第68話 ヴィオランテとの結婚 ~皇帝巡幸~

 ナンツィヒに戻り早速ヘルミーネの部屋に向かう。


「どうしたの? 浮かない顔をして?」

 無表情を努めていたのだが、付き合いの長いヘルミーネにはお見通しのようだ。


「陛下からロートリンゲン大公位をいただくことになった」

「いい話じゃない。おめでとう……って、もしかして……」

ヘルミーネの表情が変わった。


「ああ。ヴィオランテと結婚することになった」

「やっぱりね。いつかそういう日が来るとは思っていたけれど…。

 あ~あ。短かったなあ。正妻の座は…」


「すまない」

「ロスヴィータさんの気持ちが今になってわかった。

 あなたのためなら私は喜んで受け入れるわ。

 それに側室になったからといって、あなたの愛は変わらないのでしょう?」


 ──このセリフも2回目か…


「もちろんだ」

 そう言いながらフリードリヒはヘルミーネを抱きしめ、そのまま濃厚なキスをする。

 そして…


    ◆


 そのあと先代モゼル公夫妻、つまりヘルミーネの両親にも報告をした。


「そうか…ロートリンゲン大公国が復活するのか…感慨深いものがあるな。若くて強い君主に引き継いだわしの目は確かだったということだ。はっはっはっ」

「それよりも。何だかザクセン家を乗っ取るような形になってしまいました。申し訳ございません」


「なんの。皇帝の娘をめとるのであればやむを得ない。ホーエンシュタウフェン家との血縁ができれば、将来は盤石ばんじゃくではないか。

 それにヘルミーネが立派な男児を産めばその者が後継ぎということもあり得るのだろう?」

「それはそうですね」


「頑張るのよ。ヘルミーネ」とヘルミーネの母が声をかける。

「は、はい」とがらにもなくヘルミーネは恥ずかしさで真っ赤になっている。


    ◆


 ヴィオランテとの結婚式はケルンの大聖堂で行うことにした。

 ロートリンゲン大公国で最も由緒ある教会だからだ。


 フリードリヒは、せっかく皇帝にアウクスブルクからケルンに出向いてもらうのであれば、ついでにロートリンゲン各地を巡幸してもらい、皇帝の権威を知らしめてはどうかと考えた。


 内乱後の人心をしずめるのにうってつけだし、フリードリヒが皇帝を引っ張ってこられる力を持っていることを示すことにもなる。


 フリードリヒはその旨を書簡にしたため、内務担当の宮中伯プファルツ宛に送った。


 そのことを内務担当の宮中伯プファルツが上申する。

「陛下、小僧、いやロートリンゲン大公からこのような書簡がきておりますが、どういたしますか?」


 皇帝は書簡を一読すると言った。

「小僧め。とことんちんを利用しようということか。小癪こしゃくな」

「内乱で乱れた人心をしずめるには格好かっこうの手段かと思われますし、ロートリンゲンはフランスとの緩衝かんしょう地帯であるゆえにしっかりと治めてもらう必要があります。

 それにホーエンシュタウフェン家にとってもマイナスの要素はございませんが…」


「わかっておる。ヴィオランテへの祝儀しゅうぎ代わりと思って受けてやるわ」


 結局、皇帝からは巡幸を承諾しょうだくする旨の回答が届いた。

 ただ、警備についてはこちらが手配すると申し出ていたが、近衛騎士団が務めるということだった。


    ◆


 皇帝の巡幸行列がナンツィヒの町にやってきた。

 皇帝の姿を見ることなど市民にとっては一生に一度あるかどうかだ。行列の周りには多数の市民が押し寄せた。


 行列は典礼用のきらびやかな甲冑かっちゅうをきた近衛騎士団が先導している。


 警備については、念のため他にアスタロト配下の悪魔を100人ばかり隠形おんぎょうさせて巡回させている。これであれば万全であろう。


「あれが皇帝陛下か。なんと威厳のある…」

「陛下の隣にいるのが大公閣下のおきさきになるヴィオランテ殿下よ。なんとお美しい…」


 ──なるほど。暗黒騎士団ドンクレリッターの黒備えの甲冑かっちゅうでは格好かっこうがつかないな。失念していた…


 フリードリヒは警備を断られた理由を理解した。今度からこういう物も用意しないといけないな。

 それはともかく、サービスだ。


 太陽の周りに光の輪が現あらわれた。フリードリヒの水魔法による仕込みの日暈ひがさである。

 不可思議な現象に皇帝一行は顔色を変えたが、ナンツィヒの市民は2回目とあって落ち着いたものである。


「あれは皇帝の行幸ぎょうこうを神が祝福しているのだ!」

 誰かが声を上げた。


 それを合図に市民たちから声があがる。

皇帝陛下万歳ジークカイザー!」

皇帝陛下万歳ジークカイザー!」

皇帝陛下万歳ジークカイザー!」

皇帝陛下万歳ジークカイザー!」


 この様子を見て皇帝はご満悦まんえつのようだ。


 皇帝の一行が城に入り、お礼の挨拶あいさつをする。

「陛下。この度のご巡幸、誠にありがとうございます。おかげで陛下のご威光が市民の隅々までいきわたりましてございます」

「うむ。ヴィオランテの婿殿むこどののためだ。この程度のことどうということはない」


「恐れ入ります。ヴィオランテ殿下におかれましてもご苦労をおかけいたしました」

「フー…夫となるザクセン卿のためですもの。この程度は苦労のうちに入りませんわ」

「それは幸甚こうじんに存じます」


 その夜。皇帝を主賓しゅひんとした晩餐会ばんさんかいを開催した。


 ヴィオランテが思わず感想をらした。

「このサラダにかかっている不思議なソース。とても美味しいわ」

「そうだな。ちんも初めて食べるが何というものなのだ?」


「これはマヨネーズという鶏卵から作るソースでございます」


 卵の殻にはサルモネラ菌がついており、正しく殺菌しないと食中毒患者を量産してしまう。

 そのためこれまで一般に普及するのをためらっていたのだが、この機会にお披露目ひろめすることにしたのだ。


「そうなのですね。そう言われれば卵黄の色をしているわ」

「これはぜひレシピをちんの料理人に教えておけ」

「承知いたしました」


 フリードリヒは心の中でニヤリとした。この後、皇帝が食したソースとしてタンバヤ商会で売り出すのだ。


 このあとフリードリヒはヴィオランテとダンスを踊った。


 といっても、この時代、ワルツなどという洗練された踊りはないし、オーケストラと言えるような楽団もない。

 フォークダンスに毛の生えたようなシンプルな踊りだ。


「まあ素敵。なんてお似合いなカップルなのかしら!」

 参加者の中から声があがるが、ちょっと照れ臭い。


 皇帝は複雑な表情で2人を見ている。

 嫁に出すと決めたとはいえ、まだ可愛い娘にまだ未練があるのだろう。


    ◆


 皇帝巡幸は順調に進み、結婚式を行うケルンに到着した。


 予定どおり結婚式を挙行する。


 ケルンの大司教の前で宣誓をする。

「新郎フリードリヒ・エルデ・フォン・ザクセン、あなたはヴィオランテ・フォン・ホーエンシュタウフェンを妻とし、健すこやかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、妻を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

「はい。誓います」


「新婦ヴィオランテ・フォン・ホーエンシュタウフェン、あなたは、フリードリヒ・エルデ・フォン・ザクセンを夫とし、健すこやかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、妻を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

「はい。誓います」


 ──これでやっと結婚か。出会ってから4年以上。長いと言えば長かったな。


 無事に紅葉くれはの生まれ変わりのヴィオランテと結婚できて感慨深い。


 フリードリヒは運命の女神の存在を意識せざるを得なかった。クロートー、ラケシス、アトロポスの運命の三女神である。

 しかし、変にお礼など言わない方がいいのかな…


 ヴィオランテに結婚指輪をはめようと顔を見るとうっすらと涙ぐんでいた。


 ──なんだかんだ言って長かったんじゃないか。待たせて悪かったな…


    ◆


 結婚式が無事終わり、夜の結婚披露のうたげとなった。


 皇太子のハインリヒが一番に挨拶あいさつに来た。

「ヴィオランテ。念願の彼と結婚できてよかったな。おめでとう」

「ありがとうございます。お兄様」


 ──初めて会うが、なかなかの好青年ではないか。


「殿下。初めまして。フリードリヒ・エルデ・フォン・ザクセンにございます。以後お見知りおきを」

「おお。ロートリンゲン公。うわさどおりいい男ではないか。ヴィオランテをよろしく頼むぞ」

「承知いたしました」


 続いてザクセン大公が挨拶あいさつにきた。

 皇帝がザクセン公を威嚇するような視線を向ける。先の帝位争いでは当初オットー陣営にあった男だ。気にいらないのだろう。

 ザクセン公は真正面から視線を受け止めた。


「ロートリンゲン公。結婚おめでとう。しかし、早々に大公位を得るとはとはな。さすがわしが見込んだ婿むこ殿だ」

「ロートリンゲン公はヴィオランテの婿むこだ。馴れ馴れしくするな!」

 皇帝が一喝いっかつする。


 しかし、ザクセン公も負けていない。

「これは陛下。ロートリンゲン公に先につばを付けたのはわしですぞ」

「それはそうだが…」


 その時皇帝の頭にあるアイデアがひらめいた。

 ヴィオランテを嫁に出すだけではなく、フリードリヒの縁者を嫁に取ればより関係は強固になるではないか!


「ロートリンゲン公。ちんの息子にも嫁をよこせ。ザクセン公には出せてちんには出せぬとは言わせぬぞ!

 おい。ハインリヒちょっと来い!」


「何ごとですか。父上」


 急にきびすを返したハインリヒは、フリードリヒに挨拶あいさつしようと向かっていたルイーゼとぶつかってしまった。


「きゃっ」と小さな悲鳴をあげてルイーゼは尻もちをつく。


「おっと。これは大変失礼した。お嬢さんフロイライン

 ハインリヒは優雅な動作でルイーゼに手を差し伸べる。


 ルイーゼは真っ赤になりながら手を差しだした。このような紳士的な男性に接するのは初めてなのだろう。

 ルイーゼは立ち上がった後もボーっとしてハインリヒに見とれている。


 ──これは一目惚ひとめぼれってやつかな?


「では、失礼する」

「は、はい」


 ハインリヒが皇帝のもとにやってくると皇帝はまくしたてた。

「おまえ。ロートリンゲン公の縁者を嫁に取れ。わかったな!」

「それは良いのですが、急なお話ですね」


「何を言う。前々から考えておったことだ」

「そうでございますか。承知いたしました」


 そのやり取りを見ていたツェーリンゲン家の者たちは唖然あぜんとしている。その目はルイーゼに集中していた。


 4女のマルティナは未成年だ。ツェーリンゲン家で嫁に出せるのは13歳のルイーゼしかいない。


 が、どうもツェーリンゲン家の者は皇帝を前に尻込みをしており、まともな対応ができそうもない。


「ルイーゼ」

 フリードリヒはルイーゼを呼んだ。


 ルイーゼは緊張した足取りでフリードリヒの前にやってきた。

 表情を見ると緊張が極限に達しているようだ。


 ハインリヒが話かける。

お嬢さんフロイラインはロートリンゲン公の妹御いもうとごでしたか」

「はい」


「では、私の妻になっていただけますか?」

「はい」


「ありがとうございます。では、よろしくお願いしますね」

「はい」


 ──ルイーゼ。おまえさっきから「はい」しか言えてないぞ!


 そのやり取りを見ていた皇帝が言った。

「よし。めでたい。これで決まりだな」

「左様でございますね」

 仕方なくフリードリヒは相槌あいづちを打つ。


 ──でもルイーゼも気に入ってるみたいだから結果オーライだよね。


「まあまあ可愛いお嫁さんねえ」

 皇帝の横に控えていた美女が言った。ヴィオランテの母のビアンカである。


「これは義母上ははうえ様。ありがとうございます」

 フリードリヒはお礼を言った。


 ──しかし、若々しくて美人なお母さんだな。とてもヴィオランテのような大きな子供がいるように見えない…


「ルイーゼさん。兄をよろしくお願いしますね」

 ヴィオランテが優しく声をかける。


「はい。殿下」

「まあ。義理の姉なのだからヴィオラと呼んで欲しいわ」


「はい。ヴィオラお義姉ねえさま」


 それにしてもルイーゼは最後まで緊張しっぱなしだったな。

 こればかりは時間をかけて慣れてもらうしかない。

 習うより慣れよだな。

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