深緑の魔王

日々菜 夕

プロローグ


 ここは、世界最強を誇る軍事国家デルタイリア――


 優れた武器は戦乱の度に莫大な利益をもたらし。肥沃(ひよく)な大地と海の恵みは交易に有利な経済資源を生み出す。

 上下水道は当然の事。街道も綺麗に整備された富める国。

 ただ、この国で生まれただけで生涯不自由なく暮せるとまで言わしめ。中でも国の中央部に位置する高い城壁と優秀な治安部隊に守られた都心部は城塞都市と呼ばれ、その堅固にて絶対なる様相から、またの名を不沈都市とも呼ばれていた。

 誰もが敬い誰もが憧れるといわれる夢の様な国。その恩恵は民の暮らしにも現れていた。一定の年齢まで就労すれば国から恩赦が与えられる決まりとなっていて。つまり仕事をせずとも、この老人の様にハトの餌を買う金に困らない暮らしが当たり前だった。

 彼は整備の行き届いた公園のベンチに座り両手を愛用の黒い杖に乗せている。いつもと同じ格好で、いつもと同じ様に正午を知らせる鐘が鳴るのをのんびりと待っていた。

 その周りでは我先に餌にあり付こうとせめぎ合うハトの群れが飛び交い。早く今日の昼食をよこせと騒ぎ立てている。あるものは老人の周りを付かず離れずで駆け回り。あるものは、老人の肩に飛び乗ってみたり頭上を旋回して見せたりしている。いつもと同じ日常。当たり前に繰り返されてきた日々。

 ありきたりで少し退屈な毎日。それが、栄華の一途を辿るデルタイリアの歴史だった。


 そして今日―― 


 また新たに歴史的な一歩を踏み出す記念すべき日が訪れることになっていた。

 近年召抱えた宮廷魔術師が、この世全てを手中に治めるに等しい物を練成する事になっていたからだ。

 普段は薄暗い地下の研究室を好む宮廷魔術師は久しぶりに明かりの下へ赴いていた。

 大広間には式典の準備が整っている。結果次第では、この宮廷魔術師を宰相の地位に就かせる事になっているのだ。

 黒い法衣。正装に身を包んだ宮廷魔術師は、うやうやしく礼をすると真紅の絨毯の上を、怯む事なく踏みつける。数年間地下に籠もっていたとは思えないくらい、強く堂々とした歩幅で。広間の中央部へ歩んで行く。殆ど日に当たっていなかった肌は白々と病的でありながらも弱々しさは微塵も感じない。

 ろくに食事も摂っていない割には、肌に張りがあり。髭を剃り落した顔は、中々の美男子だ。

 その様相に、王族達も、コレならば外交にも使えるのではないか?

 そんな予想外の長所に微笑み。宮廷魔術師も笑みで応える。それは、どこまでも深い優しさと。温かさを感じさせる笑みだった 


 それが偽りだとは、誰も気付かなかった――


 国王や側近達がバカだった訳ではない。その宮廷魔術師が異常なまでに己が命に未練が無かっただけのこと。

 ただ、死に場所と、死に装束くらいはかっこよく決めるのも悪くない。そんな遊び心だった。


「それでは、大聖堂の鐘の音に祝福を願いましょう」


 彼は歌う様に決まり文句を述べる。そして、大聖堂の方へ向きを代えて両手を胸の辺りで組んで願う姿勢を見せれば――皆、それに従った。 

 この国では古来より幸は鐘の音と共に訪れるという言い伝えがあったからだ。

 だから、こそ――それが仕掛けの発動条件に成っているなんて思いもしなかった。

 大抵の者は己の命だけはと尊ぶもの。それ程までに危険な行為を行うならば結果が出るまで安全な所に退避していて当然。

 しかし、宮廷魔術師はそんな素振りなんて微塵も見せずに己の身をも贄(にえ)とした。

 それは巨大な爆弾の信管を剥き出しにして金槌で叩く様なもの。

 酔狂な者でもなければ率先してやろうとなどしない。正に自爆行為である。

 そんな油断が――


 リン・ゴーン…リン・ゴーン…………


 世界最強と謳(うた)われた軍事国家全てを鐘の音と共に飲み込んでいた。

 正午を知らせる大聖堂の鐘が12回響き渡り。その音色は孤独に酔いしれている様でもあった。

 穏やかな風は地面に転がり落ちた紙袋を微かになびかせている。

 初夏を思わせる少し暑い日差しに照らされた公園のベンチはほんのりと温かい。

 ここは、毎日ハトに餌をやることを生きがいとしていた老人の指定席。それは今日も同じで正午を知らせる鐘が鳴り終えたら餌をやる決まりになっていた。

 しかし老人は身に着けていた衣服だけとなり。愛用の杖も立て掛けられているだけで老人本人は居ない。それらは主人が不在になった事を嘆く事もなければ喚く事もなくただただソコに在る。

 ひときわ強い風が吹きベンチに腰掛けた衣服をなびかせ、立て掛けられた杖を押し倒すも気に留める者は誰一人として居ない。

 餌の入った紙袋は派手に転げ周り中身をぶちまけるも……ハト達は寄って来ることもなければその姿すら見せない。

 昼食時らしくあちらこちらから煙が上がっていて、商店街では人気メニューの一つ。鳥の丸焼きが丁度いい具合に焼き上がり香ばしい匂いを漂わせていた。

しかし、注文をした観光客も服だけ遺し中身は不在。

 絞められたばかりの鶏は逆さ吊りにされて赤い体液を滴らせている。その隣で、順番を待っていた籠の鳥は忽然と姿を消していた。

 店先では馬車に引かれていた積荷が崩れ落ちている。突然馬が居なくなったためにつんのめる形となってしまったからだ。

 今朝水揚げされた魚が路面に散乱し拾い集めてくれる者を求めていた。

 卸し先の店では魚が焦げ炭化してもなお火を止める事なく焼き続けている。

 白身魚のフライが売れ筋ということもあり。本日も積み上げられた端から飛ぶ様に売れていた。

 しかし、一向に次の商品が積まれる気配もなければ。順番を待って並んでいた買い物客の代りに折り重なった服が順番を待っている。

 せっかく狐色だったフライは焼き魚同様に黒く染まり――やがて、熱せられ過ぎた油が発火点に到達し炎上し始める。

 所々に油の染込んだ木造平屋建ての商店は程なく完全燃焼し周りの商店を巻き込み火の手を広げていく。

 それは、一般家庭も同じ。火の不始末から所々で火の気が上がり――次から次へと火は飛び火し燃え広がった。街を焼き全てを飲み込もうと炎は広がって行く。

 逃げ惑う者は居ない。火を消そうとする者も居ない。 

 鳥も、犬も、魚も、生きているモノはこの街には居なかった。 

 王も貴族も民も全て一人残らず消失。 

 それら生命全ては、一人の宮廷魔術師にとって格好の実験材料であり。彼にとって己の命すら例外ではなかった。

 そして、宮廷の地下。宮廷魔術師の部屋に、鶏卵程の小さな結晶が生まれていた。

 雑然とした部屋。薄暗くカビ臭いに空間には幾重もの本が堆積し――それらに埋もれる様に。まるで、羽化する卵を外敵から守る様に。僅かに出来た空間。最下層に、紫色の結晶は在った。

 その卵形した結晶の名を宮廷魔術師は、こう名付けていた。 


 賢者の石と―――


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