第5話 廃屋から女子高生が出て来るなんて普通ある?
今日も今日とて学び舎に向かう道は汚い。側溝に捨てられた吸い殻、アスファルトにこびりついたガムの黒い残骸、電柱の下にまき散らされた鳥の糞。なんとなく今日は朝から気分がすぐれない。
いやいつもか。学校という収容所がある以上俺に美しい朝が来ることは無い。
自然と足は学校から遠ざかろうとするが、サボると成績に響くので回り道程度で済ませようと思ってる良い子ちゃんどうも僕です。
普段はわざわざ大通りから外れはしないが、今日はとりあえず住宅街経由で行く事にしよう。
時折すれ違った人に怪訝な視線を向けられたりしながら歩いていると、自然と足は歩みを止める。
うん、陰気な奴が住宅街を歩くのはやめた方が良さそうだな。住民の視線が痛い。
帰ろうかと来た道を引き返しかけるが、ふと傍の民家が目に留まった。
黒い柵のような門は下側がサビて朽ちかけている。その先の玄関の扉は打ち付けられたようで半透明のガラスはヒビが入っていた。一応広めの庭が入口のすぐ隣に広がっているようだが、雑草まみれで荒れ地にしか見えない。
所謂廃屋と言う奴だろう。家主が不在になって放置された家の哀れな末路……とか言ってて人が住んでたらすごい失礼だな俺。なんか新しめの物干し竿はあるみたいだし住んでる可能性あるな。
あんまり立ち止まってじろじろ見ていたら怪しいので立ち去ろうとするが、ふと庭の奥から人影が向かってくるのを見てつい留まってしまう。
その人影は片手に何やらつり下げたものを携えこちら側へ歩いて来る。それがただのご老人とかなら特に足を止める事も無かった。だがこうして立ち止まってしまっているのはその人影が見知った人物でなおかつこの荒れ地に似つかわない綺麗な制服に身を纏っていたからだ。
「あれ、もしかしてチュン!」
ああやはりそうなのか。そのふざけた名前で呼ぶ人間を俺は一人しか知らない。
「柊木……」
柊木はパタパタこちらへと駆け寄ってくる。
特に変わった様子は見られない、か。クラスの人気者で俺に対して同情心を以って接してきていたあの柊木のようだ。その瞳には微塵も淀みが無い。昨日の豹変も告白もひょっとして白昼夢か何かだったのだろうか?
「すごい偶然だ! もしかしてチュンって普段からここ通ってたの?」
「あー、いや、今日はたまたま……」
接しづらさを感じつい言葉が詰まる。
嘘告白とは言え、俺は柊木の申し出をはっきり断ったからな。
「本当にぃ?」
半笑いで疑いの眼差しを柊木は向けてくる。
「……何か思いつく理由が他にあるのか?」
尋ねると、柊木は嬉々として人差し指を立てる。
「うーんそうだねぇ。例えば、私に会いに来たとか!」
「いや会いに行くも何もお前の家なんて初めて知ったわ」
あまりにもあり得なさ過ぎてつい普段通りに否定してしまった。
「まったくチュンはつれないなぁ。自分の事を好きな女の子の冗談くらい笑ってあげてよー」
「ああやっぱその設定生きてたのね……」
白昼夢であってほしかった。
「設定ってなーに?」
柊木が不満げに頬を膨らます。いかにもわざとらしい。
白々しさを感じていると、柊木もそれを悟ったのかふっと笑みを漏らす。
「なんて、チュンはこういうの嫌いだったね」
その声音は冷ややかなようで平坦。柊木の瞳に妖美な光が宿ったような気がした。あの豹変ぶりも白昼夢じゃ無かったか。
「……まぁな。偽善は俺が一番嫌いなジャンルだ」
「うん、確かに普段の私は偽善の塊みたいな存在だよね。でも……」
柊木は一歩二歩と近進むと、目と鼻の先の距離にやってくる。バニラのような甘い香りが鼻腔をくすぐると、僅かな重みと暖かさが俺の胸板に伝わる。
「チュンが好きって気持ちは、本物だよ」
怜悧とは一転して甘えたような生暖かな声だった。
柊木が頭を預けて来ていたので、俺はすぐさま後退し距離を置く。ソーシャルディスタンスは大事だからな。密は良くない。それが甘い物なら尚更だ。ハニートラップはいつだって相手の命を絶たんと息を潜めている。初めて受けたのは中二だったか。愉快な思い出だ。
「……そいつはどうも。だが生憎俺は幼稚園の頃から魔法使いになるのが夢でな。少なくとも三十歳になるまではその
我ながら酷い返しだとは思うが、どこかに隠れている陽の者共もこれにはドン引きして俺から手を引くに違いない。あるいは柊木だけだとしても、これ以上こんな気持ちの悪い奴に嘘でも近づくのは苦痛になるはずだ。どっちに転んも俺が一人になれる最高の作戦。こんな事を即座に思いつけちゃう自分の才能が怖いね。
「そっか。でも安心してチュン。私は三十過ぎてから子供を作っても全然いいよ」
「なっ……こどっ」
あまりのパワーワードに言語機能に異常をきたす。
「少なくともチュンが魔法使いになる夢は邪魔しない。これなら付き合ってもいいでしょ?」
「いやそんな淡々と話進められましても……」
柊木が薄い笑みを湛え小首を傾げるが冗談じゃない。もし仮に万が一天地がひっくり返って俺がこの女と付き合おうものなら、そんな夢は数年のうちに潰えてしまうのは目に見えている。童貞陰キャの意志の弱さを舐めてもらっちゃ困る。まぁ意志どころかメンタルも弱いから本当に守り切っちゃうケースもあるかもしれないけどね!
「にしても、柊木の家がこんな感じだったとはな」
これ以上この話題を続けるのは不利だと判断し、別の話題を振ってみる。なんだかんだでスルーしてしまっていたが、こんな廃屋みたいな家に柊木が住んでいるのはあまりに違和感がある。
「こんな感じって?」
柊木が尋ねてくるので、一つ咳払いをする。
「まーなんだ。随分と自然志向といううか、環境に優しそうな家だなと」
オブラートに包んで言いはしたが、正直この話題は失策だったかもしれない。だってこれ明らかに訳アリだよね。大して仲は良くないのに家庭事情に首突っ込むとかとんだ無礼者じゃないか。なんならある程度親しいレベルでも踏み込まない領域だろう。
「あーそう言う事か。うんそうだね。初めて見た人は確かにびっくりするけど意外と中は綺麗だよ」
「なるほど」
納得した風に見せるがこのなるほどという言葉は実に使い勝手が良い。いかに興味の無い話でまったく聞いていなかったとしても、話が終わった頃にこれを言えばちゃんと聞いてたよアピールできるし、相手も肯定される事によって良い気分になる。人類の言語はもはやなるほどで統一するべきだと思うね。
「適当だなー。ほんと私に興味ないんだねチュン」
「いやえっと……」
柊木はどこか冷ややかに目を細めこちらを見てくる。
あれおかしいな。これまでなるほどさえ言っておけば即時会話終了したんだが、これって相手が満足したからじゃなかったの!?
「ま、いいけどね。曲がりなりにも私振られたわけだし」
「そりゃあれはそうだろ……」
物事には順序というものがある。いきなりあんな事を言われて頷く奴は……柊木相手なら割と普通いるかもしれないがまぁ、なんだ。俺がちょっと頭の切れる奴だったから仕方ないね! 相手が悪かったな陽の者どもめ。こちとら中学から高一の四年間ぼっち極めてるんだ。ちょっとやそっとじゃ牙城は崩れんのだよォ!
「でもせっかくだし学校一緒に行こうよ」
「断る」
突然提案してきたので即座に答える。
「そっか。じゃあとりあえずチュン、これ持ってて」
「あ?」
柊木から持っていた提灯のようなものを手渡されたのでつい受け取ってしまう。改めて見てみればどうやらこれは洗濯物干しらしい。つり下げられているのは白や水色の布……?
「え、なにこれ」
「それはねー。女子高生のこれ?」
柊木が意外と主張のある胸元に指を持ってくると、ハートのような形を象る。いや違う、これはハートではなく逆三角……。
「いや何渡してくれてんの?」
すぐさま突き返そうと腕を伸ばすが、柊木は軽やかな足取りで避けてくる。
「チュンこそ何持ってるのかな?」
「いやいや持たされてるんだけどね?」
さらに返そうと距離を詰めるがまた逃げられる。
「そんなもの持ってたら流石のチュンでもそこらへんは歩けないよね?」
柊木は愉快そうにそんな事を言って来る。くっ、俺としたことが不覚。
「ああそうだな。だからさっさと受け取ってくれると嬉しいんだが」
突き返すべく柊木の方へ足を動かすと、連動してあちらも遠ざかっていく。
再び近づいて渡そうとしてもその度に避けられてしまう。面倒な……。
「鬼ごっこじゃないんだぞ」
「いーっだっ」
つい不満が口をつくと、柊木は白い歯を見せつけてくる。
随分と生意気な所作で憎たらしくもあったが、どうにも先ほどの冷たく面妖な気配は失せているようだった。同時に博愛主義のあの柊木の雰囲気とも少し違う気がした。
これは言うなればそう、無邪気?
「……馬鹿馬鹿しい」
己の甘い考えと洗濯物干しを片手に持つ間抜けな姿が頭をよぎり、そう吐き捨てていた。
俺は柊木を追うのをやめ、物干し竿へと直行する。そのまま布のつり下げられた洗濯物干しをひっかけると、柊木宅から背を向けた。
「それじゃ、俺行くから」
盗撮できそうな場所の有無まで確認はできなかったが、願わくば俺の間抜けな姿が写真に収められてない事を祈る。もし仮に撮られていたとして、陽の者の間でその写真が出回るのは別に良い。ただ、俺の醜態が形となって保存されてしまうのはあまり嬉しい事ではない。
「それじゃ、私も学校行こうかな」
「お前と一緒には行かないと言ったはずだが」
柊木が俺の隣へと並んでくるので、特に目をやる事も無く釘を刺す。
「でも同じ道だし、それにチュンに付いていくかどうかは私の勝手。違う?」
そんな屁理屈をこねる柊木の声はやはり暖かいものとは程遠い。
「……そうかい。もう好きにしてくれ」
屁理屈だという指摘は相手の言葉に返す言葉が無い者が使う逃げ口だ。それは他らなぬ敗北宣言に他ならない。
だからこそ、俺もこれ以上とやかく何かを柊木に言うつもりはなかった。第一、どうでもいい人間のために、時間を浪費させること自体が間違いなのだ。
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