第3話 こんなはずじゃなかったんだが
「……え?」
柊木の瞳孔が開く。いかにもわざとらしい表情の付け方だ。
「もういい加減うんざりなんだよ」
まっさらなキャンバスに毒を塗りたくっていく感覚。
「俺に話しかけてくるのだって同情なんだろ? だとすれば余計なお世話だ。俺は同情されるような立場にいるつもりは無い。まぁあんたらみたいな上位カーストの皆様方にとっては俺が可哀想で可哀想で仕方ないみたいだけどな」
「そんなつもりじゃ……」
柊木の瞳が揺らぐ。
胸の辺りにチクリとした疼痛が走るが、惑わされてはいけない。それこそがこの女の武器であり、クラスの人気者たる所以だ。明確な悪意に対して敵意で返さず、性善説を振りかざして迫って来るのだ。
さっきのだってそうだ。淳司君は良い人だと間接的に伝える事で、悪口を自発的に取り消させた。人は敵意には敵意を返すが、好意をむけられれば好意を返したくなる生き物だ。その性質を利用した巧みな処世術。
……なんてな。俺だって分かってるんだよ。そんなのはただの俺のひねくれた思考に過ぎないってことくらい。
だが、それでもそんな風に考えてしまうのだ。もうこればかりは俺自身の問題で、だからこそ俺は自分自身に反吐が出るのだ。
柊木もそんな奴と関わっても時間を浪費するだけだろう。
「嘘つけ」
だから突き放す。俺と関わろうなんて気はこの場で完膚なきまでに叩きのめす。
「お前は嘘つきだ。その仕草も人に向ける好意も全部偽り。俺にはそれが分かる。だから二度と近づくな。俺はそういう奴が一番」
一息に言うつもりだったが、その先の言葉が喉につっかえて出てこない。
何を躊躇してるんだか。まったく馬鹿馬鹿しいな。
少し多めに息を吸うと決定的な一言を告げる。
「大嫌いなんだよ」
柊木とのこれまでの関係が音を上げて崩れていくのが分かった。だがこれでいい。先ほどはうまい事やっていたがそう何度も俺を庇っていては、柊木の評判も落ちかねないからな。今のうちに関係は絶った方がいい。まぁそれ以前に絶つほどの関係があったのかは疑問符だがまぁ、少なくともこれだけ言えばさしもの柊木とて俺と関わろうという気は……。
「いつから、分かってたの?」
「は?」
予想外の言葉につい間の抜けた声を出す。いつから分かってたって、何が……。
「いつから、分かってたの?」
柊木の顔が近づいてくる。
こちらの目を覗き込む柊木の目は先ほどとは打って変わって光が失われているような気がした。声もこれまでの何倍も冷たい。大よそ柊木の口から発せられた音とは思えなかった。
「まぁ、なんとなくチュンなら分かっちゃうかなーって思ったりもしてたんだけど」
柊木は俺から数歩下がると、机の上に身体を預ける。いやいや待って? この子一体何を言っているの?
「まさかこんなにもすぐ来るとは思ってなかったなー」
俺も思ってなかったよ。なんなら何か来るとも思ってなかったわ。
「でも……」
柊木が糸の切れた操り人形のように首を垂れる。え、何か来るこれ? 身構えた方がいい? パニックホラーの世界に迷い込んだ? 一応武術の心得はあるからしばらくは生き延びれるだろうが俺の事だ、突然あっけなく殺される役回りに違いない。いやそもそもそんな世界に迷い込むわけないじゃないか!
想定の範疇を越えた出来事に思考が訳の分からない方へGoToトラベルしていると、柊木が自らの髪を耳にかけ控えめに目を合わせてきた。
「ちょっと嬉しいかも」
その頬は僅かに朱に染まっているがおかしいな、まだ夕焼けには早い時間だがこれは何か発作の前兆⁉
「うん、決めた」
俺の不安をよそに柊木が机から離れると、再び距離を詰めてくる。やばい、首筋噛まれる。噛まれてオブザデッドになってしまう!
「私チュンの事が好き。だから付き合ってくれないかな?」
柊木が俺の手を取り握って来る。「え?」
自らが聞いた言葉に耳を疑う。
俺が好き? 付き合ってくれ?
「……駄目、かな?」
僅かに潤んだ瞳に熱を帯びた頬。柊が明らかに乙女の顔になっていた。さっきのオブザデッドな雰囲気とはまるで正反対だ。未だに手も握られ、暖かく柔らかな感触に包まれている。あるいは何か意図があっての演技か。
正直なところ、柊木のみてくれは万人から可愛いと太鼓判を押されるほどだろう。その上性格も良いと来た。いや本当の所は知らないが一般認識はそのはずだ。だからこそこいつはクラスの人気者なのだ。そんな奴と付き合えたら確かに楽しい思いをするかもしれない。
だがこれはおかしな話だ。普通に考えればひねくれ陰キャにカーストトップの美少女が理由なく迫って来るわけ、無いのである。
つまりこれはあれだな。もしここで頷いたらはーいドッキリ大成功~ってやつ。中学の時にも一回やられたんだ。恐らく淳司君とか柊木の友達辺りがやってくるに違いない。
ハッ……! もしやさっきの淳司君乱入はそのための伏線⁉
やれやれ危ない。もう少しで騙されるところだった。こちとら青春なんてとっくの昔に諦めているんだ。今更だれだれと付き合おうなんて気はさらさらない。ならば俺が言うべき言葉は一つ。
「断る」
言い捨て手を振りほどくと、柊木の脇を通り越す。幾らが寒々しくなった手でさっさと塵取りに埃を掃き入れると、ゴミ箱の中にポイした。
「当番お疲れさん。それじゃあ俺、部活あるから」
立ったまま硬直する柊木の背中に嫌味を込めて声をかける。
これで俺が恥をかく事も陽の者共を楽しませる事も無い。史上まれにみる陰の者の大勝利だ。これにて一件落着。せいせいした気分で教室を後にしようとすると、後ろから声がかかった。
「待ってチュン」
まだ何かあるのだろうか。まったく往生際の悪い。こんなたちの悪い娯楽よりもっと楽しい娯楽見つけろよ。そういうの得意だろ陽の者は。
「私、これくらいじゃ諦めないよ?」
いや諦めろよ……。回数重ねたからって成功するものでもないでしょうよ。むしろ失敗確率上がると思います!
「初めてだったから。初めてそんな人に出会えたから」
過去に何回もこの手のドッキリやってたって事ですね分かります。今まで犠牲になった陰の者へ黙とう。
「だからチュン」
柊木の足音がこちらに近づいてくると、すぐ横に来た柊は顔を耳元へ近づけてくる。
吐息が分かるほどの距離に、さしもの俺も一瞬クラっと来そうになるが、それはすぐ失せる事になった。
「覚悟しといてね?」
囁かれた声は異様に冷たい。首筋を撫でる時のむずがゆさは、ナイフを当てがわれたような冷たさへ変換される。
つい横目で柊木の顔を見ると、目は前髪に隠れて見えなかったが、その口元の端に楽し気な笑みを浮かべているのは確認できた。
背中に嫌な汗を感じていると、柊木は丈の短いスカートをひらめかせ、俺の前に踊り出る。
「それじゃ、今日はバイトあるからまたね。チュンチュンっ」
柊木は子供っぽい笑みを浮かべると、鳥の頭を指で形づくりスナップさせる。
いつもの明るい柊木だ。だが先ほどの姿を見た後では、不気味にすら俺の目には映るのだった。
今日はってこれから一体俺は何をされるというのか……。青春は諦めてるが平穏な日常は送りたいというのに。
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