第62話 ヘルミーネとの結婚 ~上ロタリンギアの粛正~

 順番は逆になったが、アウクスブルクからモゼル公国の首都ナンツィヒへの帰り道。バーデン=バーデンのツェーリンゲン家に報告に寄った。


 当主である祖父以下家族の前で報告をする。

「このたび、モゼル公の一人娘に求婚され、これを受けることにしました」

「なんと。公爵になるというのか。しかし、あそこは戦があったばかりで大変だぞ」


「それは全て承知の上です。私がモゼル公国を立て直して見せます」

「うむ。よくぞ言った。公爵になるからには、そのくらいの覚悟がなければ」


「姓はザクセンに変わりますが、家族のきずなは不変です。このことが言いたくて…」

「それはもちろんよ」

 祖母のカロリーネが答えた。年配者が言うと説得力がある。


 妹のルイーゼとマルティナは泣きそうな顔をしている。


「二人とも湿気しけた顔をしないでくれ。会えなくなる訳じゃないんだから。できるだけ顔を見せるようにするよ」

「約束ですよ。お兄様」とルイーゼが念を押す。

「もちろんだ」


 義母のアンナが

「フリードリヒ。今日くらいは泊っていきなさい。レギーナさんもね」

「それもそうですね。今日は甘えさせてもらいます」


 料理好きのアイリーン嫁に行ってしまったが、その日の夕食はフリードリヒとレギーナが協力して腕を振るった。


 食材は、黒の森シュバルツバルトで狩ってきたうさぎである。黒の森シュバルツバルトは、かつて知った庭のようなものだ。その程度の狩は一人でも造作ぞうさない。


 ルイーゼとマルティナは「やっぱりお兄様の料理はおいしいですわ」とはしゃいでいる。

 さっきまでべそをかいていたのに現金なものだ。


    ◆


 ナンツィヒへ戻ったフリードリヒは、副官のレギーナ、参謀のアビゴールと今後の策を協議する。


 ロートリンゲン地方は、上ロタリンギアと下ロタリンギアに分割されているが、まずはモゼル公国の属する上ロタリンギアの綱紀を粛正しゅくせいせねばならない。


 アビゴールが開口一番言った。

あるじ殿。簡単ですぞ。暗黒騎士団ドンクレリッターからすれば上ロタリンギアの地方領主など子供も同然。再び団結される前に、先手を打って各個に踏み潰していけばいいのです」


 ──おまえ。戦争は上手うまいが、政治の方はぜんぜんだめだろう!


 上ロタリンギアはまだモゼル公国の威光が完全に陰ってしまっている訳ではない。

 先の戦争に参加した地方領主たちは下ロタリンギアの領主たちにそそのかされたという側面が強い。

 それをいきなり力でねじ伏せるのはいかがなものか…


 レギーナが提案した。

「いきなり討伐するのではなく、一度だけ改悛かいしゅんの機会を与えてはいかがでしょうか。それでもダメな場合は討伐すればいいのです」


 ──さすがレギーナさん。いいことを言う。


「そうだな。近々ヘルミーネと仮初かりそめの結婚式を行い、そこでモゼル公の襲名しゅうめいを宣言しようと思う。

 その場に各地方領主を呼びつけ、服従の宣誓書にサインをさせるというのはどうだ?」

「それはいい試金石になると思います。それで結婚式にかけつけなかったり、サインを拒否したりした者について討伐を含めた対応を検討すればいいのです。」


「甘いな。あるじ殿。それで時間をかけている間に敵が軍備を整えたら後悔することになるぞ」

「その時こそおまえの出番だ。おまえの軍略をもってすれば、地方領主ごときが軍備を整えたところで、打ち破ることもたやすいだろう?」


「それはもちろんだ。何だったら私の軍団からいくらでも派遣するぞ」

「それは頼もしい。その時は頼むぞ!」

「あいわかった」


 ──なんだかアビゴールの操縦法がわかってしまった。こいつはとにかく戦争が好きなのだ。


    ◆


 早速に準備を始める。

 アビゴールの言うことももっともなので、地方領主たちが再集結しないようにうわさを流す。


 再集結するとすれば、核となるのは下ロタリンギアのブラバント公、ルクセンブルク伯、ライン宮中伯プファルツあたりだから、彼らが疑心暗鬼になるよう相互に抜け駆けをしているという風評をタンバヤ商会やハンザ商人を使って流す。


 もちろん彼らの動きはタンバヤ情報部の人間を使って詳細に把握しておく。


 また、ロートリンゲン地方全体に暗黒騎士団ドンクレリッターの評判を広める。

一、暗黒騎士団ドンクレリッターは大天使ミカエルの加護を受けた神聖な軍隊である。

一、神からたまわった不可思議で強力な武器を使う。

一、強大な力を持つ闇の者、すなわちダークナイトがいる。

一、竜を使役しえきする強力な従魔士がいる。

 云々うんぬんかんぬん。


 今回、竜の出番はなかったがその他については多くの目撃者がいる。その分だけ信憑性しんぴょうせいも高まるだろう。


    ◆


 フリードリヒは上ロタリンギアの地方領主全員に結婚式の招待状を出した。期日は1月後。

 貴族の結婚式は準備に時間がかかるということもあるが、本音ほんねうわさが十分に広まると思われる期間を置いたのである。


 そして結婚式当日がやって来た。


 地方領主たちは、それぞれお祝いの品を持参してきている。

 その内容で忠誠度が計られるとあって、当人たちは真剣そのものである。


 これに対しては、その価値に倍する返礼品を持たせて帰す予定である。ここはタンバヤ商会の会長で商工組合総連合会会長でもあるフリードリヒの財力をアピールする場でもあるからだ。


 結局、結婚式を欠席したのは3名だけだった。この対応は後ほど検討しよう。


 結婚式は、ナンツィヒの大聖堂で行われた。

 型どおり儀式が進む。


「新郎フリードリヒ・エルデ・フォン・ツェーリンゲン、あなたはヘルミーネ・フォン・ザクセンを妻とし、健すこやかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、妻を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

「はい。誓います」


「新婦ヘルミーネ・フォン・ザクセン、あなたは、フリードリヒ・エルデ・フォン・ツェーリンゲンを夫とし、健すこやかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、妻を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

「はい。誓います」


 儀式は無事終わり、服従の誓約書へサインが行われる。

 多数のダークナイトの護衛が整列する会場で行われた。


 フリードリヒも結婚式とは打って変わって、黒ずくめの軍装に白銀のマスクをしたアレクの格好をしている。

 白銀のマスクがいつにも増して不気味さを増しているようにも見える。


 各地方領主は一人ずつダークナイトが整列する前を通ってフリードリヒの待つ、テーブルに向かう。

 どの領主も極限までに緊張した表情をしている。


 フリードリヒは無表情に言う。

「その誓約書の内容を確認したらサインしてくれたまえ」


 誓約書には「いつ如何いかなる時も身命をしてフリードリヒ・エルデ・フォン・ザクセンに忠誠をつらぬくことを神に誓約する」と書いてあった。


 この文面ではほぼ全面的な服従を意味する。

 各地方領主は躊躇ちゅうちょしながらも結局全員がサインした。


 その夜。

 結婚披露の晩餐会ばんさんかいとなった。


 各領主は通り一遍のお祝いの言葉をかけてくるが、心がこもっていないことは見え見えだ。

 しかし、今日のところはやむを得ない。

 信頼関係はこれから時間をかけて築いていくしかない。


 宴が進み、一人の悪酔いした地方領主が話しかけてきた。

「しかし、モゼル公。うらやましい限りですな。逆玉とはまさにこのことですぞ」


 ──なんと失礼なやつだ!


 フリードリヒは腰の剣に手をかける。

 その瞬間、アダルベルトが男のボディをすさまじい勢いで殴りつけた。


 男は数メートルも吹き飛ばされ、胃の内容物を嘔吐おうとしている。

「何をする!」と領主の護衛たちが戦闘態勢を取る。


 するとフリードリヒの横で護衛をしていたマグダレーネことアスタロトが言い放った。

「あなたたち。モゼル公が剣に手をかけていたのが見えなかったの。ヴァイツェネガー卿が殴りつけていなかったら、今頃首が飛んでいたわよ。命拾いしたわね」


(あれは単に脅すつもりで…)とは言えなかった。


 とりあえず場は治まった感じだし、まあいいか。


 へんなオマケはついたが、晩餐会ばんさんかいは大過なく修了した。


    ◆


 さて、問題は欠席した3名の領主たちだ。

 3名は、ヴィンツェンツ・フォン・フィンクという小さな町の男爵、アルマント・フォン・ホーフマイスターとアルノー・フォン・ベルネットは中規模の町の子爵だった。


 タンバヤ情報部に調査させるとフィンク男爵は極端な臆病者で、暗殺を恐れて出席できなかったらしい。


 後の2名は自信家で、籠城ろうじょうすれば暗黒騎士団ドンクレリッターに攻め込まれても耐え忍べると踏んだようだ。

 確かに城が落とせなければ暗黒騎士団ドンクレリッターの評判は地に落ち、今回苦渋の誓約をさせられた者たちが援軍に回る可能性もある。


 また、二人の町は隣り合っており、お互いに連携れんけいを取っている節もあった。


 フリードリヒは暗黒騎士団ドンクレリッターの半数を率いると、良い機会なので関係のない町も行軍してその姿を見せつけて回った。


 行軍の先頭には金色ピカに刺繍ししゅうをした十字の旗を先頭に置いている。神聖な騎士団であることを強調するためである。要は、戊辰戦争の時のにしき御旗みはたのようなものだ。


 そしていよいよヴィンツェンツ・フォン・フィンク男爵の町が迫ってきた。


 すると、馬が疾走しっそうして来たかと思うとフィンク男爵からの使者だった。

「男爵は暗殺を恐れて出席できなかっただけで、モゼル公国に対する叛意はんいなど微塵みじんもございません」

「しかし、暗殺を恐れるとは私を信用していないということだろう」


「そ、それは男爵が極端に憶病なだけでして…」

「とにかく本人に会ってみないことには何も判断できない」


「それだけはどうかご容赦を」

「ここまで来て合わずに帰るなどできるはずがなかろう!」


 珍しくフリードリヒが怒鳴ると、使者が観念したらしく「とにかく、その旨は伝えます」と言って戻って行った。


 町についてみると、門が開け放たれており、確かに抵抗の意思がある様子はない。千里眼クレヤボヤンスで辺りを探ってみるが伏兵もいないようだ。


 先ほどの使者が出て来て領主の城まで案内するというので付いていく。


 領主の間に着くと男爵らしき初老の男はブルブルと震えており、挨拶あいさつをしようとしているらしいが、「あ」とか「う」とか言うばかりで言葉にならない。


 するともう少し年若い青年が進み出てきた。

「モゼル公。お初にお目にかかります。私は息子のジーメオンと言います。父はこのような状態でして、結婚式に出席することがかないませんでした。どうぞ非礼をお許しください。

 誓約書はこの場で記入させていただきます。」

「そうか。ならば許そう。それにしても男爵はそろそろ引退されてはいかがかな?」

「性格はああですが、通常の政務はとても優秀なのです」


 ──人それぞれ事情があるということか…


「わかった。これ以上立ち入ったことは言わない。今後とも公国に忠誠を尽くしてくれ」

「ははっ」


    ◆


 とりあえずフィンク男爵の件は片付いた。

 残るは2子爵の町である。


 とりあえずは距離的に近いアルマント・フォン・ホーフマイスター子爵の町へ向かう。


 挟撃に備えセイレーンたちに指示を出す。

「マルグリート。君たちと配下の鳥たちで上空からベルネット子爵の町に動きがないか探ってくれ」

「わかったわ」


 ホーフマイスター子爵の町へ着くと門が固く閉ざされ、外壁の上には弓兵が既に配置されている。

 徹底抗戦するつもりのようだ。


「アビゴール。どうする?」

「とりあえず大砲の5・6発も打ち込んで様子を見てはどうです?」


 ──おまえ軍略家だろう。なんか適当じゃない?


 まあいい。あまり人は殺したくないからホルシュタインの時のように少しずつおどしをかけていくか…


「砲兵隊。城門と城内に砲弾を5・6発お見舞いしてやれ。撃てファイエル!」


 カノン砲の砲弾は激しい爆発音とともに簡単に城門を破壊した。

 また、榴弾砲りゅうだんほうの砲弾は上空から城内の建物に命中し、建物は半壊した。


 爆発に巻き込まれた兵たちの悲鳴があちこちで聞こえる。


「何だあの武器は? あれが神のたまわったという武器か?」

 城内の兵は当惑している。


「アビゴール。城門が空いたから城内に突撃することもできるがどうする?」

「ここは敵が場外に打って出るところを狙い撃ちにした方がいいでしょう。

 城内には大砲を打ち込んで敵を追い込みましょう」


 ──なんだか軍略家らしいじゃないか。


「よし。打って出る敵を狙い撃てるように体型を組め!

 砲兵隊は榴弾砲りゅうだんほうで上空から砲撃だ。撃てファイエル!」


 砲撃は続き、城内の建物が次々と倒壊していく。

 ついに、ときの声とともに敵が城外に打って出てくる。


 しかし、城外に出た者から順次狙い撃たれ、死傷者が城門前に次々と積み重なっていく。


 それでも打って出る敵の流れは止まらない。


 ──バカな。全滅させるつもりか?


 フリードリヒは、フリージアの魔法を発動すると城門を分厚い氷でふさいだ。


 その時、見張りをしていたマルグリートがやって来た。

「ベルネット子爵の軍隊が町から出撃したわ」

「わかった」


 ──これをあてにして自分たちがおとりになっていたということか?


「ペガサス騎兵、魔導士団と竜娘たちはベルネット子爵の軍を迎え撃ってくれ。頼むぞ」

「了解しました」


 ペガサス騎兵らは早速空中に飛び立っていく。


 ベルネット子爵の軍隊の方は、ペガサス騎兵の炸裂弾さくれつだんと魔道部隊の火や氷の矢の雨にさらされ、最後に竜たちのブレスによって散々に叩かれると、早々に城内に逃げ帰ってしまった。


 マルグリートがフリードリヒに報告する。

「ベルネット子爵の軍は城内に撤退したわ」

「よし」


 フリードリヒは、風魔法に載せて自らの声を城内に届ける。

「ベルネット子爵の軍は我が軍が撃退した。もう援軍はこないぞ。

 降伏するのならば1時間だけ待ってやる。それまでに結論をだせ」


 そろそろ1時間。降伏はないのかとあきらめかけた時、城から白旗が上がった。降伏の合図だ。


「よし。兵たちは武装解除して城外に出てこい!」


 武装解除した兵が次々と城外に出てくる。暗黒騎士団ドンクレリッターの兵はこれを次々と拘束していく。


 中から指揮官らしき男が出てきた。

「ホーフマイスター子爵はどこだ?」

「まだ、執務室におられる」


「案内しろ」

「わかった」


 子爵の執務室に入ると、子爵は短刀で自らの頸動脈けいどうみゃくを切って自害していた。


 ──ちっ。降伏すれば助けてやったものを…


 これだから変にプライド高い者はダメなのだ。自分のプライドのために一般兵を犠牲ぎせいにするんじゃない!


 一方のベルネット子爵は、ホーフマイスター子爵が自害したと知ると素直に降伏してきた。


 これで一通りのかたが付いた形だ。

 最後に少し後味が悪かったが…


    ◆


 フリードリヒは、ホルシュタインのときのように領主の交代は行わなかった。もちろんホーフマイスター・ベルネット両子爵の領地を除いてだが。


 領主の交代は、各人の忠誠や統治能力など今後の働きを見せてもらってから考えさせてもらおう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る