第18章 重巡洋艦カレス②

 次々に爆雷を投下しながら、距離を詰めてくる重巡洋艦カレス。


「深度をギリギリの、一〇〇で切り抜けろ!」

 辻岡の声に合わせ、艦内の深度計がレッドゾーンを指す。


 しかし、まるで上から覗いているかのように、次々に頭上に迫る爆雷の深度が次第に合って来るのがわかる。

「デカい図体して、なんちゅう足の速さや……ピッタリ付いて来よる」


 カレスはまるで先回りするかの如く、伊一四一潜の居場所に爆雷を投げ込んで来る。反撃しようにも潜水艦の特性上、一度海面近くまで浮上しなくてはならないが、この爆雷の雨を掻い潜らない事には、チャンスすら見い出せないでいた。


「爆雷来ますっ! 構えて下さい」

 聴音機を耳に当て、爆雷深度を探っていた元田が大きな声をあげた。


 激しい振動と共に、艦内のパイプから水が勢いよく飛沫となって溢れ出す。

 それと同時に、伝声管から機関室にいる高木の声がする。

「オヤジ、やられました! 空気弁損傷、前部発射管室浸水! 深度を保てません」


 伊一四一潜は航行の自由を失い沈降を始め、艦内の深度計の針が右へ大きく傾き始める。


「艦長っ、止まりません! 間もなく危険水位を突破します……一四〇、一五〇、一六〇」


 艦内はミシミシと音をたて軋むと、至る所からブシューと勢い良く漏水が始まる。

 それを必死にタオルで塞ぎ、バルブを閉め直す小川と機関室の兵員たち。

 辛うじて浸水は防いだが、更に潜水艦は深度を下げる……


「おいっ、小川! どれくらいかかる?」

 伝声管に口を当て、機関室の小川に聞いた。

「死ぬ気で、三〇分もあれば直してみせますよ」


 三〇分……艦内の酸素がもつギリギリの時間である。次第に艦内の酸素も薄くなり始め、その時間は安易では無いと気づく事になる。


 冷房が止まった艦内は熱い海水と、乗組員たちの体温によって温度が一気に上昇する。余計に酸素を減らさないよう口を閉じ無駄な動きを抑えるが、乗組員たちの吐く息により二酸化炭素濃度が増加し、だんだんと息をする事さえ苦しくなる。

 普通なら誰もが皆、気がおかしくなりそうな状況だった。


 しかし、ここにいる男たちは違った。誰ひとり瞳から希望の光を棄てた者はいなかった。

 生きて日本に帰る。全員がそれだけを信じていた……ただひとりを除いて。

 しばらくの沈黙のあと、辻岡が口を開いた。


「ほな、我慢比べといこか……艦体修理後、我が艦は最後の攻撃へと移る。諸君……今まで共に戦ってくれてありがとうな。お前らは、俺の誇りや」


「艦長……私も共に戦えて光栄でした」

「艦長」

「「艦長っ」」


 酸素を無駄にしないよう、最低限の呼吸で語り始める辻岡に応え、次々と艦内で声があがる……


「おおきにな……ってか喋るなや、俺の吸う酸素が減ってまうやろ! もっと大事に使わんかい」


 そう照れ笑いして応えると、またスっと真顔に戻る。


「敵艦は我々の頭上に位置する。これより無人の回天を、二基同時に切り離し発射させる。敵は左旋回し魚雷にて迎撃するので、我々も同じく急速浮上し左旋回。内径の差で敵艦の左側面に付け、残り四本の魚雷で勝負を決める……と作戦は、そういうこっちゃ」


「しかし、敵が必ず取り舵をきる保証はありませんよ?」

 極力、酸素を吸わないよう口に手を当てながら、辻岡の想定する作戦を不思議そうに聞いていた日比野が小さめの声で問うと、辻岡も同じように口に手を当て答えた。


「だいたいアメリカ人みたいなもん、ギッチョが多い言うやないか?」

「それだけの理由で?」

「せや、それだけの理由や……」


 恐ろしい限りだが荒唐無稽なこの辻岡の発案に、誰ひとり異を唱える者はいなかった。

 事実、今まで幾度となく作戦とも言い難い、その安易な発案で危機を乗り越えて来たのだから。


 いや、ただひとり……

 強く噛んだ唇から血を流し、拳を固く握り締め震えながらに、今回の作戦を聞いていた男がいた。


「西森……すまんのぉ。たかだか囮の回天に大切な命を載せる訳にいかんのや……わかったってくれ」

 そう言って、肩をポンと叩いた。


 次に辻岡は、操舵室に横井を呼び寄せた。

「辻岡艦長、なんでしょうか?」


 辻岡は胸ポケットから、二通の封筒を取り出した。


「お願いがあるんや、これをお前に託す。俺はこの戦争の後どうなるかわからん……敵に捕まるかも知らんし、負けたら裁判にかけられる筈や。日本に帰っても呉にすぐに向う事は出来んやろう」


 横井は辻岡の目をしっかり見据えて離さない。


「ひとつは呉におる娘の江美に届けて欲しい。そしてもうひとつは……」


「もうひとつは……どうしましょう?」


 恥ずかしそうに笑いながら、二通の手紙をグッと横井の胸元に突き出して握らせる。


「そして、もうひとつは横井……お前が生き残って、もし日本が平和になった時に……そのとき誰かに読んでやって欲しい」


「えっ? 誰かに……って、誰とも決まってないんですか?」


 目を丸くして横井は聞き返した。


「そや、誰でもえぇねん……せやから、宛名は書いてへん。届く宛てのない手紙っちゅう訳や。未来への辻岡からのメッセージ! 格好えぇやろ?」


「未来への……届く宛てのない手紙……。わかりました、確かにお預かりしました」


「頼んだで……横井」


 そう言って何かひと仕事終えた後のように、安堵の笑みを浮かべると静かに目を閉じた。


 そして再びゆっくり目をカッと開くと、次は機関長の高木に指示を出す。

「高木、小川……もう限界や、あと五分で準備してくれ」


「勿論です! 何がなんでも」


 朦朧とする意識が時間の経過を遅らせる……そして時計の長針が、てっぺんを指した。


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