第82話 アルル王国(2) ~アルルの女~

 11世紀初旬にプロヴァンス伯ギヨームⅢ世が子のないまま死ぬと、称号と領地は、トゥールーズ伯ギヨームⅢ世の妻となっていた妹エンマへ移り。以後、プロヴァンス伯位はトゥールーズ家が継承していった。

 12世紀に入り、ギヨームⅠ世の末裔であるドゥルス・ド・プロヴァンスがバルセロナ伯ラモン・バランゲーⅢ世と結婚し、彼はプロヴァンス伯レーモン・ベランジェⅠ世を称した。

 トゥールーズ家とバルセロナ家は侯爵の称号を巡って衝突したが、その後にラモン・バランゲーⅢ世とアルフォンス・ジュルダン・ド・トゥールーズの間に条約が結ばれた。

 これにより侯領が分割され、デュランス川の北はトゥールーズ家のプロヴァンス辺境伯に、南半分はバルセロナ家のプロヴァンス伯に与えられた。


 バルセロナ家の同族で、現プロヴァンス伯のレーモン・ベランジェⅣ世は、プロヴァンス伯アルフォンスⅡ世とその妻ガルザンド・ド・フォルカルキエの息子で、父からプロヴァンス伯を、母からフォルカルキエ伯を相続していた。


 レーモン・ベランジェⅣ世には男子がなく、4女が生まれていたが、3人は既に各国の王妃へととついでおり、末娘のベアトリーチェだけが未婚だった。


 年齢的に子供を望む希望の薄いレーモン・ベランジェⅣ世は、自らの領地を継がせるべく、ベアトリーチェにあてがう優秀な婿候補を探していた。


    ◆


 川の南のプロヴァンス伯領には、美女の産地として有名なアルルの町がある。

 アルルの町は、古くはプロヴァンス伯ギョームⅠ世が首都を置いた町であり、ローマ時代からの由緒ある町である。


 アルルの女と言えば南ヨーロッパでは美女の代名詞であり、黒髪にラテン系の顔つき、そして情熱的な性格と相場は決まっていた。

 どうやらヨーロッパ人は色素の薄い者が多いので、色素の濃い黒髪に途轍とてつもなくエキゾチックな魅力を感じるらしい。


 ベアトリーチェは典型的なアルルの女であった。

 町の男たちは誰もがベアトリーチェにあこがれ、尊敬の念をいだいていた。


 そんな彼女も今年でもう17歳。

 父のレーモン・ベランジェⅣ世が優秀な婿にこだわるあまり婚期が遅れ気味となっていた。


    ◆


 外務卿のヘルムート・フォン・ミュラーは、アルル王国で最後に残されたプロヴァンス伯領を訪れた。

 早速に領主を訪れ、自由貿易協定締結の話をする。

「我がロートリンゲン大公国は既にプロヴァンス以外のアルル諸領、それにジェノヴァ共和国とも自由貿易協定を締結済みです。残るは貴国のみ。ぜひ参加をお願いしたい」


 ミュラーは、外堀はもう埋められたとばかりに、余裕の表情である。


 しかし、レーモン・ベランジェⅣ世は意外な話をし始めた。

「実は17歳になる私の娘がまだ未婚でしてな。私には男子がいないので、娘とその婿にプロヴァンスとフォルカルキエを継がせたいと考えているのです」

「そうですか」


「もし大公閣下が娘を口説き落とせたら、国ごと差し上げます。そのあかつきには自由貿易協定でもなんでも好きになさるがよかろう」


 レーモン・ベランジェⅣ世にしてみれば、年齢的にとうが立ちつつある娘をできるだけ高値で売りつけようという魂胆だった。


 これに対し、ミュラーはしたり顔で答えた。今までフリードリヒになびかなかった女などいない。

「わかりました。早速に大公閣下にご提案申し上げてみましょう」


 しかし、ミュラーは知らなかったのだ。

 フリードリヒは女に口説かれることはあっても、自分から口説いた経験などほとんどないことを…


    ◆


 ミュラーは喜び勇んでプロヴァンスでの経過をフリードリヒに報告した。

 だが、フリードリヒの顔色はさえない。


 ──なぜだ? 女好きの閣下なら絶対に喜ぶと思っていたのに…


 フリードリヒはフリードリヒで思うところがあった。


 ──これだけたくさんの妻や愛妾あいしょうがいて、今更女を口説くことが苦手なんて言えるものか…


 だが、せっかくミュラーが持ってきてくれた話だ。断る訳にもいくまい。


「わかった。やるだけやってみよう」

「大丈夫です。百戦錬磨ひゃくせんれんまの閣下に落とせない女などおりません」


 ──どちらかというと、百戦して百戦とも落とされたというのが正解なのだが…


「失敗しても笑うなよ」

「失敗などあるはずがないではありませんか」


 フリードリヒは心の中でため息をついた。


    ◆


 フリードリヒはプロヴァンスに向かう。

 もう覚悟は決めた。嘘偽りで口説いてもしょうがない。

 ここは自分の地をさらけ出してダメならそれでしかたないではないか…


 早速、プロヴァンス伯に挨拶あいさつに行く。

「このたびは過分な申し出をいただき、恐れ入ります」

「なに。ロートリンゲンは帝国で、いやヨーロッパで一番勢いのある国だからな。当たり前だ。

 では紹介しよう。こちらが娘のベアトリーチェだ」


「お初にお目にかかります。ベアトリーチェ・ベランジェにございます。大公閣下におかれましてはご機嫌麗きげんうるわしゅう」

「ロートリンゲン大公のフリードリヒ・エルデ・フォン・ザクセンです。以後、よろしくお願いいたします」


「では、邪魔者は早速退散するので二人で話をしなさい」

 というとプロヴァンス伯は早速行ってしまった。


 いきなりのお見合い的な展開にドギマギするフリードリヒ。


「閣下。お父様の我がままに付き合わせてしまって申し訳ございません。我が国のような小国。相手にされなくてよろしかったですのに…」

「いえ。小国などとあなどってはおりませんよ。それに相手にも会わずに断るなど失礼千万しつれいせんばんですから…」


「それで会ってみていかがでしたか?」

 ベアトリーチェは曇りのない真っ直ぐな目でフリードリヒの瞳を見つめている。悪いことをしている訳でもないのに、こちらが気後れしそうだ。


 ここは相手の目をしっかりと見つめ返しながら答える。

「素晴らしく美しい方だ」


 アルルの女とはよく言ったものだ。それに元日本人のフリードリヒにとって黒髪は非常に魅力的にうつる。


「本心から言っています?」

「もちろんですとも

 でも、少し髪がいたんでいますね。それにお肌の手入れもしたらもっと美しくなれます。

 私に手入れをさせてもらえませんか?」

「えっ! 大公閣下自らですか?」


「ええ。趣味みたいなものですから…ぜひ」


 ベアトリーチェは顔を赤くしながら答えた。

「では、ぜひお願いします」


 この時代、もちろん美容院のような設備はないので、お風呂場でシャンプー・トリートメントをする。顔も石鹸で洗った。

 風呂から上がり顔に美容液を塗る。

 髪を乾かし、椿油を使って丁寧にとかしてやる。


 すると髪も肌も素晴らしく輝いた。


「まあ素晴らしい。こんなに変わるなんて!」

「1回目だからこんなものです。継続してやればもっと美しくなりますよ」


「まあ。本当ですか」

「もちろんです。では、お化粧もしましょう」


 すっぴんでも十分に美しいが、まだ若いだけにさぞかし化粧映えがするだろう。


「それも閣下がですか?」

「もちろんです」


 妻・愛妾あいしょうたちのために、最近化粧品を次々に開発しているので、ちょうど試したかったところだ。彼女たちを相手にだいぶ練習したのでメイクの腕も相当上がっているはずだ。


 メイクをしている間、彼女は観念したとばかりにじっとおとなしくしている。さぞかし期待しているに違いない。


「さあ。終わりましたよ。鏡で見てみてください」


 ベアトリーチェは目を見開いて驚いている。

「なんて綺麗…私じゃないみたい…。お父様に見せてきます」

 と言うと部屋を飛び出していった。元気なことだ。


 しかし、つい地を出してしまったが。これで男としてアピールできているのだろうか。いささか疑問ではある。


 ベアトリーチェはすぐに戻ってきた。

「私、これでお出かけしてみたいわ。町の人たちにも見せびらかしたいの」と言うといきなり行こうとする。


「でしたら服装も何とかした方がいいですね」

「この服ではダメですか?」


「ダメではないですが、私はあなたを口説かなければならないんです。プレゼントさせてもらいますよ」

「そ、そうですか…」

 フリードリヒが堂々と口説き宣言をしたためか彼女は赤くなって照れている。


 ちょうどベアトリーチェはヴィオランテと同じくらいの体格だ。彼女の新作をちょっとばかり拝借しよう。


 フリードリヒは物体取り寄せアポ―トで服を取り寄せる。ついでに最近開発したブラジャーも取り寄せた。

 さすがに未婚女性を相手に手ずから着せる訳にはいかないので侍女に説明して対応してもらう。


 フリードリヒが別室で待っていると、ベアトリーチェがやってきた。

「どうかしら。ずいぶんと大人っぽい服だけど、似合ってる?」

「とっても素敵ですよ。お嬢さんフロイライン

 では町へ出かけましょう」


 フリードリヒがさりげなく腕を差しだすと、ベアトリーチェは自然な感じで腕を組んできた。貴族としての作法をきちんと身に付けている証拠だ。


 ベアトリーチェは城を出るとずんずんと町へ向かって歩いていく。

 城の者が「今、警備の者を付けますからお待ちを!」と叫んでいるがお構いなしだ。


 すれ違うものは、皆、一様に目を見開いてベアトリーチェの美しさに見とれている。


 その時。いかにもならず者と見える者たち5人ばかりが二人をさえぎった。

「おいにいちゃんよー。ずいぶんといい女を連れてるじゃねえか。女は俺たちが相手をしてやるから、痛い目にあいたくなけりゃ。とっととせな!」


 ──なんだ? この定番の展開は? もしかしてプロヴァンス伯のやらせか?


 だが、それにしてはできすぎている。ここは港が近いから航海で立ち寄った船の船員か何かだろう。


「あなたたち失礼よ。私はベアトリーチェ・ベランジェ。領主の娘よ。あなたたちこそ私に手を出したらどうなるか知りなさい!」

 ベアトリーチェは毅然きぜんと言い返している。


「おうおう。威勢のいい女は大好きだぜ」

 ベアトリーチェのおどしは全く効いていないようだ。


「閣下。逃げましょう」とベアトリーチェが小声でささやく。


「大丈夫ですよ。お嬢さんフロイライン。この人数なら10秒あれば十分です」

「えっ!」


 ベアトリーチェが驚く間もなくフリードリヒは男たちに襲いかかる。男たちは不意を突かれまったく準備ができていない。


 フリードリヒはジャンプすると左右の足でそれぞれ男の顔面をキックした。感触で鼻骨が折れたのがわかる。これで2人。


 そのまま着地すると、後ろ回し蹴りを顔の側面に入れ地面に叩きつける。これでもう1人。


 そして最後の2人に向き直ると左右の手でそれぞれのみぞおちに強烈なパンチを繰り出す。男二人は苦痛に顔を歪め胃の内容物を吐いている。


 ここまで3秒くらいか…


「10秒もかかりませんでしたね。こいつら弱すぎです」と平然と言ってのけるフリードリヒにベアトリーチェは驚嘆の目を向けていた。


 すると男たちは怪我をしながらもなんとか立ち直り、再度向かってこようとする。

「この野郎。舐めたまねしやがって…」


 今度は、フリードリヒは戦闘の構えをとり、覇気はきを発した。

 戦闘に慣れているものなら、この覇気はきに耐えられるものではない。


「ひっ! こいつは化け物だ。助けてくれ」と叫びながら男たちは逃走して行った。


 ベアトリーチェはまだ驚いた顔をしている。

 フリードリヒのような優男やさおとこが荒くれ者をいとも簡単に倒してしまったのが信じられないのだろう。


「お、お強いのですね…大公閣下」

「そうですか? 私はもともと軍人ですからね。こんなもの戦いのうちに入りませんよ」


「…………」

 ベアトリーチェはフリードリヒを恐ろしいと思った。

 返す言葉が出なかった。


    ◆


 私はベアトリーチェ・ベランジェ。

 プロヴァンス伯レーモン・ベランジェⅣ世の4女だ。


 3人のお姉さまたちは皆他家に嫁いでしまい、家に残っているのは私だけだ。


 お父様は、私と私の婿になる人にプロヴァンスとフォルカルキエを継がせるおつもりらしい。


 だが、またお父様の悪い癖が出た。

 なんとこともあろうにロートリンゲン大公閣下に私を口説くようにそそのかしたのだ。


 もうこれで何度目だろう。

 今まで私を口説いた男たちは下心が見え見えで尊敬できる者など一人もいなかった。


(いくら大公が偉いといっても、お父様の口車に乗るくらいだから大した人物ではないのだろう)と私は思っていた。


 初めてお会いした大公様は眉目秀麗な見目麗しい殿方だった。こんなに美しい男性にはお目にかかったことがない。私の心はときめいていた。

 だがまだだ。問題は外見ではなく中身だ。


 私はいきなり度肝を抜かれた。


 大公様は私の髪や肌のお手入れをしてくれ、綺麗な服まで用意してくれて私は見違えるように美しくなった。

 私は舞い上がってしまい、そのまま町へ繰り出した。


 その時、無頼の輩に襲われたのだが大公様は一瞬でやっつけてしまった。

 私は頼もしいというよりは、怖いと思った。あの時見せた覇気は尋常なものではなかった。素人の私にでもわかるほど…


 それから私は大公様と打ち解けてお話をするように努めた。


 大公様は今まで口説いてきた男たちのように私にびることは一切なく、友達か兄弟のように接してくれた。


 料理も作ってくれた。

 トマトという新しい素材を使ったパスタはとても美味しかった。

 トマトは大公様が経営する商会で扱っているらしい。


 それからいろいろなお話もした。

 大公様は何でも知っているとても頭のいい人だった。


 地球は丸いのだという話をしてくれたときにはびっくりした。今でも信じられない。

 大公様も「他の人には秘密だよ。バレると教会から異端認定されてしまうからね」と言っていた。


 こんなこともあった。

「そういえば私はベアトリーチェを口説かなければならないんだった。貢物みつぎものをするから、欲しいものがあれば言ってくれ」と大公様は思い出したように言った。


 私はいたずら心から、化粧品が入っていた袋を示すと、冗談めかして言った。

「この袋一杯のダイヤモンドをくれたら結婚してあげてもいいわ」

「よし。わかった。明日にでも持ってこよう」


 私は唖然あぜんとしてしまった。

 あの袋一杯のダイヤモンドがあれば、小さな国の一つくらいは買える価値があるはず。そんなに簡単に用意できるはずはない。


 しかし、翌日。

「持ってきたよ。お姫様。ぜひお納めください」


 見て見ると袋がはち切れんばかりにダイヤモンドが詰め込まれていた。それも大粒のものばかり。


 さすがにこれは受け取れない。あまりにも高額過ぎる。

 私は断ろうとした。すると大公様は私の唇に指をあて「だまって受け取りなさい」と言った。その言葉にはどこか不思議な力があり私は逆らえなかった。

 念のため城の者に鑑定させたが全てダイヤモンドで間違いなかった。


 こんな何でも器用にこなして、頭が良くって、お金持ちで、強くって…とどめにこの上もなくハンサムな人を私が拒否できるはずがない。

 私はもう大公様に夢中になっていた。


 こうなってしまっては、私の気持ちを心の中にしまっておくことは難しかった。苦しくて…苦しくて…我慢ができない。


 私は大公様が滞在している部屋へ駆け込むと言ってしまった。

「大公様。結婚してください。じゃないと、私…もう死んじゃいます!」


 大公様は「あれっ。本当は私の方が口説かなければならなかったんだけどなあ。あべこべになっちゃったね」と苦笑いしていた。


 その足ですぐにお父様のもとに向かう。


 大公様は言った。

「私が姫様を口説くことはかないませんでした」


 たちまち父の顔色が変わる。


「しかし、私の方が姫様に口説かれてしまいました。つきましては、2人の結婚をお許しください」


「それでは許さぬと言えるはずなかろう。びっくりさせおって…」


 3人は笑いあった。


    ◆


 結婚式は、アルル王国内の付き合いもあるので、ブルゴーニュ女伯と同じリヨン大司教のところで執り行った。


 私はアルルでは2人目の大公様の共同統治者となったのだ。


 そして初夜。

 大公様はとても優しく扱ってくれた。


 本国のこともあり、大公様がプロヴァンスに頻繁ひんぱんに通うのは無理なので、子供はまだできていない。


 だが、ブルゴーニュ女伯は直ぐに懐妊したとういうから、ちょっとうらやましい。


 できることならば、後継ぎの男子が生まれてくれるとうれしいな。

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