手に入れたもの、失ったもの
第35話 家族、時々、他人【1】
「さて……っと、陽葵、そろそろやってみるか?」
「ん」
梅雨にの季節にしては珍しく燦々と降り注ぐ陽光。だが、1キロ程度の更地を覆う木々の天井が日差しを木漏れ日に変えていた。意図して造られたその空間で困る事とと言えば、ジャングルを彷彿させるほどにじめりと肌に纏わりつく空気だろう。
額から自然と汗が浮き出てきた総士は、中に氷を一杯詰め込んだクーラーボックスからミネラルウォーターを一本取り出し、口に含んだ水で不快感ごと流し込む。
「………便利」
そんな総士の姿を見て、涼し気な表情で言ってのける陽葵。” 人 ” ではなくなった陽葵は不快感のような物は感じないらしい。総士は「そうなのか……?」と返しながらも、その光景に複雑な心境を抱いた。
神蔵を救出し、まさかの郷との再会を果たした面々。
郷が船の無線から空璃に連絡を取り、神蔵の父───結蔵も無事に保護。神蔵が神の眼で発見した森崎和馬の実験記録が入ったUSBも、なぜか合流する前に制圧していたという郷の発言によって空璃が別動隊を派遣し、無事に回収にいたった。
肝心の結蔵だが、当たり前の様に黙秘を貫いているらしく、最悪は表沙汰に出来ない様な手段で吐かせると空璃から連絡を受けていた。それが自白剤の類なのか、それとも時代錯誤な拷問の類なのか、総士は考えない様にしている。
ともあれ、日常へと戻ってきた総士と陽葵だが、月曜日の真昼間にも関わらず学校ではなく、惟神大社が自然保護の名目で保有している場所に来ているのにはそれなりに理由があった。
「……学校行ける?」
自分の遺体を見ながらも呟いた陽葵の一言に総士達が全員ハッした表情を浮かべたのは何とも間抜けな姿ではあったのだが……。
イナミやユイは普段からずっと総士の中に居て、家に帰れば総士から出てきて一緒に過ごすという生活。だが、陽葵が学校に行くとなると総士とは学年もクラスも違って、一日の大半を別行動で過ごさなければいけない。更に修学旅行や他の学年行事も考えれば、一度はどのくらい離れて平気なのか、どのくらいの時間離れられるのかを検証するべきだとの意見が出るのは自然なことだった。
それとは別で、総士はいーちゃんが言った《分け与えた血の量だけでは他の神まで繋ぎ止めるには弱かった》。それと、あーちゃんが言っていた《 濃すぎても多すぎてもダメ。ほんのちょっとだけ含ませてあげればいいの》という言葉が引っかかっていた。
充分な血さえ分け与えて貰えれば平気と取るのが普通なのかもしれないが、総士には死神には何かしらの制限が存在していることを示唆している様に思えてならなかった。
「異変があったらすぐ電話しろよ?」
「ん」
総士と陽葵は反対方向へと歩き始める。
総士達がいる更地を中心に半径30キロ程の山が惟神大社の所有している山で、その端と端まで離れてみてどうなるかの確認だ。空璃からは「日本の北と南に飛行機でいけばいいじゃろ」と言われたが、流石に何かあった時にすぐに駆け寄れる位置からという事でこの山を貸してもらっている。
何もすぐに修学旅行が迫っている訳ではないので、徐々に距離を伸ばしていけばいいだろう考えた。流石にこんな実験でまた失う事になったら………と考えると総士には決断できなかったのもあるのだが。
更地を超えて木々を掻き分け、道なき道を進むこと2時間。総士は約30キロの山を駆け下り終えていた。龗の力を遠慮なく使えば一瞬で踏破できるのだが、陽葵の様子を気にしての速度で進み、30分置きに電話で確認を取りながら進んだ結果なのだが、どうやらこの程度であれば問題がなさそうだと一息ついたところだ。
陽葵はと言うと、人でなくなったその身のせいなのか、疲れも怪我も無縁らしい。さらに龗を宿した総士には見劣りするが、動くスピードも力も人とは一線を画していた。陽葵曰く「……やっと慣れてきた」とのことだった。
総士が「じゃあ今から迎えに行く」とだけ伝え、陽葵が進んだ方向に足を向けると………。
(………ん)
と、なぜか自分の内側から聞こえてきた声に足を止めた。
(………陽葵?)
(………ん?)
なんとも呑気な陽葵さんではあるが、聞けば総士の事を強く意識すると戻ってこれるらしいことが分かって唖然とする総士がいた。こんな事が学校であったらどう説明すればいいのだろうかと、悩み事が一つ増えた瞬間である。
総士は更地に置いてきたクーラーボックスを取りに戻り、そのままの足で惟神大社へと戻ることにした。というのも、惟神大社の裏手にある山で、そのまま自宅に直帰と言う訳にはいかないし、郷が送り迎えを申し出てくれているのでそれに甘えさせてもらっているからだ。
日差しが傾いて来た頃、惟神大社へと辿り着いた総士。
社務所から地下へと向かい、本殿へと入るのが普通なのだが、社務所へと足を踏み入れると、空璃と神蔵、それと郷までもが社務所から姿を見せたので足を止めた。
「………? どうかしたのか?」
総士は首を傾けながら三人へと問いかけた。大体の帰り時間を伝えてあったのだから神蔵と郷だけなら分かるのだが、空璃がいるとなると違和感しか湧いてこない。
「なに、総士殿と陽葵嬢の結果も知りたくの、せっかくだからわしも一緒に車に乗せてもらおうと思っての。………それとじゃ、少しだけ行きたい場所ができたんじゃよ。総士殿には申し訳ないが少しだけ付き合ってもらえんじゃろうか?」
「まじかよ……」
やはり自宅と言うのは心の安寧には大事なモノで、そこに辿り着くまでに寄り道を宣言された総士としては気が重くなる。
「そういうでない。たまには老人の相手もしてくれんと………」
「してくれないと?」
「修練場で郷と桑折のフルコースじゃよ」
空璃の言葉に、際どい海パンと隆起した筋肉、それと飄々と刀を振り回しながら恍惚な表情をする老人がよぎる。
「………分かったよ。出来るなら早めに頼む」
空璃が満足そうに頷き、車へと向かう事にした。
車中、陽葵の通学自体は問題なさそうだと伝えると安堵の溜息を吐く神蔵と満足そうに頷く空璃。これからは更に距離を伸ばしていく予定ではあるが、それは夏休みにいけばいいだろうと空璃が言い、総士もそれに頷いた。神蔵は夏休みと聞いて目がキラキラと輝きだしたので放置しておくことに決めた。
神蔵は総士と同じ学校に来るまで、大社内で開いた時間を使って家庭教師を雇っていて、それ以外の時間は思想省の仕事も手伝っていた。つまり初めての夏休みが待っているのだ。そう考えれば何を期待しているか想像に難くないのだが、触れてしまえば巻き込まれる可能性もあるのだ。触らぬ神蔵に祟りなしである。
「そろそろじゃな」
会話の合間を見て、空璃が窓ガラス越しに外を見ながら呟き、その声に総士も外へと意識を向けると、そこに見えた建物を見て心持が重くなる。
「………誰の葬式だよ」
総士の視界に映ったのは火葬場だった。
郷が火葬場の入り口で車止め、全員で火葬場へと足を踏み入れる。
空が曇っているせいなのだろう、夕方の割には暗くなった火葬場は、豪華な装飾達も気品を失ってしまった様に見えた。
近くにあった ” 本日のご予定 ” と書かれた壁掛けのボードに顔を向けるが、そこにも名前が記載されている訳でもなく、辺りを見渡す限りでは誰もいない。
「おい、俺まで降りなきゃダメだったのか?」
「まぁそう固い事を言うでない」
相も変わらず飄々とした空璃が続けざまに「修練場じゃぞ?」とういうので大きなため息をだけを吐き出してそれ以上は黙って付いて行く事に決めた。
「それとじゃ、陽葵嬢にも声をかけてくれんかの?」
「陽葵にもか?」
「修練場───」
「わかったよっ!! ………たくっ」
ブツブツと小声で愚痴を吐き出しながらも、陽葵へと声をかけて出てきてもらう。
「じゃぁ揃った様じゃし行くかのぉ」
空璃の後ろを付いて行けば、火葬する場所ではなく、人体用の冷蔵庫が並べられた部屋へと辿り着く。部屋の中には一人のスタッフらしき人がいるが、顔はマスクと透明なゴーグルで分からないし、体には手術衣のようなぼてっとした服を着ているので体型すら良く分からなかった。
そのスタッフらしき人物に空璃が視線を送ると頭を深々と下げ、手でこちらですと案内して歩き出した。
まるで駅前にあるロッカー群を大きくしたような場所で、目的の人物が入っているであろう場所へと辿り着くと、大きなロッカーから引っ張り出した遺体をストレッチャーへと乗せ換え、それを総士達の前まで運んできた。
総士の前に運ばれてきた遺体を見て、空璃へと疑惑の視線を向けた。
「総士殿、余計なお世話かとも思ったんじゃがな、この人の名は ”
「………はぁ?」
意志とは関係なく漏れ出た声。
記憶を漁ってみるが、自分の両親の顔を覚えていない事に気付くのにそう時間はかからなかった。正確に言えば朧気には思い出せるのだが、輪郭や髪型、目などのパーツごとで、目の前にいる女性がそれだとは判断できなかった。
それも、今初めて会ったわけではなく、陽葵の遺体の横で倒れていた女性が自分の母親だといきなり言われたところ、どう飲み込んでいいのかが分からなかった。
空璃が大きなため息を吐いた。空璃から見ても、総士の顔はだいぶ間抜けに見えたのかもしれない。
「そうじゃな、陽葵嬢?」
「………ん」
空璃の言葉に小さな声で返事を返しながら頷いた陽葵。
総士は空璃に向けていた顔を陽葵へと向けるが、やはり声は出なかった。
「これ以上は二人で話をする方がええじゃろ」
総士と陽葵を残して、他の三人はその部屋を去って行った。
それにも関わらず、まるで二人の時だけが止まっている。陽葵は総士の母から視線を動かさず、総士はその横顔を見つめる形で。
「………一度だけ、葦原園で会った」
まるで静けさに溶け込んでいくような声で陽葵が呟く。
「私も理由は分からない。…………でも、《総士をよろしくお願いします》って………言われた」
「………あのログハウスにいる時に……なのか?」
「………ん」
総士は視線を遺体へと向ける。
目、鼻、唇、耳、髪型、肌の色、体型、シワの数。どれを見ても実感が湧かない。はっきりと思い出せれば………などと考えたところで、疑問が泉の様に湧き出てきた。
なぜ、自分は家族のことなど思い出そうとしているのか?
幼すぎて覚えていない記憶。年々薄れていった当時の記憶。自然と自分の右肩を撫でていた。
父のことはよく覚えている。怒りに顔を染めるでもなく、侮蔑するでもなく、淡々と仕事をこなすサラリーマンの様に殴りつける父。教育の一環だったのか、それとも私怨だったのか。はたまた別の理由があるのか。
当時は自分の身を守ることに必死だったように思えるし、父が何故そういった行動に出たのかなんて想像すらしたことなど一度も無い。
それと同時に、母の記憶が父に比べてあまりにも希薄だったことにも。
「この人は他にも何か言っていたのか?」
「……言ってはいない」
「そうか………」
陽葵の遺体と同じで額を銃で一発。神意でない限りイナミの力は作用しない。もう目の前の人間に当時のことを聞くなんてことはできない。
でも……と、総士は陽葵の横顔を一瞥する。
「………ほんとよくわかんねーけど……、今は陽葵もイナミもユイもいる。迦具耶も御津羽も龗も……まぁそっちは接し方がよく分かってないんだけど………。今は幸せだよ」
陽葵の目を見れば、目の前の女性が陽葵に伝えた言葉は嘘じゃないのだろう。そう思えた。全部を全部飲み込めた訳ではないけど。
心の中で別れを告げ、陽葵に目配せをして部屋を後にした。
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