第4話 この文芸部には曲者がいる

 先が思いやられるものの、とりあえず部室へと向かう。

 気付けば文芸部に所属してはや一年余。将来的に小説で印税生活を送るには今の内から同業者に意見を聞いた方がいいと思い入部したのだが、残念な事にうちは部員が少ない。今年の新入部員がゼロなのはおろか、部員も俺含め二人しかいないこの環境ではあまりメリットを感じないのだが、なんとなく今日まで通ってしまっている。


 建付けの悪い引き戸を開くと、埃の香りが春の風に乗せられて頬に触れた。

 会議机の上に積まれた本の方へ目をやると、その間には熱心にノートと睨めっこしている我が部唯一の部員、染石百合奈そめいしゆりながいた。


 二つに結った長い黒髪に、作業するのに前髪が邪魔なのかヘアピンが留められてある。一見すればどこにでもいる文芸部員に過ぎないものの、小説書きには往々にして曲者が多いものだ。


「お疲れさん」


 正面斜めのパイプ椅子に座ると、染石そめいしは突然肩をぴくりとさせる。


「す、雀野⁉」

「来て早々随分な御挨拶だな」

「う、うるさいわね! でもちょっとは悪かったわよ……」


 チクリと言うと、文句をぶつけて顔を横に向けた割に素直に謝る染石。

 普段は猫のように吊り上がっている目じりも心なしか下がっているような気がした。


「まぁ気にするな。慣れてるからな。普通の人はお正月にしか随分なご挨拶をしないが、何故か俺は年がら年中随分なご挨拶を受ける事が多い。中学の時なんか俺を縁起物か何かと間違えたのか線香とお供え物を置かれた事があるくらいだ」


 俺の中学の時の美しき思い出を雄弁に語ってやると、染石は怪訝な眼差しでこちらを見てくる。


「あんたどんだけ人気者だったの? 今の感じからじゃまったく想像つかないんだけど」

「ああうん……そうだな。ちょっと盛ったかもしれない」


 いや盛って無いけどね? 事実をありのまま話したんだけどね? どうにもジョークが伝わって無かったみたいだからさっさと閉店ガラピシャしました。


「ほんと雀野ってそういうとこあるわよね」


 呆れたように染石が言う。


「あんまり嘘ついてると泥棒になっちゃうわよ?」

「ああうん、泥棒ね。気を付けるわ……」


 あれですか、嘘つきは泥棒の始まり的な。確かによく耳にする言葉だな。低学年の頃親から教えられた有り難い話だ。


「分かればいいの。まぁでも、雀野じゃ泥棒なんてできっこないと思うけどね」

「その心は?」

「だって雀野が泥棒なんてしたら玄関の段差で転んでバレそうじゃない? ふふっ」


 よっぽど俺の間抜けな姿を想像したのか、染石は楽しげに目を細くする。その瞳は澄み渡っており、何の交じりっ気も感じさせなかった。


「ま、俺の運動神経なんてヤムチャレベルだからな。その上常にアニメの事を考えてるような気持ちの悪い陰キャだから当然注意力も散漫だ」

「べ、別にそこま言ってないじゃない……」


 染石は口をもにょもにょさせるが、それはこいつが優しいからこそだろう。

 まったく、つくづく曲者だと思う。普段ツンケンしてきつい事言う割には素直に謝って来る事が多いし、さっきみたいに少女のような笑みを見せてきたりする。おまけに俺の渾身のジョークも通用しないと来た。こんなだからあんな良い文章も書けるんだろうな。


 一番最初に読んだ染石の文章を思い出す。拙い言い回しなどは当然見られたものの、あれには確かな技術が詰まっていた。なんというかこう、読む者を暖かくしてくれるのだ。魔力みたいなものが染石の書く文章には宿っているのかと錯覚するくらいに。


 だからこそ俺は、この子の事を心から尊敬してるし、願わくばその技術を盗んであわよくば俺の夢の印税生活の礎となってもらおうと日々この部室へと足しげく通っているのであるッ!


「そういえば染石、それは新作か?」


 早速染石の手元にあるノートへと目を向ける。

 さっき俺が入ってきたことに気付かないくらい熱中してたからな。きっと力作に違いない。いち早く拝んで俺の糧となっていただきたく。


「こ、これは!」


 頬を染めた染石は予想に反して肩をびくつかせると、そそくさとノートを閉じてカバンにしまった。


「え、なに。なんで隠すの」

「そ、それはあれよ……。そう、ネタ帳だからよ! あんたは同じ小説家を目指すいわばライバル、そんな相手に手の内なんて明かすわけないじゃない!」


 染石はわざとらしく胸を張り勝ち気に笑みを浮かべてくる


「なるほど……」


 そう言われてしまっては無理強いは出来ないな。わざわざ表紙にマル秘と書いてるあたり隠す気あんのかとは思うが、自ら競合相手に情報を差し出すやつはいないだろう。


「なら仕方ないな」

「ず、随分素直ね……」

「まぁそりゃ俺みたいなネクラのキモオタなんかにノートでも貸そうものなら一瞬で腐り果てるからな。渡したくないのは当然理解できる。なに、よく言われてたから慣れてるさ」


 ニヒルに笑って見せると、染石の瞳が少し揺らぐ。染石の手がカバンの中まで伸びるが、すんでのところで指はノートを摘まむ事を躊躇した。


「だ、駄目よ、やっぱり駄目! でも人が触って腐るノートなんて存在しない事は小学生もでも分かるわよ! だからその、それをあたしは理解できない訳が無いというか……」


 尻すぼみに染石が言う。

 随分とひねくれた言い回しな気がするが、染石なりにフォローしてくれているのだろう。まったく、つくづく優しい奴だと思う。だからこそわざとジョークをぶっこんでみたわけだが。


「やっぱり無理か。でも安心してくれ、さしもの俺もそんな事まで言われたことは無い。まぁいわばジョークだな。同情を誘う作戦的な」

「は?」

「流石に小学生でも分かるような事を言ってくる奴はいないだろ。はっはっは」


 まぁ雀野にノートとかカビ生えるwwとは言われた事あるんですけどね? カビにカビを生やすな。

 中学校の時の愉快な思い出を笑い飛ばしていると、顔を真っ赤にした染石が机を拳で叩く。


「一瞬でも心配したあたしが馬鹿みたいじゃない! そんな事ばっかり言って雷様におへそ取られても知らないんだから!」

「雷様ね……」


 たとえがいちいちメルヘンというかなんというか。やっぱ曲者だわこいつ。

 まぁでも、ある意味これは美徳と言えるのだろう。悪や偽善にまみれたこの世界における曲者なら、それが真の善人であってもおかしくはない。いつだって裏の裏は表だ。


 ふと、柊木の事が脳裏をかすめる。あいつも結局そうだった。善人に見せかけてその本質は偽善。本人の口から聞かされたのからそれは間違いないのだろう。少なくとも本人が認めている以上外野が何を言おうが無駄だ。


 だとすればあるいは、染石もそんな人間の一人と言えるのだろうか。分からないが、あの文章を書ける人間が偽善者であるのなら、もはやこの世界は偽善こそが真の善なのだろう。

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