第1話



 デルタイリア帝国が滅びた翌日――

 女のようななにかが、この地を訪れていた。

 細身の身体にピッタリとした黒い服。裾が広がっているためにかえって不気味さが増していた。

 顔も身体も異常に細いのに左右対称で均整整った顔と体付き。それは、人間的な美的感覚で言ったなら陶器の様な美しさだった。

 顔は肌色ではなく死人の白より白い真っ白。小さな子供を無理矢理三倍位に伸ばした感じでもあり。まるで植えたばかりの若い木が服を着て歩いているみたいでもあった。

 火事の名残が所どころに残る町並みを見ながら。口元を押さえ上品な仕草で、女は――ふふふと笑う。

 女の目に映る門にも、少なからず焦げあとがある。

 街は焼けたが、強力な魔法防御結界が張られた城塞都市だけは不沈都市の名に恥じぬ姿を残していた。

 そんな元デルタイリア公国の門番の前に――突然、影の薄い女が現れた!

 別に門番の二人がサボっていたわけではない。

 正午を知らせる鐘が12回鳴り響き、穏やかな陽光に包まれる中。そろそろ、交代の時間だな。 

 そんな事を思っただけで寝ていたわけでもない。ずっと前を向いて人の行き来を見ていた。それなのに瞬きする間に黒い瞳が自分を見上げていたのだ。それも、数センチで体が触れようという距離に――である!

 驚いた、背の高い方の門番は「うをっ!」後ずさり。もう一人。背の低い門番は、「んぁ?」何が起こったか分らずにいきなり声を張り上げた同僚に視線を送る――そこにはロングワンピースを着た女のようななにかが居て。同僚を見詰めていた。

 長い黒髪の女は言う。


「夫が遺した遺品を受け取りにきたのだけど、案内願えるかしら?」と――


 なんでも女の話しでは、以前夫は、この国で宮廷魔術師として仕えていたと言うのだ。

 見たところウソを言っているように見えなかったが規則は規則。


「悪いが許可のない者を都市の中に入れるわけにはいかない」


 長身の門番が言うと――背の低い小太りの門番も続き。野良犬でも追い払うみたいに手をぱたぱた振る。


「ああ、そいつの言う通りだ。帰った帰った」


 しかし、女は一歩も引かないどころか。逆に男二人を脅した。 


「では、今ここで死ぬのと、後で捻り殺されるのと、どちらがお好みかしら?」

「ふっ! だったらキサマが先に死んでみるか!」


 背の高い男が剣を抜いて脅しをかけると、小太りの男もそれに続いて剣を抜いて構える。


「ああ。後片付けが面倒だが仕方ない!」


 別段この二人がケンカっ早いわけではない。ただ上から命じられ、それに従っているだけ。

 徹底した出入り確認が必要なほどに、微妙なバランスの中でこの国が保たれていたからだ。

 なにせ主不在であり。自分達だって火事場泥棒だと言われたら否定する事すら出来ない。

 その中心が、ファールドライドでありガーストだった。それをよしとする者も居れば、当然その逆も居る。大き過ぎる力を手に入れてしまったがために他の者から狙われる可能性だってある。

 その影響が、ここ正門でも表れているだけのこと。


「あら、あなた。自分で自分の骸を片付けられるなんて、意外と器用なのね」

「ふっ。遺言は、それで充分だな!」


 女の言葉の意味に気付かず、小太りの男が斬りかかる!

 しかし! 叫び声上げたのは背の低い方の男だった!

 額を深々と割られ鮮血が飛び散る。


「ぐわ~!」


 叫んで額を押さえ血を止めようとするが陥没した頭蓋は致命傷一歩手前といえた。きちんと頭部に兜を被っていたはずなのに――

 それが、知らぬ間に外されて――地面に転がっていた。

 それを、見て――背の高い方の門番が、自分の刀に目をやって青ざめる。 

 うっすらと赤がコビリツイテイタ。 

 なぜか自分の立ち位置が女と入れ替わっていて――剣を振り下していたのだ。


「ねえ、あなたは、時の流れが神の定めだというなら。その流れに背くモノをなんと呼べばいいのか知ってるかしら?」


 女の言った意味不明な問い掛けに対し反応した男は『これは、お前がやったのか?』という顔をする。


「ええ、そうよ。私の騎士としてあなたに守ってもらったのよ。それ以外に、この状況を説明出来るのかしら?」


 女は、不思議な物を見る様に背の高い男を見上げる。その目は、黒から――緑色に変わっていた。

 瞳孔のない薄い緑色。義眼の様な瞳。その、不気味さと、意味不明な恐怖が男を、ますます混乱させる。 


「別に、たいした意味はないのよ。ただ、あなたが先立った夫に似ていたからからかっているだけ」


 女にとって、誰にも見付からずに事をなすは簡単だった。 

 ただ、この背の高い男の目の色が、自分に愛を囁いた宮廷魔術師と同で、灰色に近い空色の瞳をしていたからである。顔も面長だし、ニキビ面。声もがらがらしていて聞くに堪えない。見れば見るほど似ても似つかない男だった。

 それでも、後悔の念が思いのほか大きかったのだろう。無意識に足を止め、止めた時を動かしてしまっていた。彼と、もう一度話がしたいと思ってしまったから。

 亡き宮廷魔術師に言った言葉。


『私を妻としたいのなら、私が認める物でも持ってきなさい』


 適当にあしらっただけの言葉だった。無理難題をふっかけて袖にしたつもりだった。何を作ったかは分らないが。この国に起こった現象は感じ取っていた。相応の何かを遺したのであろう。 

 結局彼は、持ってくるどころか取りに来させている。すでに約束は破棄したも同然。

 それでも同族を死に追いやってしまったみたいで気分が悪くなり、せめてもの情けと思い、その何かを取りに来たのだ。

 女が、男に会った時。彼は人間の格好をした同族だった。チェスと言う遊びが好きでよく付き合わされた。結局ルールも覚える気のなかった遊びは一度の勝敗もつくことなく終わり。


『今度会ったら、また一緒にチェスをしよう』


 そんな約束も無効になった。 

 きっと未練なのだろう。この粗悪な男と一緒に歩きたいと思ってしまう。 

 ただ瞳の色が似ているというだけの理由で。


「ねえ。宮殿の地下まで案内していただけるかしら?」

「あああ! うっ! うるさい! この化け物め!」


 女の問い掛けに男は剣で応え――振り下ろした渾身の一撃は同僚の止めをさしていた。

 頭を押さえた手ごとぶった切った一撃は、深々と食い込み――同僚を地面に平伏させる。鮮やかなオレンジ色と赤い色が混ざり合い地面に広がって行く――小太りの男はピクリとも動く気配かない。


「あら。やっぱり、嘘つきじゃない。自分で自分の骸を片付けられる人間なんて珍しいと思ったのに」


 全く、がっかりだわ。と、女は見下し。男は、「ああああ」と声を漏らし、震えていた。


「ねえ。私は、あなたと歩きたいと言ってるのよ。それとも、やっぱり、ここで死にたいのかしら?」


 男は真っ青な顔で小さく頷いて見せ周りを確認する。

 これだけのやり取りがありながら、誰も関与してこないのはおかしいと思ったからであり。

 相手の要望に応えた場合のリスクを知りたかったからだ。


「あらあら。心配しなくてもいいのよ。今この付近で動けるのは私とあなただけ。一定距離に入った者には私達の姿が見えなくなるの。だってそうでしょ。時の流れが止まっちゃってるんですもの。例え一瞬見えたとしても、近くにその姿がなければ自分の勘違いだって勝手に解釈して終わりにしてくれるわ」

「ああ、そのようだな……」


 男が確認しただけで5名の兵がその歩みを止めていた。

 だから男は恐怖を飲み込むように「わかった」と、言った。

   

 ――本当は案内など必要なかった。

 

 女は迷くことなく地下へと続く扉を見つけ、その先へと進んでいく。

 かつて共に暮らした同胞の足跡を辿ることなどたやすいことでしかなかった。

 そして地下にあるには似つかわしくないほどに豪華な扉を前にして歩みを止める。

 扉を開けると――明らかに意図して積まれたのであろう本の山が在った。

 その一冊一冊を丁寧に女はどかしていく。

 すると、そこには卵の形をした紫色の結晶が在った。

 それには、優秀な戦士の経験。小魚が飲み込んだミジンコの喉越しから世界最高と謳われた学術協会最高の頭脳しか知りえない数式までが詰まっていた。

 彼は生きていた。幾千幾万の生命の塊の一つと成って生きていた。

 それを見た男が、人間の生体に詳しければ気づいたかもしれない。

 紫色の結晶が明暗を繰り返すリズムが、人間の心拍に酷似していた事に。

 女は両手で優しく抱くように、結晶を手にした。

 石に触れるとやはり未練からなのだろう彼の思いを――過去を垣間見ていた。






 とある街にチェスの大好きなお嬢様居て――彼女は相手を求め街の広場までくることも珍しくなかった。

 ただ単にチェスの相手がほしいのならいくらでも両親は用意できたし絶えずそばにいる召使等も、それは同じ。

 それでもこうして度々広場に足を向けるのは同世代の者との対局を求めていたからである。

 単純に遊び相手が欲しかったと言った方がしっくりきた。

 だから適当な相手を見つけては声をかけチェスの相手をさせる。

 貴族様の申し入れに平民が断れるはずもなく、言われるがまま駒の動かしかたを教わり――そのまま対局という流れが続いていた。

 当然お嬢様の連戦連勝であり互角に戦えるものなど誰も居なかった。

 そんな日々がお嬢様は楽しくてしかたがなかった。

 興味本位で集まってくる民衆の前で圧倒的な勝利を収める自分に酔いしれていた。

 だからなのだろう、ついいつものように自分達の対局を遠目に見ているみすぼらしい少年に声をかけてしまったのは――

 少年の名はルーク。彼は、墓守だった。

 ゆえに死に近しい者として周りからはあまり好まれてはいなかった。

 当然のように付き人達も彼と関わることを止めたが、それがかえってお嬢様の反感を買い。

 半ば強制的にルークとの対局が実現してしまった。

 彼は強かった、ただ見ていただけで駒の動かし方だけでなく戦術的なことまで理解していたのだから。

 相手を甘く見てかかったお嬢様は負けてしまう。結果としてお嬢様は本気の勝負を挑む事の楽しさを知ってしまったのだ。

 もう他の相手なんてどうでもよかった。

 勝ったり負けたりするルークとの対局の日々だけがお嬢様の楽しみとなってしまっていたからだ。

 それをよく思わない連中は、けして少なくはなく――長剣を持って彼を襲った。

 両親を早くに亡くしていた少年は街外れの一軒家で一人暮らしをしていると思われていた。

 だから痛めつけるのは簡単だと思ったところにまさかの同居人がいた。


 魔物である――

 魔物は悪である――

 魔物と共に居るのならばそいつも当然悪である――

 それが常識だった。


 人に似つかしい形こそすれど肌は緑色で獣のようにぎらついた金色の瞳。

 少年にとっても、魔物にとっても互いが唯一の家族であり親友だった。

 魔物は少年をかばい深手を負い床に倒れ込む。

 そして少年もまた致命傷を受け床に倒れ込んだ。

 強襲者達は魔物討伐と悪人退治という大義を得たと胸を張り、声高々に笑いながら去って行った。

 魔物は最後の力を振り絞って声を絞り出す。


「ルーク……ボクの肉を食べてくれないか?」


 その真意なんて少年には分からなかった、でもそれがきっかけで奴らに復讐が出来るのならと――死力を振り絞って親友の腕に噛り付く。

 少年が飲み込んだのは、わずかな肉片でしかない。

 それでも、劇的な変化が現れた。

 見た目こそは変わらないが少年の傷は瞬時に癒え、死んでしまった親友の意図もなんとなく察する事ができたのだ。


 ――これからも共に生きたいと。


 ならばと思えば簡単なことだった、丸のみにして同化してしまえば良いのだと――

 人ではなくなった少年にとって親友を取り込むのは本当に簡単な事だった。

 まるで飲み物でも飲むようにするりと身体に流し込み全ては完了していたのだから。

 そしていずれ復讐するために――復讐するための力を得るために街を去ったのだった。






 女は、嬉しさのあまり笑みを零してしまう。

 彼の願いを叶えてあげたいと思ってしまった。

 こう成る事を分っていて己が身を生贄としたなら答えは一つ。


『コレを使って遊んでくれ』と言ったところだろう。


 結果的に特定の人物に対する復讐が遂げられればよし。出来なければそれはそれまでの話。


「では、チェスをいたしましょう」


 女は上機嫌で歌うように続けた。


「私がキング。盤面はこの世界全て。こちらが用意する駒はクイーンとビッショップ。それにルークでいいのかしら? ごめんなさいね。自分で言っておきながら実はチェスのルールは良く知らないの。ただ、夫が好きだったのよ。だから、あなた達人間は私が造った駒を全て倒すか、私を倒せば勝ち。一方こちらの勝利条件は人間の殲滅でいいわ。願わくば長生きしなさいな。もし、あなたが最後の一人だったら、特別にその瞳だけ抉り取って生かしてあげるから」


 男は何も答えられなかった。

 ただただ、この異状事態をどのようにして上に報告したらいいのか?

 それとも何も見なかったことにして街を去ればいいのか?

 己の身の安泰を考えるだけで精一杯だった男は――その日のうちに逃げ去ったのだった。


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