第3話 基礎

そうしてネモによる指導が始まったが、最初は本当に基礎の基礎から始まった。

格闘術は格闘以前の体づくりとして基本的な型と体力トレーニングの繰り返しで教会の鍛錬との組み合わせによりいつも限界ギリギリまで追い込み、ネモ特製ドリンクを飲むと疲労が回復するということを繰り返し、基礎体力を急激に増強させていった。


魔術は瞑想で集中力を養い、まずは体内に流れるウィスの循環に意識を向け、そして自身の外側にエレメントがあることに気付くことから始めた。エレメントの流れに気付くと、ネモが魔術を発動する時の魔力の流れも感じることができるようになり、次第に体内の魔力を感じ取り、そしてウィスとエレメントを混ぜて魔力へと変換することを覚えていった。


学問は王国と教会の歴史や文化、他国との関係や算術など幅広い分野を扱ったが、アルクスにとっては今まで読んできた本に書かれていることがほとんどだった。


「アルクス君、君の知識はとても多いと思うよ。でも、ただ知っているだけだと何の役にも立たないということがこれから少しずつわかっていくはずだよ。知るだけではなく、何故そうなったのかという背景を考える様に意識すると理解が深まるし、応用が聞くようになる。そうすれば君の大好きな読書から学べることも増えると思うよ。君の知識が上手くつながることで、それがいずれ偉大な知恵となることを期待してるよ。」


アルクスはネモの指導が始まれば、急激に成長できるものだと考えていたがウィルトゥースも同様に基礎から固めていったことを聞き、焦らずに着実な成長をすることに集中した。

基礎を学び、現実を知れば知るほど、兄との距離、そしてネモとの距離の大きさがよくわかってきた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 


数ヶ月後



「やはり兄様の様に上手くは行かないですね…」

アルクスはこの数ヶ月で着実に成長を重ねていたが、以前ウィルトゥースが見せてくれた力と自分の力の差を知り、少し焦りを覚えていた。


「おや、今日もウィル君と比較してるね。本当に君はウィル君が大好きだね!そうだね、君の身体能力は当時のウィル君よりも劣っている。でも集中力はウィル君と同じかそれ以上あるし、知識だったら圧倒的に君の方が多いよ。ウィル君と比較するよりも自分で目標を決めてそこに向けて頑張った方が良いんじゃないかな。まぁ、焦らないことだね。じゃあ、今日もまずは瞑想から始めようか!」


 教会は権威を保つためにも実力のある魔術師の囲い込みを行っており、採用活動だけでなく、教育活動にも熱心であった。小さいうちから基礎をしっかり学んでおくことで、成長時に才能が開花するという理論が有力なため、教会では併設している学校で文字の読み書きや算術などの最低限の一般教養とゲネシスの教義を教える基礎教育を行なっていた。

 王国内の一部の層では基礎教育に特に力を入れており、一般教養だけではなく家庭教師をつけ一歩進んだ学習を行なっていた。

 アルクスも司教の息子ということでつい先日から教会から派遣された家庭教師により、基礎教育を行っていた。以前は教会の学校で学ぶことも多かったが、自身で学ぶ姿勢があり、学校よりも早い学習速度で進めていたため、自然と足が遠のいていた。最近ではクレメンテクスの要請により、自分よりも歳の低い子ども達に教えることもあるくらいだった。

 ウィルトゥースも以前同様の基礎教育を受け、その後王立学園にて武術面の才能が開花したため、晴れて騎士団への採用となった。

 その際クレメンテクスは息子が教会ではなく騎士団に入団したことを非常に悔しがっていた。


 「瞑想の時に何かに意識をとられていると、それはただの休憩だね。ちゃんと自分のことに集中しようか。」

 アルクスは兄のことを考えていたことを指摘され、再度集中する。


 ネモ曰く、神様からどんなにすごいラピスやアルカナを授かろうとも、魔力をうまく使いこなせなくては意味がないという。

 瞑想では自身の体内に流れるウィスと空気中に漂うエレメントを感じ取ることが第1段階、次にエレメントを取り込みウィスと混ぜ合わせて自分の魔力へと変えるのが第2段階だという。


 「ふーむ、魔力が淀みなく循環しているね。そろそろ次のステップへと進んでも良いかな。」


 「本当ですか!やった!」


 「ほらほら、魔力の流れが乱れたよ。感情によって左右されない安定した魔力運用を覚えないと、いざという時に役に立たないからね。」


 アルクスは第2段階まで進んだものの、まだまだ感情によって左右される状況が続いていた。

 魔力の循環と思考を切り分けるためにはまだまだ遠い道のりがある。


 「じゃあ次のステップに進む前に基本を振り返ろうか。まずおさらいだけど、魔力とは一体何だい?」


 「空気中のエレメントを体の中に取り込んで、エレメントと自分のウィスを混ぜたものです!」


 アルクスは最初のうちは目に見えないエレメントが一体何かがわからず、エレメントを感じ取れるようになるまで瞑想の第1段階に数週間、魔力を練れる様になる瞑想の第2段階まで数ヶ月かかった。

 一般には第1段階に数ヶ月、第2段階に1年以上かかることもあるため、非常に早い成長速度であり、ウィルトゥースもこれほど早く魔力を練ることはできなかったが、ネモはあえてそれをアルクスには伝えていなかった。


 「そう、エレメントと魔力は違うものなんだ。魔力の量は人によって作れる量が違うという話もしたね。では魔術とは一体何かな?」


 「それは神々から授かったラピスに魔力を注ぐことで溢れてくる力です。」


 神々は生命が生まれる時、一人一人にラピスを授けてくれると言われている。

ゲネシスでは神々が与えたラピスがあるからこそ、選ばれし人々は魔術を使いこなし、与えられた役割をこなしていけるのだと教えていた。


 「概ね間違ってはいないけど正しくはないかな。教会では創造神様から与えられたラピスに魔力を集め、魔術を具現化するイメージを描き、イメージに対応した言葉を口にすることでそれが現実になると教えている。では魔術が使えない人はなぜ使えないのかわかるかな?」


 「神様からラピスをもらえなかったからでしょうか」


 「そう、それが一番の理由だと言われている。でも少し違いがある。ラピスがなくても基本的な魔術を発動することはできる。基礎魔術と呼ばれる小さな火を起こしたり、飲み水を生み出したりね。才能と魔力があれば炎の矢を作ったり、風の刃を生み出したりもできる。しかしラピスの力を用いた応用魔術と比較するとその威力の差は天と地ほどもある。まぁ、基礎魔術でも一般生活や弱い動物退治には困らないけどね。」


魔術はラピスから生まれるという教えに対して、ラピスがなくても魔術を行使することができるという矛盾にアルクスは頭を捻っていた。


「悩んでいるようだね。答えは簡単、魔術にラピスは必要ないってことさ。でもそれを認めてしまうと困る人達がいるから、魔術にはラピスが必要だと教えているんだ。ではラピスの役割とは一体何か?

それは基礎魔術が正しく扱えるようになったら次の段階で教えてあげる予定さ」


「それならラピスをもらえなくても、一般人が生きていく上では問題はないのでしょうか?」


アルクスは素朴な疑問を口にした。


「いや、そうとは限らない。特に創造神様に対する信仰心の篤いこの国、特に王都ではラピスを持たない者やラピスを持ちながらも魔術を使えない者は一般国民とはみなしてもらえないんだよ。あとは、創造神様以外からラピスを授かった他国出身の人達の扱いもあまり良くないね。ラピスを持たないものは神様から一生に一度の祝福がなかった、神様から見放されたという見方をすることで他の人達は神様に見守られているとでも思いたいのかもね。」


ネモは教会関係者がそこまで言って良いのかと思われるような言葉をよく口にしていた。だが、それが本質をついたことであることをアルクスは理解していた。


「さて、魔術を使えない理由に話を戻そうか。使いたい魔術の属性の適性がなかったり、喉をつぶされたりして声を出せないときも普通の人は魔術が使えないよ」


「属性の適性ですか?ドクトルは以前複数属性の魔術を見せてくれましたが、複数属性に適性がある方は多いのでしょうか?あと喉がつぶれた場合にも魔術を使う方法はあるのでしょうか?」


早く魔術が使えるようになりたいアルクスは以前から疑問に思っていた質問を投げかけた。


「おっと、一度にあれこれ質問されても答えられないよ。1つずつ答えて行こうか。まず、魔術には属性適性というものがあるんだ。属性適性とはラピスがどの精霊との相性が良いか悪いかってことだね。基礎魔術ではあまり精霊との相性は気にしないでも問題ないけれど、応用魔術になってくると相性が悪い魔術は使えないと言うか力を発揮できないことだね。複数適性がある人は数多くいるけど、逆に全く適性がなくて、基礎魔術が使えない人もいるんだよ、かなり珍しいけどね」


「なるほど、自分のラピスがわかれば、適性がわかるわけですね…」


「まぁ、基礎魔術の時点で効果の違いに目を向けるとなんとなく自分のラピスの方向性はわかるんだけどね。

さて、次の質問だね。声を出せないと普通は魔術は使えない、それは魔術を具現化するための言葉が喋れないからだ。だけど僕の様に詠唱を行わない無詠唱でも魔術を扱うことができる人間もいる。まぁ、数は少ないけれどね」

ネモが喋り終わると目の前に火の玉が生まれ、アルクスは驚きのあまり声を出してしまった。


「これが無詠唱魔術だよ。無詠唱魔術は便利だけど、あまり規模の大きい魔術を使うのには向いていないかな。あとさっきも言ったけど無詠唱を使いこなせる魔術士はそんなに多くはない。それに無詠唱魔術の使い方を覚えておくに越したことはないけど、その手法は基本的に公にされているものではないし地道な訓練が必要でなかなかできるものではないからね。」

空中に浮かんでいた火の玉がポンと破裂して消え、ネモはため息をつく。

 

「そんなことはないです、地道な習慣化こそが成長への近道だといつもドクトルはおっしゃってるじゃないですか!」


「おぉ、優秀な学生で嬉しいね!どちらにしろ応用魔術は選別の儀でラピスを授かるまで使えないし、まずは無詠唱魔術よりも闘気の扱い方を教えておこうか。これはラピスを持たない人でも使えるし応用が効くから、必ず役に立つ時が来るよ。見ててごらん。」

そう言うとネモの体が少しずつ青く光り始めた。


「体の表面が光っているのが見えるかい?これは闘気だよ。普通はウィスとエレメントを魔力に変えるけど、魔力に変えずに体全体に循環させたものなんだ。魔力はウィスとエレメントを一箇所に溜め込むイメージで、闘気は身体全体に流すイメージを持つと良いよ。」


ネモの全身が青い光を纏っている。

そこにいるだけで圧倒的な存在感を放ち、目の前に立っているだけでアルクスは冷や汗をかいていた。

「さて、闘気を身に纏うと何ができるか見ててご覧。」

ネモは以前よりも大きな岩を作り出し、それを軽く叩いた。

直後に大岩に亀裂が入り、粉々に砕け散ってしまった。

アルクスは以前以上の衝撃に身を包まれていた。


「すごいです!闘気は僕にも使うことができるのでしょうか?」

アルクスは感動に震えつつ、早く闘気を扱ってみたいと興奮していた。


「あぁ、もちろん!これはラピスが必要な応用魔術と違い、ちゃんと修行をしたら誰だってできるようになるさ。しばらくは瞑想と一緒に闘気の練り方の練習をしようか。」


「はい、先生!そういえばなんで選別の儀は王立学園の途中まで行わないのでしょうか?

早くから自分のラピスを理解して応用魔術の訓練をした方が上達も早いと思うのですが。」

アルクスは早く兄に追いつくためにも魔術が使いたく、自身のラピスのことを知りたがっていた。そして今まで疑問に思っていた、誰も教えてくれなかったことを聞いてみた。


ネモの表情がいつもよりも真面目なものになり、口を開いた。

「少し昔の話になるけれど、昔はまだ魔力の制御もできていない子どものうちから選別の儀を行うことで早期の魔術育成を試みたことがあったんだ。その結果がどうなったかというと、魔力の少ない子はラピスが覚醒せずに自信を失い、逆に魔術を使えなくなってしまったんだ。そして、その身に多くの魔力を宿す子ども達はラピスの急な覚醒により魔力を制御できずに暴走してしまい、悲惨な結果を生んでしまったんだよ。」


 「そ、そんなことがあったのですね…」

アルクスは想像以上に悲惨な過去があったことを知り、何でも知りたがっていた自身を恥じた。


 「そしてラピスが覚醒せずに魔術を使えなくなってしまった子達は、心ない大人達のせいで神様からいただいたラピスを上手く扱えない欠陥品だという烙印を押しつけられてしまったんだ。」


 「大人達の都合で選別の儀を行ったというのに… 数多くの才能を潰しただけでなく、現在の差別もそこから生まれたのでしょうか…」

 王国、特に王都ではラピスを持たない者に対する差別は激しいものであった。

 その背景が大人達が自ら作り出したと知り、アルクスは悲しい気持ちになった。


 「そういうことだね。そういう経緯があって王立学園では最低限の魔力制御を修めた者だけが選別の儀を受けられるということになったんだ。だから学園に通ったとしても魔力の制御をちゃんと身につけないと、選別の儀を受けることはできないんだ。」

 アルクスは王立学園に数年通えば選別の儀を行えるものと思っていたが、自らの成長無くして自分の力を知ることはできないということを胸に刻み込んだ。


 「さて、少し暗い話になってしまったね。気分を変えてこれから闘気の練り方を教えようか。強引なやり方だけど感覚を掴むためにまずは魔力を体全体に循環させるということを目指そう。まずはいつものように瞑想して魔力を練ってご覧。」

 アルクスは言われたとおりに瞑想状態に入り、少しずつ魔力を練る。


 「そう、そこまではいつも通り。よくできてるよ。そこから出来上がった魔力を自分の身体中に流してみようか。そうだね、体の中を血が流れているイメージで。少しずつでいいよ。」

 アルクスは魔力を練りながら、出来た魔力が血のように体内を流れるイメージをする。

 そして体が灼けるように熱くなってきたのを感じた。


「そう、そんな感じで少しずつ魔力を流して行って。ウィスから魔力を練り上げ、それを身体全体に返していくことを繰り返していくイメージで。お腹の臍を中心にどんどん魔力が身体に混ざり合っていくイメージをして。」

 アルクスの体の表面が淡く光り始める、アルクス自身も先ほどの身体が灼ける感覚から、何かに包まれているような感覚に変わっていった。普段意識している身体全体のウィスと魔力の質が変わったことを感じ取った。


「そうそう、その状態を魔力を練らずにやることがゴールだよ。しばらくは毎日その状態になれるように頑張ってみて。だけど…」

「なんだ、簡単じゃないですか。これくらい余裕ですよ!」

 アルクスは思ったよりも簡単にできると思ったが、ネモが喋ろうとした次の瞬間に急に意識を失って倒れた。

「あー、やっちゃった。これはウィスの枯渇だな… モラさーん、アルクス君倒れたからちょっとお願いできますかー?」


 その後、アルクスはネモに自室まで運ばれて、モラに介抱された。

翌日アルクスは前日にひどく心配したルーナがもう起きて大丈夫なのか、寝てた方が良いのではないかと一日中ついて回り、いつもと逆の立場になり自身の未熟さを痛切に実感した。

 

そしてさらに次の日、ネモがやって来た。

 「やぁ、おはよう。まずは一昨日の振り返りからしようか。そもそも何が起きたかわかってるかな?」


アルクスは一昨日なぜ急に倒れたのかの要因を考えた。

 「ウィスがなくなったからでしょうか?」


 「そう、正解だよ!普通に考えるととても簡単なことなんだけどよくわかったね。普段は魔力を練る時にそこまでウィスを使わないと思うけど、全身に行き渡るようにと常に使っているとあっというまにウィスがなくなってしまうのさ。それは闘気になると、より一層激しくなるよ。というわけでまだ若いことだし体力づくりも頑張らないとね!」

アルクスは最近早く強くなりたいと焦っていたが、この失敗により地道に基礎を少しずつ積まないとどんなに素晴らしい技を覚えても使いこなせないことを理解し始めていた。


 「落ちこんでいるようだけど、安心して。僕でも闘気を使って戦うことができるのは30分が良いところだから。王国内だとそもそも闘気を扱う人はほとんどいないし、いても長時間保てる人はごくわずかだからね。闘気を扱えたら王国でトップクラスになれるよ!」 

 ネモはアルクスを慰めようとしつつも、闘気の使い手はこの国にはほとんどいないことを教えた。


 「それは兄様でもできないということでしょうか?」

 「んー、そうだね。ウィル君も闘気を使うことはできないんじゃないかな。彼は闘気がなくても魔術で似たようなことができるからね。」

 ウィルトゥースの得意な魔術は闘気に近い身体強化に向いているということをネモは教えてくれた。


「毎晩寝る前とかに練習すると良いと思うよ、気絶したとしても気付いたら朝になってるだろうしね!」

「闘気を使えるようになれば、兄様を超えられるということですね…」

 アルクスは今まで兄を超えられるものがなかったという思いが強く、そして、ここで頑張れば兄を1つでも超えることができると知り俄然やる気になった。


「今日は短くて申し訳ないけどここまで。僕はこの後、クレメンテクスさんに用事があるから。また次来る時までに練習しておいてね!」

そう言ってネモは早々に部屋を出て行った。


アルクスはその晩から毎日就寝前に魔力を全身に行き渡らせる訓練を始め、毎日気絶して気付いたら朝になるということを繰り返した。

そして、その後教会での朝の鍛錬にも身を入れ、体力増強に邁進した。

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