◆23.聖女は絶体絶命なんですけど。


 アンリエッタは馬車に乗って南方へと向かう。

 その行程は目的地まで十日ほどかかる長旅だったが、彼女はそれを辛いとは思わなかった。

 それよりも責任感による重圧が彼女の心を満たしていた。

 半分蚊帳の外だったとはいえ、追放した魔術師の恨みを買うことは、自分にも責任の一端がある。

 聖女として、人の上に立つからには知らなかったでは済まされないのだ。

 魔術師を説得する上手い手立てはまるで見つからないが、とにかく誠心誠意謝らなければと彼女は思っていた。


「お嬢様、今夜はここで夜営いたします。昨日までの宿と異なりご不便をおかけしますが、なにとぞご容赦下さい」


 陽が落ちた頃、フリューが用意した護衛騎士がアンリエッタに声をかける。

 一行は薬屋まであと少しというところに近づき、すでに森の中へと入っていた。


「構いません。これも貴重な経験です。あなたたちも明日の出発に備えて、ゆっくり休んで下さい」


 そう言って騎士たちをねぎらい、アンリエッタは馬車内の侍女を外にやる。

 彼女に魔道具のテントを張らせるためだ。

 アンリエッタが用意させたそのテントは、伸縮自在で防音機能なども備え、広さも快適度も段違いの調度品である。

 公爵家の令嬢だけあって、たとえ野宿することになっても、彼女の持ち物、受ける待遇は人並み外れて豪奢なものだった。


 ……ただ、しばらくの間、アンリエッタは馬車内で侍女が呼びに来るのを待っていたのだが、いつまでたっても彼女は戻らない。

 妙だと思って客車の外へ出る。

 周囲を散策して回ると、少し離れた木陰のそばで、血まみれになって倒れている侍女を発見した。


「──! イライザ! どうしたの、イライザ!」


 思わず彼女の名を呼んで駆け寄ろうとする。

 だが、木陰から出て来た剣を持った影に足を止め、聖女は身をすくませた。

 それはアンリエッタを守るはずの護衛騎士だった。

 剣は血に濡れていて、侍女はすでに事切れている。誰が殺したかは明らかだ。


「ああ、見つかっちまいましたか。上手く声を出させないように殺せたと思ったんですがねえ」


「あ、あなた、何を……。まさかイライザを、き、斬ったの……!?」


「悪く思わんで下さいよ、これも命令なんでね。あんたにも恨みはないが……国の中枢に関わる以上、こういう危険はつきものだ。潔く諦めておくんなさい」


 口調もまったく異なり、どこか粗野なたたずまいだった。

 おそらくこれがこの男の素なのだろう。

 そしてこの騎士はアンリエッタの命をも狙っている。というか、どう見ても主目的はそちらである。

 理由はわからない。フリューが用意してくれた騎士なのに、どうして、とアンリエッタは我知らず口走った。


「察しが悪いお嬢さんだねぇ。俺たちはそのフリューさんに頼まれたんだよ」


「え……?」


 続いて男の言葉に呼応するように、他の護衛騎士たちも二人のもとに集まってくる。

 誰もがアンリエッタへの殺意を隠そうとせずに。

 そこでようやく彼女は気付いた。自分は、はめられたのだのだと。


「別にあんたが国に残ったとしても、今の結界の薄さなら突破は十分に可能なんだがね。念には念を入れよとのフリューさんの仰せなんでさ」


「突破って、あなたたち……この国の人間じゃないの……? だって、フリューは伯爵家の子息だって……」


「ああ、全然ご存じないんだねぇ。パルヒュム伯爵家は傀儡も同然なんだよ。あそこの親父は養子を取ったというだけで、本当の親子じゃない。伯爵を買収した金で王宮内に潜り込めるんだから、こっちとしちゃ安い買い物ってわけさ」


 つまり、すでに外国からの間者は入り込んでいたのだ。

 外敵は伯爵家を取り込み、貴族の子息を装って何食わぬ顔で国の中枢に潜伏している。

 陰謀を張り巡らせ、あわよくば今のように、自分たちに邪魔な勢力を排除していく。

 彼らはそうして本命の、結界を破る時期をずっとうかがっていたのだ。


 おそらく追放された魔術師もダシに使われたにすぎないとアンリエッタは思い至った。

 真に相対するべきは魔術師ではなく、異国の間者であるフリューやこの騎士たち。

 彼女の認識は根本から間違っていたのだ。


「じゃあ、フリューだけじゃなく、妹のフローラも……」


「妹? ……あぁ、なるほど、気付いてないのか。ま、わかるわけもないよな。だってフリューさんは──」


「……?」


 何を言っているのかわからず、アンリエッタは言葉を止める。

 男は続きを答えなかった。その代わりに、ここらが潮時とばかりに剣を抜き、アンリエッタへにじり寄った。


「ほ、炎よっ!」


 アンリエッタは手から火球を発射する。が、剣士は難なくかわして距離を詰めてくる。

 魔力の高い聖女とはいえ、彼女は戦闘のプロではない。苦し紛れの攻撃魔法など容易によけられてしまう。


「そんじゃま、気の毒だが、この世からおさらばしてもらいましょうかね、聖女様」


 言って、凶刃が彼女の眼前で振り上げられた。


(やられるっ……!)


 絶体絶命。助けを求める相手もいない。

 まさに彼女の肩が袈裟がけに斬られようとしたその時──しかしザクリという音とともに、剣は垂直に地面へと落ちる。


「がっ……!」


「……えっ?」


 どうなっているのか。

 黒い帯のような魔力が、令嬢ではなく男の腕を刺し貫いていた。


「な、何だっ!? どうなってんだ!? か、影が……?」


「──おい、何だよこの状況。火の玉が飛んできたと思ったら、どうして公爵令嬢が襲われてるんだよ」


 そして、真っ暗な影をかき分ける様にして現れたのは、件の追放された魔術師──カイト・フェデラルだった。

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