第2話

 恋愛においても、未華子は私よりも優秀だった。

 いつだって選ばれるのは、私じゃなくて未華子。その事実に初めて気づいたのは、そんな高校二年の秋。

 毎日の予習復習や宿題に追われる高校生活を送っていた私だけれど、それでもそれなりに楽しみもあった。放課後の帰り道、クラスメイトと一緒にコンビニのアイスを食べながら歩いて帰ることや、週二回の文芸部の活動。それから、文化祭の準備。

 私がいる二年一組では、文化祭に演劇をやる予定だった。何の作品をやるか揉めに揉めた結果、社会科教師で世界史を教えていた担任の提案で、フランス革命を劇にすることになった。最初は流行りの漫画を劇にしたいとかいろいろと意見が出ていたのに最終的になんだか真面目な雰囲気の演目に落ち着いたのは、真面目なヤツが多かったからだと思う。二年一組は、理系の中でも成績上位の生徒がたまたま多い優秀なクラスだった。

 クラスのテストの平均点がいつも高めなのは私個人にとってきつかったけれど、きゃぴきゃぴしたヤンキーみたいなクラスメイトが少なかったのは良かったと思う。私は誰からも嫌われることなく、ほとんどのクラスメイトと気兼ねなく話せる関係を保っていたし、クラスの中で上手く立ち回って充実した生活をしていた。

 そんなわけで、文化祭みたいなイベントでも私は人に囲まれ、寂しい思いをすることなく参加できた。私は文化祭の準備期間、衣装係のリーダーを担当していた。

 学園物の演劇とかなら衣装はいつも通りの制服を着ていればいいわけだし、衣装係の仕事も少なかっただろう。だけど残念ながら、演目が演目だけに、衣装づくりはなかなか面倒くさい。ドレスを作るだとかかつらはどうするだとか話し合いながら作業しているうちに、だんだんと進捗に遅れが出てきた。


「あー! もう間に合わねえよ、これは!」


 私の目の前でもたもたとドレスの手縫いをしていた男子が、突然叫んだ。

 文化祭まで一週間を切ろうかという頃、教室の隅を陣取っていた衣装係のメンバー四人は、作業をしながら頭を抱えていた。家庭科教室から借りてきたミシンを動かしながら、メンバーの一人である女子も涙目になって私を見る。


「理加子ちゃん、間に合わなかったらどうなるの……?」


 同じくミシンで衣装を縫っていた私は、手を止めずに唸った。


「そんな不吉なこと言わないでよ。絶対に間に合わせよう……あと三人分なんだから」

「だいたい、こんな量をたった四人に任せるのがおかしいんだよな。できるかっての」


 ぶつぶつと文句を言う男子。

 どうして私たちがこんなに追い込まれているのかというと、劇の出演者がやたらと多いからだ。演出や脚本を担当しているクラスメイトが張り切り過ぎた結果、クラスの人間の半数以上が何かしらの役を演じることになってしまった。数少ない裏方担当はてんてこ舞いだ。

 縫い目を確認しながら私は、あることを思いついて提案した。


「最悪、家に持ち帰ってやるしかないよ……。明日、私の家で作業会しない? 泊まっていってくれてもいいし」


 今まで、高校の同級生を誰も家に呼んだことがないから少し憧れだったのだ。


「いいの?」

「じゃあ、もしお邪魔することになったらお菓子とかジュースとか持っていくね」

「ちょっと楽しみかも。やる気出てきた~」


 にわかに華やいだ衣装係の空気にほっとしていると、ひょこっと衣装係ではない男子が一人、私たちの輪に混ざってきた。


「なに、なに? 何の話?」

「あ、みなみくん」


 つい、私たちの声は明るくなる。南祥真みなみしょうまは今回の劇で女装してマリー・アントワネットの役を演じる予定のクラスメイトだ。といっても、彼がアントワネット役に決まったのは女装で笑いを取ろうとか、そういう意図ではない。南くんは本当に王妃のドレス姿がクラスで一番似合う美少年だったのだ。色素の薄い髪と瞳に白い肌。一見近づきがたい気もするけれど、実際は男子にしては小柄な体で走り回り、誰に対しても分け隔てなくよく喋るみんなのいじられキャラでもある。嫌なところはひとつもなくて、話しかけられて嬉しくない人はいないだろう。嬉しくないどころか女子の中には喜んでいる子も結構いたと思う。かくいう私もその一人だったりするわけで。


「衣装作りが間に合わなさそうだから、明日は理加子ちゃんの家で夜に作業会しようって話してたの。ごめんね、南くんの分もまだ完成してなくて」


 同じ係の女子が、南くんに話しかけられた嬉しさを滲ませつつ、申し訳なさそうに謝る。アントワネットの衣装もまだ完成していないのだ。


「そうなんだ。なんかごめんな、俺の分の衣装、装飾多くて大変だって聞いたよ」

「いいの、いいの。むしろアントワネットのドレスが俺らの見せ場だから頑張らなくてどうすんだって感じだし」


 まったくもってその通りである。布の量は多いしフリルつけまくりだしスパンコールとかも沢山つけなきゃだし、正直一番面倒ではあるのだが、私たちは、うちのクラス自慢の南くんを何としても美しく見せなければという謎の使命感に駆られていた。それくらいみんな、彼が好きだった。そしてこだわりすぎたおかげで完成が遅れている。


「じゃあその作業会、俺も参加していい? 裁縫下手くそだし役に立つかわかんないけど」

「えっ……いいの?」


 私たちが目を丸くすると、南くんは困ったように笑った。


「そんなびっくりしなくても。劇の練習は普通に下校時刻までで終わるから、実はそんなに忙しくないんだよね。あ、ほんとに裁縫下手だよ? それでもいいなら」

「いい、いい! 手伝ってくれるだけで助かる~」

「南くんがいてくれると、その場で試着も頼めるもんね」


 こうして衣装係の意見が全員一致して、南くんが臨時で手伝ってくれることになった。

 このとき、私は最高に楽しくて仕方がなかった。

 友人たちに囲まれて文化祭の準備をしていること。係のリーダーを任されて仕切っていること。家に来るかと誘えばみんな嫌な顔をせずに来てくれること。クラスで人気の男子とも話ができて、彼も家に来てくれること。

 もちろんクラスの人気者とはいかないけれど、それなりに私の周りに人が集まってきてくれるのは快感だった。



 だけどそんな気分が良い状態はがいつまでも続くわけがない。

 翌日の夜、みんなを家に招いて私の部屋でがやがやと話しながら作業をしていると、ふいに部屋のドアが開いた。


「お姉ちゃん、ただいまー」


 いつものごとく友達と遊んで遅く帰ってきた未華子が、ふらりと私の部屋に顔を出した。


「おかえり。どうしたの」

「これ、お母さんがお姉ちゃんの部屋に持って行けって。姉がいつもお世話になってます」


 未華子はクッキーが盛られた大皿を手に、するりと部屋の中に入ってきた。ひざ上丈に短くされた制服のスカートから、私よりもほっそりとした綺麗な生足が伸びている。家に帰るとすぐにジャージのズボンを履く私とは違って、未華子はすぐに靴下をぬいで裸足になる癖があるのだ。床に座りこんでいる私のすぐ横に立った彼女の白い足に、つい目が引き寄せられる。


「お姉ちゃん? はい」

「あ、ありがとう」


 皿を受け取ってみんなを見ると、全員が未華子を見ていた。男子も女子も、南くんも。


「お邪魔してまーす……理加子ちゃんの妹さん?」

「……うん。妹の未華子。同じ高校の一年」


 私が紹介すると、未華子は礼儀正しくぺこりと頭を下げた。


「文化祭の準備ですよね? うちのクラスも今すごい忙しくて大変で」

「そうそう、間に合わなさそうでさー。えーっと、未華子ちゃんのクラスは何やるの?」


 衣装係の男子が普段よりも若干柔らかい口調で尋ねる。


「うちのクラスはマジックショーをやる予定です。皆さんのクラスは演劇するってお姉ちゃんから聞いてます、頑張ってください」


 未華子が部屋を出ていってから、みんなが一斉に私を見た。


「妹さん、いたんだ」

「めっちゃ可愛くね? やべえ」

「未華子ちゃん彼氏いんの? モテそう」

「そこらへんのアイドルよりも顔整ってるじゃん」

「でも目元とかは確かに理加子ちゃんと似てるかもー」


 口々に未華子についての感想を言う彼らを見て、私は苦笑いを浮かべた。笑いながら、急速に胸のあたりが冷えていく感覚がした。

 未華子はほんの少し私の部屋に現れただけで、クラスメイトたちの注目をかっさらっていった。

 なんだったんだろうか、今のは。この人たちは私のクラスメイトじゃないのか。私の友人たちではないのか。どうして未華子を見ているの。どうして未華子の話をしているの。

 ふと、向かい側に座っている南くんと目が合った。

 彼は長いまつげを動かして瞬きしてから、そっと笑った。


「俺も、一個下に妹がいるんだ。高校は違うけど」

「へえ……」


 突然、彼自身の妹の話をしてくる南くんに、私は少しだけ面食らった。未華子については、彼は何も言わなかった。

 未華子を褒めそやす言葉が彼の唇から出てこなかっただけなのに、なんだか私はほっとしていた。

 もっとも、それでも南くんは、ほかの人たちと結局のところ同じだった。同じどころではなかった。

 文化祭が終わって一か月ほど経った頃、未華子が家に彼氏を連れてきた。私はその彼氏を見て唖然とした。

 南くんだったのだ。

 驚きすぎてそのときのことはあまり詳しく覚えていないけれど、未華子がうちのクラスの演劇を見て、南くんを好きになってしまったらしい。告白されて二つ返事でオーケーしたという南くんは、未華子に言い寄られて仕方なく、なんて雰囲気ではなくて、可愛い年下の彼女ができてまんざらでもなさそうな様子だった。

 仲良さげな二人を見て私がどんな反応をしたのかは、もう記憶にない。なんか適当におめでとうとか良かったねとか言ったんじゃないだろうか。

 とにかく私はその日の夜、廊下や隣の未華子の部屋に聞こえないように、声を押し殺して泣いた。なにがそんなに悲しいのかは、自分でもよくわかっていなかった。

 南くんのことが好きだったのか、私の知り合いが未華子ばかり見ていることが気に入らなかったのか。

 今思い返せばたぶん、後者だと思う。

 私がみんなと一緒にいて楽しいのは、未華子がいないからだったんだ。

 未華子の友人が未華子を取り巻いて笑っているなら、どうでもいい。だけど彼らは私のクラスメイトだ。

 未華子ばっかり褒めないでほしかった。

 私を見てほしかった。

 私と一緒に、私の話をしてほしかった。

 自分で自分がどうしようもない「かまってちゃん」だということに初めて気づいた瞬間だった。

 そして、私が未華子を死ぬほど大嫌いだと初めて思った瞬間でもあった。

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