◆22.聖女はカイトのところに向かうつもりなんですけど。


「何ですって、司祭様が!?」


 アンリエッタは執事長からの報告を耳にして、声をあげた。


 それは、彼女が相談に行ったマレク司祭が更迭されたという報せだった。

 魔術師としても名高いその司祭は、王族ではないものの、王都の中枢に深く関わる実力者である。

 聖女選定に慎重な態度を示してはいたが、アンリエッタからの訴えも分け隔てなく聞き入れ、結論を急ぎすぎないよう彼女に冷静なアドバイスをしてくれていた。


 その彼に、一体何があったのか。


「どうして……まさか、殿下が……?」


 このタイミングで狙いすましたように司祭を遠方へと追いやる。

 そんなことができるのも、それをする動機があるのも、それに該当するのは王太子たるヨハンくらいしかいない。

 アンリエッタはさすがにそこまでとは思いつつも、これまでの彼の言動をかんがみて、十分ありうる話だと考えを改める。


(今から殿下のところに行って……私が話して、わかってもらえるかしら……。ううん、無理だわ……。これまでできなかったからこそ、今みたいなことになっているのだし……)


 けれどそう迷いながらも、他に何をすることもできず、アンリエッタは王子の私室まで足を運ぶ。

 そして、扉の前でノックすべきか迷っていたところ、彼女は突如、背後から声をかけられた。


「殿下は今、部屋にはおられませんよ、アンリエッタ様」


「えっ、あなたは……」


 そこにいたのは金髪碧眼で、十代後半くらいの青年だった。

 呼ばれるまで気配を感じず驚いてしまったが、服装からしてどうやら貴族の子息らしい。

 彼は自らをフリューと名乗り、アンリエッタに対し慇懃に頭を下げる。


 フリューの話すところによると、彼はフローラの兄だという。

 伯爵令嬢フローラとは、アンリエッタも何度か顔を合わせたことがあったが、なるほど確かに彼女とは顔立ちが似通っていた。

 ともすれば、同じ人間に見えてしまうほどそっくりに見える。


 フリューは挨拶もほどほどに、にこやかな愛想笑いから一転、真剣な表情になると、急を要する事態が迫っていると彼女に述べた。


「アンリエッタ様。結界のことで、是非ともあなたのお耳に入れたきことがございます。今から少々お時間をいただけますか」


 彼はそう前置き、アンリエッタが驚くべき内容を話し始めた。







「闇魔法によって、結界を消滅させる方法があるらしいのです」


「闇魔法で……? ど、どういうことかしら」


 フリューの話は、一言で言えば、かつて国を追放された宮廷魔術師についてのことだった。

 その宮廷魔術師は、王子によって闇魔法以外の魔法が使えなくなる呪いを受けたが、今はそれを逆に利用して、さまざまな闇属性の使用方法を編み出しているらしい。

 南方に位置するカルスの森で、妻とともに薬屋を営んでいるのだとか。

 彼の作る道具は近隣の街々で評判となっており、最近ではアンリエッタたちの国、グラフィアスからも発注が掛かっているほどだ。

 それだけならば新天地で成功を収めて良かったねで済む話なのだが、フリューはその魔術師のきな臭いうわさも耳にした、とアンリエッタに告げた。


「その魔術師は、どうやら今でも王子に恨みを抱き続けているようなのです。いえ、王子どころか、この国の人間すべてを敵視し、おそらく虎視眈々と復讐の機会をうかがっているに違いありません。その証拠として、先に申し上げた結界消滅の術式を彼が作り上げたという情報を、先日私は入手しました」


「そんな、まさか……」


 突然の、慮外の話にアンリエッタはおののいた。


 というか、そもそも代理の魔術師が呪いを受けていたことすら初耳だった。

 竜が召喚された時、彼と召喚長が口論になっていた様子を遠くから目にしてはいたが、その内容までは聞こえていない。

 彼の同僚の魔術師たちが無能だと蔑んでいたが、それは口汚い罵倒でしかないと思っていた。


 魔術師の要ともいうべき魔法を奪い、国外へと追いやる。そんな仕打ちを受ければ、いくら外で成功しても恨みを抱くのは当然ではないかとアンリエッタは思う。


「でも……それで結界を消そうとするのは……こちらとしては捨て置けないわ……」


 アンリエッタのその言葉に、フリューは「そうなのです」とうなずいた。


「ご相談したいのはそのことなのです。もしその術式が本当に完成していて、それが他国の手に渡れば、我が国はたちまち多くの脅威にさらされることになります。他国だけではありません。聖女が擁立される元来の目的は、定期的に発生する魔獣の大発生──スタンピードを食い止めることにあったはず。結界が破壊されれば、魔獣が国内になだれ込み、今まで築いてきた国の安定が土台から崩れることになる」


「本当に……まさにその通りね……」


 殿下はなんということをしてくれたのだ、とアンリエッタは頭を抱えた。

 きっと彼にとっては、その行為も取るに足らないことだったのだろう。

 自分のため、アンリエッタのため、あるいは未来のため。間違いとも思わず軽い気持ちでやったに違いない。

 けれど、やられた方はその恨みを忘れない。

 どれだけ立場が上の者の命令でも、その理不尽な処遇に納得できるわけもない。


 ただ、その魔術師の心情には一定の理解を示しつつも、それで国の安全を脅かす行為を見過ごすわけにはいかなかった。


「いかがいたしましょう、アンリエッタ様。騎士隊に出動を要請して、その魔術師を拘束させましょうか」


「……いいえ、駄目よ。そんなことをすれば、私たちはさらに悪い方向へと自らを追い込むことになる。すでに彼の名が近隣に広まっている以上、暴挙を行えば諸外国に付け入る隙を与えてしまいます。何より、道義に沿わない行いをこれ以上重ねるわけにはいかない」


「では、どうしますか」


「私が彼と直接交渉します。もとはといえばこちらの非礼で始まったこと。落としどころを探るにしても、過ちを認め、誰かが頭を下げなければ始まらないでしょう」


 聖女として、公爵家の令嬢として。

 アンリエッタは国を守るという大きな責任感を一身に背負い、自ら魔術師のもとに足を運ぶ決断を下した。


「かしこまりました。私も近頃の殿下の放蕩さを含め、この事態をどうすべきかと憂いていたのです。アンリエッタ様にご相談にうかがってよかった。国外出立の手筈は私にお任せください。早急に手配いたします」


「頼みます」 


 アンリエッタはきびすを返し、王子の部屋の前を立ち去る。カルスの森の魔術師、カイトのところへ向かうために。

 だが、彼女は知らない。

 今のフリューの話、半分は偽りであることを。

 実際のカイトは結界を消す方法など開発していないし、作ろうとも思っていなかった。

 それらはすべてアンリエッタをだますためのもの。フリューの作り話なのである。


 フリューはアンリエッタの姿が見えなくなった後、口の端をつりあげてつぶやいた。


「生真面目なお嬢様は扱いやすくていいわぁ……おバカな王子様と同じくらいにね」


 その声は、まるで女のような甲高いものだった。

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