第36話 家族、時々、他人【2】


 それから5日後の土曜日になった今、総士は思う。


 普段通りの日常が戻ってきたと言えば戻ってきたのだろう。


 はっきりと普段通りの日常に戻ってきたと言えないのは、死神となった陽葵との生活に慣れていない総士の気の持ちようである。


 今のところ普通に学校生活を送ってはいるのだが、少なからず変わった点はいくつかある。


 イナミやユイも同様ではあるが、栄養摂取がいらない。いつも一緒に食卓を囲んでいたのだから家の中での違和感が激しい。それに加えて味覚が無くなっていることにも気付いた。


 自宅へと帰宅した後、疲れをしらない体をいいことに陽葵が張り切って夕飯を作り始めたのだが、出来た品をテーブルまで運ぶ頃には表情が曇っていた。

 今まで料理をしていたのだからある程度の感覚である程度の物は作れるらしいのだが、みそ汁がお吸い物を超えてお湯に変貌していたことには驚いたものだった。


 次に体の汚れや服装なども気にすることが無くなったことだろう。

 これに関しては陽葵も喜んでいるのだが、落ち着かないらしくて一日に一回は湯船に浸かる様にしている。ただ、お湯の温かささえ感じられなくて物足りない感は否めないのだとか……。


 そしてこれが一番の問題になるのかもしれないが、無限ともとれる体力を得てしまったことだろう。


 総士は龗を宿している時だけは陽葵と同じような感じになるのだが、陽葵はそれがずっとな訳で、ちょっと気を抜けば扉を開ける度にもぎ取り、走れば地面を抉り、飛び跳ねれば航空法に抵触するだろう。


 さらに死神になってから日が浅いせいもあってか、力のコントロールが完璧ではないことだ。


 イナミが使う言葉で制するような力やユイの銀鏡のような力が陽葵にも存在していたのだが、陽葵の力は和馬が使っていた様な力だった。総士が何気なく「そこのシャーペン取ってくれないか?」と陽葵に声を掛けた時、陽葵が近くにあったシャーペンをぽいっと総士に向かって投げたのだが、シャーペンが陽葵の手から離れた瞬間には光を濃縮したようなシャーペンが部屋を埋め尽くす程に顕現した。


 和馬がその力を使った時は銃弾なら銃弾の速度で。鉄球なら鉄球を投げた時の速度で向かってきたのだが、陽葵のそれは投げたシャーペンを置き去りに名実ともに光となって総士に向かってきたのだ。総士の体と家を貫いたその状況を治してくれたイナミに陽葵が土下座したことに、気を失いかけた総士でも驚いた。運よく心臓を貫かなかったのは不幸中の幸いだろう。


 こんなドタバタな日々を過ごした総士と陽葵は空璃へと相談し、前回使用させてもらった山を週末に貸してもらう事にしたのである。


 陽葵は言わずもがな、力の制御の為に。総士は主に姿を180度姿を変えた御津羽である大鎌を振るう練習と、迦具耶や龗とも意思疎通ができるかの確認の意味も込めてである。


 今日は総士と陽葵は惟神大社所有の更地へと来てから小1時間ほど各々の特訓を終え、地べたに腰を落としていた。


 「………で、陽葵はどんな感じだ?」


 「………10回に1回は失敗」


 陽葵が行っていたのはシュールな特訓で、更地を歩いては手頃な石を見つけてはポイッと山なりに投げるだけ。それでも十回に一回は光速の石つぶてが地面に無数の穴を空けていた。


 つまり、「陽葵ちゃん、消しゴム落としちゃったから取ってもらっていい?」なんて学友に言われ、陽葵が思わずポイッとしたら10回に1回は学校を崩壊させてしまう状況である。そして、若干人見知り気味な陽葵さんは、高確率で手渡しではなくポイっと投げる。

 

 「………ソウは?」


 「う~ん………なんとなくこうして欲しいっ、みたいな感じは伝わって来るんだけどしっくりこないんだよな………。迦具耶と龗もそんな感じだな」


 

 総士は御津羽を顕現させて振るい続けていた。途中、休憩がてらにいーちゃんがやっていた様に撫でてみたりとして見たのだが、変化は見られなかった。


 いーちゃんが迦具耶達に血を分ける以前よりは存在自体を近くに感じられるようになってはいる。


 いるのだが、気になる子が別のクラスから同じクラスに来たような感じで、身近になればなるほど気になってしまうような………。そんな気分は落ち着くかと言われたら落ち着かないだろう。


 総士も陽葵もコツは掴みだしているのだが、自分たちが納得できるものではないと言う所は同じようで、小さな溜息が漏れる。


 そんな二人のいる更地へと一台の車が入って来る。

 その見慣れた黒塗りの車であれば誰が乗っているかなどすぐに分かるのだが、一体彼女は何をしにここまで来たのだろうか。そう思って陽葵に顔ごと視線を向けるが、陽葵は首を傾げる。


 土曜日にも関わらず、相変わらずの巫女服に包まれた神蔵は車から降りてくると同時に陽葵に向かって片手を大きく振り。それを見た陽葵も「よっ」と言っているかのように手を顔の前まで上げて掌を神蔵へと向ける。相変わらず表情は変わらないのだが。


 陽葵の話では、仲が深まったのはみんなで買い物に行った時になんとなく陽葵が付けた愛称が原因らしい。愛称一つでそこまで変われる神蔵には驚かされたが、陽葵が心を開ける人が増える事は素直に嬉しいと思う。


 だが………と総士は表情を緩めることなく、無関心を装っている。


 その話を聞いた時は喜んだものだが、にこやかに二人の絡みを見ていたら教室内で神蔵が突然総士の前まで来て「マジでキモイ」と小声で呟いたのだ。二度と見守ってたまるか、というのが総士の現在の心境である。


 どうせ暇を見つけて陽葵にでも会いに来たのでは、と邪推した総士は御津羽を手に顕現させて撫でておく。女子には女子の世界がある。こういう時は会話に入らずに会話を振られるまでは邪魔をしないのが鉄則でもある。


 だがしかし、僅かに差し込んでいた木漏れ日を遮る影が総士の前で止まる。


 「終わってからでいいから時間作ってくんない?」


 顔を上げてみれば目の前に神蔵が総士を見下ろしている。一応……と、左右、上下、前後。………もう一度────。


 「あんたに言ってんのよっ!!」


 「………俺?」


 腰に両手を当てて神蔵の顔が空から降って来る。

 隣の陽葵もキョトン、総士もキョトン。目の前の神蔵はズドン。


 もしかしたら今日は厄日だったのかもしれないと溜息を一つ吐いた。



 

 日が完全に沈んだ頃、総士と神蔵は郷の運転する車で結蔵の残していった化物がいた倉庫へと来ていた。陽葵は気を使ったのか、更地を後にする時にはソウの中に戻っていた。


 「…………」


 目の前の惨状を見て、改めて何も言えなくなった総士は何も言わずにただ崩壊した倉庫を眺めている。


 直っているなり綺麗さっぱり無くなっているのならここまで感傷に浸る必要は無かったのかもしれない。


 死体の集合体を依代とした神。

 どうにもあの時の光景は瞼に焼き付いていた。死んでなお、意志も矜持も関係なく《生》に縛られる気持ちはどんなものなのだろうか………と。


 「………ここ、あたしが貯めてた金で買ったんだって。ありえなくね?」


 「……まじ?」


 「マジ。しかもあたしの金で買っといてあたしを拉致るために使ってるとか意味分かんねーし」


 娘の稼いだ金で建屋ごと土地を買って娘を人身売買。自分の周りには普通と呼ばれるような大人は存在しないらしい。


 「なぁ神蔵」


 「なによ?」


 「俺は母親らしき人が親代わりだった奴に殺された訳なんだが………よく分かんないんだ。母親との記憶なんて曖昧だし……な。空璃のじじいに言われて、陽葵にも確認取って………それでも目の前の人は他人でしかなかったんだよ」


 「………で?」


 「他人だって感じたのにさ、スッキリしないのはどうしてんだろうな? あんなに神頼みで人殺してる時は何も感じないのに………なんで俺は他人の死体見ただけで違和感覚えてんだ?」


 「しらねーつうの。っていうかあたしの場合は死んでくれたら両手上げて宅飲みするし」


 「………なんかお前ってすごいよな」


 思えば初めて神蔵の両親と会った時から神蔵が親へと向けていた視線は《死んで欲しい》っていう願いが込められていたんだろうな……と思う。その理由が分からないけど、それでも目の前の暴君が羨ましくも思える。


 「はぁ………。すごかねーし……」


 深いため息と共に布の擦れる音が聞こえてくる。

 総士が隣を見れば、深いため息と共にその場で膝を折った神蔵が顔を俯かせている姿が視界に入ってきた。


 「あんたみたいな力がある訳じゃなし、できることっていったら盗撮くらいだってーの………」


 例え方おかしいだろ、と喉まで出かかったのだが、神蔵が言いたいことを理解した総士はそれを飲み込み、別の言葉を選んでおく。


 「………陽葵の死に際……か」


 まるで空気が重くなったような錯覚を覚えながら、神蔵へと問う。

 今は傍に居る事が叶ってはいるが、死んだことには変わらない。その現実は今でも様々な事柄を通じて突き付けられるし、忘れていいことではない。


 「結局あたしじゃせっかくできた友達が死んでいく所を見ていることしか出来ない訳よ。………ほんっと……なんで神の眼なんてもんがあたしに宿ったのか理由くらい教えて欲しいわ……」


 神蔵の疑問にいーちゃんとあーちゃんだったら答える事が出来たりするのだろうか?


 そんな頭の中で浮かんだ疑問を振り払っておく。そんな簡単に会えれば苦労は無いだろう。和馬の残した実験記録を漁れば叶うかもしれないが、そんな情報は知らないに越したことは無い。


 代わりに、総士はこれまでに自分が見聞きしてきた生と死を思い出す。


 和馬の娘である佳奈美。神頼みで殺してきた人々。真司とユイ。和馬。そして陽葵。


 「………楽しんどけばいいんじゃないか?」


 「はぁ?」


 自分でも驚くくらい自然と漏れた言葉に半ば呆れ気味で返ってきた神蔵の言葉を無視して自分に言い聞かせるように続ける。


 「死にたくて死んだ奴なんて誰もいない。思えばさ、交通事故だって病気だって死因なんていっぱいあるんだろ? 守りたくても守れないなんてことなんて俺が知っている以上にいっぱいあるんだろうし………。だったら俺ができるのは守るための努力と、生きている間にそんな奴らと楽しく暮らすことなんだろうな……って」


 言いながら、総士は和馬の気持ちが少しだけ分かった気がした。

 たぶん和馬は娘と過ごした時間が少なすぎて、割り切るには難しかったんだろうと。思い出も笑顔も温もりも、全てが足らな過ぎて、人という枠組みを超えてなお欲したのだろうと。


 「…………」


 沈黙したままの神蔵に、総士は和馬に言われた言葉を向けてみる。


 「神蔵、お前にとって大切な人ってのはどれだけいるんだ?」


 「………陽葵ちゃん」


 神蔵の答えにふっと笑みが零れてしまう。

 大事な人が被るのもそうだが、複雑な状況であるはずの神蔵が総士と同じで親の名前を出さないのに、少しだけ既視感を感じたのかもしれない。


 「じゃあ陽葵ともっと楽しい思い出作ればいいんじゃないか? 今は同じ学校なんだし」


 大切な人が笑顔でいてくれる時間を見てるのは、それはそれで幸せだよな。などとこれからの学校生活を思い浮かべる総士。だが、神蔵は少し違ったようで………。


 「………じゃあ陽葵ちゃんには惟神大社で暮らしてもらう」


 「はぁ?」


 「だってあんたが思い出いっぱい作れって言ったんじゃん」


 「いくらなんでもそれは行き過ぎだろ」


 神の眼を持ち、思想省の庇護下で見事なまでのボッチとなっていた神蔵にいろいろとこじらせているらしい。そのことに総士が気付くことは無いのだが。


 これをきっかけにやんのやんのと口論が続いた二人だったが、あまりにも戻ってこない二人を心配して来た郷に「そろそろ夜も更けてまいりましたので……」と説得されて帰宅することになった。


 ただ、帰宅までの道中。

 総士に掛かってきた空璃の電話で総士の顔が青ざめることになり、その顔を見た神蔵が「ざまぁ~」と楽しそうな笑顔を浮かべたのをきっかけに言い合いは終息したのだった。


 


 



 


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