第25話 遅刻、時々、希望【2】


 「どうしたもこうしたもないしっ!! こいつが陽葵を殺した奴だからっ!!」


 「……はぁ?」


 間の抜けた声が漏れ出た総士。どこから声が出たのかさえ気付けないほど、頭の中は混乱した。


 思想省の人間であり、陽葵の ” 元 ” ではあるが、育ての親である和馬。そんな人間が陽葵を殺せるのだろうか。とはいえ、神蔵は神の目で縛られながらも視界を飛ばし、リアルタイムで陽葵の最後を看取ったはずなのだ。


 「本当のことを言えなくて悪かったな、ソウ」


 総士の前で立ち止まった和馬は深く頭を下げた。纏う雰囲気が、声音が、冗談ではない事をひしひしと伝えてくる。


 「……訳わかんね」


 ただでさえ理解が追いつていない。

 いや、頭では分かっているのかもしれない。


 けれど、そんな言葉一つで納得できるような感情ではないことだけは気付いたから。


 和馬は ” 本当のこと言えなくて悪かった ” と言ったのだ。陽葵を殺したことに謝っている訳ではない。


 頭を上げた和馬はさっきまでの真剣な雰囲気を脱ぎ去り、煙草に火をつけて深呼吸を一つ。


 「それでな……、わりーんだけど ”イナミ様 ” に合わせてくれないか?」

 

 心が忙しい。

 さっきまで喪失感と混乱に包まれていた心が、今度はグツグツと煮えたぎる様に熱くなっていく。


 「───他に言うことは無いのかよっ!!」


 気付けば腹の底から吐き出された声。


 なぜイナミに会わせろと言ったのか理由なんて分からない。それでも二人の関係は和馬も知っていたはずで、それでもなお、和馬の態度は全てがどうでもいいと言っている様にしか見えなかった。


 総士の叫び声はひんやりとした夜に木魂する。

 それを目の当たりにしても動じないどころか、再び煙草を口元に運んだ和馬はゆっくりとそれを吸い込む。


 「ソウ、お前にとって大切な人っていうのはどれだけいるんだ?」


 和馬の質問の意図が分からず、言葉が見つからない総士はただ和馬を睨みつけることしかできなかった。そんな総士を見てか、和馬は白い煙を吐き出しながら少しだけ呆れたように続ける。


 「頭ん中で思い浮かべてみろ。そんなに多くはねーだろ? それはな、ソウだからってんじゃなくて、俺も一緒なんだよ。……んで、俺はそれを守るために陽葵を殺し───」


和馬が言い終える前、気付けば総士の体は勝手に動きだしていた。


 「………れい迦具耶かぐや、力を寄こせ」


 低く、暗い声で呟いた総士。その体は和馬へと一直線に向い、右手に深紅の刀が握られると同時に竜を宿した総士の体は爆発的に加速する。


 既に描き終えていた軌跡を振り払うかのように断ち切り、刹那の間に和馬の眼前まで迫った総士は振り抜いたはずの刀を体の力だけで強引に引き戻して和馬に向かって振るう。

 総士の振るう刀には微塵の迷いもなく、本心と理性からくる殺意を全てを乗せた一刀。その一刀は間違いなく和馬を引き裂き、跡形もなく塵へと返す一刀───のはずだった。


「───っ!?」


 キンッ、と高い音を響かせながらも暗闇に赤く描いた弧はその形を歪めた。

 全てを塵に返すはずの刀はもちろん、一振り目に断ち切った軌跡までもが見えない壁に阻まれていた。総士の手に残ったのは痺れと何か硬い物を叩いたような衝撃だけだった。


 思わず態勢を崩した総士は咄嗟に地面を蹴り、元居た場所まで一足飛びに下がる。


 「ったく、人の話は最後まで聞けって教えただろうに」


 さっきまで体を支配した熱は驚愕に染まっていく。

 総士が持っているのは迦具耶から借りたモノ。それはそこら辺に転がっている刃物などではない。この世界に存在する最硬の物だろうが全てを塵へと化す刀。もしもそれを防げるというのであれば………。


 「まさか………」


 そんな総士の疑問は風に流されたのか、和馬は何も聞こえていなと言わんばかりに言葉を続ける。


 「どこから説明していいか分かんなくなっちまったじゃねーか……。まぁ端的に言うとだな、俺の守りたい者の為に陽葵には死んでもらったし、これからソウにも死んでもらう」


 「イナミとユイがいるんだ。簡単に死んでやれるか」


 もしもイナミやユイと出会う前に同じような状況になってしまっていたなら、総士は迷うことなく死を選んだだろう。唯一の安らぎさえいなくなった世界。そんな世界にしがみ付く理由なんてものを持ち合わせていなかった。少なくても総士はそう感じていた。


 それでも、今は違う。


 「あぁ……そんなこと心配してたのか。それなら安心しろ、二人の面倒は俺がしっかりと見るからな」


 「どういう意味だ?」


 「それを教える前に一つ教えてくれ。” 右の鎖骨に1cmくらいの蒙古斑 ” がある女の子を知ってるだろ?」


 イナミの青あざはいつも長い髪で隠れているはずで、一緒に風呂に入っている総士しか知らないはずなのに。


 「……なんで和馬がそれを知ってる?」


 「これを見りゃいくら鈍感なソウだって分かってくれるか?」


 そう言って和馬はジャケットの裏ポケットから何かを取り出すと、総士に向かって山なりに投げる。


「これ……は?」


 総士の目の前に落ちてきたのは黒ずんだ銀の懐中時計。

 どこか見覚えのあるそれに手を伸ばし、総士は竜頭を押し込んで蓋を開ける。


 動く事を諦めたその時計は同じ時間を指し示し続け、蓋の裏側には色褪せた小さな写真が張り付けられていた。


 写真にはどことなく気恥しそうにしている和馬と、その隣には優しく微笑みながら和馬に寄り添う母性ぁ溢れる女性。そして、その間に挟まれるようにニコニコと笑っているイナミに似た子供が写っていた。


 「髪色も瞳の色も変わっちまってるけどな、その真ん中に写ってるのが俺と美咲の間にできた子───佳奈美だ。説明すると長くなっちまうから要点だけ言うとな、俺が目指してるのは ” 任意の人間を神として再抽出する ” 方法だ。そして……今度こそ守り切る。佳奈美を……」


 空を見上げ、どこか憂いを帯びた様な眼をした和馬。

 

 和馬を見ながらも、ユイと出会った翌日に空璃と交わした会話を思い出す。


 《───ユイ様は ” 人としての記憶 ” を持って尚、神として現界しとるんじゃ。それも実の両親と会って記憶の内容にも間違いが無いことや、顔や体型が同じだという事も確認ができたんじゃ。つまりじゃ……、” 人間は神になれる ” ということじゃ》


 空璃の言葉に対して「頭の良い奴らはぶっ飛んでんだな」と答えていた総士だが、目の前にいる男は冗談でも演技でもなかった。


 「本当に……人が神になるのか?」


 視線を総士へと戻した和馬は言う。


 「試行回数はまだ百にも満たないが、条件と環境が揃えば可能だ。───論より証拠、だな」


 和馬が言い終えると同時に、二人の間に産まれた一つの闇。

 それは徐々に小さくなっていくと、中から一人の少女が姿を現す。柔らかそうなフワフワとした栗色の髪に大きな瞳を閉じた見覚えのある少女。


 「ひま……り?」


 総士は神蔵の傍に居るはずの陽葵と目の前に現れた陽葵を交互に見やる。

 何度も視線を上下に上げ下げし、振り返っては神蔵の傍で横たわっている亡骸へと視線を向ける。何度も何度も繰り返しては見るが、足の先から髪の一本までが同じだった。違う事があるとすれば片方は地面に寝そべっていて、もう片方は立っているということくらい。


 「もう人ではないけどな」


 その言葉に一瞬目を大きく見開いた総士。だが、次の瞬間には一つの希望が心に灯る。


 「……ってことは……和馬を殺せば陽葵が戻って来るんだな?」


 和馬はイナミを連れ戻すために総士を殺すと言った。理由などはまるで分からない。だが、逆もあり得るのだろうと総士は考えた。


 「……さぁ、どうだろうな」


 和馬はニヤリと口を歪ませ、総士を見る。


 「……御津羽ミツハ、力を貸せ」


 総士は開いていた手に秒針にも似た細い剣を顕現させる。


 もう迷っている暇などない。陽葵が死んだと思った。いや、実際死んでいる。それでも、また傍に居られるなら───やることなど決まっている。


 総士が大地を踏みしめれば、二人を囲む様に銀世界が現れ、それは空に向かって雪華を巻き上げる。


 ───命の恩人は誰?


 そんな質問をされれば、総士は和馬の名を上げるだろう。育ての親でもありながらも良き友人で居てくれた人。


  ” お前たちがどんな目に遭ったか……。俺には想像しかできない。同じ経験をした訳じゃないからな。でもな、誰だって不幸を抱えて、みんなが幸せを探して生きるんだ。誰だって幸せになっていいんだ。だから自分達を責める時間があるなら、俺と笑って暮らそうぜ ”


 自分の為に言葉を掛けてくれた人。


 「………絶対殺す」


 「それは俺のセリフだろ?」


 立ち尽くしたままの二人。

 それは神となった陽葵が再び暗闇に戻ると同時、動き出す。


 和馬の足元に伸びている水の軌跡を一太刀。

 軌跡を辿る水刃と雪華が混ざり合い、瞬く間に足と地面を氷に縫われた和馬。だが和馬は慌てる様子もなく、コート裏から取り出した一本のスローイングナイフを総士に向かって投げ飛ばす。


 頭目掛けて向かってくるナイフを避けようと総士は一歩踏み出すが、すぐに足を止める。


 向ってくるナイフは一本だったはず、なのに、気付けば光を凝縮して作られた様なナイフが10、20、40と増えていき、今では総士の視界を埋め尽くすほどの数となっていた。


 避けようにも避ける場所がない程の物量。そんな状況下で取れる手段は限りなく少ない。


 ユイの銀鏡で防ぐ。

 イナミの力で全ての動きを止める。

 被弾を覚悟で和馬の元へと肉薄する。


 総士が選んだ選択肢は再度地面を蹴ってナイフに向かって走り出すことだった。


 和馬がイナミを狙っているのならイナミをこの場に呼ぶのは危険すぎる。ユイの銀鏡で防げば確かにやり過ごせるだろうが、それでは相手に隙を与え、良くても防戦一方になってしまう。それに、何よりも大事だと思える人間をどんな危険が待っているかも分からない状況で呼ぶのは、総士が抱き始めている親心は良しとしなかった。


 そして、このナイフ自体を避ける事は許されない。


 総士の後ろには自衛手段を持たない巫女さんがいるのだから。


 両手に握った刃で身近なナイフを叩き落しては、龗が貸してくれる力を使って地面を蹴り飛ばし、取りこぼさない様に叩き続ける。


 だが、数得ることすら億劫なほどのナイフを全て防ぎきることは叶わなかった。


 体の前方で叩き落していたナイフが一つ、また一つと総士の体を抜けていく。その度に、バク宙をしては上下が逆さまになった世界で神蔵達に向かったナイフを叩き落す。それが難しくなれば空いている足でナイフの横っ腹に蹴りを見舞う。


 なんとか全部のナイフを後ろに抜けさせること無く切り抜けた総士だったが、代償として無数の切傷と8本のナイフが体に刺さっていた。


 「ソウがそんなに運動神経良かったとは思わなかったな。てっきり今のでやれるかも……なんて思っていたんだけどな」


 和馬は悔しそうな声音をあげるが、その顔は笑っていた。

 陽葵を神として宿し得た力。人では得られない力をその手にした和馬は自制が聞いてはいるものの、神鬼としては先輩であるはずの総士を圧倒している実感。それは全能感という美酒に浸かっている様な錯覚さえ起こし始めていた。


 「殺るのは俺だ」


 捨て台詞を吐くと和馬が再びコート裏に手を入れる。それを見て、総士はすぐに二つの軌跡を走らせる。


 さっきの様な攻撃が何度もきたらジリ貧になってしまう。かと言って、和馬を直接狙っただけでは初撃の様に弾かれる可能性がある。これに関しては突破口を見つけるまで手が出せない。


 だとすれば、ナイフが和馬の手から離れた直後、二つの軌跡が起こす水蒸気爆発でナイフを吹き飛ばせれば時間は稼げるはず。


 即座に軌跡を走らせる総士。


 和馬がナイフを投げる直前、二つの軌跡を断ち切る。和馬から1m手前で起きた蒸気爆発で、総士達を囲んでいた雪華と銀世界もろとも吹き飛び、投げたナイフと光るナイフが全て地面に突き刺さる。動きさえ止めてしまえばナイフが増える事は無いみたいで、地面に突き刺さった光のナイフは時間と共にその存在を希薄な物に変え、そして消えていった。


 すぐさま総士は動き出す。


 和馬の動きさえ注視していればナイフの大群は防げることが分かった。後は初撃を防いだ防壁の様な物をどうにかできれば………殺意は届く。


 その為には防壁の性質を調べないといけない。


 接近しながらも和馬を見るが、さっきの蒸気爆発ですら和馬は無傷。直接斬りこんでも無傷。威力が足りないだけなのか、それとも物量で押し通せる物なのか。まずはそこからだ。


 総士は和馬の一挙手一投足にきを配りながらも同じ場所に留まること無く、数多の斬撃を見舞う───が、どれも鉄で鉄を叩いたような痺れと衝撃が手に伝わるばかり。


 総士が滑稽に思えたのだろう。

 和馬は口を歪めてすぐにナイフを取り出す。それを確認した総士はすぐさま二つの軌跡を描き、全力で後ろへと飛びながら軌跡を断ち切り、再度爆発を起こしてナイフを吹き飛ばす。


 空中で姿勢を立て直し着地した総士はすぐに地面を蹴飛ばした。

 物量でだめなら………と、総士は先程と同じように肉薄し、同じ場所に留まらない様に動く。

 今度は斬撃を与える場所を決め、寸分の狂いなくその場所だけを切り刻む。


 だが結果は変わらない。


 「陽葵に宿った神の本質を知らないソウじゃ、いくらやっても俺には届かないぞ」


 憐れみさえ含んだ声音で呟きながらも、まるで邪魔な羽虫を払うがごとくナイフを取り出す和馬。やはりそれを全力で下がりながら爆発で撃ち落とすも、想像以上に手段が見えてこなくなった総士は時間稼ぎの為に口を開く。


 「だとしても、和馬だって俺には届いてねーだろ?」


 事実ではあるのだが半分ハッタリ。ただの膠着状態とはいえ、総士の情報をある程度握っている和馬と、相手の力の一端しか知らない総士では圧倒的に不利なのは後者だ。


 「そこなんだよなぁ~。ソウが本気を出すなら俺の勝ちは薄いだろうな。本気を出すなら……な?」


 予定通りと言いたげな表情を浮かべた和馬と、その和馬が言いたいことを正確に理解した総士。だからこそはっきりと言ってやる。


 「俺はいつだって本気だ。イナミとユイは力じゃなくて家族だからな」


 イナミもユイは人とは根本的に違うけど、それでも総士にとってはもう家族なのだ。自分の家族をただの兵力扱いされてはたまったものじゃない。何よりもイナミが自分の娘だと言いながらも力として見ている和馬に腹が立った総士だったのだが、総士の吐き出した言葉は和馬の触れてはいけない部分に触れた様だった。


 「……ソウの家族、だと?」


 和馬の表情が瞬間的に抜け落ちる。だが、そんな事は知らない。大事な人を殺した奴を相手に気遣ってなどやらない。


 「あぁ。俺の家族だ。イナミも、ユイも、陽葵も。だから返してもらう」


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