第38話・叫び

 ジュリアンが得た王位は、王の不幸な死によって嫡子に継承された妥当なものだったのか、それとも自ら父王暗殺によって簒奪したものなのか。


 私は、もしもジュリアンの罪であるなら私の父の無罪は証明される、という面からしか考えてこなかった。そうであって欲しい、と心の中で思いつつも、流石にあの悪魔も親殺しまではしないのでは、とも考えて迷い、その仄暗い推理を今まで口にはしなかった。だって、そんな大罪を犯さなくたって、いずれ王位は王太子であるジュリアンのものになると約されていたのだから、仮に彼が殺したい程父親を憎む理由があったとしても、既に手にしている地位を失う危険を冒してまで暗殺を決行する程感情的な人間でもない、と思うから。嗜虐趣味は間違いないとしても、それを充たす為にも己の地位を失う訳にはいかないという計算は土台にある筈。


 だけど、王と第二王子を毒殺した犯人は絶対に存在する訳で、それが嫌疑がかかっている父とユーグさまの犯行でない以上、他の容疑者としてこちら側としてはジュリアン以外に考えられない。


 動機は……?




『貴女は知らなかったかも知れないが、アンベール候は娘の地位を笠に着て、ジュリアン殿下に諫言してご不興を蒙っていたのだよ。それで候は、このままでは破談になり、己の地位を失うかもと思い込み、ラトゥーリエ公爵に取り入って、陛下とその御子息を暗殺し、王位に就くラトゥーリエ公爵に貴女を嫁がせようと目論んだ。これでも辻褄が合わないかね?』




 不意に、牢の中で私を脅した宰相の言葉が、雷のように私の脳を撃った。


 何もかも嘘だろうと思っていたけれど、父が諫言したというのは嘘と決めつけられない。国の為ならば、国王にだって時には歯に衣着せなかった父だもの。前王陛下は幼馴染の父を深く信用して下さっていたし、聡明な方だったので、諫言はいつも良い方向へ働いた。


 でも、ジュリアンは……。前王陛下と違って、父の事を、というか恐らく誰の事も信用していなかった。悪人というのは猜疑心が強いものだ。諫言なんかしたら、怒り、自分と敵対するものだと見做すかも知れない。おまけに父は、ジュリアンが何としても、優等生の王太子という顔を見せておかなければならない、前王陛下の腹心中の腹心だった。父が、恐らく聞き入れられないであろうとわかっていながらも、諫言せずにいられなかった事があったとしたらなんだろう。そして、諫言を容れなかった事で、父は前王陛下に話したのかも知れない。それは、もしかして、ジュリアンが自分の父と私の父を殺す事を決断させる事だった……?




 私の考えを途切れさせたのは、ただイザベラが乾ききった唇を舐めた音だった。小さな音で、不作法という程でもない。でも、やけに私の耳についた。


 イザベラはやや上ずった声で言った。




「わかりました……あくまで、わたくしが直接なにかを見聞きした訳でもないし、証拠もなにもない。けれど、思っています……ジュリアン王の傍にあってあの人を知れば知るほど、きっとそうだと思うのです。ジュリアン王と、わたくしの父宰相が手を結び、前王陛下のお茶に」




 けれど。


 イザベラの口から、決定的な言葉が漏れる寸前で、甲高い叫びがそれを遮った。建物の外から聞こえたものだった。




「な……なにっ?!」




 とイザベラは言いかけたことも忘れた様子で青ざめた。それほど、その叫びは、なんだか聞く人をぞっとさせるような、獣のような響きを含んでいた。イザベラは、何よりも恐れる残酷な夫王の目を盗んでここに来ているのであり、トラブルにより危険が起こることよりむしろ、それによって自身が城を抜け出してここにいることを夫に知られることが何より恐ろしいのかもしれない。




「エッチェルはどこ?!」




 と彼女は怯えた様子で叫んだ。それまでの、極めて重要なやり取りの事は頭からとんでいるように見えた。でも、それも演技かもしれない、とも私は思った。あまり話が長くなると、不利な事を言わされるかもしれないと思い、私たちの不信感を招かぬように話を打ち切れるよう、仕込みをしていたのかもしれない。




「外で何があっても、ここまで入ってきはしないわ。だから安心して続けなさいよ。王と宰相が、前王陛下のお茶に、なんですって?」




 また、叫び声がする。女性の声のようだった。誰かの名前を呼んでいるようにも聞こえる。複数の騎士の声があがり、いくつかの叫びと物音の後、取り押さえられたのか、いっそう大きく喚いてから叫び声は聞こえなくなった。




「ほら。もういいでしょ。泥棒かなにかじゃないの? 政治的な目的を持つ襲撃犯なら、こんな大騒ぎしない筈だもの」




 自分でも意外に思う程冷静に私は言った。でも本当は、こんな事のせいでイザベラの証言を逃してしまう事をひどく恐れていたのだ。




「だけど。なんだかとても胸騒ぎがするわ。ねえ、エッチェルに何があったのか確かめさせてくれない?」


「時間がないのはあなたなんでしょ! 時間稼ぎしようったってそうはいかないんだから!」




 一度エッチェルを呼んでしまえば、話し合いはそのまま打ち切りになってしまうことは明白だ。協力したいなどと言いながら、王の罪に関して証言させられそうになって臆したのか?




「はっきり言いなさいよ。王と宰相は何をやったの? 王が私たちに対して企てている計画って何?」




 と私は迫った。




「それは……」




 イザベラは目を泳がせた。浅く息を飲み込んだけれど、なかなか次の言葉は出ない。




「それは……」




「待って、アリアンナ。僕が外を確かめてくるよ。何が起こったのかわかれば、王妃陛下だって安心して話しやすくなられる筈だから」




 間に入ったのはリカルドだった。水を差された気がして私は思わず彼を睨んでしまったかもしれない。でもリカルドは気にした風もなく、




「もしもここで王妃陛下と会っていた事が王陛下に知られれば、まずい立場なのはむしろ僕たちかもしれない。王妃陛下を脅迫して何かを言わせた、となったら何を話してもらっても意味はないし。僕は外で何があったのか気になる。行ってもいいだろう?」




 最後の言葉は、私やイザベラではなく、ユーグさまに退席の許可を求めていた。




「おまえがそう言うんなら、そうしたらいい。俺はおまえに何か強いることなんか出来る立場じゃないし、おまえを信じてるから」




 リカルドの視線を受けて、ユーグさまは静かに答える。リカルドは僅かに上ずった声でありがとうと言って、部屋を出て行った。




「リカルドが確かめてくれるんだから、その間に答えてよ。あなたが僅かでも私や父に済まないと思っているのなら、知ってる事を全部!」




 外の事や、リカルドの言動について考える余裕がなかった。ヒステリックに見えるかもと思う余裕もなかった。だって、私は、イザベラの口から、この苦しみの源である冤罪についてなにか聞き出せるかもしれないという可能性を逃すまいと、ただその思いに囚われていた。




「アリアンナ」




 と喘ぐようにイザベラは私の名を呼んだ。彼女はこれまで数えきれないほどに私の名を呼んできたけれど、こんな口調で呼んだ事は一度もない、とどこか他人事のように私は思った。




「なに」




 と私は返した。




「なに、イザベラ」


「わたし……わたし……どうかしていたわ、ごめんなさい。逃れられないのだわ、夫からも、血の宿命からも。わたしがわたしのものであるならば、いくらでもあなたの望む答えをあげたいわ。でも、わたしは生まれてくるべきではなかったもので、それを知った時からきっと死んでいる。わたしを理解できるのは『あのひと』だけなの! さっきの声で、我に返ったわ。わたしは運命に逆らうことはできない!」


「……何を言ってるのかわからないわ。ごまかすつもり?」


「違うわ。でも、理解してもらえる訳ないわね」




 まるで謎かけみたいだ。苛立って更に詰め寄ろうとした時、扉が叩かれた。リカルドが戻ってきたのかと思ったけれど、ユーグさまが応じると、扉を開けたのはラトゥーリエ家の騎士団長のシャルルだった。




「なんだい。いま、誰も近寄らないように言っておいた筈だが?」




 彼を咎める為でなく、会談を中断せざるをえない事が起きているのだと私に知らせる為に、ユーグさまはそういう言い方をなさったのだった。




「は、申し訳ございません。騒ぎがお耳に入ったかと存じますが、騒いでいた女性は取り押さえましたので、ご安心を、とお伝えに参りました。リカルド様が、早く安心させたいから伝えてきて欲しい、と仰るので」


「どういう騒ぎだったんだ? リカルドは何故戻ってこない?」


「は、リカルド様はもう少しその女性と話したいと……その、女性は、この近辺では有名な存在だそうで、エルミナードの修道院から時折抜け出してきて騒ぎを起こすそうです」


「エルミナード? 昨晩泊まった村か」




 馬車で一日分離れたので、それなりに距離はある。




「ここまで来ることは今までなかったそうなのですが」


「それで、その修道女はなんで騒ぐんだ? 我々に何の関係が?」


「ユーグさまやアリアンナさまの事は何も言いませんが、その」




 でもこの時、一旦大人しくなっていた女性がまた叫びをあげたようだ。猿轡でも外れたのだろうか。叫びは夜のしじまを縫ってはっきりと私たちに届いた。甲高く耳障りな中年女性の声は、こう聞こえた。




「イザベラ、イザベラ、イザベラぁぁぁぁ!!!」




 その声にイザベラは紙のように青ざめて耳を塞ぎ、膝をついた。

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