第63話 下ロタリンギア平定(1) ~ロートリンゲン十字~

 上ロタリンギアの地方領主は、いささか強引とはいえ、なんとか抑えることができた。


 下ロタリンギアであるが、中でも有力なのは、ブラバント公、ルクセンブルク伯と、それになんといっても地方領主のとりまとめ役であるライン宮中伯プファルツである。

 また、宗教的な有力者としてケルン大司教、トーリア大司教とヴェルダン、メス、トゥールから成る「三司教」がいる。


 これらに対する対応をどうするか…


 堅実に行くのであれば、これまでどおり情報戦で下ロタリンギアの勢力を分断しつつ、上ロタリンギアの内政を堅固に固めていく守りの一手だろう。

 しかし、戦勝の勢いに乗じて下ロタリンギアを一挙に制圧する手も捨てがたい。これには相手に再度結束する時間を与えてはならず、短期戦となるだろう。


 フリードリヒは、副官のレギーナ、参謀のアビゴールと再び今後の策を協議する。


 アビゴールが開口一番言った。

あるじ殿。簡単ですぞ。暗黒騎士団ドンクレリッターの力をもって再び団結される前に、先手を打って各個に踏み潰していけばいいのです」


 ──おまえはそう言うと思った…


「おまえは再びやつらが攻めてくると思うか?」

「今回のいくさの一番の首謀者はブラバント公と聞いております。

 公は自尊心が高いお人柄とか。ゆえにおそらく今回の敗戦は許せないでしょう。

 それにご高齢ため、長い時間をかけて戦の準備をすることもかないますまい。

 そう遠くないうちに必ず再戦に至りますぞ」

「そうだな…」


 レギーナが発言する。

「相手は6年前にヘルミーネ様に結婚を申し込んだというあのブラバント公です。おそらくはその頃から上ロタリンギアに勢力を伸ばすことも考えていたのかもしれません。

 公の性格からして、嫁に逃げられたことを未だに根に持っている可能性もありますし、その嫁をフリードリヒ様が横取りした形になりますから、恨みは増している可能性もあります」


「遅かれ早かれブラバント公とは決着をつける必要があるということか…」

「おそらくは」


 ──この老害じじいめ。


「それであればやつに時間をくれてやる必要はない。短期決戦だな。

 しかし、問題が一つある。相手は帝国内の領土だ。これを私利私欲で武力を持って奪ったとなると帝国軍の介入を招く恐れがある。

 先のいくさ復讐戦ふくしゅうせんとか、防衛のための先制攻撃とかいろいろ言い方はあると思うが、大義名分が必要だ」


 3人はしばし考え込む。


 するとアビゴールが意外なことを発言した。

「下ロタリンギアには教会勢力が多くあります。これを取り込んで彼らがモゼル公の庇護ひごを求めたという形を作るのです。

 暗黒騎士団ドンクレリッターは聖なる軍隊、いわば十字軍のようなものです。相手は蛮族ばんぞくでないとはいえ、ロートリンゲンの秩序ちつじょを乱す勢力と言えます。これを十字軍に準じた暗黒騎士団ドンクレリッター討伐とうばつするという形をとるのです」


 ──おまえ。悪魔のくせにそんなことよく考えつくな。


「それは面白い。レギーナはどう思う?」

「いい考えだと思います。こちらにはベアトリス様がいらっしゃいますから、マインツ大司教のルートを使って働きかけもできますし、実現可能性は高いですね」


 そこでフリードリヒはあることを思いついた。ロートリンゲンはフランス語ではロレーヌと言い、ドイツとフランスの間で揺れ動いた地方でもある。

 この地方では、15世紀以降、十字に短い横棒を一本足したロレーヌ十字というものが用いられる。これを2百年先取りして使ってしまおう。


「わかった。それで行こう。

 そこでだ。それに当たっては、新しい旗印はたじるしを使おうと思う」


 フリードリヒは、ロレーヌ十字を2人に示して言った。

「名付けてロートリンゲン十字だ」


「十字軍とは差別化しつつ、聖なる軍隊であることを示すしるしとして最高ですわ。さすがはフリードリヒ様」

 とレギーナがフリードリヒをめ上げた。


 ──本当はただのパクリなんだけどね…


    ◆


 ベアトリスに今回の戦略を相談すると、二つ返事で同意してくれた。

「帝国人同士であらそうなどという不幸なことが起きないようにするためには、フリードリヒ様の庇護ひごを求めるのが一番です。下ロタリンギアの人たちはきっとわかってくれますわ」


 義父のマインツ大司教のもとにベアトリスと一緒に向かう。

 念のためミカエルも同道させている。


 マインツに向かう馬車の中でベアトリスが不機嫌ふきげんに言った。

「ミヒャエルさん。なんであなたが一緒いっしょなんです?」

「旦那様がわらわがいないと寂しいと言うてきかなくてな」

 というなりミカエルはフリードリヒにひっついてくる。


「フリードリヒ様。本当なのですか?」

 ベアトリスの目がかなり怖い。


 ──まさか本物のミカエルとは言えないしな…


「いや。君一人だけだと皆が嫉妬しっとするだろう。君のことを思ってだ」

「まあ。そうなんですね。フリードリヒ様…優しい…」

 と言うとベアトリスもひっついてきた。


 ──珍しく素直だな…


 女は体温が高いから二人もひっつかれると鬱陶うっとうしいのだが、ここは我慢がまんだ。


 やがてマインツの司教座に着いた。

 大司教との会見の場にはあえて聖堂内を選んだ。もちろん考えがあってのことである。


 最初はベアトリスに話をさせる。

「お父様。お願いがあるのです」

「突然何なんだ? 下ロタリンギアのこともあって今は忙しいのだろう」


「そのことです。下ロタリンギアの民は聖なる軍隊を統括するフリードリヒ様の庇護ひごを求めるべきです。

 お父様からも下ロタリンギアの教会に働きかけていただきたいのです」


 大司教はフリードリヒをにらみつけながら言った。

「闇の者を引き連れている軍隊にミカエル様の加護などあるはずもなかろう。僭称せんしょうするのもたいがいにすることだな」


「それは…」

「ソロモン王の例があるというのだろう。其方そなたがソロモン王を引き合いに出すなど千年早いわ!」


 あいかわらず嫌われているな。ここは最後の手しかないか…


「では、ミヒャエル様にご降臨いただきましょう」

其方そなた何を申して…」


 フリードリヒが聖堂内にあるミカエルの像にいのりをささげると、像が実体化し、ミカエルの姿となった。

 その背からはまばゆい後光を放っている。


 大司教はあまりの驚きに腰をかしてしまい、床をいつくばっている始末である。


「我は大天使ミカエル。

 我はかの者に賊徒ぞくとを討伐するための加護を与えた。

 なんじら神を信ずる者はかの者を助けよ。

 これは神のご意思である」


 大司教は過呼吸になっているらしく、何度も「ひっ」と言いながらまともな言葉を発することができない。


 ベアトリスが大司教に駆け寄り背中をさすってやるとようやく落ち着きを取り戻した。


「本物だ…生きている間にミカエル様に会えるとは…」と感動に打ちふるえる大司教。


「だからフリードリヒ様を見くびるなと言ったじゃないですか」

 ベアトリスはあきれ顔である。


「わかった。わしから下ロタリンギアの大司教らに親書を書こう。ついでに使者も同行させる。それでいいだろう?」

「十分です。ありがとうございます。義父上ちちうえ様」


    ◆


 一度、ベアトリスとともにナンツィヒに戻ると、下ロタリンギアの大司教らに先触れの連絡を出し、お忍びで会見したい旨を申し入れた。

 もちろんマインツ大司教の推薦すいせんがあることも申し添えてだ。


 まずは、最も権威けんいのあるケルンの大司教からである。

 使者がいなければテレポーテーションで行けば簡単なのだが、いるといないとでは重みが違う。ここは我慢するしかない。


 馬車にはミカエルとマグダレーネことアスタロトが同行する。

 馬車の外には火竜のセバスチャンが執事の恰好で騎馬して従っている。


 お忍びで目立ちたくないので、馬車は目立たないものにしてある。

 大司教の使者の立派な馬車を先頭に押し立てているので、教会の一行のように見えるだろう。


 警備には教会所属の騎士が数名いるが、このほかにアスタロト配下の悪魔を10名ほど人に見えないように隠形おんぎょうさせて従えている。


 馬車の中ではフリードリヒの左右からミカエルとアスタロトがひっついたまま一言も話さない。

 気まずい雰囲気だが、この場を打破できるような会話術をフリードリヒは持ち合わせていない。


 ずいぶんと時間がって、アスタロトがポツリと言った。

「このようなまねをして、神とやらは怒らぬのか?」


 ミカエルはソッポを向きながら答える。

「神は全てを見通しておられる。神が望まぬならばそもそもこのような展開には及ばぬはずだ」


「ふーん」

 アスタロトは興味なさそうに相槌あいづちを打った。


 結局、馬車の中での会話はそれだけだった。


    ◆


 やがてケルンの司教座に着いた。

 大司教との会見の場にはマインツと同じく聖堂内を選んだ。


 フリードリヒのかたわらにはアスタロトが控えている。

 大司教はアスタロトの妖艶な美しさに目をかれたようだ。


 数舜後、我に返ったようなのでフリードリヒは話を始める。

「大司教。本日は会見に応じていただき誠にありがとうございます」

其方そなたがモゼル公か? 若いな」


「恐縮です。ところでマインツ大司教のご使者の方からも話があったと思いますが、こちらがマインツ大司教からの親書でございます。目を通していただけますでしょうか」


「うむ」

 ケルン大司教は親書を受け取ると目を通した。


「内容は理解した。しかし、大天使ミカエルの加護などという途方とほうもない話。にわかには信じられぬ。

 マインツ大司教は其方そなたの親戚筋なのであろう。

 であれば、話が盛ってあっても不思議ではない」


「親書に書いてあることは全て真実でございます」

「バカな。実際に大天使ミカエルが降臨したなどたわけたことを…」


「では、ミヒャエル様にご降臨いただきましょう」

「何っ…」


 フリードリヒが聖堂内にあるミカエルの像にいのりをささげると、像が実体化し、ミカエルの姿となった。

 その背からはまばゆい後光を放っている。


 ケルン大司教の反応は気丈きじょうだった。

 ひざまずいて熱心に祈っている。


「我は大天使ミカエル。

 我はかの者に賊徒ぞくとを討伐するための加護を与えた。

 なんじら神を信ずる者はかの者を助けよ。

 これは神のご意思である」

「承知いたしました。身命しんめいしまして神のご意思を遂行すいこういたします」

 ケルン大司教はきちんと答えている。


 ミカエルの姿が消えるとケルン大司教は大きく息を吐いた。

 相当に緊張していたのだろう。


 フリードリヒの方を向くと頭を下げこう言った。

其方そなたのことを疑って済まなかった。しかし、其方そなたは一体何者なのだ?」

「ただの敬虔けいけんなキリスト教徒ですよ」


「そうか…?」


    ◆


 次のトーリア大司教のもとにはケルン大司教が自ら同行してくれることになった。それだけ感動が大きかったのであろう。


 大司教の一行ということで立ち寄る町々で歓待され、目立つことこの上なかった。

 ただ、フリードリヒの身分がバレることはなかった。目立つ中の方がかえって見つかり難いということかもしれない。


 トーリア大司教のところではケルン大司教が熱弁を振るい、ミカエルの出番はなかった。あまり頻繁ひんぱんに降臨させては価値が下がってしまうので、それはそれで助かった。


 ヴェルダン、メス、トゥールの三司教であるが、二人の司教がそろって同行することになった。教会としては、手を抜いたとあっては後で何を言われるかわからず、必死なのであろう。


 三司教は二人の大司教のそろい踏みという前代未聞の出来事に抵抗できるはずもなかった。


 最後に、フリードリヒは各教会に多額の寄付をすることを忘れなかった。ミカエルの神通力がいつまで効くかもわからないし、こういう現世利益的なことも重要だからだ。


 これで下ロタリンギアのキリスト教領地は全てフリードリヒの庇護下ひごかに入ることになった。


 さて、この次の一手はどうするかな?

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