第18章 重巡洋艦カレス④

 そんな辻岡を意に介すことなく、興奮気味の道端はデッキに並ぶ日本兵に対し熱く語り始める。


「私はあの時すでに、日本の敗戦を確信していた。大本営は自己の体裁ばかり……戦況は正しく国民に伝わる事はなく、常に国民は勝てるものと騙され続けた。前線で命を賭けて戦う兵士の命など、まるで小さい虫を殺すかのように無謀で稚拙な作戦を繰り返し、失敗したところで何の責任を取る訳でも無く、また新たな命の犠牲を払う――」


 誰もが道端の話を黙って聞いていた……と言うより聞かされていた。


「政治家は自分たちの政権を守る事しか考えていない。国民の生活や命、我々一兵卒が何千人、いや何万人死のうが興味など無い……全てはお国の為だと? 嘘をつくな! そんな国の為に生きているなら死んだも同じ。自由も何もない事は死んでるのと同じなんだ」


 息も切らせず、道端が話し続ける。


「日本は列強の仲間入りを果たし、先進国であると勘違いしているが、それは違う! 先進国と言われる世界は、もっと自由に溢れている……」


 延々と独壇場の道端に、堪らず辻岡が口を挟んだ。

「しかし、お前……よぉ、喋るなぁ」


「黙れっ! だから私は真の自由を得るためアメリカに……敵国であるアメリカに、トラック諸島の情報を漏洩させる事を条件に亡命したのだ」


 その道端の告白にたいして驚く素振りもなく、辻岡は大きく頷いた。


「そうか、それで助かるんやったら別にえぇんとちゃうか? 命は大事やからな……生きてこそやぞ」


「くっ……! せ、責めないのか? 私は、貴様らを裏切ったんだぞっ」


「あぁ……せやな。確かに国の偉い奴らは自分らの事しか考えんアホの集まりかも知らん……でも俺は、そんな難しい事はわからん。酒飲んで、女抱いて、自由にアホ言うて、仲間とワイワイやって……人生を楽しんだらえぇんとちゃうか。皆、生きてな出来ん事や。お前は、お前の思う自由を持って生きようとして、その裏切りの道を敢えて選んだんやろ? ほな……何も間違ってへんよ」


「わ、わ、私は……私は……」


 道端の言葉を、クリヤマが遮った。


「もうよい、黙れ……ジャップどもがっ! そんな戯言はどうでもいい。私は憚りなく人を殺せる戦争が本当に大好きだ。この狂気じみた戦争史に名を馳せたゴーストサブマリン、キャプテン辻岡を私の手で殺す事が出来れば、其れに勝る快感は無い。キャプテンキラーとして後世に語られるのだよ」


 そう言って手にした、短機関銃M五〇の照準を辻岡に向ける。


「キャハハハハハハハハ! 誠に快感だ! 無抵抗の人間を罪なく殺せる……戦争とは如何に楽しいものか。良いね……その顔、その死に直面して恐怖に歪む顔を……もっと、もっと私に見せろ!」


「おいおい、あの外人だけは洒落にならんで! さっきから降参や言うて手上げとるやろ……」

 辻岡が小さく呟く……


「さあ、死ね! キャプテン辻岡。そして私は海軍の英雄となる……」

 クリヤマは両手を上げ丸腰の辻岡に狙いを定め、銃爪に指をかける。


 そこへ突然、数名と艦内に残っていた元田が血相を変えて梯子を駆け上がりハッチから飛び出して来た。


「か、艦長っ! 日本が……日本が無条件降伏を受け入れました! 我々は……負けたんです……終戦です」


 同時に重巡洋艦カレス艦内でも、そのニュースは流れた。

 この波ひとつない穏やかな洋上に場所を同じくして、日本兵の殆どが力を落とし膝を着き泣き、そして対照的にアメリカ兵は、互いに抱き合い大声をあげ歓喜に沸いた。


「お、終わった……」


 負けると知りつつも、最後まで勝てると己を騙し、信じて止まなかった者もいただろう。

 この瞬間に、今までの何もかもが終わったのだ。


 西森は立ち尽くし天を仰ぐと、声をあげて漢泣きに泣いた。


「もう終わったんや。日本の負けや……」

 そう言って辻岡は、挙げていた手をスっと降ろした――――


 刹那――

「パパーーーーーーーーーーーンッ!」


 立て続けに銃声が響き、同時に辻岡の右腹部から鮮血が飛び散ると、力なく膝から崩れ落ちる。


「艦長っ! しっかりして下さい」

 日比野と元田が駆け寄り、辻岡の脇を抱え身体を支える。


「だ、大丈夫や……」

 辻岡は元田に寄りかかると、か細い声で応える。


「手当をっ!」

 元田は辺りを見渡し、衛生兵を見つけると手招きして呼び寄せる。


 短機関銃の銃口から、白い消炎がゆらゆらと潮風にたなびく。

 銃を下ろす様子もなく照準を絞り、再度銃口を辻岡に向けるクリヤマを元田が睨みつけた。

「貴様ぁぁぁぁぁっ! なぜ撃ったぁぁぁっ? もう戦争は終わったはずだ……国際法違反だぞっ!」

 常に冷静沈着な元田の怒号を、乗組員の殆どが初めて聞いただろう。


 クリヤマは変わらず、狂気の笑みを浮かべ銃口を辻岡に向けたままだ。


「何度も言わすな! ここは戦場だ……国際法違反もクソもないんだよ。殺すか殺されるか……そんな生ぬるい正義が通用する場所だと思ってるのか? だから……お前らジャップはバカなんだよ! ここには誰も私を裁く者はいない! 死ね……キャプテン辻岡っ! アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャッ」


 そう言って舌をベロっと出してバカにすると、更には親指を下に向け首を掻っ切る仕草をして見せ元田ら日本兵を挑発する。

 血を流し苦痛に顔を歪める辻岡に、再びM五〇の照準を合わせると、銃爪に掛けた指を絞り……


「パーーーーーーーーーッン!!」

 二度目の銃声が鳴り響く……

 

 その銃声はクリヤマのものではなかった。


 頭部を撃ち抜かれたナオヤ・クリヤマは、フラフラっとよろけると甲板の手摺を越え、頭から真っ逆さまに海へと堕ちて逝く。


「馬鹿にするな……卑怯なアメ公がっ! せめて……私も最期くらいは、日本人として死ぬ事にする」

 道端の手にした短銃から、硝煙がゆっくり立ち込める。


「お、お前……」


「辻岡! 逃げろっ! それくらいの時間は稼いでやる」

 そう言って道端は、その銃口をアメリカの海兵たちに向ける。


 終戦の知らせを受け、武器を手放し歓喜に沸いていた海兵たちは一瞬たじろぐ。しかし上官殺しの反逆者である道端を一斉に取り囲むと、あっという間に姿は見えなくなった。

 人集りから何発かの銃声が轟くと、また蜘蛛の子を散らしたようにワッと海兵たちがその場から離れ、道端が姿を現す。

 続いて鳴り響く数発の銃声に、重巡洋艦カレスの甲板は騒然とする。


「今のうちだっ」

 日比野はそう言って辻岡を担ぎ上げ、全員をハッチから艦内へと戻す。


 狭いハシゴの下で横井と数名が待ち構え、辻岡の身体を支え受け止めた。

 横井はそのまま辻岡を背負うと、医務室へと急いだ。


「辻岡さん……しっかりして下さいね」

「大丈夫か? 死ぬんちゃうか……俺?」

 冗談か本気か、そんな辻岡の弱気の戯言を無視し扉を足で蹴り開けると、ふたりがかりで寝台へ降ろす。すぐさま横井が服を捲り上げ、手際良く真水で洗い流し傷口を確認する。


「衛生兵、速く! 出血が酷い、おそらく腹に弾が残ってる……消毒して取り出すぞ」


 一方……操舵室では、全員の乗組みを確認した日比野が、迅速に指示を出す。

「機関長っ! 何がなんでも直ちに点火させてくれ! ボイラーが持つ限り両舷前進一杯にて離脱っ! いけぇぇぇぇ!」


「おもーーーーーーかーーーーーじ」


 さっきまで動きもしなかった機関室のピストンが、ゆっくり上下に動き始めると次第に回転数を上げ、大量の熱気と白煙を巻き上げる。


 伊一四一潜は勢いよく水飛沫をあげ、速度を増し消えて行った――

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