第37話・反逆の芽

 イザベラの告白は、少しばかりは私の心を動かした。


 私の不幸を踏み台にして王妃になって有頂天だったけれど、やがてジュリアンの本性に気付いて後悔し、私に詫びる事でなんらかの救いを得たいのか、という風にも思っていたけれど、それだけではないようだ。父親に嵌められてジュリアンに純潔を奪われ、そのまま二人の思惑通りに堕ちていった……それが本当なら、彼女にもジュリアンの非道の被害者の面はある。


 でも、被害を受けた苦しみから逃れたいからだったという理由が明らかになったって、彼女が私を裏切った事実は変わらない。壊れた友情が元に戻る事もない。牢の中で私を蔑んだ感情は本物であって、誰かに強制された訳ではない。


 ただ、私は彼女の告白で、やや冷静にものを考えられるようになった。




「――それで」




 一旦は引き下がったけれど、ユーグさまもリカルドも黙ったままなので、私は努めて平静な声音で彼女に向かって言った。




「あなたが宰相の実の娘でない、というのは本当なの? だったら、あなたは誰の娘なの? まさか、わからない、なんて言わないでしょうね?」




 私の問いに、イザベラは苦し気に視線を泳がせ、ユーグさまとリカルドの方へ助けを求めるような顔を向ける。でも、無意識の仕草だったようで、リカルドが思わず口を開きかけると、首を振ってそれを止めた。




「わからない、なんて事はないわ。生まれて来る……王の子に、卑しい血を持たせる事はないわ。でも、でも、それはいまは言えないの」




 卑しい血、卑しい生まれ。そんな言葉を別な所で聞いたような。


 私は身分が低い人を卑しいと蔑む気持ちは持たない。ただ、社会の中で自分とは違う役割を持って生まれただけの、同じ人間なのだと、亡き父に教わってきた。


 でも、そうは言っても実際は子どもの頃、直接言葉を交わす事もない街の人々を馬車の窓から見ていて、本当に同じ人間なのかしら、と心のどこかで思っていた事もあったかも知れない。あの人たちは、美しい装飾品も持たず、勉強もせず、食べる為に働いてばかりだという……それって何の為にやっているのかしら? 食べる為に働く、という事すらまったく想像できなかった私は、彼らは何の感情もなく食事をする為に決められた労働しているだけの、自分とは違う生き物のように思っていたかも知れない。


 「民を護らなければならない」と思っていたけれど、護るべきものの事を理解していなかった。


 でも、今はわかる。村人と交流し、子ども達と遊び、文字や歌を教えた日々。彼らはやっぱり、私と同じ、いや、護られてぬくぬくと過ごす事を当たり前だと思っていたかつての私より、ある意味たくましい人間だった。学がなくても、身分がなくても、卑しい、なんて人間はいないのだ。


 イザベラが王妃であるなら、その事を知っておくべき、と思う。彼女は知らない筈だから。




 けれどそれはそれとして、王族でも貴族でもない血が、誰にも秘密の間に正当な王家の後嗣に入ってしまうのはいけないと思う。


 建国王から受け継がれて来た王家の血筋を敬う事は、国の束ねにとって重要な事。正しい事かどうかは別として、王家の詳しい事情など知る術もない民は、何かわかりやすい基準を元に、敬う相手を決めがちだから。


 血筋以外に皆が王族と認めるなにか特別に秀でたものがあれば、別の可能性もあるかも知れないけれど、イザベラには『宰相の娘である』以外の傑出した所などない。


 歴代の国王には、王妃以外の女性に産ませた庶子だっていくらもいた筈だけれど、その子らが王太子となった事例などない。


 イザベラが、卑しくない、と断言するからには、それを信じるならば、イザベラの親は高位の貴族か王族という事になるのだろう。歳回りを考えれば、候補者は絞れる……。…………。


 いやいや、イザベラの言う事なんて、全部出鱈目かも知れないのに、いまそれを考えている場合じゃない。


 問題は、イザベラがどういうつもりでそんな事を言うのか、という事だ。




「言えないってどういう事なの。だったら、何の為に、自分が宰相の実の子でない、なんてわざわざ敵の私たちに言ったりしたの? 私たちを混乱させようっていう企みかしら?」


「違うわ。あなたを妬んだ理由を知って欲しかった事と、私の秘密を打ち明ける事で私を信じて欲しいと」


「信じて欲しいなら、何もかも包み隠さず言えばいいじゃない! まあ、そもそも嘘でしょうけどね」


「いっそ、嘘だったらよかったのよ……私なんて、生まれて来なければよかった」




 イザベラはまた泣きだした。要領を得ず、進まない話に苛々する。




 でもその時、リカルドが思いもかけない事を言い出した。




「……アリアンナ。王妃陛下の仰っている事は本当なんだよ。きみが彼女を許せないのは、まあきみの立場になれば当然とは思うけど、今は、言いたくない事を追及するよりも、彼女が言おうと思っている事を聞いた方がいいんじゃない? 時間がないし」


「リカルド。本当だって、どうして言えるの? あなた……なにか、知っているの?」




 命懸けで私を匿ってくれたリカルドを、隠し事をしているなんて疑いたくない。でも、リカルドはそもそも、自分の命を大事にしていない。




「なにか知ってるの、とは曖昧な質問だね。そりゃあ、僕だって、きみがたぶん知らないだろう事を知ってたりもするさ」


「はぐらかさないで!」


「アリアンナ。嘘は言いたくないし、かと言って、言いたくない真実もある。でも僕はね、ユーグとユーグの愛するきみの為なら命を惜しまず助力する。それは真実だよ。それじゃ駄目かい?」




「アリアンナ、リカルドを疑わないでくれ。いま、そんな話をしてる場合じゃないだろう?」




 ユーグさまの静かな声に、私ははっとした。確かに、今はイザベラと話をする時だし、ユーグさまが信頼しているリカルドを私が疑うなんておかしい。




「ごめんなさい、リカルド。イザベラを疑うな、というのは無理だけれど、あなたの事は信じてるわ」


「それで充分だよ。信じてくれてありがとう」




 とリカルドは言った。




 イザベラは多少気を取り直したようで、涙を拭って顔を上げた。




「わたくしは、ただ詫びを言いたいが為だけに危険を冒して会いに来た訳じゃないの。もっと役に立ちたいと思って、王の計画を……あくまで、洩れ聞いた範囲の話だけれど、伝えたくて、来たの」


「計画?」


「そうよ。王がただこのまま、あなたがたを歓迎して言い分を聞いて理解を示してくれる、なんて思ってないでしょう? 王都までなんの妨害もなく来ることが出来たのは、あなたがたが王におびき寄せられたからだ、とも言えると思うの」


「まあ、そんなところでしょうね」




 とユーグさまは当たり前のように頷いた。




「それであなたは一体どうなさるおつもりだったの、ユーグさま? 貴族たちは皆、王が恐ろしくて、王の気に染まない発言など誰も出来ません。いくら正論を述べたって、そもそも多くの者が、あなたを氷の魔物かも知れないと思っている状況で、あなたの無実を通すのは、とても困難な事ですわ――王が、そうだと言わない限りは。そして、ジュリアンは、あなたとアリアンナを共に葬り去る気で満々ですのよ」




 そうだ、それが現実。誰の目にも見えている事。


 私たちの頼りは、ローレン侯爵だ。誰も逆らえないけれども憎まれている王と、王に逆らえないけれど慕われている侯爵。侯爵が皆に、ユーグさまの話を聞いて欲しい、と言ってくれるだけでも、小さくない望みが生まれる。


 でも勿論、私たちとローレン侯爵が通じている事は絶対の秘密で、イザベラがどんなにもっともらしい秘密を打ち明けたところで、こちらの手の内を明かせる筈もない。そして、それを知らないイザベラから見れば、確かに、私たちは自分の命を手土産にのこのこ王の元へやってきた大ばか者に見えるだろう。




「そうだとしたら、私たちは王城の門に仲良く首を並べる羽目になるだろう、と仰りたいのですね」


「そう……そうなるわ、最悪の場合は。だから、何か考えがおありなら、わたくしに出来る事はお手伝いしたいと思うのです。あの……王の目の前で逆らう、なんてことは出来ませんが」


「そんな事は。そもそも我々は、あなたをなるべく巻き込まないつもりですよ」


「でもあの……たとえば、ローレン侯爵に頼る事は出来ませんか? 侯爵は……嫡男のフェリクス殿が突然不審な点のある死を遂げられ、あの……動揺していらっしゃるかも。味方になってくれるかも知れません……と考えました」




 話が核心に迫った事で緊張したのか、イザベラの喋り方が乱れている。王妃なのに、交渉中にたどたどしくなるなんて大丈夫なの? と一瞬私は思い、すぐに、どうでもいい事を何故考えたのだろう、と自分に苛立った。




「ローレン侯爵ですか。でも私は何年も彼に会っていませんし、彼も皆と同じように、わたしを魔物と思っているかもしれません」




 ユーグさまは、計画の事は空とぼけてそう言った。イザベラはそれを疑う様子もないまま、続けた。




「だったら、わたくしが間に入ります。ユーグさまは昔のままだと――そもそも何の罪もないのだと、話してみます。第一、第二王位継承権者の二人が手を組めば、王に対抗しうる唯一の力になれるかもしれない、と」


「言葉に充分気を付けられた方がよろしいですよ、王妃陛下。その言葉は……あなたが、私とローレン侯爵の仲を取り持って、反逆の芽を芽吹かせよう、と仰っているようにとれますよ」


「そ……そうとってもらっても構いません。それが、わたくしのアリアンナに対する贖罪であると共に、わたくしの望みでもあります。わたくしの夫の手は、罪もない人の血で汚れすぎています。王の資格はないんですわ」


「その血のなかには、前王陛下の血も混じっている、とお考えですか?」




 よく喋るイザベラに、ひとこと、ユーグさまは静かな言葉を放った。自分の熱に浮かされたように、まだ王を非難する言葉を吐こうとしていたイザベラは、その一言ではっと固まった。




「ジュリアン陛下は、前王陛下の死によって王位に就かれた。しかし、王の資格がない――ということは、その継承に際して、間違った事が起きていた、と?」




 私もリカルドも、ユーグさまの言葉に息を呑み、イザベラの返答を待った。




 前王陛下は第二王子と共に暗殺された。私の父とユーグさまは、その犯人であるという疑いをかけられている。でも、父とユーグさまは無実である、と私たちは知っている。ならば、真の犯人は――。


 思っても、今まで敢えて言葉にはしなかった。あの時、ジュリアンも一緒に毒のお茶を飲み、瀕死の状態になった。三人が同じように危篤状態になって、ジュリアンだけが奇跡的に一命をとりとめたのだ。だから、ジュリアンは潔白だ、と誰もが納得せざるを得なかった。


 でも、ジュリアンは本当に幸運によって紙一重で生き延びたのか? 毒を飲んだのまでは本当だとしても、実は致死量を飲んではいなかったのではないか。治療中の状況がどうであったかなんて、医師を抱きこめば説明は誤魔化せる。


 もしも、最初から何もかも計算づくで、疑われずに父と弟を殺して自分が王位に就く為に、一緒に少量の毒を飲んで倒れたのだ、とすれば、何もかもの辻褄は合う。




 イザベラが、この事について考えていない筈はない。例え直接聞かされてはいなくても、全く何も知らない訳はない。


 彼女は、私たちとローレン侯爵を結び付けて、反国王派を作り上げようとしている。真意がどこにあるのかはともかく、それが成って国王の立場が危うくなれば、王妃である彼女や彼女の父宰相にも危険が及ぶ。それを本当にわかっているのか。


 問いただすのならそんな事かと思っていたのに、ユーグさまは思いもしなかった局面で、重大な言葉を投げた。




「わた……わたくしは……」




 イザベラは返答に迷って立ち尽くした。

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