第3話

 そんな未華子と、私は流されるように二人暮らしを始めた。

 別にいつも彼女のことが嫌いなわけではない。ときどき、たまに、嫌いだなってふと思う時間がやって来るだけ。だから、基本的に私は未華子と一つ屋根の下にいても、穏やかな生活を保っている。そして一週間も経てば、案外この生活も快適かもしれないと思ったりする。

 朝、二人で朝食を食べて未華子が出勤してしまうと、私は部屋に一人になる。今、定職についていない私は主に家事担当だ。午前中のうちに洗濯と掃除を済ませて簡単な昼食を一人で取る。午後は自室でゲームをしたりマンガを読んだりしてごろごろして、気が向いたら求人を調べたりして。必要なら買い物に出て、夕方頃に晩ごはんを作る。未華子が帰ってきたら、二人でごはんを食べる。

 未華子はけっこうお喋りだ。会社であったことや趣味の話、なんでも私に話す。うざいなと感じるときもあるにはあるけれど、未華子が自分のことばかり話してくれるのは、案外私にとっては楽だった。

 これから転職活動はどうするつもりなのか。

 結婚とかは考えているのか。

 一日、家にいて何をしていたのか。

 実家にいたら親から尋ねられそうなことを、未華子は何も言わない。気を遣われているのか、無意識なのかは知らないけれど、私自身のことを話さなくていいのは、正直ありがたい。私は今、何も考えていないし、放っておいてほしいのだ。

 だけど一つだけ、一週間経ってもいまだに戸惑っていることがある。

 未華子は晩ごはんのあとに「撮影」を始めるのだ。


「……で、じゃん! これが、私がいろいろ使ってみて一番いいな~って思った商品でー……」


 ソファに座ってカメラを前に、スキンケア用品を手に取りながら話し続ける未華子。私はそれを横目にキッチンでハーブティーを入れていた。手元が狂って、マグカップを少しシンクの角にぶつけてしまう。

 カンっと高い音がしたのに反応して、未華子がこちらに顔を向けた。


「あ、ごめん」

「ううん、大丈夫。あとで編集してカットするから。……で、えーと。どこまで話したっけ。あ、これ。これが……」


 またスキンケア商品の紹介を再開した彼女を横目に、私はマグカップを持ってそーっと自分の部屋に戻った。

 ベッドの上に放置していたスマホを取り、なんとなく動画アプリを開く。「かんざきみかこ」というチャンネルを開くと、サムネイルに未華子の顔が載っている動画が一覧になって大量に表れた。

 未華子はどうやら、ネットに動画を投稿するのが趣味らしい。実家にいた頃はまったくそんなそぶりは見せていなかったから、おそらく一人暮らしの中でできた新しい趣味なのだろう。

 ここに引っ越してきた初日に突然、動画を見せられ、「家で撮影してるときがあるけど気にしないでね」と言われた。だいたい、動画のタイトルを見てみると化粧品の紹介だったり、ファッションコーディネートの紹介だったり、旅行先での動画だったりと、いかにも女子! という雰囲気の動画が並んでいる。私には縁がなさそうな内容だ。

 それでもファンはそれなりにいるみたいで、「かんざきみかこ」のチャンネル登録者数は五万を超えていた。


「ネットの世界でも人気者ですかー……」


 誰に聞かれるでもない独り言をむなしくつぶやく。

 それじゃあ私も動画を投稿しようかな、とは思わない。彼女と同じ土俵に立ったら比べられて負けるに決まっているし、わざわざ同じことをする意味がない。そっちはそっちで勝手にやってくれって感じだ。

 それで、私は私でやりたいことをやる。

 枕元に置いていたハーブティーを一口飲んでから、部屋の端に設置しているローテーブルに近づく。そこには実家から運んできたデスクトップパソコンがある。

 夜は毎日、特に何もなければゲームの時間だ。オンラインゲームは学生から仕事終わりの社会人、家にずっといて昼夜逆転しているニートまで、様々な人たちがログインしていて賑わう時間帯。

 みんなそれぞれ違う場所にいるのに、同じ場所にいるようなゲームの空間が、私はわりと好きだ。まあ、そこでも私は目立たないように当たり障りなく一プレイヤーとして生きているわけだけど。

 ネットの世界でも私は人気者ではない。なりたいとも思わない。

 私は未華子とは違って普通の、もしかしたら普通以下の人間だから、これでいい。



「今からボルダリング行くんだけど、お姉ちゃんも行く?」


 日曜の朝、突然未華子にそう誘われて、私は目が点になった。


「や、行かない。てか未華子そんな趣味あったんだ。意外」


 疲れることが嫌いな未華子は、学生時代に部活もやっていなかったし、スポーツをしていた経験もなかったはずだ。

 今になって体を動かす趣味に目覚めたのか。

 けれど未華子は笑って首を振った。


「ボルダリングが趣味っていうか、動画の撮影。投稿用の」

「ああ、そう」


 それなら納得だ。毎日何かしらの動画を撮って編集している未華子の姿はどこか迫力があって、動画のためならどこへでも行って何でもやってしまいそうな妙な怖さがある。

 よっぽ動画作りが楽しいんだろうなと思う一方でのめり込み具合にどこか不安も感じながら、未華子がバッグの中身を確認しているのを眺めていると、インターホンが鳴った。


「誰だろ」

「あっ、私のお客さんだと思う! けどちょっと待って……」

「いーよ、私出る」


 早歩きで玄関へ向かってドアを開けると、爽やかなライトブルーのシャツが目に飛び込んでくる。二十代前半か半ばくらいの男が立っていた。未華子が出てくると思っていたのか、私を見て目を丸くしている。


「えーっと。高任たかとうと申します、未華子さんは……」

「ちょっと待ってくださいね。未華子ー、高任さんって人が」

「あ~、はい、はいはい! お待たせしました!」


 準備ができたのか、黒いキャップを被ってバッグも肩にかけた未華子が、玄関にすっ飛んでくる。高任さんはほっとしたように未華子に手を振った。


「今日、ボルダリング一緒に行く友だちの高任怜雄たかとうれおくん。撮影手伝ってくれるの」

「あ、そうなんだ。初めまして、姉の理加子です」


 軽く頭を下げると、彼も同じように会釈を返してくる。けれど、顔を上げた彼はなぜか腑に落ちないような微妙な視線を投げかけてきた。


「じゃあ怜雄くん、行こうか」

「ああ、うん。……あの、」


 高任さんが困った顔でもう一度私を見る。


「え、はい。なんですか?」

「たぶん、初めましてじゃなくて、お久しぶり……だと思います」

「……はい?」


 身に覚えのないお久しぶりを言われて私は固まる。未華子が「えー、そうなの?」と目を丸くする。


「や、前って言ってもかなり前で、中学生のときに……って、覚えてないですよね。すみません、気にしないでください。未華子ちゃんも、時間なのにごめん。行こう」

「あ、うん。でも怜雄くん、私の中学時代のクラスメイトだから、お姉ちゃんも会ってるかもよ。二年間は同じ学校の中にいたわけだし。じゃ、行ってきまーす」

「行ってらっしゃい……」


 釈然としない気分で手を振って二人を見送る。

 二人の後ろ姿はスタイルが良く、お似合いのカップルというふうにも見える。けれど、未華子は友だちと言っていたし、たぶん彼氏ではないのだろう。未華子はよっぽどのことがない限り、恋愛について私に隠し事はしない。むしろ、いつも聞いてほしくてたまらないのか尋ねてもいないのに話してくるくらいだ。

 それにしても、会ったことなんかあったかな。

 未華子の同級生で、中学生のときに会っている男の子。脳みそをフル回転して過去の記憶を探ってみる。未華子、昔から男の子も女の子もたくさん友達を家に連れて来ていたから、正直誰が誰だかわからない。一回しか会ってない子もいるし。

 部屋の中に入りながらしつこく悩んでいると、今しがた見た優しそうな目をした彼と面影が一致するような男の子の姿を思い出した。あのとき、名前は聞かなかったから確定ではないけれど。


「……ファミレスの子、かな」


 私は首を傾げながらつぶやいた。たぶんそうだ。

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