第18章 重巡洋艦カレス①
伊一四一潜が出航して、数日が経とうとしていた。
その頃、アメリカ軍偵察機による伊一四一潜の目撃情報から、南方より沖縄海域に向け更に北へと針路をとる黒い影が――
アメリカ重巡洋艦カレスであった。
「必ず、この私が沈めてやるよ……ゴーストサブマリン……キャプテン辻岡」
ワイングラスを片手に艦橋の窓から水平線の彼方を眺め、そう呟くのは艦長ナオヤ・クリヤマ大佐。
アメリカ海軍将校としては非常に珍しい、日系二世の軍人だった。
「今まで我が軍の船が、幾隻もあの男によって沈められております。なかなか手強い相手かと」
その隣で黒板に二十一個目の髑髏マークを書きながら、カレスの副艦長であるガイバーが答える。髑髏マークの数は沈没させた日本船の数だ。
アメリカで伊一四一潜は決して沈まない潜水艦、ゴーストサブマリンと呼ばれ恐れられていた。
「ガイバー君……安心したまえ。我々には取っておきの切り札があるんだよ。私は良いカードは最後まで残しておくタイプでね」
そう言って、広げてあった海図の上にワイングラスを置くと、司令室の扉の方を指差す。
「入りたまえ……」
ガチャリと扉が開く音がして、ひとりの男が司令室に入って来る。
窓から照らされる逆光により、その姿は影となって確認出来ない。
クリヤマは笑いながらゆっくりと拍手をもって、その男を迎え入れる。
「ようこそアメリカ合衆国へ……ミスター道端」
道端は通信科と言う立場を利用し帝國海軍の情報を、あの女を通じて幾度となくアメリカに流していたのだ。そこへ偶然にも酔っ払った野本が現れ、例の事件が起きた。罪をすべて野本に被せようとしたが三宅の機転により失敗。口封じの為、女を射殺したのも道端の仕業だった。
そしてあの夜、海軍機密文書を盗むと予め用意していたボートで夏島を抜け出し、身の安全を保証する条件としてアメリカに亡命していたのだった。
「まさか裏切り者の日本人の手によって沈められるとは……キャプテン辻岡も思ってもみないだろうな。ヒャハハハ……」
そう言って再びワイングラスを手に取り、高笑いを見せる。
一方、伊一四一潜では――
見張員の一人が、大きな声をあげた。
「黒点ひとぉつ、直ちに確認します……重巡洋艦のようです」
ハッチから頭を出して双眼鏡を覗いていた日比野が、ハシゴを滑り降り戻って来た。
「艦長、偵察機の航空写真と一致します。重巡洋艦カレスと思われます」
「うむ……両舷停止、潜航準備にかかれ」
伊一四一潜は、ゆっくりと沈んで海上から姿を消していく。
辻岡は沈みながら潜望鏡で、波ひとつない洋上を眺めていた。
「艦長、潜望鏡が発見されてしまいます」
日比野が慌てて制止する。
「横井水雷長、戦闘に備え再度魚雷の点検を」
小声で潜水艦内の電話にて、魚雷発射管室に指示を出す。
「はい、艦長」
聴音機に耳をあて集中する元田をチラッと確認して呟く。
「警戒しとんな……敵はこちらにまだ気付いてへん」
操舵室に偶然立ち寄っていた西森が、辻岡のその独り言に応えるように口を開いた。
「辻岡艦長……我々、帝國海軍の圧縮酸素魚雷はロングランス。そう、長槍と言われてるのはご存じですか?」
「あぁ、潜行距離が外国のと比べて半端なく長いからな。でも流石にこの距離で撃ったら避けられる」
その言葉に西森は、ニヤリと不敵な笑みを浮かべると口角を上げた。
そして自信ありげに胸を張ると話し始める。
「私の開発した回天は人が乗り込み操縦します。目視され難い深度まで潜って再度浮上させる事により、ある程度の距離からの攻撃なら、私の操縦技術を以てすれば造作もないこと。只の酸素魚雷がロングランスなら、そう……この回天は、グングニール……魔槍」
西森の取り憑かれたような笑みに、操舵室に居合わせた殆どが得体の知れない恐怖感を覚え背筋を凍らせた。
「この好機、逃す訳にいかん」
そう言うや否や、踵を返し回天に独断で搭乗しようとする西森の腕を瞬時に辻岡が掴む。
「ちょっと待てや西森! 出撃命令は出しとらんぞ」
「これ以上、生き恥を晒す訳にはいかぬ! 逝かせてくれっ!」
強く掴んだ辻岡の手を、目いっぱい振り払う。それを更に掴もうと伸ばした手が、西森の腰に挿していた短銃に当たり床に滑り落ちる。
「カシャーーーン! クルクルクル…………」
勢いよく鉄扉にぶつかって止まった。
「あかん! 恐らく今の物音で気付きよった。克平、直ちに敵の左舷に回り込み、距離を一〇〇〇に保ち魚雷戦用意や」
日本より遥かに優れた探知性能を誇る、重巡洋艦カレスの通信長がその音に気付かない訳が無かった。
「キャプテン、金属音です!」
同時にカレス艦内も、全員が慌ただしく戦闘態勢に入る。
「やっとお出ましのようだね……ゴーストサブマリン」
まるで子供がオモチャを見つけたかのような笑顔を見せるクリヤマ。
「爆雷投下用意! 深度を七〇に設定後、取り舵いっぱい」
クリヤマには勝算があった。
敵は必ず我が艦を沈めるため、回天を使用してくる。
その際に一旦深度を下げて爆雷をかわすが、船との距離をある程度空け必ず浮上してくる筈だ。そこを狙い撃ち距離を縮める。この投下している爆雷は、囮(おとり)だ……
「さて、ミスター道端。ひとつ、君の意見を聞こうか?」
目まぐるしく投下される爆雷の水飛沫を、したり顔で艦橋から眺め高笑いをあげる。そんな彼の後ろ姿を道端が怪訝そうに見つめながら進言する。
「はい……辻岡は自分の命が何より大事な臆病者です。生き残る為には手段を選ばないでしょう。そして同時に、他人に対しても人命を最も尊重する。生に固執した……云わば、生存主義者」
「もっとバンバン落とせ! 派手にやれ!」
その進言を聞こうともせず、両手を高々と上げ爆雷の水飛沫に興奮し狂乱するクリヤマに、顔を引きつらせながらも道端が続ける。
「拠って……辻岡は……。この戦闘で、回天は使用しないでしょう」
その言葉に、クリヤマの動きがピタリと止まった。
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