第19章 終戦①
一九四五年八月三〇日。
横井は呉を訪れていた。辻岡から預かった手紙を、江美に渡す為だった。
幾度となく空襲を受けた呉は、かつての面影は一切なく焦土と化していた。
海軍工廠があった場所は、辛うじて建物の全壊を免れた。病院も建物が半壊し、中には患者が収まりきらず野営のテントを仮設して治療に当たっていた。
辻岡に教えられた住所を頼りに、自宅があったと思われる場所へ向う。しばらく坂道を登ると、呉の港が一望出来る高台に辿り着いた。きっとここで家族は港を眺め、辻岡艦長の帰りを首を長くして待っていたに違いない。
しかしその住所一帯に既に建物らしき跡は残っておらず、真っ黒に焦げた煤だらけの地面が広がり、大方ここに家屋があったと思わしき黒く焼け焦げた廃材と、生活用品の破片が、幾つか散乱しているに過ぎなかった。
「すみません……ここに住んでらした御家族を、ご存知ないですか?」
同じように家を無くし、路上で生活する人々に家族の行方を聞いて回る。
終戦から既に十五日が経過し、人々は逞しく生きていた。
「あぁ、その家の子なら……」
この酷く痩せこけた老婆は、辻岡艦長のご家族の事を何か知っているのだろうか?
しかし、それ以上は何も話すのを止め、俯き口を閉じる。
「まさか……もう」
すると背後から、幼い女の子の声がする。
「どないしたん? おじちゃん……その服はもしかして兵隊さん?」
振り向くと顔は汚れ、髪がボサボサの幼い女の子が立っていた。
「もしかして……江美ちゃん?」
横井が尋ねると、女の子はコクリと頷いた。
「よかった、生きててくれたんだね? 艦長……江美ちゃん、無事に生きててくれましたよ……」
そう言って泣きながら、江美を強く抱き締めた。
そしてボサボサの髪の毛を手櫛で丁寧に梳かし、持っていた手拭いを水筒の水で濡らすと、顔に付いた煤をゴシゴシと拭き取った。
「もう、痛い痛い。もしかしておじちゃんは、お父さんの船の人? ねぇ、お父さんは? お父さんはどこにおるん?」
きょとんとした顔で覗き込む無垢な女の子からの問いに、横井は再び嗚咽を漏らして言葉を詰まらせた。必死に息を落ち着かせ、少女の肩に手を置くとゆっくりと話しだす。
「お父さんは……辻岡艦長は……」
目を大きく開いて、江美は横井を見つめていた。
「お父さんは……お腹を銃で撃たれて……懸命な治療の甲斐無く……大好きだった潜水艦の中で、お亡くなりになりました……うっ……」
そう言って江美より先に、三度泣き崩れた。
それに釣られて江美も意味を理解すると、大粒の涙を流しワンワンと声をあげて泣いた。
ひと頻り一緒に抱き合い大声を出して泣いた横井は、江美が少し落ち着くのを待つと腰に提げてある皮のポーチから、一通の手紙を取り出して手渡す。
「これは、辻岡艦長……お父さんから、おじちゃんが預かった手紙です。お父さんは生前、常に皆んなを楽しませてくれて、いつも勇気を与えてくれました。そして、息を引き取る間際……私に、どうか生きて戦争の悲惨さ、命の大切さ……生きてる喜びを伝えてくれ……と言われました」
なるべく幼い少女に伝わるよう、言葉を選びゆっくりと話す。
幼い江美には少し難しいが、それをうんうんと俯きながら懸命に理解しようと努力していた。
「でも……江美ちゃんが生きていてきれて、辻岡艦長もきっと喜んでくれてると思うよ……しかし、こんな大変な空襲の中でよく生き延びれたね?」
思い出したくもない出来事ばかりだろう。顔を曇らせしばらく黙って回想すると、江美が当時の記憶をぽつりぽつりと話し始めた。
「くうしゅうで、たくさん人が死んで……おばちゃんも、直美お姉ちゃんも死んで、もう江美もダメやと思ってん」
拙いながらも一生懸命に話す江美の記憶を、横井も真剣に聞き入った。
「そしたら女の子と男の子がいて……危ないって思ったら、目の前がまっくらになって……目さめたら江美は、なんでか知らんけど森の中におって……ケガも全部なおっててん。そこにはさっきの女の子と男の子もおって、もうすぐせんそうがおわるから……ここにおりって」
「女の子と、男の子?」
「うん、江美より少しお姉ちゃん……とても親切にしてくれんねん。でも、なんでかドドとミミはめっちゃ嫌がるねん」
「ドド? ミミ? ところで、江美ちゃんのお母さんは?」
「うん! 直美お姉ちゃんが飼ってた犬、ドドは男の子で、ミミは女の子。おりこうさんの犬やで? ……お母さんには……お母さんには、あれからずっと会ってない。。お母さんどこ行ったんやろか? うえっ……うぐ」
今にも泣きだしそうな江美は、グッと唇を噛んで堪えていた。
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