第67話 戦後処理 ~ロートリンゲン大公位、そして…~

 戦後処理について、まずはフランドル伯家と交渉をする。


 この時代、戦争で得た捕虜ほりょについては、身代金を払えば返還されるという習慣があった。

 当主を始めとして多くの騎士等の捕虜ほりょを得ていたが、フランドル伯家は身代金を素直に払うということなので、開放することになった。身代金を吹っ掛けることはしなかった。


 続いて、領土交渉である。


 フリードリヒ自身は領土的野心をほとんど持たなかったが、領土的なペナルティーなしでは国の内外に示しがつかない。

 そこでゼーラント伯領南部で国境線に食い込むように入り込んでいる土地を割譲させることにした。


 ブラバント公領の北西部を切り取るように存在するこの土地は広さにしてブラバント公領の10分の1程度であろうか。

 領には、中心となる町を作ることとした。名前は正妻の名前を取ってヘルミーネブルグとでもしようか。


 フリードリヒは、この土地を直轄領とし、産業をおこそうと考えていた。この辺りは毛織物が盛んな土地であるので、理系ゾンビのフィリーネに命じて紡績機ぼうせききや織物の機会などを開発しようと考えている。


 加えて、フランドル伯領とは、ザクセン公国と結んだような自由貿易協定を結ぶことにした。これにより関税を撤廃し、貿易を自由にする。フリードリヒは、ドイツ北部一帯に自由貿易圏を作る構想を持っており、これはその一環である。


 この領地は、位置的にフランドル伯の居城があるヘントに隣接しており、フランドル伯フェランがおかしな動きをしないよう牽制けんせいできる場所でもある。


 フランドル伯フェランは言った。

「あれほどの大敗北をしたのに、本当にこればかりでよいのか?」

「その分は商売で穴埋めしてもらいますから。基本的に私は商人なのですよ」


「あんなに武力があるのに商人と言い張るか」とフェランは薄笑いしながら皮肉で返した。


 大負けしていっそ清々すがすがしい気持であった。

 だが、失われた武力を回復するには相当な時間を要するであろう。


    ◆


 ブラバント公国との交渉であるが、こちらも身代金は素直に払ったので、開放することとなった。

 だが、アンリⅠ世は敗戦のショックで憔悴しょうすいしきっており、交渉ができる状態ではなかったので、後継ぎのアンリⅡ世と交渉を行うことになった。


「まず領土についてだが、こちらは安堵あんどすることを約束する。そのかわりに条件が2つある」

「これは温情のあるご沙汰さたに心から感謝いたします。

 で、条件とは何でしょうか?」


「一つは親父殿のアンリⅠ世には引退してもらう」

「それは覚悟しておりました」


「もう一つは下ロタリンギア公爵位を私に譲って欲しい」

「それは構いませんが、あんな実を伴わない名誉職でよろしいのですか」

「かまわない」


 下ロタリンギア公爵は日本の戦国時代で言えば関東管領職のようなものであろうか。しかし、名誉職というのは実はバカにならないこともある。実力のある者がその職にくことで有効に機能するケースもままあるのだ。

 かの上杉謙信が関東管領職にこだわったのも、その点をわきまえていたからではなかったか。


 これが得られれば、名目上、フリードリヒは上下ロタリンギア、すなわちロートリンゲン全土の支配者ということになる。


「それでは皇帝陛下にその旨上申してもらおうか」

「承知いたしました」


    ◆


 皇帝フリードリヒⅡ世はブラバント公国のアンリⅡ世からの上申書を見て首をかしげていた。

「下ロタリンギア公爵位だと。あの小僧なんでそんなものを欲しがる?」


 内務担当の宮中伯プファルツが答えた。

「小僧はロートリンゲンの各領主から庇護ひごを求める書簡を集めております。すなわちロートリンゲンは小僧に実効支配されているも同じということです。

 これに下ロタリンギア公爵位が加われば、モゼル公爵の位と合わせて名目上もロートリンゲン全土の支配者となります。

 事実上ロートリンゲン大公国が復活したようなものですな。

 あと足りないのは大公位くらいなものです」


「では、どうすればいい?」

「ロートリンゲンの動乱をしずめたのは小僧の業績ですから断るのは難しいでしょうな。断れば戦争の火種にもなりかねません」


「あの暗黒騎士団ドンクレリッターと戦争? それはあり得ないな」

「ではお認めになるしかないでしょう。

 下ロタリンギア公爵位はもともとただの名誉職と皆が思っていましたが、今の小僧が持つことで意味合いが変わってくるでしょう。なにしろ実力が伴っていますからな」


「しかし、あの小僧がそれほどの権力を持つのは気味が悪いな」

「ではいっそ大公位も与えて、ヴィオランテ様を嫁に差し出してはいかがです?

 小僧もヴィオランテ様の父上をないがしろにはできないでしょう」


「確かにヴィオランテもいい加減に嫁に出さねばならぬ年頃ではあるが…」


 皇帝は、準男爵に過ぎぬと馬鹿にしていた冒険者の小僧が大公位を望めるまでにのし上がってくるとは思ってもいなかった。


「あの方は準男爵で終わるようなうつわではありませんわ」

 ヴィオランテが言った言葉が脳裏のうりに浮かぶ。


 ──女の勘というのは鋭いものだな…


 そして次の言葉も…

「お父様もうかうかはしていられませんわよ」


 ──バカな。あの小僧がちんを追い越して皇帝にでもなるというのか?


 皇帝はかぶりを振った。


「陛下。どうされました?」

「とにかく、ヴィオランテのことは考えておく」


    ◆


 その夜。フリードリヒⅡ世はヴィオランテの部屋を訪れた。

「まあ。お父様の方からいらっしゃるなんてどういう風の吹き回しですの?」


「それはともかく、おまえはまだあの小僧と結婚したいのか?」

「まあ、小僧なんて失礼な。前から申し上げているとおり、私はフリードリヒ様以外とは結婚しませんわ」


「なぜそんなにこだわる?」

「女の勘ですと言ったら笑われますか?」

 さすがに前世の夫ですとは言えない。


「いや。そんなことはない」

「やっと認めてくれる気持ちになりましたの?」


「そうだな…考えておく」


(冗談で言ったつもりなのに…)ヴィオランテは父の態度の豹変ひようへんぶりに驚いた。

 そして淡い期待をいだくのだった。


 皇帝は決断した。

 ヴィオランテの幸福にホーエンシュタウフェン陣営の強化。その二つを考えた時に結論は一つではないか。こんな簡単なことに今まで何を悩んでいたのか…


    ◆


 翌日。

 内務担当の宮中伯プファルツに皇帝は言った。


ちんは決めたぞ。大公位もヴィオランテも小僧にくれてやる。そのかわり小僧は確実にホーエンシュタウフェン陣営に取り込むのだ」

御意ぎょい


「では、早速小僧を呼びだせ」

「ははっ」


    ◆


 フリードリヒは、突然の皇帝からの呼び出しに当惑した。

 まさか今回の内乱の件をとがめだてはしないだろう。いちおうそれなりおさまりどころにおさめたつもりだ


 とすると下ロタリンギア公爵位の件か?

 しかし、あんな名誉職のために呼び出しなどをするだろうか?


 とにかく陛下の命には逆らえない。

 フリードリヒは、久しぶりのアウクスブルクへ向かった。


    ◆


 ここは皇帝の謁見えっけんの間である。

「陛下。命によりフリードリヒ・エルデ・フォン・ザクセンまかり越してございます」


「うむ。このたびのロートリンゲンの内乱の件。大儀であった」

「恐れ入りましてございます」


「その褒美ほうびに下ロタリンギア公爵位と言わず、ロートリンゲン大公位をくれてやる。もちろん選帝侯位もだ」


 思わぬ話にフリードリヒは驚愕きょうがくした。

「それはありがとうございます。感謝の念に絶えません」


「ただし、それには一つ条件がある」

「条件ですか?」


「ヴィオランテを嫁にもらってもらう。そのかわり其方そなたちんに一生忠誠を誓うのだ!」

「ありがとうございます。私の忠誠は今も将来も陛下のもとにあることをお誓い申し上げます」


 思わぬ幸福の訪れにフリードリヒは顔がゆるみそうになるのを必死に耐えた。

 それにしても、まだ将来だと思っていたヴィオランテとの結婚が突然に転がり込んでくるとは…。


 ──運命の女神の気まぐれも時にはよいものだな。


    ◆


 謁見の間の帰り道。ヴィオランテの部屋を訪れた。

「ああ。フーちゃん!」

 顔を見るなりヴィオランテはいきなり抱きついてきた。


「陛下から結婚の話を聞いた」

「私も今日初めて聞かされたのです」


「陛下も人が悪いな」

「そうね」

 二人は微笑しあった。


「長く待たせてすまなかった」

「いいえ。最初からわかっていたからちっとも長くなかったわ。

 いろいろ考えながら待つのもそれはそれで楽しいものよ」


「そうか。ヴィオラはすごいな」

「俺はもう待ちきれなくて何度も爆発しそうになった」


「あら。そうは見えないけど?」

「必死に顔に出ないようにしていただけさ」


「そうやって喜怒哀楽を中にめ込むのはあなたの悪い癖ね。いつかあなたの心が悲鳴をあげてしまうわ」

「ああ。善処するよ。でも、ヴィオラがいてくれたらもう大丈夫だ」


「そんなに期待されても自信がないわ」

「いや。一緒にいてくれるだけでいいんだ。それだけで私の心がどんどん軽くなっていく」


 フリードリヒはあらためてヴィオランテを抱きしめるとキスをした。


    ◆


 私はヴィオランテ・フォン・ホーエンシュタウフェン。

 皇帝フリードリヒⅡ世の5女である。


 母は愛妾あいしょうであるが、父は私を嫡子ちゃくしとして認知してくれ、たいそうかわいがってくれた。


 私は子供のころから、この世界とは違う世界の夢をよく見ていた。その世界の私は結婚もしていて、子供も女児が二人いた。

 私も旦那様も黒髪・黒目でその点もこの世界とは違っていた。


 旦那様は無口でおとなしいが私に対してはとても優しい。そんな旦那様を私は子供のころから大好きで、暇があれば旦那様にひっついていた。だって、そうしていると安心して心が安らぐのだ。


 そんな旦那様を私は「リョウチャン」と呼んでいた。


 そんな夢を私はずっと勝手な妄想もうそうだと思っていた。


 だが、ホーエンシュタウフェン学園に入学した日。私は出会ったのだ。運命の人に。


 その人はフリードリヒ・エルデ・フォン・ツェーリンゲンという金髪碧眼の大層ハンサムな人だった。


 その人を一目見た時ドキリとした。

 初めてあったのに親しい親戚に久しぶりに会ったような何か懐かしい感じがする。


 そして女の直感が告げていた。


 ──あの人は「リョウチャン」だ!


 次の瞬間、私の体は本能的に動いていた。

 あの人に走り寄り、抱きつくと思わず「リョウチャン!」と呼びかけてしまった。


 あの人は驚いていたが、私を拒否することはなかった。そして放課後に話があるという。


 ──なんだろう?


 そして放課後。私は意外な事実をあの人から聞かされた。

 私はあの人の前世の妻である「クレハ」の生まれ変わりだというのだ。


 たましいの生まれ変わり? そんなことは聞いたことがない。

 しかし、確かに夢の中の旦那様は私のことを「クレハ」と呼んでいた。事実は生まれ変わりがあるということを指し示している。


 私は生まれ変わりの事実を受け入れることにした。

 そうでなければ私自身に納得がいかない。


 その後、私はあの人とデートを重ねたが、浮ついた恋心などというものは全くなく、熟年夫婦の安心感のようなものを感じていた。

 少し年寄り臭いが、なにしろ夢の中もカウントすると私とあの人は30年近くの時を一緒に過ごしているのだ。

 さもありなんである。


 そして女の直感は告げていた。


 あの人はとてつもないうつわの持ち主で、皇帝の娘たる私を堂々とめとることができる地位までかならず成り上がってくると。

 そして二人は現世でも結ばれるのだと。


 これは私の単なる願望ではない。

 何と言うか…そう、運命の女神の決定事項だ。


 ついに今日という日がやって来た。

 お父様に呼ばれ、あの人と結婚するように言われたのだ。

 あれだけ結婚をしぶっていたお父様も運命の女神にはさからえなかった。


 これでやっと元のさやに収まることができる。

 そんな安心感に私は満たされた。

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