第29話 神、時々、死神【3】


 ただ見ているしかできなかった。

 他人にあまり関心がない性格故なのか、殺そうと願った相手だったからなのか、それとも、底知れぬ恐怖に怯んでしまったからなのか。


 けれど、それでも、親代わりをしてくれた人。


 「……あ、れ?」


 頬を伝うものに気付き、手を伸ばす。瞬きと共に弾かれたそれは生暖かく雫で、少しばかりだが手を濡らした。


 何年ぶりだろうか。少なくても自分の記憶がはっきりとしている時分に泣いた覚えは無かったのだが、手に感じた感触は間違いなく涙だった。


 「ソウ??」


 イナミが総士の顔を覗き込んでくる。興味半分、心配半分といった表情を浮かべるイナミを見て、総士はそれを腕で拭う。


 「ごめん、自分でも少し驚いたんだ。もう大丈夫だよ」


 イナミは頭に疑問符を浮かべている様だったが、動揺を隠すために頭を撫で、こちらへと向ってくる深紅の眼を持つ女性へと視線を向ける。


 相も変わらず、下半身からはドロリとした黄緑色の液体を垂れ流し、右腕は血にまみれながらも長く艶やかな漆黒の髪を静かに揺らしている。その表情はどこかスッキリとしたような印象を受けた。


 「やっと静かになるわね」


 深紅の瞳の女性に声を掛けたのはかんざしの女性。こちらもさっきまでとは違ってどこかスッキリしたように見える。


 そんな二人を興味なさげに見ているイナミ。その隣では口に手を当て、動揺が隠せずにいるユイ。どんな顔をしているのかさえ分かっていない総士の三人で見ている。


 「歓迎……するような場所でもないがせっかく来たんだ、少しは話しをしていかないか?」


 「そうね、私もこの子がちゃんと起きるまではここにいるつもりだったし………ちょうどいい暇つぶしになりそうね」


 二人に話しかけられて初めて気付いた。自分が想像以上に動揺していた事に気付いた総士は、再び頭を左右にかるく振ると、胸の中にいる陽葵を一度見てから口を開く。


 「陽葵は……目を覚ますんですか?」


 かんざしの女性が自分の血を陽葵に飲ませたことや和馬を殺した理由、それに和馬が死んだにも関わらず、未だ目を覚まさない陽葵。そして、かんざしの女性は陽葵が起きるまではここにいるつもりだと言った。


 そんな訳の分からない自体ばっかりが進む中、総士にとって一番大事な事だけを口にした。


 「私の血を飲ませたからじきに目を覚ますはずよ」


 かんざしの女性が何事も無い様に笑みを向けたことに胸を撫でおろす。


 「ぬしが ” ソウ ” で間違いないのだな?」


 手の届く距離まできた深紅の瞳を持つ女性が訪ねてきた。それにかんざしの女性が「もう私が聞いたわよ」とクスクスと肩を揺らして答え、照れたように視線を逸らす。まるで仲が良い姉妹の様に見えるやり取りは、人を殺したばかりには到底思えなかった。

 

 咳ばらいをした深紅の瞳を持つ女性が、再び総士に視線を合わせる。その表情はどこか照れ隠しをしている様で、総士はどこか張り詰めていた糸が切れるのを感じた。


 「ま、まぁ本人であるなら喜ばしい事だ。私の娘が世話になっている」

 「これからは私の娘もお世話になるわね」


 「えっと……娘っていうのは?」


 もしかして……。とは思うが、念の為に確認を入れる。

 それに、目の前にいる二人の女性は顔だけを見れば20代半ばの女性に見える。娘と言うとなかなかに違和感を覚えた。


 「その子らだよ───ん?」


 深紅の瞳を持つ女性がイナミ、陽葵、ユイ、と視線を向けながら言葉を発しったのだが、ユイを視界に収めた所で眉が八の字になり、視線が固定された。それはかんざしの女性も同じようで、こちらは首を傾けている。


 二人はイナミ達の傍まで歩くとイナミと陽葵の頭をそれぞれ一撫でし、ユイの前まで行くと、膝を折って視線を合わせる。


 「ほぉ……。また珍しい子……と言うのも失礼か。人の幼子にして同士よ。戸惑う事も多いやもしれんが、何かあったら私らを頼ってくれていい」


 「あら……ほんとね。じゃあ私も頼ってくれていいわ」


 ユイの頭を撫でながら八の字に曲げた眉を緩やかな曲線に戻し、慈しみとはまた違う表情。親愛とでも言えばいいのだろうか、二人の視線は懐かしき親友とでも出会ったようだった。


 「えっと……あ、あの……っ」


 戸惑いが増したユイは二人の顔をキョロキョロと行ったり来たりしている。総士とイナミとは違い、この場所すら記憶にないユイにとっては初めて会った人にやたらと親切にされているようで、戸惑いの方が大きようだ。


 ユイの挙動不審具合いに総士の親心がくすぐられたのか、陽葵を抱えたままユイと女性たちの間に体を滑りこませる。


 「すいません、俺もなんですがユイも何が何だか分からないようなんで……」


 いくら張り詰めた糸が切れたとはいえ、最初に感じた警鐘は今でも頭の中で鳴り響いていて、総士は出来るだけ丁寧に、不快にさせない様に言葉を発した。それに、まだ起きてこないが、陽葵が目覚めるのなら命の恩人でもあるのだから。


 「これはすまない。確かにユイとやらから見たら私達と会うのは初めてだったか。それと現世むこうではぬしが面倒を見てくれているのだしな」


 「そうね、いきなりすぎよね」


 二人は折った膝を伸ばし、総士に視線を合わせるとかんざしの女性が口を開いた。


 「同じことを言っちゃうけど、私達はあなた達で言う神になると思うわ」


 「曖昧な言い方になっちゃうのは……どうでもいいから、でしたよね?」


 「ふふ、そういうこと。でも、一応は人を見習って名前は付けたのよ。私があーちゃんで、隣にいる彼女がいーちゃん♪」


 どこか自慢げに声を躍らせるあーちゃんと名乗ったかんざしの女性。

 今もニコッと向日葵の様に晴れやかな笑顔を向けているのだが……。あーちゃん? いーちゃん? こんな20代位に見える女性が? と言うのが総士の本音である。だがもちろん口にするなんてことはしない。


 「あーちゃん……いーちゃん……」


 漏れ出るのはしょうがない。


 総士の言葉に気をよくして頷くかんざしの女性の横では、またしても照れ隠しで視線を逸らす女性。


 「ま、まぁ、それはそれとしてだな、私の血を分けたのがそこのイナミ。彼女が血を分けたのがひまりという訳だ」


 総士の眼が点になっていたのに気付いたのか、いーちゃんは「あー……」と一言入れてから言葉を続ける。


 「死人の魂に神の血を分けた子らを死神なんて呼び方をしているんだがな、血を分けるって事は私達の一部を分け与えているんだ。だから私達は死神の子らを娘だと思って大事に見守っているんだよ」


 そう言ってイナミを見つめるいーちゃん。それを一瞥したあーちゃんも微笑みを浮かべ、総士の胸の中で眠る陽葵の頬を撫でる。


 「この子はね、最初来た時に現世で起きたことを私達に訴えかけてきたの。大人しい子だって一目で分かったわ。そんな子が必死に声を上げるものだから私も最初は驚いちゃって……」


 笑みを深めるあーちゃん。それは人の母が娘に向けるそれだ。


 「私達はここに来る全てを死神にするなんてことはしないわ。何より、大きくなった人間は私達を見るだけで逃げたり襲ってきたりする者ばかりだから」


 あーちゃんは言い終えると、頬を撫でながら陽葵の耳元に顔を寄せ「そろそろ起きてあげなさい」と声を掛けた。


 その直後、陽葵の瞼がピクリと動く。

 自身の胸の中で眠る陽葵を見下ろしていた総士は、まるで信じられない物でも見るかのように目を見開き、次には陽葵の肩を揺らし声を掛けた。


 「ひまり、ひまり。大丈夫か?」


 優しく、大きく揺らしていくうちに開いていく瞼。総士は今度こそ自分の瞼から漏れ出る熱い雫を自覚した。


 「……ソウ?」


 「あぁ、あぁ……俺だ。陽葵、遅くなって悪かった」


 目を覚ましたばかりの陽葵は首を軽く傾けるも、いつもの変わらぬ表情ではなく、軽く上げた口角と普段よりは垂らした目を向け───。


 「……ん」


 とだけ言った。

 その頬に手を添え、伝わってくる感触が、塞き止めていた何かを突き崩し溢れ出していた。



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