第31話・密告者の末路
王都に戻って息子の葬儀を執り行わなければならないが、絶やさず連絡をする、と言って、ローレン侯爵は帰って行った。
侯爵を見送る時までずっと、リカルドは、深刻なようにも茫然としているようにも見えた。亡くなったフェリクスと余程親しかったのだろうか?
帰りしなに侯爵は初めてリカルドに視線を向け、ただ一言、
「わかったか? 己のすべきことが」
と言った。リカルドは俯き何も返事をしなかったように見えた。失礼な態度にも侯爵は咎めもせずにそのままユーグさまと私に礼を言って出て行った。
いったい、侯爵とリカルドはどういう関係なのだろう? 様々な疑問と想像が頭の中を巡り、「後で説明する」と言ってくれていたのでそれを待とう、と思っていた時だった。
玄関ホールから奥に戻ろうとしていたら、急に表が騒がしくなった。誰かが執事を怒鳴りつけている。まさか侯爵が帰ったのを見計らって兵士が? と私は動揺したけれど、違った。
「ユーグ! この恥知らず! 出て来い!」
驚いた事に、知らない中年男性が、ユーグさまを呼び捨てに罵り、止めようとしている執事に殴りかかり暴れていたのだ。身なりは貴族のもので、兵士ではない。
ここに来て以来会ったことのない人間だ。けれど、私は取り戻した記憶の中に、彼に会った事があるのでは、と感じた。
「誰なの、あのひと?」
ユーグさまが顔を顰めて男の方へ近づいていったので、私はまだぼんやりしている様子のリカルドに尋ねた。
「ああ。あれはオベール伯爵……レジーヌの父親だ」
「あのひとが」
ユーグさまを護り一人占めしたい一心で、私とリカルドを兵士に売った密告者レジーヌ。リカルドの館で別れたのを最後に彼女は姿を見せないし、何の便りもなかった。ユーグさまは、さすがに申し訳なくて顔を出せないんだろう、なんて言っていた。彼女がユーグさまの為と思ったことは、ユーグさまをもう少しで殺してしまう結果に繋がる事だったのだから。
あの時の恐怖と絶望を思い返せば、私は到底レジーヌを許すことなんて出来ない。仲は悪かったけれど、シルヴァンの幼馴染で従妹なのだから敵ではない、なんて、私は散々他人に裏切られた過去があるというのに、呑気なふうに構えていた。でも彼女の方は、冷血公爵と呼ばれたシルヴァン……ユーグさまを、感じ悪く振る舞いながらも想っていて、その妻に納まる為なら、幼馴染のリカルドさえ死に追いやってもかまわないという気持ちだったのだ、と今ははっきり理解していた。
だから、私は彼女が姿を見せないのは彼女らしくない、と薄々思っていた。ユーグさまと私の気持ちがはっきりしたいま、彼女が入り込む余地はどこにもないけれど、それでそのまま自分のやった事を反省して家に籠っているのはレジーヌらしくない。ユーグさまが氷結晶の呪術から解き放たれたことを知っているのかどうかはわからないけれど、そのうち押しかけてきて、私とリカルドを罵って自分のやった事を弁解するのでは、と想像していた。
勿論私は彼女を許す気も和解する気もない。ただ、ユーグさまの親類であるので、復讐してやりたいとまではあまり考えていない。結果的には彼女のしたことがあったから、ユーグさまは元に戻れたのだし、あとは、もう二度と私たちに関わらないで欲しい。
ひとの感情に鈍くなっていたシルヴァンの時とは違って、ユーグさまももう彼女の気持ちには気づいているだろう。もしも現れたら、ユーグさまに手ひどく振られてしまえばいい、私を罵るならばもちろん受けて立とう。そんな風に思っていた。
でも、なぜ今レジーヌの父親が?
記憶を封じられていた頃の私は、ユーグさまやリカルドの口ぶりから、二人はレジーヌの両親をよく思っていないという事は察していたけれど、それ以上の事は知らなかった。
いま、取り戻した記憶を探ると、私は過去に別荘地で、レジーヌ親子に会っていた。
あまり親しみはなかった。伯爵夫妻は派手好きで浅薄な人柄なのだと、数回食事を共にしただけで子どもの私にもわかった。レジーヌはあの頃から感じの悪い女の子だった。同じ歳の令嬢同士で仲良くするようにと言われたけれど、ユーグさまが私に話しかける度に私を睨んでいた。子どもの頃からレジーヌはユーグさまが好きだったのだなとわかる。
けれど、思い出してみればあの頃は、レジーヌは、年上で家柄もずっと上であるユーグさまを、『ユーグお兄さま』と呼んで丁寧に接していた。現在、対等のように呼び捨てて、『私がいないとユーグは何も出来ない、何もわかってない』なんて偉そうなのは、あの呪術のせいでユーグさまの感情が鈍っていたのを見下していたのだろうか? 子どもの頃からずっと好きなのに? 私にはよくわからない……。
こんな事を考えたのは、時間にしてみればごくわずかの間だった。レジーヌの父親がユーグさまに向かって喚き散らして、そちらに意識を向けない訳にはいかなかったからだ。
「落ち着いてもらえませんか、叔父上」
とユーグさまは不快になった様子も見せずに言っている。
オベール伯爵は、叔父と言っても、王位継承権第一位のユーグさまよりずっと低い地位にいる。ユーグさまの亡くなった母上の異父弟で、もちろん王家の血もひいていない。小さな子ども相手ならともかく、成人して公爵位を継いだ甥に対してとっていい態度ではない、と感じた。
でも、伯爵はユーグさまの言葉など耳にも入らないふうで、
「反逆者が! どうしてまだ生きているんだ! 世話してやった恩も忘れてとんでもない疫病神だ! さっさとあの冷血の病で死んでしまえばこんな面倒は起こらなかったのに! 今からでもさっさと罪を恥じて死ねばいい。そうすれば少しはレジーヌも喜ぶだろう」
と叫んだ。
レジーヌがいくら性悪でも、ユーグさまが死んで喜ぶわけはないだろうに、と思っていたら、伯爵の目はリカルドと並んで立っていた私に向いた。
「アンベールの娘だな。死んだ罪人なんか拾ったせいで、とんでもない事になって、ユーグの死んだ両親もさぞかし嘆いているだろう」
私はこの侮辱に怒りをおぼえたけれど、私より先にユーグさまがきつい口調で言い返した。
「俺はともかく、アリアンナを、そして両親を侮辱するのはやめて頂きたい。両親は正義を知る人間だった。罪なき娘を雪山に捨て置いたりしたならば、それこそ俺を恥じただろう」
「罪があると国王陛下が仰っているのにまだ言い張るのか。ああ、あの時勇気を出しておれがおまえを殺しておけばよかった……!」
「……やはり、俺を殺したかったのか」
「当然だ! おまえはがきの癖にいつもおれを見下していた。おまえの両親が死に、おれが未成年のおまえの後見人になった時、おまえはまだ14のがきだった癖に、あの父親とそっくりな目で、おれには領地に一切関わらせない、と言い放った。借金で困窮した叔父になんの気遣いもしない、不遜ながきだった」
「博打で作った借金の返済に、俺の領民の税をあてにするような男になにを任せられるというんだ。14でも、それくらいの弁えはあった」
そんな事が……。
いつだったか、リカルドがレジーヌに、ユーグさまがレジーヌの両親に領地を任せたりする訳がない、と言っていたのを思い出す。
「おまえが死ねば、ラトゥーリエ家の遺産が手に入った。おまえがアンベールの招きで遊びに出かけ、死にかけで戻って来た時、おれはざまをみろと思った。叔父を敬わなかった罰だ。それでも、おれはおまえを我が家に置いて世話をしてやった! そんな恩を忘れやがって!」
「世話だと? 身動きもろくに出来ない俺を地下室に閉じ込め、病が重いからとすべての面会を断りながら俺は呪われたといいふらし、やっと生きられるだけの食事と水しか与えなかった癖に!」
過去を思い出したのか、次第にユーグさまの口調も荒くなる。
身動きも出来ない重傷なのに、生きていけるのがやっとの食事……?
「……どういうこと?」
私は身を震わせて、傍のリカルドに問いかけた。
「あの時、アンベール侯が重傷のユーグを連れ帰ったら、伯爵は後見人の地位を笠に着て、ユーグを地下室に軟禁した上で、ユーグの意志だと言い張って一切アンベール侯に会わせなくなった。僕や他の人間にもだ。見張りも厳しく、おかしいと思いながらも一年も過ぎてしまって……ようやく僕がレジーヌを騙す形でユーグに会えたら、呪術がどうの以前に、栄養失調でユーグは死にかけていた。それで僕はアンベール侯に連絡して、侯が抗議し、ちょうど成人できる年齢でもあったので、弱っていたユーグを保護して体力をつけさせて、爵位を継いでこの館ですごせるように、国王陛下に奏上して計らってくれたんだ」
「そんな、地下室に? 一年も?!」
「うん。伯爵が今自分で言った通り、伯爵はユーグの死を望んでいた。けど、王の甥を自分で手にかける勇気はなくて、保護していると言いながら地下室に放置して病死するのを待っていた、ということさ」
「ひどい……」
私は涙を堪えられない。
「でも、レジーヌは、自分の親がそんなひどい事をしていて平気だったの?」
「うーん。あいつはずっとユーグが好きだったけど、ユーグは年下の親類、という以上の態度はとらなかったし、きみに好意を寄せていた。あいつにしてみれば、身体は弱り、感情は鈍り、地下に幽閉されてた身でも、ユーグを自分のものに出来た、と思っていたのかも知れない。伯爵夫妻がユーグを虐待しているのを見ていて、自分もユーグを見下す態度をとるようになったらしいし。ユーグに頼られたかったんだろう。もちろん、親と違ってユーグを害そうという気持ちはなかったと思うけど、自分に目を向けない想い人を支配下に置けた気分だったのかもね」
「……理解出来ないわ」
なにもかもおかしい。私なら、愛する人の幸福を願うのに……もしも愛する人が他のひとを愛したなら、死ぬほど辛いかも知れないけれど、閉じ込めて自分のものにしようなんて夢にも思わないのに……だって、そんなことをしても絶対、愛する人の心は手に入らないから……。でも、レジーヌは、ユーグさまの身体を閉じ込めておけば願いが叶うと思ったのか。
「あなたが死ねと言ったからって、俺は死ぬ気はない。俺はアリアンナを護り生きて行きたいし、自らの名誉を回復し、国を建て直す力になりたいとも思っている。あなたが何と言おうと俺には響かない。レジーヌにもそう伝えて下さい。この数年、俺の手助けをしてくれたことはありがたかったけれど、アリアンナにした事を思えば、もう二度と会う気はない、と」
ユーグさまにそう言われて、伯爵は顔を引きつらせながら、ふん、と言った。
「もう伝える事は出来ん。レジーヌは死んだ。暫く自室に籠っていたかと思えば、毒を飲んで死んでいた。おまえに遺言だ。愛していた、傷つける気はなかった、お互いに生まれ変わったら愛して欲しい、と!」
「なに……死んだ?」
「そうだ! この野郎、おれにはレジーヌしか子どもがいなかった。おれの老後を養うやつがいなくなった。おまえのせいだ、ユーグ! 逮捕される前に慰謝料を出せ。それを言いに来たんだ」
と伯爵は喚いた。
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