孤独のアリス

宵闇(ヨイヤミ)

第1話

病室の窓から見える景色は、全てが白黒だった。余命わずか半年、身内もない私の死を悲しんでくれる人なんて、どうせ何処にも居ないんだ。

手術をしても、薬を投与しても、意味なんてない。何をしても助からないらしい。何もすることの無い状態で、私はたった一人で広い病室に居る。誰かが見舞いに来る事もなく、入ってくるのは看護師と医者だけだ。

もうここに入院して、一体どれ程の月日が流れたのだろうか。最後に外に出たのは、一体……いつの事なんだろうか_____



〜4ヶ月後〜



残りあと2ヶ月となった寒い12月中旬、未だ私の視界は白黒だ。きっと死ぬ時もこのまま白黒の景色を見ながらしぬんだろうな。

何故私にはこんな世界しか見ることが出来ないのだろうか。昔は色の着いた景色を見ることが出来ていた。彩やかな色をし咲き誇る花々に澄み渡る青空、美しい声を出し飛び回る鳥達がいた。美しい世界だと思った。だがどうだ、そんな世界を私はもう見ることが出来ない。もう何年、この世界を見ているのだろうか。

この世界の色を見ることが出来なくなってから、既に15年は経っているだろうか。今私は17歳、もうすぐで18歳だ。最後に見たのは3歳程の頃ということか。よくもまぁそんな昔の事を覚えているものだ。きっと、この歳になっても消えないということは、それ程に色のある世界が美しいと思えたということなのだろう。



コンコン



病室のドアがノックされた。両親が見舞いにでも来たのか。否、私に両親など居ない。私を産んですぐに母は死に、父はその後交通事故で死んだらしい。それを聞かさせられたのが中学2年の秋だった。

だが不思議だ。実の親が死んでいるという事実を突きつけられても、悲しみも何も感じなかった。"あぁ、そうです、はい。"と、軽く片付ける事が出来てしまうほどに興味がなかった。親といっても、顔なんて見た事がない。親という名称が付いているだけで、ただの赤の他人だという認識は私の頭からは離れなかった。



ガラッ



私がそんなことを考えている間に病室のドアが開いた。そこに立っていたのは、多分男性だと思う。短い髪に細身の体、顔は整っていて中性的な顔立ちをしている。


「貴方、誰ですか」

「俺は君を楽しませに来たんだよ」

「楽しませる?一体どういうことですか」

「君、色が見えないんだってね。看護師さん達から聞いたよ。だから、俺と色の話をしよう」

「突然現れて、一体何なんですか」


私は彼が言っていることが理解出来なかった。色の話をすると言っても、一体どう話しをするつもりなのか。色が分からない私にそれを見せたところで何色なのかなんて、そんなとこが分かるはずがない。彼は一体………


「まぁ、そんなに考えずにさ!とりあえず俺は君の為にここに来たんだよ」

「私の…ため……?」

「そう、君のためさ」


私?私のためにここまで来た?彼は確かにそう言った。だが私は何も望んでない。そんなの必要ない。今更誰かと仲良くなっても、楽しい事を経験しても、どうせもうすぐ私はこの世から居なくなるんだ。そんな人間を楽しませてどうしようっていうんだ。


「……そん………頼…だ……」

「ん?」

「誰が、そんな事頼んだのよっ!」


私は一言も“ 楽しませて欲しい ”なんて言ってなんかいない。私はそんなもの必要としていない。ましてやこんな見ず知らずの赤の他人にこんなことをされる義理もない。


一体この人は_____



〜翌日〜



今日はどうやら天気がいいみたいだ。窓から白い光が差し込み布団に白を当てている。



ガラリ



ドアが開く音がした。誰だろう。看護師さんか、主治医の先生、もしくは………

_____昨日来た彼だろうか。


ドアの方を見ると、そこには看護師さんが立っていた。そしてその後ろには、昨日の彼の姿があった。見たくなかった顔だ。なんで今日も見なくちゃならないんだろうか。


「やぁ、会いに来たよ」

「帰ってください」

「冷たいなぁ…折角会いに来たのに……」

「私は会いたくなんてありませんでしたよ」

「そんな悲しい事言わずにさっ!昨日も言った通り俺は君の為に来たんだよ?だから帰るわけにはいかないんだよ」


嗚呼、また昨日と同じ事を言うのか。頼んでいないことを、まるで私が頼んだかのように言ってくる。どうすればこの人はここに来なくなるんだろうか。一体何をすれば彼は私の前に現れなくなるんだろうか。


私はただひたすらに彼の事を、彼がどうすれば私のところに来なくなるかを考えた。だが、何も思いつかなかった。何故だろう。私が何をしても、何を言ったとしても、彼はここから立ち去ろうとはしない。そう思えてしまった。


それからというもの、私は彼を追い払うのを諦めた。諦めざるを得なかった。何をしても意味が無いなら、彼の納得がいくように流されてみようと思ったんだ。どうせ残り少ない人生だ。最期をどう過ごそうが私の勝手だ。


彼は私の為だと言っていた。何をするのか、どんな話をされるのか、色々考えた。


「色、見えないんだよね?」

「見えないけど何か問題でも?」

「俺が色を教えてあげるよ」


色が見えない私に、色を教える?何を言っているんだ?こいつは正気か?

私にはもう彼が何を考えているのか、それを考えることが無駄に思えて仕方がなかった。


「色を教えるって、どうやって?私には色が見えないの。そんなことくらい分かってるでしょう?それなのに、どうやって教えるって言うのよ……」

「簡単だよ。色のイメージを俺が教えてあげるから、そこから想像してみてよ」

「………そんなの、教えるって言わないんじゃない」

「まぁそうだね。でも勉強みたいなものだと考えれば、俺は君に色を教えるってのが成立するんじゃないかな?」


彼には本当に何を言っても意味が無いらしい。こんな人に会ったのは初めてだ。これから私は、彼にどう接していけばいいのだろうか。


「これは、何色だと思う?」

「黒が濃いから、青かな」

「うん、正解」

「青ってどんな色なの?」

「青にも色々あるけど、今俺が見せているのは原色だから、暗めで冷たさを感じさせる色かな」

「原色は暗いの?」

「そこはちょっと難しいところかな。どちらかと言えば暗いんだけど、完全に暗い訳じゃあないんだよ」

「よく分からないね」


もう何度繰り返したのかも分からないような、同じような話を永遠と繰り返している。今は青色、さっきは赤色、その前は黄色で、さらにその前には紫色の話をした。


どの色の話をしても最後には“よく分からない”という言葉が口から出て終わってしまう。この時間に何の意味があるのだろうか。



〜1ヶ月〜



この1ヶ月で、彼に対する私の考え方が変わった気がする。それは私の気のせいかもしれないし、もしかしたら本当のことなのかもしれない。


「今日はどんな色が知りたい?」

「エメラルドグリーン」

「えっと……お嬢さん…?最近色が難しくなってきてませんかね?」

「それでも教えてくれるんでしょ」

「いやぁ、まぁ、それが俺がここに来てる理由だからねぇ……」


ついこの前までは彼の事を理解出来なかったというのに、今ではこんな無茶すら言えてしまえる。


やっと彼と普通に話、冗談や無茶を言えるようになったというのに、運命とは時に残酷だ。



『何故だろう』

『視界が…暗い……』

『ぼやけている…?』


ピー、ピー、ピー


『何か、音が……』

『機械の音…かな?』

『凄く近くで聞こえる』

『隣の病室から、かな?』

『でも壁を挟んでいるのに……』

『こんな大きな音で聞こえるだろうか……』


【聞こえるか!】

【しっかりしろ!】


『ん?』

『聞き覚えのある声だ……』

『嗚呼、そうだ』

『これは、この声は』

『彼の声だ』

『何をそんなに慌てているの?』

『私はここに、ちゃんと居るじゃない』



彼の声を聞いた途端、何故か意識が薄れていくのを感じた。少しづつ、蚯蚓が這うような速度で、ゆっくりと意識が遠のいていく。



ピー、ピー、ピー



『音が鳴り響いている』

『視界が暗く閉ざされた』

『何も見えない』

『何も感じない』

『寒い』

『ここは……』

『こんなに寒かったっけ……』




目が覚めるとそこは、草原だった。風が吹き、草木が揺れている。


『嗚呼、綺麗な景色だ……』

『ん?綺麗な…景色……?』


私は、自分の視界に映っている景色を見直した。やはりそれは普段と違うものだった。場所が違うという問題ではない。そんなことよりも、もっと重要な事だ。


【色のある世界はどう?】


声の先には、彼が立っていた。いつもと変わらない、彼の姿がそこにはあった。


【あ、もしかして頭の整理が追い付いてない?】


追いつくわけがない。一体、これはどういうことだ。何が起こっているんだ。

私の視界には、十数年前に見えなくなったはずの、色のある世界が広がっている。失ったと思われたそれが、はっきりと見えている。


『色が…見える……』

『ここは、一体…?』


頭の中には疑問が次々と浮かんでくる。それは消えることなく、ただ増え続ける。きっとこれらを消す鍵は、目の前に立っている彼だろう。


『ねぇ、ここは何処なの?』

【簡単に言えば“ あの世 ”だよ】

『私は、死んだの?』

【そう、寿命でね】

『そっか、私……死んだんだ…』

【悲しい?】

『いいえ、全く』


彼は私の顔色を窺うかのように、こちらを見ている。そして1つ、新たな疑問が浮び上がる。彼はここを“ あの世 ”だと言った。それが本当だとして、何故生きているはずの彼がここに居るのだろうか。私は死んだからここに来ている。それはおかしい話ではないだろう。だが、生者であるはずの彼が、何故ここに居るのだろうか。私にはそれが分からなかった。


【なんで俺がここにいるのか、それが分からないって顔をしているね】

『そうよ。だっておかしいじゃない。貴方は……』

【“ 生きているんだから ”って言いたいのかい?】

『え、えぇ……』

【そうだね、確かに俺は生きていた。君と出会うよりも前までは】

『前、までは…?』


意味がわからなかった。出会うよりも前、ということは、出会った時には既に死んでいた。彼はそう言いたいのだろうか。だがそうなると、私は暫くの期間死者の亡霊と話をしていたことになってしまう。


【流石に急にこんな事言ったら混乱するよね。順を追って説明しよう】


____彼が語ったのは、私に出会う前の話だった。




私に出会う3ヶ月前に、彼は私と同じ病院に入院していたという。23歳という若さで癌を発症し、気付いた頃にはもう手遅れだったとか。

そのため、手術での治療も無意味で、唯一出来る事というと、薬で病の進行を少しでも遅らせる事だけだった。

そこで医者から告げられたのは、余命2ヶ月という短い時間だったらしい。

今までの23年と数ヶ月を平凡に過ごしてきた彼にとって、この知らせは最凶の知らせだったのではないだろうか。

その2ヶ月で彼は、未練を残すまいと、色々な事をやったそうだ。病院から出る事が出来なかったが為に断念したものもあったが、病院内に居ても出来る事はやったらしい。

まず彼が最初にやったのは、長い間付き合っている彼女さんへ別れを告げる事だった。ただ彼は彼女さんを悲しませたくないが為に、嘘を着いて別れたらしい。それは下記の会話だ。


『雛美、話がある』

《どうしたの?》

『俺と、別れてくれないか』

《え、何で?急にどうしたの?》

『他に好きな人が出来たんだ』

《私よりもその人がいいの?》

『うん……』

《そっか、じゃあさようなら》


上記のように、とてもすんなりと別れることが出来たらしい。彼自身もそれには驚いたという。

これ以外にも、小さい子達と遊んだり、飲食した事の無かったものを飲み食いしたりしたらしい。


そして訪れた最期に、彼はこう思ったという。


《最期は笑顔で逝ってほしい》


それは特定の人物に対してではなく、今後死に行く全ての人に対して思ったそうだ。確かに笑顔で逝けるのは幸せな事だろうな。




これが彼が話した事だった。若くして癌で死んでしまった、一人の若者の話だ。彼女さんはこの事実をきっと知らないのだろう。知ってしまったとして、きっとそれは彼が望まない出来事であり、未来だ。


『笑顔で逝かせたいのは分かったけど、何でも私の前に現れたの?』

【…………君を笑顔にしたかったからだよ】

『でも私、色が見えないのよ?教わって、見えるようになんて…なるわけがないじゃない……』

【それでも、今居るこの場所の景色、その色が何色なのかは分かるようになったでしょ?】

『確かに、そうだけど……』


きっと彼に教わってなければ、今この景色を見て、色の名前が出てくる事はなかっただろう。だがそれが分かったところで、死ぬ時に笑顔ではなかった私は、彼の願いを実現出来ていない。


【そういえば、君…記憶喪失になっているんじゃあないかい?】

『え?何でそれを……』


そう、私は余命宣告と同時に、記憶喪失だということも医者から告げられていた。だがそれは全てではなく、ここ2年間程の出来事だけが抜けているという。記憶喪失になったのは半年程前で、その更に1年半あたりからの記憶が無くなっている状況だった。

私は何度も思い出そうとした。しかし、それは無意味な事だった。何度も、何度も、昔の事を思い出そうと試みたが、記憶には霧がかかり、声にはノイズが混じる。思い出そうとすればするほど、頭が割れるように痛くなった。

だが、何故彼がその事を知っているのだろうか。この事は主治医の先生しか知らないはずだ。


【何故、俺がその事を知ってるのか……それが気になって仕方がないって顔だね】

『それは、勿論』

【……大丈夫だよ。その疑問はもうすぐ分かるから】

『それは、一体どういう……』

【ほら、そろそろ時間だ。君は良い子だから、きっと天国だよ】

『ま、待って!貴方は?貴方は一緒じゃないの?』

【俺は………きっと、また会えるよ】


自然と体が宙に浮き上がり、そのまま雲の方へと流れていく。彼はこちらを見て立ち止まっている。繊細なものを見つめるかのような、それはもう優しい目で、こちらを見ていた。



宙に浮き、体が雲に触れた瞬間に、頭の中に何かが流れ込んできた。それは、知らないはずなのに、何処か懐かしく、大切な、私が忘れていた記憶だった。

彼が先程 大丈夫だ と言ったのは、きっとこの雲に触れた時に記憶が戻るからだったのだろう。

今まで思い出すことの出来なかった記憶が、次々と頭の中に流れ込んでくる。昔住んでいた家や、仲良くしていた友達、近所の風景や、よく行った場所、それと_____




_____私の、大切な人




その人が頭に浮かんだ瞬間、私の目からは涙が頬を伝い零れ落ちた。何故私はこの人の事を忘れてしまっていたのだろうか。とても大切で、何よりも愛していた人のことを。


『嗚呼、何で……』

『どうしてもっと早く言ってくれなかったの』

『忘れてしまっていたなんて……』

『謝りたい……』

『もう一度だけ……』

『一度でいいから…!』

『お願いします、神様』

『彼に…あの人に会わせて……』


視界が明るくなる。目の前には草原が広がっており、草木が生い茂っていた。そして、目の前には一人の男性の姿があった。

それは、見覚えのある人の背中で、大切で、愛おしくて、優しい目で私を見つめてくれる人の姿。


【やぁ、また会ったね】

『なんで……どうして…!』


目からまた涙が溢れ出す。止めようにも、止めることが出来ない。蛇口を捻ったかのように、涙は流れ続けた。


【ごめんね、本当に】


そう言ってきたのは、ずっと一緒に居て、私に色を教えてくれていた、あの彼だった。

そう、私の大切で愛おしい人だ。そして、彼が一番悲しませたくなかったのが、私だ。私は彼の彼女で、彼は私の彼氏だったのだ。


【アリス、全部思い出したんだね】

『えぇ、思い出したわ』

【あの時は、本当にごめん……】

『いいの、私を傷付けたくなかったんでしょ?』

【うん……】


彼の目からも涙が零れる。頬を伝い、地面へポツリと落ちる。何粒も、何粒も、少しずつ大きくなる涙が、静かに落ちていく。

そして彼は涙を拭い、片膝を地面に着いた状態で私の方を向く。ズボンのポケットから小さな箱を取り出し、こちらにそれを出す。


【アリス、遅くなってしまったけど……】

【____俺と、結婚してください】

『……っ!えぇ、勿論!』

【一生幸せにします】

『もう絶対に離れないから、覚悟しててよ?』

【俺だって、もう絶対手放さない】


死んだ彼と、死んだ私。まさかあの世で結ばれるなんて、思ってもいなかった。






_____これは、孤独だった私と、そこに現れてくれた、大切な彼との、出会いと結びの話だ。

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