"好き"っていいよな

@yusaki_centi

第1話(読切)

「"好き"っていいよな」

 あいつは電車のドアにもたれかかりながら、何の脈絡もなくそう言った。


 よりにもよって、その"好き"にケリをつけようと、確実に一緒に帰れるよう調整したその日にだ。


 狙い通りこの時間帯の横須賀線は空いていて、私達以外には薄汚れたおじさん1人と、小学校3、4年生くらいの男の子と女の子の2人だけしか車両に居ない。

 ここにある音は底抜けに明るい小学生の話し声と電車のガタンゴトンと揺れる音だけだ。


 誰のせいで私が"好き"に嫌気が差してると思ってるんだ。そう思って、私は大きく空気を吸ってあいつの顔をにらんだ。

 でも、あいつは秋特有の澄んだ夕日に照らされながら、遠く明後日を見つめていて、それはあまりに絵になっていたものだから、あいつにまくしたてるための空気はただ溜息として吐き出された。


 本当に馬鹿みたいな話だ。

 あいつは、別の相手をこんなにも思っているのに。

 あいつは、私の事なんて悩みを相談をする相手としか思っていないのに。

 あいつだって“好き”のせいで苦しんでいるって分かっているのに。

 私はいつだってこんな不毛な事やめたいって思ってた筈なのに。

 今日だってこの思いにケリをつけてしまおうって思っていたのに。

 こんなに苦しいのに。


 私は「そうだね」と、そうつぶやいてしまった。

 こうして、私は通算7度目の楽になるチャンスを逃した。



  ◇



 私とあいつの付き合いの長さは、私の人生とほとんど同じ長さだ。

 私とあいつは家が近くな上、親同士が友達だったから、物心つく前から家族ぐるみの付き合いだった。幼稚園も同じで、小学校も同じ、それに学校からの帰り道もだいたい同じだったから、あいつがそばに居るのは当たり前の事だった。


 だから、今思い返してみても、いつからあいつに惹かれていたのかなんて分からない。

 中学に入ってからと言われればそんな気もするし、小学校低学年の時にはもうと言われればそんな気もする。


 幼稚園の頃には大人になったら結婚しようだなんて事を言い合っていたし、小学校に入って男女がなんとなく別々に遊ぶようになった後も、親同士が仲良い事もあってあいつとだけは変わらず一緒に遊んでいた。


 女子同士で誰が好きかーって話しをするようになった時には、聞くまでもなく私の相手はあいつだと扱われていた。

その頃はその扱いが不本意だったけど、仮に聞かれていたとしても、他に仲の良い男子が居た訳でもないし、あいつ以外の名前は決して挙げなかったと思う。


 小学校高学年になって、ませた子達が告白しただのと言い出した頃には、私は他の女子からまるで既につきあっているかのように扱われるようになっていた。

でも、その頃には、私自身、このまま時間が流れればあいつと付き合う事になるんじゃないかと思うようになっていた。

 それに、あいつの底抜けに優しい所や、正しいと思った事を素直にする所、自分が間違ったと思えばあっさりと認められる所はあいつの良い所だとか思っていたし、それどころか、こうと思ったら視野が狭くなる所、ちょっと無遠慮で気が利かない所や、せっかちで横着な所もあいつのかわいい所だななんて思う事まであったのだ。


 あいつは東京にある私たちの親の母校の中学に受験すると決めていて、私も同じようにそこに受ける事に決めた。

 なかなか入るのが難しい学校だっただけに、無事互いに合格して同じ中学に入れると決まった時は本当に嬉しかった。クラスメートからも祝われたし、家族ぐるみであいつの家とお祝いをしたりもした。これは本当は秘密だけど、下校途中に二人だけで寄り道してこっそりとお祝いをしたりもした。


 中学に入ってからはクラスも部活も違ったから学校であいつと会う事はほとんどなかった。でも、その代わりに登下校の時間に一緒にいる時間が増えた。横須賀線を使ってこの中学まで通う人は少なく、特に横浜から先の駅から通うのは私たちだけだったのだ。

 部活のない日が被る木曜日の帰りの電車と、たまたまあいつと遭遇できた行きの電車は、1時間近く一緒に居られた。話す事はテレビで見た事や、互いのクラスや部活であった事、小学校の友達の事とか他愛のない事ばかりだったけど、普段は退屈な長い通学時間が物足りないくらいに感じられた。


 たぶん、何かをきっかけにしてとか、そういう物じゃなかったのだと思う。

ただただ、いつもあいつは傍らにいてくれたし、いつだって私の味方だったから、私は自然のなりゆきとして、いつの間にかあいつに惹かれていたのだろう。

 あいつにとっても私はいつも傍にいる訳だし、あいつと同じクラスの器楽部の女子から「誰かと言ったら…」とあいつが私の名前を挙げていたと教えてもらった事もある。(彼女達は何故かそれを何度も確認してくれた。)

 だから、あいつにとっても。私は特別な存在なのだと当然のように思っていた。

 自然のなりゆきとして、私はあいつとつきあう事になるのだと信じていた。


 だけど、あいつの特別と私の特別は違っていた。

 その事を他ならぬあいつ本人より教えられた。

 中学2年になった今年の春、今日と同じ長い長い下校中の電車の中での事だ。


 この長い通学時間は退屈だから、互いに部活がなく用事もない日は横須賀線への乗り換えの時に、駅ナカとかで調整して、決まった時間の決まった車両に乗るという風にいつの間にか決まっていた。

 それなのに、その日は朝にわざわざ話したい事があるから一緒に帰ろうと、あいつから連絡してきた。恥ずかしい話しだけど、その日は一日中、その話しが何の事なのか気になって授業に身が入らなかった。

 正直に言うと期待していた、それが待ちに待った内容である事を。


 駅ナカの本屋で待ち合わせてからも、あいつはなかなかその「話したい事」を話そうとしなかった。

 妙に緊張した雰囲気のまま、いつもと同じように今週の出来事なんかを話していた。

 いつもより早口で話す物だから、新川崎を出るあたりにはあいつの今週の出来事も尽きてきた。それであいつはすこしこわばった表情で無言になった。

 きっと「話したい事」を上手く切り出せなかったのだろう。だから私からそれを聞いてあげる事にした。

 「ねえ、そういえば話したい事って何だったの?」

 この時は私も緊張で心臓がなっていた。

 他の可能性もあると何度も自分に言い聞かせつつも、こんなにもあいつが私に切り出すのをためらう話題なんて他にあるのかって思っていた。

 だから、ためらいつつ頬をすこし赤らめながらもこっちを向いて「実は…」だなんて切り出した時は胸を高鳴らせたし、その後に続いた言葉が「僕、三崎さんの事が好きなんだ」だった時は、時が止まってしまったかのように思えた。


 お人好しなあいつの事だから、別に私の思いに気づきつつ遠回しな断りとしてだなんてそんな事じゃない。ただただ、私の思いなんて知らず、数少ない仲のいい信用できる異性である私に相談を掛けたのだ。他ならぬ私だからそれは断言できる。

 三崎先輩はあいつの所属している弓術部の先輩で私は直接話した事はない。だけど、校内では知らない者の居ないような有名人なのでその噂くらいは知っていた。

 どこそこって企業のご令嬢で血筋をたどれば華族の生まれだとか、ピアノや茶道も嗜むだとか、三か国語ペラペラだとか……。その上というか、そういう人だから当然というべきか、三崎先輩は本当に中学生かってくらい大人びた美人で、雲の上の存在という印象の人だ。

 私だってかわいい方だと思う。でも、三崎先輩には到底太刀打ちできない。

 ――けれど、咄嗟にこうも考えた、それならあいつにとっても高嶺の花の筈だと。


「それで、親切な幼馴染に相談したいって?」

 衝撃的な事実を前に、瞬時にそれだけ考えを巡らせて、笑顔で冗談めかしてこう言えたのはちょっとした奇跡みたいな物だ。自棄になったらその瞬間に流石のあいつも察してしまうだろう。そうしたらきっと、気まずさから今までのようにはいられなかった。

 でも、こうも思ってしまう。あの時から辛い日々が始まったのだと。最初の楽になるチャンスを逃したのは間違いなくあの時だと。


 それからという物、電車で二人になった時は、あいつから三崎先輩の相談を受ける事が定番になった。皮肉な事にそのことであいつと一緒に学校に通う事が多くなった。あいつから三崎さんの話を聞くのはどうしようもなく嫌なのに、馬鹿馬鹿しい事にあいつと一緒に居られる事を嬉しく思う自分もいた。

 あいつは初めの何回か三崎さんの話をする時、妙に恥ずかしがってまどろっこしかったから、クラスの女子たちみたいに、幼馴染の恋愛に興味津々という体を取る事になってしまった。

 実際には、あいつの恋愛に興味があるのは、あいつが失恋したらすぐにその隙を突こうと考えていたからだというのに。

 本当に浅ましい話だ。


 でも、私の打算はそう経たない内に崩れ去る事になった。

 簡単に言えば、あいつにとって三崎先輩から男扱いされていない事なんてとっくに織り込み済みで、それどころか、他の人の事が好きだろうという事まで分かっていて、それなのに、それでもあいつは三崎先輩の事を好きなのだ。


 あいつの諦めの悪さは、誰よりも私が一番に知ってる。

 あいつは三崎先輩が卒業したとしても、諦める事はないように思う

 一方、私はこうやってあいつから三崎先輩の事を聞き続けるなんて後半年だって耐えられる気がしない。

 だから、自分の思いをさっさとあいつにぶちまけて、楽になってしまった方が絶対に合理的な筈なのだ。


 片思い中のあいつと片思いの話をするために、私もまた片思いをしているという事だけは話している。そうやって私の事を話している時に、本当の事を自然に話すチャンスがあれから5回はあった。

 それなのに、そのせっかくの訪れたチャンスに尻込みしてしまう。

 これでこの思いが終わってしまうというのが怖くなってしまう。

 あいつの決意が固い事が分かっているというのに、あいつの三崎先輩への気持ちに当てられてか、自分のあいつへの気持ちが大きくさえなっている気がする。

 そのせいか、何でもない事で、それこそ箸が転がるとかでも、あいつの事を思い出してしまう。そして一瞬楽しい気持ちになった後、あいつを私は手に入れられないだろうと思い出してひたすらに辛くなるのだ。


 だから、今日は決して尻込みしないように、7度目のチャンスは自らの意思で作る事にした。切り出す言葉も何通りも考えた。何度も強く自分の意思を確認した。

 それなのに、本当に私は馬鹿だ。


  ◇


 私があいつの馬鹿げた言葉に同意してから、あいつまでもが黙っていた。

 「どうしたの?」

 沈黙に耐えかねて私はそう聞いた。


 あいつはややためらったかのような顔を見せた後、口を開いた。

 「本当はさ、つらいって思う事もあるんだ。三崎さんはコーチと仲良さそうだし、そうでなくても僕にって事はないだろうって」

 あいつは少し区切ってから、私の方に振り返って続ける。

 「でもさ、そう悩んでる時も、三崎さんに褒められたりして舞い上がってる時も、本当にそうなる前よりも、なんていうか鮮やかでさ、やっぱり、好きっていいよなって思ってさ」

 その言葉はがたごと揺れる電車の中でも妙に響いて聞こえた。


 あいも変わらず電車の中は、薄汚れたおじさん1人と、小学校3、4年生くらいの男の子と女の子だけ。この会話を聞いていた人は私しかいない。

 今この瞬間あいつがこう考えてるのを知っているのは、あいつと私だけだ。

 三崎さんは勿論、将来あいつが結婚する相手だって知る事はないかもしれない。

 がたんごとんという音を聞きながらその事実の余韻に浸る。


 「そうだね。“好き”っていいよね」

 私があいつに言う事は今では嘘ばかりだけど、これは嘘じゃなかったと思う。

 なんでもない夕方の横須賀線の車両がこんなにも鮮やかに見えたのだから。


 きっと私は当分の間苦しむ事になるのだろう。そう思った。

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