第65話 下ロタリンギア平定(3) ~決戦前夜~

 ロートリンゲンに先行するロタリンギアは、フランク王国のルードヴィヒⅠ世の3人の息子間で分割が取り決められたヴェルダン条約で創設された中部フランク王国が2つに分割された北部に相当する。ロタールⅡ世が統治したことから「ロタールに属する土地」といったほど意味だ。

 ロタールⅡ世が後継者を残すことなく没したことで、最終的に東フランク王国に属することになった。


 その後、東フランク王国のオットー大帝は弟のブルーノをロタリンギア公に任命した。ブルーノはロタリンギアを上下に分割し以後固定化される。


 上ロタリンギアはモゼル公国として存続するが、下ロタリンギアは小さな領邦に分裂していった。


 下ロタリンギアの中でも頭一つ飛び出ている領邦がブラバント公国である。

 アンリ・フォン・レギナーレ(フランス読みでレニエ)は神聖帝国皇帝フリードリヒⅠ世によってブラバント公に任命された初代であり、自らの力で勝ち取った地位にプライドを持っていた。

 また、名誉職ではあるが下ロタリンギア公爵位も父から相続していた。


 アンリ・フォン・レギナーレことアンリⅠ世は息子のアンリⅡ世に不満をぶちまけていた。


「ルクセンブルク伯まで寝返るとは周りが皆敵ではないか!」


 ──どうすればいい? あんな成り上がりの小僧に頭を下げるなど死んでも無理だ!


 下ロタリンギア内がダメなら外に助けを求めるか。

 とするとホラント伯か、ゼーラント伯か……いや頼りない。


「神聖帝国ではないが、いっそフランドル伯を頼るか…」とアンリⅠ世はつぶやいた。

 ブービーヌの戦いの際は、一緒にフランスと戦った仲でもある。


 アンリⅡ世はあわててその言葉をさえぎった。

「父上。フランドル伯フェランは領土的野心にあふれる男ですぞ。それを帝国に招き入れるなど…」

「黙れ! もう他に手がない」


「一時の恥を忍んで、小僧に頭を下げれば済むことではありませんか。小僧にくだった他の領邦は領地を安堵あんどされていると聞きます。

 我が国は最後まで抵抗してしまいましたが、領地全部を取り上げるような無体むたいなことはありますまい」

「おまえは甘いのだ。あんな小僧が信じられるものか!」


「父上…」


 結局、アンリⅠ世はフランドル伯に救援を求めることに決めてしまった。


    ◆


 フランドル伯は形式的には西フランクの封建ほうけん臣下であったが、東西フランク、後に神聖帝国とフランス王国の緩衝かんしょう地帯として両国と関係しながらも大幅な独立性を保っていた。

 また、フランク王国のカロリング家の血筋を引く名家でもあった。


 フランドル伯フェラン・エノ―はギラギラとした領土的野心を持つ血の気の多い男であった。

 先のブーヴィーヌの戦いにも率先そっせんして参加し、他国軍の到着を待たずして先陣を切ったところである。


 そのフェランのもとにブラバント公からの救援の要請が来た。

「ほう。面白い。これを機に帝国の領土を切り取ってみせよう! はっはっはっはっ」


 フェランは降っていた好機に喜びを隠せないでいた。


    ◆


 フリードリヒは、最後まで抵抗するブラバント公国の討伐の準備を進めていた。


 まずは下ロタリンギアの各領主から集めたフリードリヒに庇護ひごを求める書簡を皇帝のもとに送った。

 討伐の正当性のあかしであるとともに、帝国軍は手を出すなという意味合いもある。


 そこにタンバヤ情報部のアリーセから報告があった。

「ブラバント公がフランドル伯に救援を求めたようです」


 ──ちっ。面倒なやつを引き込みやがって…


「わかった。ご苦労」


    ◆


 皇帝フリードリヒⅡ世はモゼル公たるフリードリヒから送られた書簡を苦々しい思いで手に取っていた。


 軍務卿のハーラルト・フォン・バーナーが言う。

「ここまでお膳立てされては帝国軍の介入はできませんな」


 皇帝が口を開いた。

ちんとしては国が無事ぶじ治まってくれればそれでよい」

 が、多少強がりにも聞こえる。


 バーナーは怒りを口にする。

「しかし、ブラバント公め。フランドル伯を引き入れるとは何事だ!」


 近衛騎士団長のコンラディン・フォン・チェルハは呑気のんきな口調で返した。

「拡充された暗黒騎士団ドンクレリッターが万が一にも負けるなどあり得ませんよ。ここは高みの見物といこうではありませんか。フランドル伯にもいい薬になるのではないですか」


    ◆


 フリードリヒは在来の領軍2千を残し、暗黒騎士団ドンクレリッター全軍を出動させることに決めた。


 ヘルミーネがフリードリヒの部屋を訪ねてきた。

「あなた。私も出陣するわ。まさか女は結婚したら家庭へ入れとか言わないわよね」


 前世では紅葉くれはも働きながら育児をしていたし、個人的には働く女性に違和感はない。しかし、現世の常識的にはどうか? 周りにはどう見るだろうか?


 ──だが、さんざん戦いの場に駆り出しておいて今更か…


「わかった。だが、前線に出すのは難しいぞ」

 さすがに領主の妻を切り込み隊長にはできない。


「わかってるわよ」

「ならいい」


 ナンツィヒの市民に見送られながら暗黒騎士団ドンクレリッターは出陣した。


 ヘルミーネは地元の姫だけあって大人気だ。

 あちこちから激励げきれいの声がかかる。


 ナンツィヒの市民たちはダークナイトの異形いぎょうにも少しずつ慣れてきているようだ。


 軍の先頭にはきらびやかな刺繍ししゅうをほどこしたロートリンゲン十字の旗がたなびいている。

 十字軍とは違う神聖な軍隊のあかしだ。


 住民たちは今回がお披露目ひろめとなるロートリンゲン十字を指さしながら何やらささやきあっている。


 ──よしよし。目立っているぞ。


 今回の行軍はショートカットしない。

 領内にロートリンゲン十字を知らしめるとともに、あらためて軍威ぐんいを示すためだ。

 大砲などの最新式の武器も隠し立てしない。


    ◆


 今回の戦いには、下ロタリンギアの地方領主たちにも参加してもらう。

 地方領主連合軍の総大将は、ライン宮中伯プファルツにやってもらう予定だ。


 ライン宮中伯プファルツのハインリヒ・フォン・ヴェルフェンは全面的には信用することは危険だが、使える人材であることは間違いない。

 今回は、アビゴール配下の悪魔を連絡役という名目の見張り役として派遣してある。


 下ロタリンギアの国境にはライン宮中伯プファルツの軍が迎えに来ていた。


「出迎えご苦労様です。今回は総大将の任を引き受けてくださり、ありがとうございます。活躍を期待していますよ」

 フリードリヒは意識していないのだが、相変わらずの慇懃いんぎんな対応にヴェルフェンはうすら寒いものを感じる。


「これしきのこと。何ということもない。今回は公のために精いっぱい働かせていただく」とヴェルフェンは必死の思いで答えた。


 下ロタリンギアでもロートリンゲン十字を知らしめながらゆっくりと行軍し、軍威ぐんいを示す予定である。

 諸侯の軍は途中の行程で順次合流することになっている。


 数的には諸侯連合軍が総勢3千。暗黒騎士団ドンクレリッターが千人強なので、総勢4千強である。


 対するブラバント公は領内から戦闘可能な者を駆り出して総勢2千。だが、寄せ集めの軍のため玉石混交ぎょくせきこんこう状態のようだ。

 これにフランドル伯の軍3千が加わり総勢5千となる。


 単に頭数では敵が上回っているが、フリードリヒは全く気にしていなかった。


    ◆


 いよいよブラバント公国に入る。


 セイレーンのマルグリートと配下の鳥たちに上空から探らせたところ、ブラバント公とフランドル伯は小高い丘の上に陣取っており、動く気配はないようだ。

 自分たちに有利な地形で戦おうという算段らしい。ブービーヌの二の舞はしないということなのだろう。


 暗黒騎士団ドンクレリッターと諸侯連合軍は、敵の抵抗がないままブラバント公国領内を行軍する。


 フリードリヒは諸侯連合軍に対して略奪りゃくだつ行為を厳禁するよう通達していた。

 この時代、戦争があれば略奪りゃくだつは当然のごとく行われており、その対象には金品のほか人族や亜人も含まれていた。

 このような倫理観は正さねばならない。


 命令が簡単には徹底されないであろうことは明らかだったので、アスモデウス配下の悪魔数百名を隠形おんぎょうさせて見回りをさせている。

 略奪りゃくだつをしようとすると、どこからともなく見えない敵がやってきて妨害され、怪我を負わされるということがうわさとなり、連合軍兵士の中で略奪りゃくだつを行おうとするものは次第しだいにいなくなっていった。


 この不可思議な出来事に、フリードリヒは悪魔を使役しえきしているといううわさも広がり、フリードリヒはドキリとさせられた。

 うわさというものはあてにならないことも多いが、時に真実をズバリと言い当てていることもあるのである。


 だが、中には例外があるもので、それでもルクセンブルク伯の配下で略奪りゃくだつを働く者がいた。本人的には、おのれの豪胆さを示そうとでも思ったのだろう。


 村娘をさらって強姦ごうかんしようとしたところを現行犯的に隠形おんぎょうした悪魔たちにつかまり、フリードリヒの前に引き立てられてきた。


 そのさばきの結果を見ようと、諸侯連合軍の兵士たちが集まっている。

 ここは厳しいさばきで一罰百戒いちばつひゃっかいとするしかないだろう。


 フリードリヒは縄を打たれて緊縛きんばくされている男に静かに近づくと、剣を抜き、有無を言わさず両足の膝から先を切断した。


「ああっ!」という驚きの声が兵士たちの中から上がり、直後、誰も言葉を発せなくなってしまった。緊張した空気の静寂せいじゃくあたりを覆う。


「手当てしてやれ」というフリードリヒの声がやけに大きく響いた。


 フリードリヒは切断された足を拾うと「適当に処分しておけ」と言いながら、横で控えていたアダルベルトに物でもあるかのように渡す。

 鋭い人間ならこの時フリードリヒがこっそり目配めくばせしたことに気づいたかもしれない。アダルベルトは意図を察したようだ。


 男の足からはすごい勢いで血が噴き出しており、苦しそうなうめき声を上げている。手当をする者が布を当てるが、あっという間に赤く染まっていく。

 この大怪我おおけがでは、この時代の医療技術では十中八九は死に至るだろう。助かったとしても、一生両足が不自由なままだ。

 刑罰としては相当に過酷なものと言える。


 フリードリヒは、その場を無言で立ち去った。

 と同時に緊張がけ、兵士たちが話し始めた。


まゆ一つ動かさずに切りやがった」

「なんと冷徹な…」


    ◆


 フリードリヒは、本陣に戻ると「あの男を人目に触れないように連れてこい」と命じた。

 かたわらにはアダルベルトが控えている。


 程なくして両足を切断した男が連れてこられた。

 相当に血が流れたようで、顔面は蒼白そうはくで息も絶え絶えである。


「おい。助かりたいか?」

 男はもはや声を発することができないらしく、小さくうなずいた。


「これから治してやってもいいが、故郷には戻らないことが条件だ。わかったな」

 男は小さくうなずく。


 フリードリヒは、アダルベルトから切断された足を受け取ると、ハイヒールの魔法で両足を接合した。木魔法で免疫めんえきを強化することも忘れない。

 男は痛みが引いた安心感からか、そのまま眠り込んでしまった。


「木魔法で免疫は強化しているが、サルファ剤も与えておいてくれ」


 理系ゾンビのフィリーネは染料から作る抗菌剤であるサルファ剤も完成させており、既に実用化されていた。だが、まだ一般に普及するには至っていない。


 男は結局命を長らえた。


 その後、望んでフリードリヒの食客しょっかくとなり、武芸を研鑽けんさんした。


 周囲も驚くような腕となると望んでフリードリヒの警護の任に着いた。

 妻たちやアダルベルトたちは復讐ふくしゅうを狙っているのではと反対したのだが、フリードリヒは意に介さなかった。


 その後、男は片時もフリードリヒのそばを離れなかったという。


    ◆


 フリードリヒは行軍を続け、ブラバント・フランドル連合軍から5キロメートル離れた地点に陣をいた。


 むこうから攻めてくる気配はない。こちらから近づいたところで一気に丘から攻め下る戦略なのだろう。

 高地から攻め下る方が勢いに乗って有利なのは戦術の常識だ。見え見えだが効果的ではある。


 さてどう料理してやろうか…

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