第32話 神鬼、時々、一般人【1】


 「総士様、もうそろそろです」


 窓から月明かりを眺めながらも、気合十分と言った郷の声を聞いていた総士は「分かりました」とだけ答える。


 志執郷は神蔵のボディーガードみたいなもの。流石に失態を犯したままじゃ終われないと考えているのか、いつもの平穏は郷さんと言うよりは気合の入っている面持ちだった。


 キィーッとブレーキ音を響かせて車が止まる。


 「また……露骨な場所ですね」


 「高跳びする予定なのでしょう」


 辿り着いたのは、海外コンテナなどが山の様に積まれ、それが迷路の様に置かれている場所で、その中にそびえたつガントリークレーンがどこか寂しげに見える。海にはいくつかの貨物船が静かに揺れているのを眺めながら、総士は肺一杯に空気を吸い込むとゆっくりと吐き出した。


 真夜中の埠頭というのも、これはこれで落ち着く場所ではあるよな……などと考えながらも、何の為に来たかを思い出せば落ち着いている場合などではない。


 総士をよそに片膝を折ってアスファルトとにらめっこしている郷がすっと顔を上げ、一つの無数にある倉庫から一つの倉庫へと視線を向ける。


 「総士様、あちらの倉庫に車が入っていた形跡があります」


 郷の視線の先にある倉庫を眺め「分かりました」と答えた総士。二人は可能な限り足音を消して倉庫へと向かう。


 郷が示した倉庫は鉄骨で骨組みを作った物にスレートを隙間なく張り付けただけの倉庫で、周りにある倉庫に比べても中々に時代を感じるものがあった。その簡単な造りというのもあってか、前面にある大きなハンガードアとその横に申し訳なさそうに存在する小さな扉が一つ。郷と倉庫を半周ずつしたが他に入り口らしきものは存在しなかった。


 「じゃあ行きますか?」


 入り口の前で入り口を眺めながら隣にいる郷へと尋ねる。


 「えぇ、それがよろしいいかと」


 普通であれば前後を塞ぐなどやり方はあるだろうが、残念ながら今この場にいる二人は戦略家などではない。何よりも、郷の闘い方を知っている総士としてもそちらの方がいいのでは? という簡単な問いかけなのだが、郷もそれに賛成な様だ。


 「では、いきます」


 郷が大きなハンガードアを眼前に捉え、下半身大きく開き、まるで地面に根を生やしたかのようにがっしりと固定し、上半身は弓を引くようにしなやかに構える。


 次の瞬間、郷は「破っ!」という掛け声と共に、扉に向かって弓の様に引いた拳を振るうと、まるで爆発でも起きたのかと錯覚するほどにドーンッと大きな音を立て、扉がのれんの様にめくれ上がる。


 めくれ上がった扉が自重に耐えられずに落下してくるも、カーテンを開けるかのように落ちてきた扉をどかした郷に「………お見事です」とだけ伝えた。


 修業をつけてもらう時にこんなのをくらったら………と考えると身震いが止まらなくなってしまいそうで、総士は見なかった事にしておく。危険人物取り扱い者資格など持っていないのだ。


 何事も無かったかのように歩き出した郷の横に並び立ち、扉があった場所を潜る二人。


 埠頭の倉庫にしては不思議なほどに何も置いていない倉庫。その中心に立っている一人の人間以外と、隣に置いてある大きな木箱以外は。


 「………車も神蔵も見当たらないな」


 「そうですね………どういうことか説明して頂けますか? 結蔵さん」


 結蔵は軽い会釈をした後、にこやかに笑みを浮かべた結蔵。神鬼である総士と屈強な体躯に鬼の表情を張り付け、普通では考えられない扉の開け方をした郷を目の前にしても慌てる様子などは無く、それ自体が分かっていたかのように悠然とした態度だ。


 「志執さんはお久しぶりでございます。いつも娘の芽愛がお世話になっているそうで感謝しかございません」


 自身で引き起こした状況にも関わらず、のうのうと言ってのける結蔵。余程神経が図太いのか、それともこの場を切り抜ける自信があるのか……。


 圧倒的に後者だろうと予想をつけ、その原因であろう隣にある木箱へと視線を移す。場所から考えても木箱があること自体は珍しい物ではないが、何故何も無い倉庫に、それも結蔵の隣に木箱があるのか。それと大きさだ。隣にいる結蔵の2倍はある木箱。よく目を凝らせば染みの様な模様が至る所に見られる。


 「貴方と言う人はっ!!! 自分の娘をなんだと考えているのですかっ!!!」


 突如響いた耳をつんざく声。咄嗟に耳を押さえながら声の出どころであろう隣へと視線を向ける。


 目が血走り、顔を真っ赤に染め上げ、名実共に鬼の様になった郷だった。呆気にとられた総士だが、よく見れば郷の体はプルプルと小刻みに震えていて、今にも動きだしそうな体を必死で抑えている様に見えた。


 「志執さん、少し落ち着いてください。これは芽愛の事を考えればこそですから」


 表情を崩さない結蔵の言葉を聞きながらも怒りが収まらないと言った様子の郷は、血走った眼で結蔵を捉えたまま震えたままだ。結蔵は郷の姿を見て先を促していると感じたのだろう。


 「まず志執さん、芽愛の苦悩を知っていますか? 芽愛は神の眼なんてものが自身の体に宿っていると知った時、私にこう言ったんです。《なんでこんな体に産んだのっ!》って………」


 そんな事を言っていたのかと、驚きを隠せない総士がいた。神蔵本人ではなく空璃からではあるが、神蔵が神の眼に目覚めたのは6歳の時だと聞いたことがある。そこから空璃達に保護されるまで多少の時間を要したらしいのだが、幼少期にどんな生活をしていただとかは聞いたことも無いし、普段の神蔵からは想像できない言葉だ。


 「だから芽愛にとって必要なのは保護ではなく、自由なのですよ。本来であれば────」


 「────黙りなさいっ!!!」


 結蔵の声が郷によってかき消される。その声は隣にいる総士の肌をピリピリと震わせるほどだった。


 「どれほど理由をつけようがっ、どんな言い訳を考えようがっ、貴方が神蔵様を娘などという資格など無いっ!!」


 必死の形相で自身の拳を握りしめる郷に対し、半ば呆れたように首を左右に振る結蔵。どうやら総士の知らない何かが二人の間にあるのだろう、という事だけは分かるのだが……。


 「はぁ………、反りが合わないのは前からですね……。私は芽愛の親だ。芽愛の幸せの為に行動する事に専念しましょう」


 結蔵が呆れながらも腕をズボンのポケットへと入れる。


 「さて、では私はこれでお暇させて頂きますが、その前に今までお世話になったお礼といたしましてほんの少しばかりのお土産を用意させて頂きました」


 総士は自然と体の重心を下げた。なんとなくそうしなければいけない気がした、と感じたのだがそれは郷も同じようで、さっきまで小刻みに震えていた体はピタリと止まっている。


 にこりと笑みを深めた結蔵がズボンの中に忍ばせていたスイッチを押すと同時に、隣にあった木箱の前面、総士達に向いている方がバタンッと大きな音を立てて開く。


 「森崎さんが行っていた神の再抽出は副産物も生んでいるのです。ではここで問題です。実験に失敗した死体と御神体・・・・・・は一体どうなったのでしょう?」


 結蔵が言い終えると同時に木箱から溢れ出るそれに顔をしかめる総士と郷。木箱から出て来たのは未成年だろうと思われる死体の山。それが雪崩をおこして地面へと転がり落ちる。それと同時に倉庫内を埋め尽くした腐乱臭は悲惨で片づけるにはむごすぎる光景と共に、結蔵に対する強い嫌悪感を総士達へと届ける。


 箱の半分くらいだろうか、死体の山が崩れると半円状のものが姿を現す。


 「何か分からないようですね。ヒントは千刻の義です」


 目に映る光景からは想像できない程に楽しそうな声が響く。目の前の男は一体何なのだろうか? 人の親と言い、娘を幸せにすると言い、そして目の前の光景にニヤリと笑みを浮かべている。理解などできるはずがない。


 半円状の物がガタガタと動き出し、その動きは徐々に大きくなっていった。それを覆っていた死体の山が箱から押し出される様にボロボロと地面を埋めていき、その姿をついに露にした。


 「まだ分からないようですね? では答え合わせは………次回お会いした時にでもするとしましょうか」


 軽い会釈をした結蔵がきびつを返して走り出す。とはいえ、走り出した先は壁。入り口は総士達が入ってきた場所だけなのだ。逃げ道は無いはずなのだが、躊躇う様子のない結蔵に郷は「待ちなさいっ!」と言いながら走り出し、総士はそれを追う様に走る出す。


 ────ドガンッッッッ!!!!!


 総士達が入ってきた入り口の反対側の壁。そこに結蔵が辿り着くと同時に大きな音を立てて壁に穴が開いた。穴を空けた原因は大きな車がバックで突っ込んできた。


 郷は速度を上げ、総士は龗と御津羽を呼び出すが、木箱の横を通り過ぎようとした時─────。


 「か”か”か”あ”あ”う”う”ぅ”ぅ”ぅ”ぁ”ぁ”…………」


 すぐ傍から聞こえてきた、腹の底を這いずり回る様な低い声。咄嗟に郷と共に後ろへと飛び退く。


 先程まで二人がいた場所をぶんっという風切り音を鳴らし、総士達の数倍はあろうかという太い腕が通り過ぎる。その腕は液体を撒き散らしながらも、自身が収まっていた箱と死体を辺り一面に吹き飛ばす。


 「郷さんっ、あれは!?」


 「私も始めて見ましたっ」


 二人の前に姿を現したのは土色の肌を持ち、顔であろう場所には無数の目と大きな口をぶら下げた人型の何か。さらに大きさは腕を伸ばせば天井など優に超えるであろう大きさ。どう考えがえても、入っていた木箱の大きさでは入りきらないほどのそれは、無数についている目で総士達を見るともう一度声を上げた。

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