第17章 西森の憂鬱②
――翌朝
「不備がなければハッチを閉め、潜水を開始する……どや? 高木」
伝声管を通じ、優しそうな声で高木和哉機関長より返答がある。
「オヤジ、なにも問題ありません! バッチリです」
「ハッチ閉鎖」
「ハッチ閉鎖」
副長である日比野が、いつものように繰り返す。
「水中聴音機確認……もっちゃんどないや?」
すると通信長の元田も、辻岡の方を振り返り低い声で応える。
「異常ありません」
その声を確認すると、辻岡は威勢よく出航の指示を出す。
「出航準備っ! 錨鎖詰め方……前進よーい、前進最微速」
「前進最微速」
真夏の太陽に照らされ、蒼く光り輝く水面(みなも)を音を立てゆっくりと、伊一四一潜は進み始める。
「航海長操艦、針路三〇度」
辻岡がそう言うと、その声に日比野が続く。
「頂きました航海長。前進最微速、針路三〇度」
暫くすると、ジャイロコンパスをじっと眺める辻岡の元に、特攻用の制服に身を包んだ西森が挨拶に現れた。
西森の顔は憔悴しきっていた。これ以上生き恥を晒す訳にはいかないと死に場所を探して彷徨う、まるで亡霊のような面持ちであった。
「艦長、再びお願いにあがりました。くれぐれも宜しくお願いします。次こそは私を――」
西森の方を振り向くと、何故か辻岡はにっこり微笑み返す。
「おぉ、西森! まぁそういうこっちゃ……こちらこそよろしく頼むで」
しかし、西森は敢えてその笑顔に気付かぬフリをし、クルリと背を向け黙って魚雷発射管室へと戻って行った。
「これより我が艦は、沖縄より更に南方へと進路を取る。総員、それまでゆっくり休んでくれ」
その声は伝声管を通じ、魚雷発射管室にいた横井の元にも届いた。
「回天……初めて見たな。とんでもない物を日本は作ったものだ……」
すると扉が開いて西森が入って来た。
「西森だ。しばらく、この場所をお借りする事になる……よろしく頼む」
「西森少佐、お話は伺ってます……全力でお役目に、お力添えさせて頂きます」
西森は処狭しと行き交う太いパイプの上に腰掛け、ニヤリと横井に対して薄ら笑みを浮かべる。
「貴様はどこまで聞いている? 回天なんて恐ろしいものを作って若い命を次々に捨てさせておいて、自分自身はのうのうと生き恥を晒す卑怯者とでも、私は噂されているか?」
横井は表情をひとつ変えず、首を横に振った。
「いえ……必ずしも私の周りでは、そのようには」
「ふっ……まぁ良い、今に見ておれ」
横井は西森に対する視線を外すことなく、そのまま向かい合う形で反対側のパイプに腰を降ろすと、連結されている回天に繋がる梯子を指差した。
「西森少佐は、何故……回天のようなものを?」
西森は伏せていた目をチラッと上げ、横井の目と合わせる。しばらく目を離さずその横井の瞳の奥から言葉の真意を探ろうとする。そして再度目を伏せると二、三度軽く頷いて語り始めた。
「日本はもう、波を除けるもんが残って無いんじゃ。愛する故郷の山河、愛する家族、全部飲み込まれて流されてしまう。たとえこの身が海の藻屑と消えようと、代わりにそれらを食い止め守る事が出来るなら……これ以上に喜ばしい事があるかね?」
「はい……私もそのように思っていました」
「なに? 思っていた?」
西森には、どうもその語尾が引っかかるようだ。
「西森少佐のお考えに間違いはありません。ただ……うちの艦長は、そうは思ってませんよ」
「辻岡寛人……」
「艦長はいつも仰います。生きろと……」
黙ったまま横井の顔を見つめ、その続きに耳を傾ける。
「俺らは生きて残って、残された人間と人生を楽しむんや……そして、残された人間を助ける為に命を使うんや……生き残る者がおらんと、死んだ者の甲斐がないやろ……って」
まさに、辻岡の言葉そのままであった。
「フッ……噂に聞く通り水と油、正反対の男よ。まさに鰹のタタキとマヨネーズではないか! ガハハハハハハッ……面白い! ならば、私の死んだ甲斐というものを作ってくれよ」
そう豪快に笑う西森に対し、横井は冷静だった。
「恐らく……この戦争は、もうすぐ終わりを迎えます。結果は言うまでも無いでしょう。あのような爆弾を落とされて、日本は立ち直る事が出来るのか……アメリカ、更にはソビエトに侵略され、新たな植民地となるのか……日本に残された道は何なのか……」
西森は黙って聞いていたが、その表情はみるみると強張っていった。その異変に気付きながらも淡々と話しを続けた。
「私はこの戦争が何を得る為の戦いだったのか? そして何を失ったのか? 果たして正しかったのか……はたまた、間違っていたのか……艦長の仰る生きる覚悟を以て、最後まで見届けたいと思うようになりました」
「そうか……それはそれでいいだろう。ただ私は、これ以上の生き恥は晒さん。骨はしっかりと拾ってくれよ」
「はい、全力を以て――」
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