第10話 フリードリヒの性教育 ~あてがい女~

 この世界の貴族や大商人の家庭では、無事に子供が生まれるよう親が自身の息子に性教育の一環として女をあてがう習慣があった。

 経験を積ませるのは当然に結婚可能な14歳の成人となる前であり、おおむね10歳ころから行うのが普通であった。


 一方、あてがわれる女は家臣の伝手などから相応しい未亡人などを手配するすことができればよし、あてがない時は専門の斡旋屋に頼むこともできたが、これは当たり外れが激しいものであった。


 いずれにしても、おおっぴらにできる話ではないので、暗黙の了解のもと行われるのが常だった。


    ◆


 今年18歳となったグレーテル・ショーダーは若き未亡人である。

 父はシュバーベン大公国で代々シュタウフェン家に仕える古い家柄の騎士であった。

 母はグレーテルが10歳の時に流行り病で病死した。


 一人娘のグレーテルが14歳を迎えた時、ツェーリンゲン家とシュタウフェン家が親交ある間柄であったこともあって、ツェーリンゲン家に仕える騎士であるショーダー家の次男に嫁ぐこととなった。

 グレーテルは直ぐに懐妊し15歳のときには息子のヤーコブにも恵まれた。

 しかし、幸福は長くは続かなかった。


 グレーテルの夫は跡取りではない次男ながら武術修行に励み、実力で騎士の地位を手に入れた努力家であったが、それが裏目に出た。

 グレーテルが16歳になった時、ある大公家を巡る小規模な紛争の折、夫が真っ先に徴発されたのである。結果、あっけなく戦死してしまった。流れ矢が運悪く急所を直撃したのだという。


 息子のヤーコブは直系ではないからショーダー家には居座れない。未亡人となったからには、実家に戻るのが筋だったが、同じ紛争で父も戦死していた。

 グレーテルは、いわゆる母子家庭となってしまったのだ。


 彼女はとある商家のメイドとなり、貧しさに絶えながら必死に息子を育てる日々を送っていた。


 18歳になったある日。領主からの使者が訪ねて来た。


 ──ご領主様からの使者なんて。何だろう。


 と少し不安に思うグレーテル。


 その用件は、ある仕事の斡旋だった。

 おおっぴらにできる仕事ではなかったが、ショーダー家の誰かが貧しい生活を見かねて領主に進言してくれたらしい。


 仕事の内容は領主の息子の性教育、つまりはあてがい女になるということだった。

 それに当たり、郊外に家を一軒用意するというし、報酬も現在の収入に比べればずっといい。生活が楽になるであろうことは間違いなかった。


 相手は次男のフリードリヒ。町で女癖の悪い魔性の男との評判はグレーテルも耳にしていた。頭を不安がよぎる。

 ご領主様の依頼とあっては正当な理由がなければ断れないし。フリードリヒだって、悪い男とは限らない。

 結局、グレーテルは仕事を請けることを決断するのだった。


    ◆


 ある日。フリードリヒは父親に呼びだされた。

 父がフリードリヒに直接話とは珍しい

 フリードリヒは父親の部屋をノックする。

「フリードリヒです」

「入れ」

 父のヘルマンは何やら難しそうな顔をしている。


 しばし逡巡の後、ヘルマンは言った。

「端的に問おう。お前童貞か?」

 唐突な問いにフリードリヒは硬直する。

 リャナンシーに不定期に抜いてもらったりと際どいことはしているが、最後の一線は越えていない。現世の肉体は、童貞といえば童貞なことに間違いはない。


「いちおう童貞ですが」

「なんだ『いちおう』とは…。まあいい。あれだけの少女たちを囲っておきながら童貞とは、やり方がわからないとか、そういうことか?」

 既婚者で子持ちの前世の記憶を完璧に保持しているフリードリヒとしては、当然に知っているわけだが、それをこの場でぶっちゃける訳にはいかない。

 当然、言い淀んでしまう。


「それはその…」

「まあいい」

「お前も10歳だからな。そろそろそういうことを教育する時期がきたということだ。ついては、…その…教育役を雇おうと思う」


 ──「教育役」って、噂に聞く貴族様のあてがい女ってこと…?


「もう充分です」と言いたいところだが、いい口実を思いつかない。


「はあ。そうですか」

「こういうことは相性もあるからな。お前がいやな者を無理にとは言わない。会うだけでも会ってみるか?」

「承知しました」

「では手配しておくから早速明日にでも」

「よろしくお願いいたします」


 結局成り行きで断れなかった。


 ──どんな人なんだ。三十路のおばさんとか…。でも、精神年齢アラフォーの俺だから絶対あり得ない訳ではないが、せめて義母上よりは下であって欲しい。


 翌日。教えられた郊外の家を訪ねる。

 出てきた女は二十歳より少し下くらいの感じだった。

 さすがに三十路のおばさんはなかったようだ。


 どこか儚げな雰囲気のある娘だ。客観的に見ても美人の類だと思うが、自信がなさそうな様子。自分の魅力に自信を持てていないといったところか。


「邪魔をする。聞いていると思うが、私がフリードリヒだ」

「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。どうぞこちらへ。いま飲み物をご用意いたします」


 この時代、まだお茶は普及していない。飲み物といっても、いわゆるハーブティだろう。

 勧められた椅子に座り、部屋を見渡してみる。


 家は外観から見て新築ではないが、内装は新しい、わざわざこのために整えてくれていたようだ。

 フリードリヒは、両親の気遣いには感謝する。


「お待たせしました」やはり自信なさげな声をしている。飲み物は、やはりハーブティだ。生ハーブで入れてある。

「では、いただこう」

 そう言ってハーブティを口にする。

 依然として自信がなさそうな様子だ。


「そういえば名前を聞いていなかった」

「グレーテル・ショーダーと申します」

「旦那さんとは死別したそうだね」

「ええ。本当は実家に戻るべきなんでしょうが、実家も途絶えてしまって…。未だに亡き夫の姓を名乗っています」

 いわゆ母子家庭ということだ。


「それはたいへんだったね。苦労しただろう」

「いえ。そんなことは。勤め先でも良くしていただいたので…」

 なんだか雰囲気が暗くなってきてしまった。


 どうしたらこの雰囲気を打開できるかと考え始めた矢先、「お母さ~ん」と言いながら3歳くらいの幼児が部屋に入ってきた。

「ほらほら。お部屋で待っていてって言ったでしょ。ダメよ。今大事なお客様が来ているんだから」

 一転してちゃんと芯のある感じのしゃべり方だ。

 フリードリヒは、「お母さんなんだ」と改めてそう思った。


 一方、幼児の方に目を向けると…。

 か、可愛い!ゆるふわテンパーな金髪といい、つやつやな肌といい、まるで天使のようだ。

 ヨーロッパでは、子供は7歳になるまでは天使だといわれるが、真理だと実感する。


 思わず幼児の方に駆け寄ってしまう。

「可愛い!男の子ですよね。可愛いなあ。こんな可愛い弟が欲しかったんだ」

 いつもは固いフリードリヒの口調がくだけている。


「名前は?」

「ヤーコブっていうんですよ」

 たまらずヤーコブの頭を撫でるフリードリヒ。

 ヤーコブは見知らぬ男に頭を撫でられ、少し警戒している。

「何歳なのかな?」

 ヤーコブは黙って指を3本立ててフリードリヒに示す。

「3歳かあ。ちゃんと「3」ってできるんだね。起用だね」


「お兄ちゃんだ~れ」ヤーコブは不審そうに訪ねる。

 フリードリヒは答えに詰まった。まさか「お母さんの愛人だよ」とも言えないし、そもそも3歳児に愛人の意味が理解できるとも思えない。


「お母さんと友達になりたくてきたんだ。でも、ヤーコブともお友達になりたいな」

 ヤーコブは少し考えると「うん。いいよ」と言った。

「ありがとー。じゃあお友達になった印に握手だ」

 フリードリヒが手を差し出すと、ヤーコブもそっと手を差し出してきた。


 フリードリヒはヤーコブの手をさっと握ると「あっ・くっ・しゅー。あっ・くっ・しゅー…」と握手の歌?を歌いだし、歌に合わせてヤーコブを握った手を上下させ、拍子をとる。

 最初は怪訝そうにしていたヤーコブも続けていると一緒に歌いだした。

 手を上下するアクションを大きくしていくとキャッキャッと笑い始める。

 その様子を微笑しながら見ていたグレーテルも一緒に歌いだした。


 続いて上下するテンポを徐々に速めていく。フリードリヒはわざと緊迫した表情を作り、ヤーコブの緊迫感をあおっていく。

 キャッキャッというヤーコブの声が激しくなり限界を迎える寸前、「あっ・くっ・しゅ~~~っ」と握手の歌を締めくくった。


「見たか。この手腕。俺の子育て経験は伊達じゃない」と内心自慢するフリードリヒ。

 ヤーコブは笑い転げている。

 グレーテルも声をあげて笑っている。

 しばらくして落ち着くと、ヤーコブはむっくりと起き上がり、「お兄ちゃんって面白い人だね」とニコニコしながら言った。


 そしてフリードリヒに静かに近づくと、耳元で「お兄ちゃんって、お母さんを狙っているの?」と小声で訪ねてくる。


 ──何っ「狙っている」の意味を分かっていっているのかこのガキは?わからん。


 フリードリヒはヤーコブの耳元でささやく。

「そうだよ。ヤーコブも応援してくれると嬉しいな」

 ヤーコブはしばらく考え込み、フリードリヒの耳元に小声で「わかった」と答えた。


 そのやり取りを見て、グレーテルは「何をしゃべっていたの」と突っ込みを入れてくる。


 ──おっ。さすがにお母さんだな。


 「秘密だよ」ヤーコブが答える。

 フリードリヒもこれに合わせる。

 「秘密だよ…」

 「「ね~~~っ」」最後は2人で声を合わせた。


「ええっ。教えてくれないとお母さん寂しいな」ちょっとわざとらしくグレーテルが演技する。

「大丈夫。悪いことじゃないよ」とヤーコブが真面目に答える。

「そうなの。それならいいけど」今度はグレーテルも普通に答えた。


 それから夕刻近くまで3人で楽しくすごした。

 帰りがけ、ヤーコブがブンブンと勢いよく手を振りながら「また来てねーっ。絶対だよーっ」と叫んでいる。

 フリードリヒも微笑しながら手を振り返す。

 ああ。楽しかった。フリードリヒは、前世の子育て時代に戻った気分になった。


 よし。方針は決まった。まずはヤーコブと仲良しになることが最優先。

 将を射んとする者はまず馬を射よだ。

 そうすると子供用玩具も開発が急務だな。


    ◆


 それからフリードリヒはおよそ週1回のペースでグレーテルのもとに通うようになった。

 リャナンシーとの関係も今更解消しようもなかったし、なによりフリードリヒ自身がグレーテルに深入りしてしまうことを警戒したからだ。


 フリードリヒが訪れるときは、決まって差し入れを持ってきた。

 報酬は実家から出ているので、金銭ではなく、物がいいと思ったのだ。


 夕食向けの食材に加え、ヤーコブ用のお菓子や玩具が定番となっていた。


 だが、フリードリヒが真っ先にプレゼントしたのは、シャンプー・トリートメントや椿油と石鹸だった。

 義母や姉妹の髪のお手入れを日常的に行っていたフリードリヒとしては、グレーテルの髪や肌の色つやが気になったのだ。


「フリードリヒ様。これは?」

「シャンプー、トリートメントと椿油、それに石鹸だ。石鹸は体用と顔用の2種類だね」

「それってタンバヤ商会で売っている高級品じゃ…」

「ああ。あそこは私が経営しているんだ。タダみたいなものだから気にしないでくれ。私が髪を洗ってあげるよ」

「でも、それでは…」


「姉妹たちにもいつもやってあげているんだ。もうベテランだから心配ない」

「お風呂を借りられるかな」

「えっ。お風呂は…用意していないのですが…」

 グレーテルの顔が少し青ざめている。この時代、井戸から水を運び、薪を燃やして沸かすのが普通だったから風呂を用意するのは重労働だ。


「じゃあ私がやるよ」

「私も手伝います」

「1人で十分だ。君はゆっくりしていてくれ」

「わかりました。」不承不承引き下がるグレーテル。

「ごめんね。魔法でやれば楽勝だから」と内心で謝るフリードリヒ。


 水魔法で湯船に水を入れ、火魔法で沸かす。

 おっと。熱すぎたか。沸騰させるのは簡単だけど、ちょうどよい温度に温めるには精密な魔法操作が必要だな。いい練習になる。

 3分もかからずに準備が終わってしまった。

 それだと不自然なので、10分ほど時間を潰す。


「終わったよ」

「ええっ。もうですか!?」

「なに。ちょっとしたコツがあるんだ」


 フリードリヒはグレーテルの髪の手入れをしてあげた。

「う~ん。1回だと効果がいまいちだな」と思う相変わらず完璧主義なフリードリヒ。


「鏡で見てごらん」

「わあ。凄いです。こんなに綺麗になるんですね」

「まだ1回目だからね。続けていくともっと綺麗になるよ」

「本当ですかぁ」とはしゃぐグレーテルを見て、「女の子だなあ」と感じるフリードリヒであった。


 そんなことで一月が過ぎた。


 ──よしっ。これで完璧だな。


 髪の仕上がりに満足するフリードリヒ。

 しかし、はたと気づく。


 しまった。本来の目的をすっかり失念していた。これでは若き未亡人に貢いでいるだけの貢君(死語?)ではないか。

 本来の役割を果たせていないグレーテルは罪悪感を感じているかもしれない。悪いことをした。


「そのう…今日はいろいろ教えてもらおうかな」

「わかりました。こちらへ」

 覚悟はとっくに決まっているとばかりに静かに寝室へ向かうグレーテルをフリードリヒが追う。


「あの。私、結婚してすぐに子を授かってしまったので、あまりよく知らないんです」

「大丈夫。問題ないさ」

 前世で既婚子持ちのフリードリヒは、そっちの知識は完璧なのだ。


 そしてその夜。フリードリヒは現世での童貞を卒業した。卒業に感慨はなかった。それよりもグレーテルと結ばれた喜びの方がずっと勝っていた。


 翌朝。

「あのう。フリードリヒ様は本当に初めてだったのですか?」

「ああ。そうだが」

「信じられません」

「いろいろ予習してきたんだ。頑張ったんだぞ」

「私、あんなにはしたなく乱れてしまって…。フリードリヒ様のせいですっ」ポカポカ。

「いや。私のせいか…」ニヤニヤと笑うフリードリヒ。

「2人の関係はまだこれから深めていくのだ」と思うフリードリヒであった。


    ◆


 フリードリヒはもうすぐ12歳。

 グレーテルとの仲は順調に進展していた。

 秋にはアウクスブルグの学校へ行くことを決めている。

 フリードリヒは完全にグレーテル親子に情が移っており、自腹を切ってでもアウスブルグへ連れていこうと考えていた。


 問題はその先。

 フリードリヒが成人を迎え、結婚ということが見えてくれば、一時金でも渡してポイっと捨てられるのが通常のあてがい女の運命だろう。

 しかし、フリードリヒは、どんな形であれグレーテル親子の面倒を見続けるつもりだった。


 グレーテルは身分が低いとはいえ騎士爵家の出身だから結婚という選択もないではない。

 一方、ヤーコブの行く末も考えてやらねばならない。できれば将来的には実家のヨーナス騎士爵家を復活させて当主に据えてやりたいところだが、今のフリードリヒの力では厳しい。


 やはり今後は出世して力を手に入れることも念頭に活動すべきだな。社会的にも力がないと親しい者が守ってやれない。

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