。まぁ染石だから仕方ないか。


「おい柊木、染石に余計な事を吹き込むな。こいつ単純だからなんでも信じちゃうんだよ」

「なっ、単純って何よ!」


 顔を紅くして眉を逆への字にする染石。

 フォローしたつもりだったが、逆に怒りを買ってしまったようだ。


「染石、単純というのは、十二単の単と純粋の純の二文字で成り立っている。十二単は伝統ある由緒正しい着物で、そこに純が合わさるという事はどういうことだと思う?」

「え?」

 

 素直に問いについて考える染石だが、あまり考える暇は与えたくないな。


「まぁ要するに、単純と言うのは良い意味って事だよ。俺は今お前を貶したのではなく褒めたつもりだったんだ」


 言うと、染石は目をぱちくりさせる。

 うーん、さしもの染石とて流石に納得してくれないか。説教受ける準備しておこう。


「そういう事なら早くそう言いなさいよね、まったくもう」


 どうやらとりこし苦労だったらしい。不機嫌な様子から一転、むしろご機嫌な様子が緩む口元に出ている。ほんとこの子って単純と言うかもはやそれ以上の何かだよね。


「変な事吹き込んでるのはどっちなんだろう……」


 柊木が頭に疑問符を浮かべるが、これはケースバイケースというやつだ。それに、実際俺は染石を貶したつもりはない。

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