第4話 過去と現在
「何をしているの?」
「……」
俺は何も言わずに、少女を睨みつけると顔をそむけた。
においからすぐにその少女が人間だと分かった。
吸血鬼の村にいたころ人間の残酷性は様々な場所で耳にした。
「どこの子? 迷子?」
幸い、少女は俺が吸血鬼だと気づいていないようで安心した。
このまま人間のふりをしてやり過ごそう。
「母といる」
「そうなの? この変には怖い化け物が住んであるらしいから早く帰った方がいいわよ」
「化け物?」
「ええ、人間の血を吸うのよ」
それが母の事だとすぐに分かった。
俺は半吸血鬼であるため人間の血は必要が母は純血であるため必要だ。
母が人を狩る姿は見たことがない。ただ、毎晩出かけているのは知っている。
「あ、もう行かなくちゃ。そうだ、私はベルよ」
「え? あ、カナタ」
「カナタ。また会いましょ」
そう言ってベルは去って行った。
「人間か……?」
胸のポケットからトンボおじさんが顔を出した。俺は奴を胸に無理やり押し込んだ。
「出てくんじゃねぇ。見られるかもしれないだろ」
「子どもじゃないか」
「信じられねぇ」
トンボおじさんは妖精のくせに人間への警戒心が薄い。妖精なんて生き物は愛玩動物として売り買いされていると村で聞いた。
「トンボおじさんは妖精ならもうすこし警戒した方がいいんじゃねぇの?」
「私はトンボおじさんではない。オスカル・アレクサンダー・ルドルフだ。それと、妖精売買はどこの国でも禁止されておる」
「闇市とか?」
「それを言ったら全ての種族で同じ条件だ。妖精だけ危ないわけではなかろう」
その晩。
いつもの様に部屋の椅子にすわり、静かに本を読んでいた。すると乱暴に部屋に扉が開いた。
そして、怒鳴り声と共に母が現れたのだ。
「カナタ」
それには驚いた。
母の顔を見るのは10年ぶりだ。
10年前今の住処に連れて来られたのが彼女にあった最後だ。
吸血鬼の村にいたころも母は俺に興味がなかった。俺を育てたのは母の従属の吸血鬼だ。
全く表情がなく淡々と世話をしてくれたのを覚えている。しかし、村を追い出される時にその従属も失った。
ここに来てからは昼間寝て、夜は出かけるという生活を母は繰り返していたため、一切顔を合わせることはなかった。
「カナタ」
再度母に名前を呼ばれた。
鬼のような形相の母を俺は椅子に座ったままぼーっと見上げていた。
「人間とあったの? 家中人間くさいわ」
「はい」
「それで? その人間は? とても極上のにおいがするのよ」
「帰りました」
「なんで、狩らないの」
罵声と同時に母の手が飛んできて、俺の頬にあたった。その衝撃で椅子から落ち床に転がった。
「役立たず」
転がった俺を母は怒鳴りながら何度も蹴飛ばした。俺は身を守るため手足を縮めて丸くなり歯を食いしばり耐えた。
叩かれた頬も蹴られた背中も痛かったが我慢した。
我慢すればそのうち母の攻撃がやみ痛みも収まる。
ずっとそうしてきたから大丈夫。俺は自分に何度も言い聞かせた。
「グッ」
母が俺の横腹を勢いよく踏みつけた時、その痛みで思わず声が出てしまった。
俺は焦り、身体が強張った。
声を出すと母の攻撃は長引き強くなるのだ。
しかし、この日それ以上の攻撃を受ける事はなかった。
「ねぇ、カナタ。その人間狩る気がないなら、ここに連れて来なさい。従属にするわ」
俺は目大きくして母を見た。
母は何かを考えついたようで、ニヤリと嫌な笑みを浮かべている。
「うふふ。あなたの血を飲ませて、あなたの従属にしてもいいわよ」
「え? できるのですか?」
「もちろんよ。半吸血鬼でも従属を持てるわ」
そう言って母は出ていってしまった。母が出ていってしばらくしてから俺は床から起き上りその場に座り込んだ。
従属……。
それで思い出すのは吸血鬼村で俺の世話をしてくれた無表情の女だ。
従属も吸血鬼であるため飲むが、飲む血は与えた主人の血のみだ。
「はぁ」
俺は大きくため息をついて床をみた。いつもの変わらない木の床だ。
「貴様。あの人間は従属にするのか」
いつの間にかトンボおじさんが俺の顔の横を飛んでいた。奴は母がいるときは絶対に顔を出さない。
母を恐れているのかもしれない。その気持ちは分かる。
トンボおじさんはある日当然、母が虫かごに入れて持ってきたのだ。“パートナー”と言って俺の前に乱暴に置いたのを今でも鮮明に覚えている。
「さぁね」
従属を持つ気はなかった。人形のような気味の悪い存在はいらない。だだ、母に逆らうのは恐ろしかった。
「もう母から離れてぇな」
「いいんじゃないか」
「え?」
「ここにいてもアイツは私やカナタの世話をしてくれるわけではなかろう。今だって食事は森で動物を狩ったり木の実を拾って食べたりしている。身なりは川で水浴びをして整えて生活をしておる」
「俺は半吸血鬼だ」
「定住しなければバレないと思うぞ。半吸血鬼と人間の大きな違いは長い寿命と不老だろ。血は吸わなくてよいし太陽の下もローブがあれば短時間なら移動可能だ」
言われてみれば確かにそうだ。母を頼りにしたことなどうまれてこのかた一度もなかった。
「この生活をあと何百年続けるつもりだい?」
吸血鬼は寿命が長い。トンボおじさんが言ったことは比喩でも冗談でもなく事実だ。このままではこの先何百年も母に怯えて生きなくてはならない。
ゾッとした。
「そうだな」
日が昇ったら家を出る決意をした。
持っていく物はたいしてない。全身を包むローブと仮面、それからナイフだ。それと腰につける鞄に水筒をいれた。
途中で水をいれるか。
持ち物確認を終えると日が昇るまで睡眠をとることにした。
いつもは日差しが弱くなる夕方まで寝ているため黒い厚地のカーテンを閉めいるがこの日はカーテンを閉めなかった。
朝日と共に起きようと思ったのだ。
日があるうちは、母は家の外どころか真っ暗に締め切った部屋から出ることはない。つまり、その日の太陽が沈むまで母に逃げたことはバレないのだ。逆を言えばそれがタイムリミットである。
吸血鬼の嗅覚は鋭く10キロ以上彼女から離れられなければすぐに見つかってしまう。
緊張で心臓が早くなった。
ヤバい……眠れない。明日があるのに。寝なくちゃ、寝なくちゃ……。
俺は必死に目をつぶったが気持ちが落ち着かずに何度も寝返りをうった。
睡魔はどこかに行ってしまい、焦る気持ちを無理やり抑えた。
「眠れないのかい」
その声に目を開けると、俺の顔に前にトンボおじさんがいた。
「‼」
俺は声も出ないほど驚いたがトンボおじさんは気にしていない様である。俺の顔の周りを飛び回っている。
「うぬ。仕方ない。カナタが眠れないと命に関わるかもしれぬから魔法を使ってやる」
「え?」
その言葉に驚いた。自称“妖精”のおじさんだと思っていたため一般的な妖精が使用できる魔法が使えるとは思っていなかった。
「トンボおじさんとは15年以上に付き合いになるに……魔法使えること初めて知った」
「妖精だから当然魔法を使える。そして私はオスカル・アレクサンダー・ルドルフだ」
フンと鼻を鳴らすと俺の顔の周りをゆっくりと、円を描くように飛び始めた。飛びながら何かを言っている。
「……よ……」
声が小さいよく聞こえない。トンボおじさんの本来の声はとても小さいが、俺と会話をする時は声を張り上げてくれるのだ。それでやっと聞こえるレベルに達するが周囲の雑音があると聞き取るのが難しくなる。
トンボおじさんが耳の側にきた時その言葉ははっきりと聞こえた。そして耳を疑った。
「はい喜んでー! はい喜んでー! 今~魔法をかけますよ~。さぁ眠りなさい」
変な曲の変な歌を歌っている。子守歌とは程遠い曲であり“眠れるかぁ”と思ったが、段々意識が遠のいていくのを感じた。
「はい喜んでー! はい……」
トンボおじさんの変な歌も聞こえなくなっていった。
「アツ‼」
暖炉の前に長時間いたような熱さ頬に感じて目が覚めると、直射日光が頬に当たっていた。
俺は慌てて直射日光を避けた。半吸血鬼である俺は短時間日光を浴びたぐらいでは火傷すらしながいが熱くは感じる。そして次第に熱さで気持ち悪くなり吐き気や頭痛が始まる。そこまでしか経験がないからその先はどうなるか分からないが死ぬじゃないかと思っている。
窓の外を見ると太陽は半分程度見えていた。
母の嫌がらせから俺の部屋は日の出が見えるしっかりと窓から見える位置にあった。
この部屋以外は木々の囲まれているため、母は俺を殺すつもりではないと疑っている。
ベッドから出て身なりを整えながらトンボおじさんを探すように周囲を見回すとすぐに見つけた。
俺の机の上に小さな椅子とテーブルを用意してそこに座っている。手には紅茶を持っておりとても爽やかな顔をしていた。
「朝のティータイムかよ。余裕じゃねぇーか」
「おはよう」
俺が起きたことに気付いたトンボおじさんは、俺の方を向きニコリと笑った。
奴の笑顔は本当にイライラする。腹立たしく思う笑顔は後にも先にも奴だけだ。
「はぁ」
文句いう時間も惜しいので俺はため息をついて身支度の続きをした。
足にピッタリとした黒いズボンを履き太ももにレッグホルスターをつけてそれにちいさめのナイフを数本セットする。
それから、ズボンの同じように体にぴったりとした黒い長袖のシャツを着てショルダーホルスターを左肩にかけた。それが浮かない様にしっかりと身体に固定すると、太ももにセットしてよりも大きなナイフを一本入れた。
できれば食事のための狩り以外で武器は使いたくねぇな。
そして、腰に小さなバックをつけた。中には空の水筒と袋が数枚入っているだけだ。
最後に全身を覆う大きなローブを着て、頭の後ろに面の部分が来るように仮面をつけた。
「行くぞ」
声を掛けながら、トンボおじさんがお茶をしていた場所を見るとそこに彼はいなかった。
「とっくに準備できておる」
そう言って、俺の真後ろを飛んでいた。その“当たり前だろ”という態度が気に入らなかったが何も言わずに部屋を出ることにした。
この部屋から出たら大きな声は出したくない。いくら日光に弱く起きてくる可能背がほぼなくてもやっぱり心のどこかで“母に見つかったらどうしよう”と言う思いがあった。
俺は黙ってローブを開くと、トンボおじさんは意図を理解してくれてローブの中にはり服の胸ポケットの中に納まった。
大丈夫だと思うがトンボおじさんの飛ぶ音も気になった。
ゆっくりと部屋の扉を出て、足音に注意しながら廊下を歩く。
そして、玄関を開けて外に出る。こちら側は俺の部屋とは違い木の影になっている。
直射日光が当たるようであったらフードを深くかぶり顔に面をつける必要があったが今は大丈夫だと安心した。
その恰好は人間が見たら異様であることは分かるため、なるべくつけたくない。できれば人間のふりをして過ごしたい。
住んでいた場所から1時間ほど進んだところで人影が見えた。人間であることはにおいから分かったため、避けて通ろうとしたが、そいつと目があってしまった。
あ……。
俺は純潔吸血鬼と違い見える範囲のにおいしか分からない。そのため、人間との接触を事前に知り避けることは難しい。
「カナタ」
少女は嬉しそうに俺の側に駆け寄ってきた。そう、人影は寄りにもよって昨日あった少女ベルだ。
「……」
俺はロープの前をしめてトンボおじさんが彼女から見えないようにした。
ベルは嬉しそうに笑っていたのだが、俺の近くに来ると眉を寄せた。
「あなた……」
俺は焦った……理由はわからないが半吸血鬼であることがバレたのかと思い手が震えた。
震えて動けずにいると、彼女は俺の頬に優しく触れた。
「これは? 真っ赤に腫れ上がっているじゃないの」
「え……?」
「こんなに震えて、大丈夫よ。」
そう言ってベルは俺を抱きしめた。彼女の方が、背が高かったために彼女の胸が額にあたった。
暖かい。
生まれて初めて抱きしめられた。彼女の身体はどこもかしこも柔らかく気持ちが良いものだった。
「ねぇ、お母さんは? この頬の腫れを知っているの?」
「知らねぇ……と思うけど……?」
母が俺の怪我どころか、何も気にしないし知らない。
「じゃ、今すぐお母さんの元へ行かないと」
俺はその言葉に大きく首を振った。
無理 無理 無理 無理……。
やっと今日の朝逃げだしたのだ。それをまた戻る提案をするなんてこの女は悪魔か。
やっぱり人間は信用ならない。
母の事を思い出したら手だけではなく全身が震え始めた。
すると、ベルが俺を抱きしめる手が強くなった。
「ごめんね……。家に来る?」
「え……いや」
俺は彼女の意図が全く分からずに首を振った。
「大丈夫よ」
そう言って、彼女は俺から離れる代わりに手を握った。その力はとても強く振りほどくことができなかった。
別に彼女が怪力なわけではない。日中であるため俺自身が人間の子どもと変わらない力になってしまっているのだ。だから、日中の行動を避けてきた。
彼女に引っ張られて森を出てしまった。
マズイ……。
そう思ったが、後の祭りだった。
日の光が俺の皮膚に直接あたった。まるで太陽が俺の真横にいるような熱さで、汗が出てきた。
彼女はそんな俺に気付いていないようでどんどん足を進める。次第にそれについていけなくなり足がうまく前に出なくなった。
気持ちが悪くなり、吐き気がした。
「大丈夫……あ……え……」
彼女が手を引くのをやめて何か話しかけてきたが全く理解できなかった。
目を覚ますとぼんやり人の顔が見えた。
「だ……え……」
何か言っているがよく分からない。頭がぼーっとして手足に力がまったく入らなかった。
段々、目の前の顔がはっきり見えてきたが誰だかわからなかった。
「だれ……?」
「おぉ、気づきましたか」
目に入ったのはにこやかに笑う、白髪でシワだらけの老人であった。
「人間……?」
俺は頭を振りながら、ゆっくりと上半身を起こした。
すると、俺のベッドを取り囲むように何人もの大人であろう人間の存在に気付いた。
ベッドのすぐ横にいたのがさっきの老人だ。
自分の姿をよく見れば住んでいた場所を出た時とはまったく違う恰好をしていた。ゆったりとした白い長袖に、同じようにゆったりとした足首まであるグレーのズボンを履いていた。
身体検査され、武器を全部取り上げられたようだ。
人間に捕まった。
「気分はどうですか?」
老人が話しかけてきた。
俺はビクリと身体を動かした。今の俺ではこの老人にすら勝つことはできない。その上武器も取られてしまった。
もうおしまいだ。
「あぁ、驚かせてしまいましたね。ごめんなさいね。私はこの村の村長をしていますマチルダです。私の孫が貴方をここまで運んできたのですよ」
つまり、あの女は俺を捕まえるために接触してきたということか。
一瞬でもベルの事を“暖かく心地よい”と思ってしまった俺を殺したい。人間なんか信じるべきではない。
「そんな、不安な目をしないでください。私たちは貴方に危害を加えるつもりはありませんよ」
「そうだ。このばあさまは良い方だぞ」
「え」
老人の後ろからトンボおじさんが現れた。そして、彼は眉を下げて申し訳ないと言うような顔をしていた。
「この……あはははは」
突然、老人が奇妙な笑いを浮かべた。周囲にいる大人も笑っている。そして、トンボおじさんも妙な笑いを浮かべている。
しばらくすると、次第に部屋が歪んでいった。
周りの大人が笑いながら、うねり、ねじれて、細くなり、一人ずつ消えていった。
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