〇俺の日常が崩れ去るわけ……

第1話 今日もあいつは俺に構ってくる

 誰一人俺なんかに構わないで欲しい。

 それは常日頃から願っている事だ。何せ人は平気で人を裏切る。そんな奴らと群れたくない。


 なのにあいつは俺の席の近くを通りかかる時、必ずと言っていいほど干渉してくるのだった。


 しかし今日は後ろの席の所謂イケてる側の男子に用があったらしく、何やら雑談をしているようだ。


 何の話をしているのかはまったく興味が無かったので、ノートでもまとめるかと教科書を取り出していると、突然首筋にむずがゆい感触が走った。


「チュンっ」


 弾んだような声が聞こえ、うんざりする。

 ああ結局来るのか。そのままイケ男と仲良くしゃべって帰ればいいものを。


「やめてくれるか」


 俺は顔を見ずに一言告げる。


「えーいいじゃん。ほら、チュンチュン」


 そいつは俺の机の前に回り込むと、いたずらめいた笑みを浮かべ視線を合わせてくる。


「チュンチュンチュン」


 謎の言語を連呼したそいつは、キツネの耳をもいだような不可解な形を指で作ると、シャープペンシルを持つ俺の手を三度つついてくる。


 袖が少しめくれ露わになった手首にはミサンガはオシャレか。セミロングの前髪は計算されているのかうまい比率で分けられ、整った顔立ちを一層引き立てるように思われる。

 クラス一の美少女であり人気者、柊木葵ひいらぎあおいは今日も俺に構ってくるのだった。


「チュンは何してるのかなー?」

「予習だが」


 てかチュンは何してるって意味が分からないな。日ごろからこいつは俺をそんな風に呼んでくるが俺の名は雀野すずめのだぞ。雀野と普通に呼んでもらいたいものだ。


「お、流石チュン。昔から頭良かったもんね」

「昔からだと? 馴れ馴れしい」


 言うと、後ろの席から「おお出た謙信公節!」などと聞こえてきたが無視する。


「え、ひどーい! 私達幼馴染なのに」


 柊木が不服そうに口を尖らせる。馬鹿馬鹿しい。


「冗談も大概にしてくれ。幼稚園は当然違う。小学校については確かに同じだったかもしれないが校区は離れてたし、三、四年しか同じクラスじゃ無い。その上中学に至っては同じクラスにすらなった事なかっただろ」


 しかも当時そこまでこいつとは仲良くなかった。せいぜい給食で同じグループになったら多少喋るくらいの関係。そんな奴が幼馴染なんて俺は認めない。なんなら赤の他人だ。友達ですらない。

 にも拘らず柊木は俺に構うのは何故か。それはたぶん同情しているからなのだろう。


「別にいいじゃん、幼馴染で。でも昔に比べて雰囲気変わったよねチュン。もうちょっと丸かったって言うか。今の感じも好きだけど。あ、体型の話じゃないよ?」


 小首を傾げ、こちらを覗き込む目はぱっちり大きい。一見して悪意の無い純粋な眼差しに見えるが俺は騙されない。この世の女、もとい人間のほとんどが打算で動き、真に善なるものはそういるものではないのだと。味方のフリをして平気で脇腹を突き刺しに来るなんてザラにある。あるいは刺しまではせずとも、見世物にして利益を得んとする奴らなんかもごまんといるのだ。


「……馬鹿馬鹿しい」


 吐き捨てると、柊木は阿保みたいに口を開ける。


「あー、バカって言う方がバカなんだー!」

「そうか。つまりあんたも」

「葵ちょっといいー? 今度の日曜だけど……」


 颯爽と現れたのは赤髪くるくるカール女子。柊木と同じグループのトップカースト勢だな。今日も今日とて俺の方に視線をくれると、まるでカラスに生ごみを荒らされた後を目撃したような目を向けてくる。


 まぁそれくらいならいくらでも構わない。俺に実害があるわけじゃないからな。所詮カースト最下位の人間に向けられる眼差しなんてこんなもんだろう。

 俺はノートの方へ向き合うと、柊木の視線もすっと離れていくのを感じる。


「なになに~?」

「ああうん、淳司じゅんじとか呼んでカラオケ行かない?」

「おーいいじゃーん」

「じゃあ決まり~ねぇねぇ、輝也てるや君もどう?」

「日曜は悪い、サッカーの試合入ってんだ。土曜の午後とかならいけるんだけど」

「じゃあ土曜の午後にしよっか~葵は?」

「行けるよ~」


 後ろの席のイケ男も巻き込んでの予定の相談。まさしく陽の者の会話という感じだ。陰の者は暗がりで独り優雅に文でも嗜んでおくか。


 何せ俺は趣味で小説を書いているからな。


 数学のノートから趣味用のノートにチェンジすると、意識をそちらへと全集中。呼吸を整え水に沈むようなイメージをする。そうする事で美しい文章と巡り合えることができるのだ。


 ゆっくりゆっくり意識を抑え、没頭する。深く潜り、だんだん光が鈍くなっていく。でもまだだ。まだ足りない。もっと奥へ、そこの先にはきっと素晴らしい文章が。


 仄暗い青に包まれると、不意にまばゆい光が目の前に閃く。

 こ、これだッ! 

 この光の先に、唯一無二の文章がッ!


――ああいうの、ちょっと羨ましい。

 

 降って下りた文章は美しさとはかけ離れたものだった。

あれ、調子悪いな。


 白紙のページに弱々しく書かれた文字の羅列に大きくばってんを付ける。

 小説家たるもの、駄目と思った表現は迷わず没にする勇気が必要なのだ。

 そっと趣味用のノートを閉じると、丁度陽の者の会話が終わったところらしく柊木たちが場を離れていく。その際、コソコソと何やら赤髪くるくるカール女が柊木に耳打ちをしていた。


「てかさ葵、いつも思うんだけどなんであんな陰気臭そうなのと話してるの?」

「え、チュンの事? けっこう話してみると……」


 聞こえてますよ。辛気臭そうって言いたかったのかな? 仕方ないから俺から聞かないようにしてあげよう。

 まぁ俺は別にいいんだけどね。実害はないし。ただ内緒話はできるだけ他人には聞かれたくないだろうからな。


 本当に、俺自身はどうでもいいんだ。

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