第83話 高級娼館 黒猫(1) ~隊長就任2次会~

 ソフィアはお店に戻るべく薄暗くなったアウクスブルクの町を急いでいた。荷物持ちの従者の少年も一緒である。

 女将おかみさんに頼まれたお使いが長引いてしまい、こんな時間になってしまったのだ。


「早くしないとお店に遅れてしまうわ。急ぎましょう」と従者の少年に声をかける。


 その時、いかにもといった定番のならず者たちがソフィアと従者をさえぎった。


「お嬢ちゃん。良いべべ着てるじゃねえか。有り金と身包みおいていけ! そうすれば命だけは助けてやる。もっともその前にたっぷり楽しませてもらうがな…ヘっヘっヘっ…」


 ソフィアは助けを呼ぼうとするが恐怖で声が出ない。従者の少年も同様のようだ。


 ならず者がソフィアの肩に手をかけた。

「きゃーーーっ」とやっとの思いで叫び声が出た。


 が、次の瞬間、その男は数メートルもり飛ばされていた。

 男はふらつきながら立ち上がると、すごんで言った。

「何しやがる。こんなことして、タダじゃ済まさねえぞ!」


 気づくとソフィアの横には薄暗くて見難いが全身真っ黒の軍装をした軍人が立っていた。白銀のマスクをしており顔はよく見えない。


 子分らしき男が声をかける。

「兄貴やべえぜ。あの黒づくめの軍装は…」

「まさか暗黒騎士団ドンクレリッターか」


「それに、あのマスク…」

「げっ! しかも白銀のアレク…」


「ひーーーっ」と恐怖の声をあげながらならず者たちは一目散いちもくさんに逃げて行った。


「大丈夫かい。お嬢さんフロイライン

「ええ。危ないところをどうもありがとうございました」


 が、ソフィアの心臓はまだ早鐘を打っていた。


 そっと助けてくれた軍人を見てみる。マスクはしているがとてもハンサムそうだ。

 それにさっきの声。とてもいい声をしていた。あの声で恋の歌でも歌ってくれたら…


 だめよソフィア。これは恋ではなくて、前にお姉さまが言っていたつり橋効果だわ。恐怖で心臓が早鐘を打っているのを恋と勘違いしているのよ。


「アダル。悪いが2人を家まで送ってやってくれ」

 あの人は赤髪の少年を護衛につけてくれた。


 ──本当は本人がよかったのに…


    ◆


 今夜はフリードリヒの近衛第6騎士団長の就任披露パーティーが開かれた。

 それがお開きとなり、帰ろうとした矢先、軍務卿のハーラルト・フォン・バーナーと近衛騎士団長のコンラディン・フォン・チェルハの2人に捕まってしまった。


主賓しゅひんが真っ先に帰るなど言語道断ごんごどうだん。2次会へ行くぞ。付いてこい」

 バーナー軍務卿は酔いで赤ら顔になっており、既に若干呂律じゃっかんろれつが回っていない。


「そうだそうだ。お坊ちゃまに高級な遊びの何たるかを教えてやる」

 チェルハもこれに賛同した。


 どうも行きつけの店があるらしい。


 ──ぼったくりバー見たいなところじゃないだろうな…


 フリードリヒのマジックバッグにはいざという時のためにかなりの大金が入っており、また本当にいざという時のためにダイヤモンドもいくつか持っていた。

 まあ、これがあれば大丈夫か…。しょうがない。


 フリードリヒは千鳥足ちどりあしで歩く2人のあとに付いていく。

 すると繁華街からどんどん離れていき、ある豪邸の前で止まった。

「つきましたよ軍務卿」

「軍務卿と言うな。ここでは旦那様と呼べといっただろう」


「へい。わかりました。ツェーリンゲン卿。俺のことは番頭さんと呼べ。わかったな」

「わかりました」


 どうやら貴族の身分を隠して出入りしているらしい。ただ服装や態度でバレバレだとは思うのだが…


 豪邸はお店という感じがしない。

 が、よくみると目立たないように看板があった。


 ──高級娼館黒猫シュバルツカッツェ


「高級娼館!?」

 フリードリヒは思わず声を上げてしまった。

 フリードリヒは前世も含めてそういう風俗系の店には行ったことがない。


「私は、こういうお店はちょっと…」


 チェルハが言った。

「誤解するな。ここには体を売る者もいるにはいるが、本当に高級な娼婦は体を売ったりしないのだ。行けばわかる。とにかく付いてこい!」

「はあ…」


 フリードリヒはしぶしぶお店に入っていった。


 中に入り、バーナーたちの姿を見ると女将おかみさんが言った。

「ロザリンド、ウルズラ。出番だよ」

 どうやらいつもご指名の娼婦がいるようだ。


「おや。今日はもう1人いるんだね」

「ああ。今日が初めてだからサービスしてやってくれ」

 チェルハがフォローしてくれた。


「ずいぶんと若い子だねえ。じゃあ。ソフィア。出番だ。とっとと支度したくしな」

「はーい」と可愛らしい少女の声が聞こえる。


 部屋に案内されると軽食と酒が用意されていた。


 ──要はキャバクラみたいなところかな?


 ロザリンドとウルズラは、それぞれバーナーとチェルハの横に座ると酒を注ぎ、早速熱心に話を始めた。


 少し遅れてソフィアが入ってくる。

「おまえはあの若い男の面倒をみてやんな」

「はい」


 その男の姿を見た時、ソフィアは硬直した。

 あれはこの間助けてくれた軍人さんだ。


 服装も全然違うし、マスクもしていないけれど、女の直感がそう告げていた。


 ──また会えるなんて…うれしい。


 ソフィアは喜び勇んでフリードリヒの横に座った。

 だが、フリードリヒはソフィアを一瞥いちべつしただけで一言も口をきかない。


「…………」


 ──こういう時の気のきいた会話というのが一番苦手なんだよ。俺は…


 ソフィアはソフィアで自分のことが気にいらなかったのかと心配になった。恐る恐る話しかけてみる。

「こういうお店は初めてですか?」

「ああ」


真面目まじめな方なんですね」

「そうかもしれない」


「…………」


 会話が続かない。

 ソフィアは思い切って助けてくれたお礼を言ってみることにした。


「先日は助けていただきありがとうございました」

「これは失礼した。先日のお嬢さんフロイラインでしたか。お化粧も上手だし、見事な衣装を着ているから見とれてしまって気づかなかった」


「お世辞は下手なのですね。きれいなのはお化粧や衣装だけですか?」

「もちろんお嬢さんフロイライン自信が一番美しい」


「何だか無理やり言わせたみたいで嬉しくないわ」

 ソフィアはわざとらしくねてみせる。


「それは私の表現力があなたの美しさに追いついていないのです。申し訳ない」

「今度のお世辞はちょっとだけ良かったわ」


「いや。決してお世辞では…」


 少し打ち解けたフリードリヒとソフィアはお化粧や衣装のこと、料理のことなどを話題に会話が盛り上がった。


 それをチェルハは横目で眺めていた。


 ──なんだかんだ言って盛り上がっているじゃないか。


「そういえば名前を聞いていなかったわ」

「フリードリヒだ」


「フリードリヒ様はあのならず者たちが言っていた暗黒騎士団ドンクレリッターというところの軍人さんなのですよね?」

「ああ」


「でも話してみるとぜんぜん軍人っぽくないわ」

「好きで人殺しをしている訳ではないからね」


「では、なぜ?」

「昇進するには一番の早道だからだ」


「どうして昇進したいの?」

「ある高貴な身分の方と結婚したいのだ」


「まあ…」

(うらやましい)と言いたかったが言えなかった。それこそ娼婦と貴族など身分違いも甚だしい。


「ところで、このお店は酒を飲んで女性と会話するだけの店なのか? 高級娼館と書いてあったが…」

「あとは歌を歌いあったり、詩のやりとりをするお客様もいるわ」


「なるほど、それは男女の関係としてはとても風雅な在り方だ。

それで高級娼館という訳か」

 フリードリヒは納得した。


「何も東の遠い国でそういうお店があるのですって。それをこのお店の店長がこちらに持ち込んだみたい」


 ──そう言われてみれば、中国にそういうお店があったという話を聞いたことがある。


お嬢さんフロイラインは歌の方はどうなんだい?」

「もちろん歌うわよ。聞いてみたい?」


「ぜひ頼む」


 そうすると誰かが合図でもしたのか、リュートを抱えた伴奏の男が部屋に入ってきた。

 ソフィアが曲名だか何だかを耳打ちすると伴奏が始まった。


 これはとてもポピュラーな恋の歌だ。


 甘ったるい歌詞も歌として聞くと素直に聞けるから不思議だ。それも歌というものの持つ力なのだろう。


 ソフィアの歌は上手うまかった。

 声も美しいし、音程もリズムもしっかりしている。


 ──さすがにプロだな…


 歌い終わると皆が拍手で称賛した。


 ソフィアはフリードリヒの横の席に戻ってくると言った。

「どうだった?」

「素晴らしかった。お嬢さんフロイラインれそうになったよ」


「そのままれてくれたらよかったのに」

「またまた。れられたお客に付きまとわられたりしたら鬱陶うっとうしいだけだろう」


「フリードリヒ様ならそんなこと思わないわ」

「…………」


 ──微妙だ…これは営業トークなのか?いや、そうに違いない。


「フリードリヒ様は歌はどうなの? 貴族なのだから多少はたしなむのでしょう?」

「ああ。少しだけな」


「ぜひ聞いてみたいわ。良い声をしているから、きっと素敵だと思うの」

「う~ん。じゃあ。1曲だけだぞ。

 ちょっとリュートを貸してくれ」


 フリードリヒは伴奏の男からリュートを借り受けた。


「まあ。弾き語りができるのですか?」

「そんなに珍しいことかな? 町の吟遊詩人は皆やっているだろう」


「あれは皆プロの人たちですよ」

「そんなものかな?」


 とりあえずフリードリヒは歌いだした。

 定番の恋の歌だ


 部屋の女子たちがキャーキャー言い始めた。


 ──別におまえのことを好きと言っている訳じゃないからな。ただの歌の歌詞だから!


「今こっちを見て『好き』って言ったわ!」

 ここまでくると思い込みというのもたいしたものだ。


 そそくさと演奏を終わって、ソフィアの横の席に戻る。

「素晴らしかったわ。フリードリヒ様がそんなに私のことを思ってくださるなんて、うれしい」


(あれはタダの歌詞で君のことを思って歌った訳じゃないから)とのどまで出かかったが、そんな全否定も可哀そうかと思ってやめた。


 とりあえず、曖昧あいまいな日本人スマイルで返しておく。


「今度は詩を書いて欲しいわ。貴族なのだから書けるでしょう」

 ソフィアの要求がどんどんエスカレートしていく。


 即興で詩を書くなんて久しぶりだな。リャナンシーにさんざん添削してもらったっけ…


 あまり難しく考えずに10分くらいで一気に書き上げた。一般的な恋の詩だ。


「どれどれ。見せて」

 ソフィアは詩を読むと顔が真っ赤になっていった。


「こんなにフリードリヒ様が私のことを思ってくださるなんて…」

 ソフィアは詩が書いてある紙を抱きしめると感慨にふけっている。


(それも一般論であって、君を思って書いたわけじゃないから)と今度も言いかけたが言えなかった。


 結局、フリードリヒはこのお店、そしてソフィアのことが気に入り、度々一人で通う羽目になった。


 彼女たちが喜んだりしているのはほぼ100%営業なのであろうが、それはそれで高級な遊びと思えば面白い。


 しかし、お金の方もしっかりと高級なお店なのであった。

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