第32話・強欲な親族

「レジーヌが死んだ……」


 別れ際に、私の顔も見納めでせいせいすると言っていたレジーヌは、私の死を確信していたのに自分が死んでしまったのか。私とリカルドを消すことで、ひとりで弱っていくシルヴァンを独り占めできると目論んでいたのに、私が捕まることがかれの罪と死に繋がる事だったと知って絶望したのか。ユーグさまが彼女にもう二度と会う気もないと、自分で気づいて。


「そうか……かわいそうだね」


 と隣でリカルドが呟いた。


「彼女のこと、許すの?」


 リカルドはあまり感情を見せていない。ただ軽く首を振って、


「まあ、あいつのせいで死ぬところだった訳だけれど、死んだと聞けば恨んでてもしかたないし。元々僕はべつに自分はいつ死んでも構わないと思っていたしなあ」


 私だって、レジーヌが罪を悔いて自死したのだと思えば、殊更に憎い憎いとはもう思わないけれど、幼馴染に裏切られたというのにリカルドは相変わらず他人事みたいにしている。


「死んでもいい、ってでもあなた、ローレン侯爵は……」


 リカルドに、「己のすべきことは」と言っていた侯爵を思い出して、関係を尋ねようとしたその時、レジーヌの父親がこちらを見た。


「おまえもだ、リカルド! おまえら皆、罪人の癖によく平気な顔で生きていられるもんだ。おまえがさっさとアンベールの娘を連れて自首しておけば、レジーヌも死なずに済んだんだ。レジーヌに申し訳ないと思わんか!」

「かわいそうとまでは思うけど、別に申し訳ながる義理はないと思うんですがね」

「なんだと。汚らしい生まれのおまえと親しくしてやったレジーヌをありがたく思っていないのか? 思っている筈だ、おまえの秘密を守ってやってたんだぞ。そうだ、おまえはあの大きな館をおれに譲れ。どうせおまえらはそのうち捕まって死ぬんだからいいだろう。おまえとレジーヌが婚約していたことにすればいい」


 身勝手過ぎて開いた口が塞がらない、という気持ちだったけれど、伯爵は自分の思い付きに自分で名案だと自讃し始めた。


(汚らしい生まれ?)


 そう言えばレジーヌもそんなような事を言っていたっけ。ローレン侯爵から目をかけられている様子なのに、いったいどういう事だろうか。


「そう言われても、あの館は僕が住んでいると言っても僕の都合で他人に譲ったりは出来ないし」

「こんなたわごとに真面目な返答をするやつがあるか」


 ユーグさまがリカルドに呆れたように言った。


「とにかくレジーヌが亡くなったとは気の毒だが、叔父上は娘が死んだことより金の方が大事の様子。そういう方と知ってはいたが、実際の言い分を聞いては呆れかえるばかりだな。俺もリカルドも、あなたにあげるものは何もない。いい加減帰ってくれないか。あと、念の為に言っておくが、もしも俺が王に処刑されるとしても、俺の財産があなたに渡ることはないだろう。全て王家に取り上げられ、王に都合のよい人間が新しい領主として遣わされるだけだ」

「おまえに一番近い親類はおれだぞ。親族には遺産が」

「情けない事にそうだが、俺が罪人だと思うのなら、縁を切った方がいい。遺産どころか罪のとばっちりを受ける可能性を考えないのか?」

「おまえが金を寄越せば切ってやるさ! おまえに縁づける娘はもういないんだからな」


 私は溜息しか出ない。金金と言い続けるこの男にいい加減うんざりしてきた。こんな親に育てられてああなったのなら、レジーヌはまだまともな方だった。


「あんたの言葉を聞いてると、疎遠な僕の親にも一応教育をしてくれてありがたいと思いたくなるな」


 リカルドが言った。


「ありがたいと思っていなかったのか。穢れた生まれが」

「まあ穢れてはいるかも知れないけど、あんたやレジーヌが思っているのとは違いますし」

「リカルド?」

「アリアンナ。僕はずっと、両親に忌まれてきた。子どもの頃、レジーヌは僕の母が僕を「穢れた生まれの子」と罵るのを聞き、それをこの父親に伝え、こいつは、僕は父の私生児で母親は汚らわしい類の女で、何かの事情で伯爵家に引き取られているのだと思ったのさ。本当はそうじゃないんだけど、訂正するのも面倒なので、そう思わせたままなんだよ」

「まあ……」


 私は頭を巡らせた。もしかして、リカルドはローレン侯爵の庶子ではないのか。侯爵はリカルドに愛情を持っていて、分家の伯爵家に養育させた?


「叔父上」


 ユーグさまは最後通牒を突き付けた。


「俺と俺の両親、俺の未来の妻、俺の親友をむやみに貶めて、なんで俺がおとなしく従うと思うのか? 俺はもう地下室に閉じ込めらた病気の子どもじゃない。俺があなたに感謝するのは、先王陛下に万が一の露見を恐れて無力だった俺を殺さないでいてくれた事だけだ。その恩には、先王陛下に虐待を訴えなかった事で報いた筈だ。弟が卑劣漢だと記録に残れば母の名誉に関わるからな。だが、これ以上あなたの好き勝手を許しておけば、逆に母は怒るだろう。だから、もう帰ってくれ。レジーヌを弔ってやってくれ」


 伯爵はユーグさまの言葉に、どうもお金をとれないようだ、と悟って真っ赤になった。


「この野郎! おまえは王都で斬首されるぞ! その時に、地下室で楽に死ねたらよかった、と思うだろう!」

「飢えと渇きで楽どころではなかったが、あの時死ななかったおかげでアリアンナを護れた事はありがたいと思っているさ」

「アリアンナアリアンナとうるさいやつだな。十年前は乳臭い小娘だったがあの頃からおまえはそいつに入れ込んでいたっけな。そうか、がきだと思っていたが、あの頃からできていたのか?」


 急に話をとんでもない方に振られて私は頭に来てしまった。ユーグさまの縁者なのだから口出ししないでおこうと思ってずっと我慢していたけれど、


「下衆の勘繰りとはこうしたことかしら! そんな事がある訳ないでしょう。くずな父親よりはまだ、レジーヌは品位を知っていたと思うわ」


 と言い返してしまう。ユーグさまを虐待していたと聞いて渦巻いていた怒りがつまらない事をきっかけに噴き出してしまったものだ、と後から反省はした。


「おれがくずだと、この売女が! ならおまえの父親はどうだ、恐ろしい罪で首を刎ねられたんじゃないか、ええ、あいつ……」


 しかし、伯爵は侮辱の台詞を最後まで言えなかった。ユーグさまが叔父を殴り飛ばしたのだ。


「出て行け! 俺の目の黒いうちは、二度と近付かせんぞ!」


 無様にひっくり返った伯爵は、鼻血を拭きながら甥を睨み付けた。


「この犯罪者どもが! 大きな顔をしていられるのも時間の問題だ! おまえらが処刑される時は王都まで見物に行ってやるからな!」


 そんな捨て台詞を吐き、やっとの事でこの闖入者は帰ったのだった。


『おまえらが処刑される時は……』


 ユーグさまが伯爵を殴り飛ばした時はすかっとしたものの、捨て台詞はそれなりに苦い気分を味合わせてもくれた。いくら伯爵がくずで私たちが無実であっても、そういう未来は絶対に来ない、とは到底言えないのが現状だとも感じたからだ。


―――


 伯爵が散々悪態をつきながら帰っていった後で、リカルドは話してくれた。


「うん。アリアンナ、きみが思う通りだよ。僕はローレン侯爵の息子だよ。ローレン伯爵の、ではなくて、侯爵の隠し子さ。僕を押し付けられて、育ての両親は諍いが絶えなかった。育ての父は侯爵から多額の金を受け取って、僕を実子の兄より大事に育てた。それが、母には気に入らなかった。まだ子どもで訳もわからない頃から、僕は母に陰で『穢れた子』と罵られていた。まあ、辛かったけど、大人になった今では、もうどうでもいいかな……」

「まあ、リカルド。あなたは何も悪くないのに」


 私は涙ぐんでさえしまった。父の無償の愛があって、今の私が出来たと思う程、私は親子の情愛を大事に思っているから。


「侯爵の言葉は、嫡男のフェリクスが死んでしまったから陰ながらでも僕に家の為に役立て、ってことなのかな。僕はローレン家のことなんかどうでもいいんだけどねえ」


 リカルドは嘘は言っていなかった。でも、全部を話した訳ではないと、この時の私は知らなかった。

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