第4話 邂逅
アルクスはネモの家庭教師が始まってから、空いている日は朝は教会での鍛錬、その後にネモから教わったことの復習、午後は王立図書館での読書という習慣が出来上がった。
今までは兄に少しでも近づきたく、ただ貪欲に知識を増やすことばかりを追い求めていたが、最近では細切れだった知識とネモから学んだことが繋がっていくことに面白さを感じ、以前よりも読書の時間が増えていた。
「今日も平和だなぁ」
アルクスはのんびりと馬車に揺られつつ、図書館へと向かっていた。
図書館に到着し、何を読もうか館内を歩きながら思索に耽っていると、いつもは静かな館内から少し賑やかな喋り声が聞こえることに気が付いた。
「勉強なんてだるいし、外で遊ぼうぜ。」
「おじ様から、来年からの学園生活に向けて、最低限は学んでおきなさいって言われたでしょ!ちゃんとやらないと私が怒られるんだから!」
アルクスは賑やかな声の主達はどうやら自分と同い年らしいということに少しだけ興味を持ったが、興味よりも図書館では静かにして欲しいという思いの方が強かった。
「えーと、王国の歴史の本はどこにあるのかしら...」
「歴史なんてつまんねーよ、それよりも強くなる方法を調べた方が学園で活躍できるぜ!」
アルクスは賑やかな2人はこのままだと静かにならなそうだなと思い、歴史関連の書籍が置かれている場所を教えることを決めた。
「お嬢さん、歴史関連の書物だとこちらのエリアが読みやすいですよ。初めて読むなら、この本がわかりやすく書かれていて全体像を掴むのにおすすめです。読み終わったら時代別にこの作者のシリーズを読むといいですよ。」
女の子はアルクスに急に声をかけられて驚いた様子で目を瞬かせた。
一瞬の間があいたものの、すぐに調子を戻した様子でアルクスへと笑顔を向けて来た。
「あら、ありがとう。貴方若いのに詳しいのね。同い年くらいかしら?」
「先ほど聞こえてきたけど、来年学園に入学するんだよね?同い年だと思うよ。」
「そうなんだ!じゃあ来年から同級生ね!」
女の子は最初は少し固い口調だったが、同い年だとわかった瞬間に急に砕けた喋り方へと変わった。
アルクスは同い年の女の子に会うことはあまりなかったため、少しだけドキッとしてしまった。
「おい!」
アルクスは急に女の子の連れの男の子に肩を掴まれた。
「お前すごいな!俺は勉強苦手だからさ、教えてくれないか?そいつも俺よりはできるんだけど、教えるのがうまくないんだよ。」
「失礼ね!でも、それはいい考えね!私もそんなに勉強が得意なわけじゃないし… 貴方詳しそうだから、教えてもらえると助かるわ。」
アルクスは急な申し出に驚き、そして考え込んでしまった。
― 人に勉強なんて教えたことはないからな、僕にそんなことできるのだろうか。それに勉強なんて教えていたら自分の読書の時間も減ってしまうよな。せっかくの同い年の知り合いが出来そうだけど、断ろうかな… あ、でも先日ドクトル・ネモが
「もし出来たらだけど、僕から教わったことを友達とかに教えてみるといいよ。教わるだけじゃなくて、教えると自分の理解が深まるものだよ。」
とか言ってたな。ルーナに勉強を教えるのとはまた違うよな。上手くできなかったらどうしようか… でも失敗したところで何かを失うわけじゃないしな。何事も経験だし、とりあえずやってみようかな ―
急に考え込んで黙ってしまったアルクスに対して、困らせてしまったかと心配する2人。
「あの、もし無理だったら大丈夫だよ…?」
「とりあえず週に1日でも良いかな?」
「え、本当に良いの?ありがとう!」
女の子は断られると思っていたからか満面の笑顔に変わり、両手でアルクスの手を握る。
アルクスは急に手を握られて、赤面してしまう。
「いやー、良かった。教えてくれそうな匂いがしたから頼んで良かったぜ!」
「調子のいいこと言わないの、よろしくお願いしますでしょ?」
男の子からは背中をバンバンと叩かれつつも、あまり痛くはなくアルクスは同年代との交流も不思議なものだが悪くはないなと感じた。
「そうだったわ、自己紹介がまだだったわね。私の名前はヘレナ、グラネイト商会の次女よ。」
「俺はリディウス イグニス将軍の次男だ!リディって呼んでくれ!」
グラネイト商会は王都の中でも1,2を争う程の巨大な商会であり、その影響力は並の貴族以上とも言われている。
イグニス将軍は王国騎士団の将軍であり、爆炎将軍の二つ名を持つ炎の使い手であった。そして、ウィルトゥースの上司でもある。
名前を知らなくても交流を持てるのが子どもの良いところであったが、思いもよらぬビッグネームに驚きを隠せなかったアルクスは相手の素性も分からないままに気軽に物事を請け負うのはやめようと心に誓った。
「あなたのお名前は?」
質問をされてアルクスは思考を一度止めて、目の前の事象に向き合うことにした。
「僕の名前はアルクス。ゲネシス教会の司教クレメンテクスの次男だよ。」
「あら、教会の方だったのね!クレメンテクス様と言うと有名な破壊僧の方よね?と言うことは、もしかしてウィルトゥース様のご兄弟かしら?」
「あぁ、そうだよ。僕の家族は有名だからね、僕とは違って。」
破壊僧クレメンテクス、若獅子ウィルトゥースの名は王都で暮らしている人々であれば大体の人が知っている割と有名な名だった。
「素敵!今度お兄様のお話も聞かせてね!」
「おい、勉強を教えてもらうんだろ!」
「えー、貴方はお父様から騎士団でのウィル様の様子教えてもらえるのに…勉強が終わったら良いわよね?」
どうやらヘレナは良くいる兄のファンだと言うことをアルクスは理解した。
「そうだね、ちゃんと勉強したら、兄様の話をしよう」
「やったー!」
「館内ではお静かに!」
ヘレナの喜びの声とともに、堪忍袋の緒が切れた司書の方によって3人はこっぴどく怒られてしまった。
その後、小さな声で次回図書館で集まる約束をした後、2人は帰っていき図書館に静寂が戻ってきた。
今まで友人を作る機会がなかったアルクスにとって、初めての経験でもあり大きな一歩であった。
図書館から帰宅すると、既にネモが待っていた。
「やぁ、アルクス君お帰りなさい。楽しそうな顔をしているけど、今日は何か良い本でも見つけたのかな?
ネモはのんびりとお茶を飲みながら尋ねてきた。
「今日は図書館で調べ物をしていたら同年齢の子どもと知り合って、来週から勉強を見ることになりました。」
ネモはアルクスが見たことがある中でも一番驚いた顔になった。
「へぇ、それは驚いた。君はあまり同世代の子どもに興味がないと思ってたよ。」
「教わったことを人に教えると理解が深まると教えてくれたのは先生じゃないですか。興味はなかったですが、教えに従ったまでですよ。」
「なるほど、良い心がけだね!ところで、学園への入学はどうかな?あ、具体的な勉強のことじゃなくて、心構えの話だよ。」
アルクスは以前から王立学園への入学に乗り気ではなかった。
「正直王立学園以外に進学したいと思ってます。僕は教会が運営する学園に行った方が父様のお役に立てるのではないかと思ってて…」
表向きは他の学園に行った方が良いと言っているが、その本心は確実に兄と比較される環境に身を置きたくないと言う気持ちが大きかった。
「やっぱりそうだよね。君は王立学園に行ったらウィル君と比較されって思っているよね?」
核心を指摘されてしまい、アルクスは狼狽るしかなかった。
「え、そんなことは… いや、今更取り繕っても意味がないですよね。いつからお気づきでしたか?優秀な兄様と比較され続けて、不出来な弟が兄様の顔に泥を塗ってもいけないですから...」
ネモに自分の感情を偽っても無駄だと思い、常日頃から考えている王立学園に行きたくない理由を正直に伝えることにした。
ネモは少し考えるそぶりをした後、いつになく真剣な表情で語って来た。
「ふむ、僕はアルクス君は素晴らしい学生だと思っているよ。でも、君はウィル君に対して劣等感を抱き過ぎなところが欠点だね。僕が教え始めてからはとても成長しているし、もう少し自分の実力に自信を持った方が良いね。
あとはウィル君の顔に泥を塗るとかじゃなくて、ウィル君と比較されることから逃げようとしているよね?人間生きていれば多かれ少なかれ誰かと比較をされるんだよ。特に君がウィル君と兄弟なのは死ぬまで変わることのない事実だからね。
物事には逃げるべき時には逃げるべきだけど、立ち向かうべき時もあるんだよ。逃げ癖だけはつけないようにした方がいいよ。」
アルクスはまだネモからの言葉に応える言葉は持っておらず黙ることしかできなかった。
「まぁ、いきなり真面目なことを言われても困るよね。何か君の成長を図る方法でも考えておくよ。学生に自信を持たせるのも教師の仕事だからね。」
ネモはいつも通りの感じに戻り、いつもの訓練を行なった。だがアルクスはその日の訓練には身が入らず、しばらく悩むことになった。
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