番外編SS

▽コミックス第1巻発売記念SS「カイトさんの好きな食べ物は、何ですか?」



(※本エピソードは、本編21話~22話の間のお話となります)




「うーん、うーん……」


 竜人の姫巫女、リリアは悩んでいた。


 腕を組み、眉を寄せる。

 可愛らしくうなりながら、左へ右へ身体を揺らす。

 かれこれ台所で四半刻はそうしているだろうか。


 とはいえ、別に大した悩みではない。

 彼女が思案するのは、だいたいがカイトに関したこと。

 より率直に言うならば、「どうやったらカイトとの仲を進展させられるか」についてだ。


 紆余曲折あり、夫婦となったカイトとリリア。

 薬屋に訪れる客たちからはそのように見られ、カイト本人の了解も得たものの、まだ深い仲のそれとは言い難く、リリアとしてはあと一歩、彼との距離を近づけたいと思っていた。


 そして、その一歩のために現在彼女が悩んでいるのは、「カイトの好きな料理」について。

 悩みというか、“ちょっとした企み”といった方が正しいだろうか。


 カイトにその思惑を気付かれることなく、彼の好物を把握して、それをサプライズで作ってあげたい。

 そうしたら、きっと驚きつつも喜んでくれるのではないか。

 もしかしたら、それをきっかけに、さらに親密になれるのではないか。

 

 ……などと、そんなことを考えているのである。


 正味な話、そんなもの直接尋ねてしまえば済む話なのだが、リリアにはリリアなりのプライドがあった。


 というのも、リリアは料理があまり得意ではないのだ。

 正確に言えば、不得意ではなく経験不足。彼女は曲がりなりにも竜人族の姫君であるため、身の周りの世話は侍女や使用人たちに任せっきりだった。


 薬屋でカイトと同居生活を始めてからも、料理をはじめとした家事全般のやり方は、当のカイト本人から教わっていた。


 ゆえに、料理のレパートリーも、彼が作れるものしか作れない。

 教えてもらうことで一緒の時間が増えるのは良いのだが、妻なのに夫よりも家事能力が低いのは、リリアにしてみれば情けないことだったりする。


 だからせめて、一品だけでもカイトのできない料理を作って喜ばせたい。


 彼女の目下の悩みとは、つまりはそういうことなのだった。





「……で、お兄さんの好きな食べ物は何かを知りたいってことね」


 とある日の昼下がり。

 カイトが別の用事で薬屋を空け、リリアが一人で店番をしている時、彼女は馴染み客であるエイラにその悩みを打ち明けた。


「んー……でも、なかなか難しい質問だなぁ、それって」


「あ、いえ、別にカイトさん個人でなくても、なんていうか、男の方全般の好きそうなものでいいんですけど……」


 実のところ、カイトも薬屋での生活を始めてから日が浅いので、彼の嗜好をよく知る者はいない。

 そのためリリアは、ひとまず同年代の男性の傾向として、参考程度に好まれそうな料理を聞いておきたいと考えていた。


「そういうことなら、やっぱりガッツリとボリュームがある肉系じゃない? あ、でも、お兄さん細身だから、あんまり食べる人じゃないのかな。となると、何がいいんだろ。うーん……」


 あごに手を当て、悩むエイラ。

 リリアもつられて同じポーズで眉を八の字に寄せてしまう。

 と、そこへエイラの弟、イアンが会話に入ってくる。


「あの、カイトさんだったら、鶏の串揚げが好きだと思いますよ」


「って、イアン。それ単にあんたが好きなだけでしょ。適当言わないの」


「嘘じゃないよ。だって僕、この前いっしょに食べたんだから。鉱山でがんばったご褒美だって買ってもらって、カイトさんその時、『これ旨いよな』って言ってたもん」


「……そうなんですか?」


 それは知らなかったと、リリアは興味深げに聞き返す。

 イアンは「うん」とうなずくと、しかしすぐにハッとして「あっ、これ内緒だった!」と焦った様子で口を押えた。


「──ちょっ、イアン! あんた買い食いはダメっていつも言ってるのに、何やってんの! ていうか、それお兄さんの前でも言ってたはずなのに! あぁー、だから内緒ってことか! もー、ちょっとこれは……お兄さんにも一言言わないといけないわねぇ……!」


 口角を上げながらも、ゴゴゴゴ……と、エイラは怒りの炎を静かに燃やす。

 リリアはそれを見ながら「あはは……」と、申し訳なさそうに苦笑するのだった。





「──男が好きそうな料理は何か、ですかい?」

「ま、そらやっぱ、エイラっつー娘の言う通り、肉全般だと思いますがね」

「俺らもだいたいそんなもんだよな。ステーキとか、腸詰めとか」

「こういう稼業はとにかく体力勝負ですからね。肉食ってデカくなんないと、なめられちまうわけでさぁ」


「はぁ……」


 それから数日後の夜。

 リリアはミランダ配下の男たちに、同じ質問を投げかけていた。


 ここはリッケス都市部の一画にある小洒落たバー。ひかえめな照明の明るさが、落ち着いた雰囲気を醸し出している。

 この晩、カイトとリリアはミランダの症状を回復させたお礼として、彼女とその部下たちから夕食に誘われていた。


 先に別のレストランで食事を済ませ、その後ゆっくり飲みながら歓談したいというミランダの要望で、そのバーへ。

 ミランダがカイトと対面で話しているのを見計らって、リリアはファミリアの男性構成員たちに、彼らの好みを聞いてみることにしたのだ。


「そんでステーキっつったら、サーロインが一番だわな。霜降りの部分がたまんねーのなんのって」

「馬鹿だね、お前。ヒレ肉の方がうめえだろがよ。霜なんてただの脂じゃねーか。肉の旨味は赤身の部分があってこそよ」

「はぁ? サーロインの方がいいだろが」

「ヒレの方がいいっての」

「サーロインだ」

「ヒレ肉だって」

「サーロイン」

「ヒレ肉」

「サーロイン!」

「ヒレ!」

「……喧嘩売ってんのかオメー」

「あぁ? 煽ってるのはそっちだろが。何なら買うぜ」


「ま、待って下さい! ケンカはやめて下さいっ」


 ささいなことから口論になり、思わずリリアが止めに入る。

 他のメンバーはいつものことなのか、気にした様子もなく各々会話に興じ続ける。


 そこへ、騒ぎを聞きつけたミランダが話に入ってくる。


「なぁに、何のお話? 私も混ぜてよ」


「あ、姐さん。いえ、これはっ」


 一目で状況を把握したのか、ミランダは酒の入った赤ら顔で、リリアと男たちの間で壁になるように座った。


「私はお肉よりも、あれが好きかなぁ。えーと、ほら。何ていったかしらねぇ……チョウザメだったかっていう魚の卵。あれをクラッカーに乗せてね、クリームチーズを塗って食べると、すっごくお酒に合うのよ」


「は、はぁ……」


「あとは崖沿いに生息する、鳥の巣の料理ね。ツバ……ツバクロ……違うわね、とにかく鳥が作る『巣』自体がかなりの高級食材でね。馴染みのお店でスープになって出てきたんだけど、それがとってもおいしくって! 滋養にも良いらしいし……私のオススメは、それかな」


(なんだか当初の趣旨から外れてるというか……。ごめんなさい、参考にならないです……!)


 リリアはうなずいて返しつつも、酔ったミランダに気圧されて、引いた笑顔になってしまう。


「そ、そういえば、カイトさんは……?」


「あら、どうしたのかしら薬師さん。さっきまであたしに付き合って飲んでくれてたけど──」


 ミランダの言葉で、その場の全員が振り返る。

 すると、その視線の先にある角のソファーには、酔いつぶれてテーブルに突っ伏しているカイトの姿があったのだった。





「……なるほど。それは魔術師殿には災難でしたね」


「ええ……ミランダさんには申し訳ないんですが、どうやら飲まれるお酒の量が、カイトさんとは根本的に違ってたみたいで……」


 翌日の正午。

 リリアは遠隔通信用の水晶玉で、ダークエルフの里のスィーリアと話していた。

 その水晶玉はスィーリアたちダークエルフから贈られたもの。先日のトラブルの謝罪として、また平時の連絡用として、リリアへと献上された魔道具である。


「でも、カイトさんすごいんですよ。その後ちゃんと目が覚めて、まるで何もなかったみたいに、きちんと歩いて家まで帰ったんですから」


 リリアはそう言った後、「さすがに今日は二日酔いで、私が一人で店番してるんですけどね」と、小声で付け足した。


「それで、魔術師殿が好むような料理……でしたか。申し訳ないのですが、ダークエルフと人間では食事の嗜好が異なるので、あまり参考にはならないかと──」


「あ、えっと、そうじゃなくてですね。それも出来れば聞いてみたいなって思ったんですけど、今回お願いしたいのは、実は──……」


「……──ああ、承知しました。それでしたら、お安い御用です。きっとリリア様のお役に立つことでしょう」


「ありがとうございます。スィーリアさんたちがいてくれて、良かったです」


「……料理の話に戻りますが、あまり心配される必要はないのでは……? 私が思うに、リリア様は魔術師殿の奥方として、あるべきものを備えてらっしゃると思うのですが」


「え、そ、そうですか? あるべきものって……」


「……まあ、そこは私などが賢しらに申し上げることではないといいますか……。今のリリア様のままで、いつも通り過ごされていればよろしいかと」


「……? そう……ですか……?」


 どこか見守るような表情のスィーリアに対し、彼女の意図がつかめないリリアは、「うん?」と頭に疑問符を浮かべた。





 ともあれ、そんな感じで通信を終え、その日の夕食時。


「悪いな、リリア。今日は何から何までやってもらって」


「いいえ、調子の悪い日は誰にだってありますから。こういう時こそ頼って下さいね」


 カイトを休ませ、薬屋の仕事を一人で引き受けたリリアは、同じく夕食も一人で二人の分を用意していた。

 今晩の主菜は野菜のスープ。メインがスープというのはややボリュームに欠けるが、カイトが二日酔いのため、そこに配慮したメニューである。

 そして、そのスープは、いくつかのハーブを加えた特別製。

 リリアが昼間にスィーリアに連絡を取ったのはこのためだ。彼女はエルフ秘伝の薬膳レシピを教えてもらい、それをカイトのために作ることにしたのだった。

 

「……ん。これ、うまいな。口当たりがスッとしてるっていうか、いい香りがするっていうか……」


 明らかに食欲なさげだったカイトが、一口すすってパチリと目を開く。

 その講評に、リリアは「えへへ」と誇らしげに微笑んだ。


 と、その時。


「……──お兄さーんっ、夜分にすみませーんっ。ちょっとだけお店開けてもらえますかー?」


 甲高い声とともに、勝手口の扉がノックされる。


 声の主はエイラだ。 


 珍しい時間帯の来訪に、顔を見合わせるカイトとリリア。

 とはいえ、拒む理由はないので、カイトはうなずき、リリアはそれを確認して扉を開いた。


「こんばんは、エイラさん。どうかしたんですか?」


「あ、リリアちゃん。こんな遅くにごめんね。あのね、実は明日、急に討伐任務に出かけることになっちゃって。それでどうしても今日のうちに、影布も含めて遠征用のアイテムを一式揃えておきたいのよ」


 エイラは奥にいる食卓のカイトにも目をやると、「お兄さんも、食事中にごめんなさい」と謝る。

 カイトが「いや、気にしないでくれ」とスプーンを置き、品物を取りに立ち上がろうとすると、リリアが一足早くそれを制した。


「カイトさんは食べてて下さい。私、取ってきますから」


「あ、すまない……」


 そして、リリアが店奥で商品を選び、数分後に食卓に戻って来ると、その間に昨夜の顛末を聞かされたらしく、エイラが苦笑いの表情でカイトにうなずいていた。


「あー、あそこの女ボスさん……じゃなかった、女所長さんって、すっごく飲むってあたしも聞いたことあるなぁ……。でも、無理矢理みたいなことは聞かないし、今度からほどほどで断ればいいんじゃないですか?」


「まあ、そうだな。あっちも帰り際に謝ってくれたし……」


「はい、エイラさん、影布と回復アイテム一式のセットです。パーティーの皆さんの分も、まとめてお渡しすれば良かったですよね?」


「うん。ありがとう、リリアちゃん」


 リリアが布袋にまとめた商品を手渡すと、エイラは引き替えに代金を差し出した。


 と、そこでエイラは、カイトの手もとにあるスープとリリアを交互に見て、何かを思いついたような表情になる。

 彼女は意味深な表情で、カイトへと問いを投げかけた。


「ね、お兄さん。そういえば、お兄さんの『一番うれしいと思う食べ物』って……何ですか?」


「ん?」


「え、エイラさん! カイトさん二日酔いなんですから、今その質問は……!」


 どこか含んだ笑顔のエイラに対し、慌てて止めに入るリリア。

 食欲がわかない時に何が好物かなどと尋ねても、あまり参考にはならない。

 そもそもカイトに直接尋ねること自体、エイラはリリアの思惑を知っているのだから、いささかデリカシーに欠けるところだった。

 なのに何故、彼女はわざわざそれを聞こうとしたのか。


 リリアが戸惑っていると、カイトは少し考えてから「うーん……これかな」と、指を差す。

 その先にあったのは、彼が今まさに飲んでいたスープだ。


「……え? 私の……?」


「好物なら、まあ色々あるけど……『うれしい』のは、リリアが作ってくれるものかな。このスープもさ、俺の体調を見て、スパイスを色々と変えてくれたみたいなんだよ。なんていうか、そうやって考えてくれること自体が……嬉しくてありがたいんだよな」


 「もちろん、味も良いけどな」と、カイトは言葉を足す。

 エイラはその返答を聞くと、満足げにうなずいて、リリアへとこっそり耳打ちした。

 

「あんまり気を揉む必要ないと思うのよね。お兄さん、こうやってわかってくれる人だし」


「えっ……」


 その言葉でリリアは気が付く。今のエイラの質問は、カイトの答えを予測した上でされたものだと。

 というよりも、その回答に誘導するために、質問の言い回しからして微妙に変えたようだった。


「──あのね、お兄さんを喜ばせたいっていうリリアちゃんの気持ちも分かるけど……あたしからすれば、もう十分奥さんできてるように見えるのよ。だからむしろ、リリアちゃんはお兄さんに逆に甘えるくらいで、ちょうど良いんじゃないかなって」


「……エイラさん……」


 小声で言ったその言葉は、エイラなりの気の利かせ方だった。

 あせる必要はない、カイトはリリアの頑張りをちゃんと見てくれている。

 無論、彼の好みを探るという今回の試みも悪くないが、そこにこだわらずとも今のままで何も問題はないと。

 そんな妹を見守るような思いで、エイラはカイトの言葉を引き出してくれたのだ。


 同様に、昼間のスィーリアとの会話も、それと同じものであったことにリリアは気付く。

 「いつも通りに過ごせばいい」、そう言っていたスィーリアの表情は今のエイラにどこか似ており、図らずも二人は同じ気持ちでリリアにアドバイスをしてくれたのだった。


「……そうか……そうですよね……」


 何だかきゅっと胸が詰まってしまい、リリアは顔を隠すように、ぺこりとエイラに頭を下げる。

 その内心を読み取ったエイラは、短く「ん」とうなずいて、アイテム袋を肩にかけ、出口へと足を向けた。


「さて、明日も早いし、お邪魔虫はここらで退散ってことで、ね」


「……エイラさん、どうもありがとうございました」


 リリアが礼を述べ、カイトが奥から「またよろしくな」と、声をかける。


 しかし、帰る寸前でエイラは「あ、そうだ」と足を止めた。

 彼女は今度はカイトに振り向いて、少しだけ不敵な笑みになると、たしなめるような口調で言った。


「お兄さん、今後はイアンに買い食いさせちゃダメですからね。いくらご褒美でも、あの子に変な習慣覚えさせたら……あたし、ちょーっとそれは……黙ってませんよ?」


「う、それ、バレてたのか……。いや、その……もうしませんから」


 そんな二人の会話を聞いて、リリアは「ふふっ」と楽しげに微笑むのだった。



<おわり>

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