第101話 アルビジョア十字軍(2) ~マダムとの純愛~

 フランス王国摂政のブランシュは眠れない夜を過ごしていた。


 何なのだ。あの暗黒騎士団ドンクレリッターというのは。

 昼間の戦闘では一方的に蹂躙じゅうりんされ、相手に対しては一兵の損失も与えることができなかった。


 やむなく撤退はしたが、この先どうする。


 ブランシュは女であるが故に、弱腰と指摘されることを何よりも恐れていた。


 このままスゴスゴと撤兵する訳にはいかない。

 そうすれば占領した南フランスの諸侯も息を吹き返し、反撃に打って出るだろう。


 そうなってしまったら、今後は逆に北フランスが攻められる事態にもなりかねない。


 ──プロヴァンスなんかに手を出すんじゃなかった。


 今更ながらブランシュは後悔していた。


 その時。

こんばんはボンソワール。マダム。」ときれいなフランス語の発音で男の声が聞こえた。


「何者だ!」

 ブランシュは人を呼ぼうとしたが、口をふさがれた。


「私はロートリンゲン公フリードリヒといいます。お話があって来ました。人を呼ばないと約束してくださるなら手を離しますが、どうされますか?」


 声を出せない彼女は首をコクコクと縦にふった。


「ありがとうございます」というと声の主は本当に手を離した。


 バカめ。そんな約束誰が守るものか。

 と助けを呼ぼうとした時、ブランシュは男の覇気に射竦いすくめられた。声を出そうにも声が出ない。


 彼女の頬を冷汗が伝う。

(私はこのまま殺されてしまうのか)と観念しかけた。


「マダム。あなたに危害を加えるつもりはありません。お話ししに来たのです」

 やはりきれいなフランス語だ。これが本当に神聖帝国の人間だというのか?


其方そなたは本当にロートリンゲン公なのか?」

「そうですが、それが何か?」


「なぜそんなにきれいなフランス語がしゃべれる?」

「なぜと言われましても。そういう教育を受けたとしか…」


「供周りも付けずに深夜に婦女子の部屋に忍び込むなど、貴族のすることか?」

「いや。いかにも貴族っぽくないですか?」


「まずは灯りくらいつけたらどうじゃ」

「そうですね。これは失礼いたしました」


 フリードリヒは部屋の灯りをつけた。

 と同時にブランシュは目を見張った。

 なんと見目麗みめうるわしい男か。しかも若い。


其方そなた。若いのう。歳はいくつじゃ」

「18歳になりましたが」

「そうか…」


 ブランシュより一回り以上年下ではないか。

 しかし、歳に不相応なこの落ち着いたたたずまいは何なのだ。どこに出しても恥ずかしくない立派な紳士ではないか。


「早速ですが、今日は手打ちにきました」

「プロヴァンスからなんとか手を引いていただけませんか?」


「ここまで軍を率いてきた以上、手ぶらという訳にはいかぬ。南の諸侯も寝返るやもしれぬしの」

「では戦争を続けますか? 脅迫する訳ではありませんが、我らは強いですよ。今日の戦闘でお判りになったでしょう?」


「我らは其方そなたらの10倍の兵数をかき集めることができるのだぞ。そう簡単に負けはせぬ」

「それは兵の質が同じ場合の議論です。我らは神から賜った武器で遠距離射撃もできますし。空を飛ぶペガサス部隊も持っています。今日は、それに対して手も足も出なかったではありませんか」


「それは…」

「それにこちらは南の諸侯にも当たりを付けてあります。いざとなれば彼らと連携して逆に北フランスに攻め込むこともできるのですよ」


 ──やはりそこまで考えておったのか…


「…………」

「さらに、イングランドを抱き込んで南北から挟撃することもできます。ブービーヌのときは連合軍の連携がまずくて負けましたが、いつもそう上手くいくとは限りませんよ」


「しかし、わらわにも立場というものがある」

「では、私が仲立ちして、レーモンⅦ世と和解するお手伝いをしましょう。南フランスが手に入れば、それ以上欲を出してプロヴァンスを手に入れなくても良いでしょう?」


「和解といっても、どうするというのじゃ」

「例えば、和解のあかしとして、レーモンⅦ世の娘のジャンヌ殿とルイⅨ世の弟君のアルフォンス殿で婚姻させるというのはどうです? 互いが親戚となれば争う必要もないでしょう」


「確かに。それが実現すれば当面の争いは収まるかもしれぬ」

「では、そういたしましょう」

「わかった。努力してみよう」


「それからもう一つお願いがあるのですが…」

「まだあるのか?」


「南フランスを手に入れた際には、ベジエの時のようなアルビ派の虐殺はやめていただきたいのです」

「虐殺とまではいかなくとも、異端審問はせねば教皇に対して顔向けができぬ」


「教皇対策はこちらで何とかいたします。そこは信じてください」

「ただ、信じろと言われてものう…」


「そこはすぐに結果を出して見せますから」

「わかった。そこは待ってみよう」


「では、これで手打ちは終わりですね。

 後はプロヴァンスとフランスの友好のあかしとして…」


 フリードリヒはブランシュの顎に手を添えると顔を近づけてきた。


 ──キスするつもりか? 私のようなおばさんに?


 ブランシュの心臓は早鐘を打っていた。


 ──何を今さら。生娘きむすめでもあるまいに…


 結局、ブランシュは抵抗できなかった。

 フリードリヒの唇がブランシュの唇に触れる。


 そして…



 翌朝。ブランシュが目を覚ますとフリードリヒの影はなかった。

 あれは何だったのだ。狐狸こりにでもかされたのか?


 違う。わずかだが寝具にフリードリヒのぬくもりが残っている。

 あれはかされたのでもなければ、夢でもない。本当にあったことなのだ。


    ◆


 それからしばらくして、フリードリヒの仲立ちで、ルイⅨ世の弟アルフォンスとレーモンⅦ世の娘ジャンヌ・ド・トゥールーズとの婚姻及び将来の相続に関する協定が結ばれ、アルビジョア十字軍は終結した。


 一方、教皇ホノリウスⅢ世は、ベジエで無実の罪で虐殺された民たちの亡霊に毎晩悩まされ、ノイローゼ寸前となっていた。

 実は、フリードリヒの命により悪魔アスモデウスが見せた幻影なのであるが、魔術師といってもホノリウスⅢ世程度の実力では高位の悪魔には全く太刀打ちができなかったのだ。


 程なくして、教皇庁から使者が来て、「アルビ派の異端審問では、虐殺や過度な拷問などは行わないように」とブランシュに伝えられることになった。これによりアルビ派の異端審問といっても多分に形式的なものとなった。


 また、そもそもアルビ派は聖職者の堕落に反対する民衆運動から発生したものである。

 フリードリヒは聖職者の堕落や不正の証拠を見つけ出し、教皇庁に送りつけるとともに、その写しをブランシュにも送った。


 ブランシュはフリードリヒの意を察し、その事実を民衆に知らしめた。

 これにより教皇庁は無視を決め込むことができなくなり、堕落を貪っていた聖職者が大量に処分されることとなった。


 アルビ派のみならず、民衆はこれを大歓迎で受け入れ、口々にブランシュをたたえた。

 だが、ブランシュの背後にフリードリヒの陰があることをフランスの民衆は知っていた。いわば公然の秘密だったのである。


 これによりフリードリヒのフランス国内における人気は更に高まったのだった。


    ◆


 アルビジョア十字軍に関わる一連の騒動が収まった頃。

 フリードリヒにブランシュから1通の手紙が届いた。


 手紙にはフリードリヒへの熱烈な愛がつづられた詩が添えられていた。

 ブランシュとは、あの一夜限りの関係であり、大国の摂政を相手に関係を続けようもなかったが、手紙ならばと思い、フリードリヒは苦手な詩を書いて返事を送った。


 以来、フリードリヒとブランシュは文通を続けていくことになる。ある意味みやびな純愛と言えるかもしれない。


    ◆


 ブランシュはルイⅧ世との間に13人の子供を授かっていたが、実は14人目を懐妊していた。もちろんフリードリヒの子である。

 フリードリヒの一発懐妊力は健在だったのだ。


 しかし、彼女はそのことをフリードリヒには伝えなかった。

 それがなぜなのかは彼女の心に秘められており、誰にもわからない。


 その子はとても賢い子に育ち。長じて某国の宰相となるのだが、それはまた別のお話である。

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