第27話 神、時々、死神【1】


 瞼に刺し込む光が眩しく、けれど冷たく感じる。まるで深い海の底から引っ張り上げられるような……そんな浮遊感を全身で感じながら。


 海の底から……なんて感じたのは、息苦しさと深いモヤがかかった視界。それと、言うことを聞いてくれない体のせいだろうか。


 「ソ……ッ / ……しさんっ」


ぼんやりと視界に入り込んできた小さな黒い点の様な物が二つ。


 「ソウッ!! / 総士さんつ!!」


 ゆっくりと晴れていく視界の中で、黒点だったものが見知った顔に変わる。


 「イナミ、ユイ……。大丈夫か?」


 「うんっ! / はいっ!」


 総士を挟み込むようにして覗き込んでいた2人の頬に手を添えれば、さっきまで自由の効かないと感じていた体は嘘のように軽くて、口篭るようなことも無かった。


 「……懐かしいな」


 覗き込んでいた2人の背には真っ白な壁。首を左右に動かして辺りを見渡すも、真っ白な壁。一度体験した異質さを思い出すには十分だった。


 「うんっ! なつかしいねっ」


 イナミの言葉に頷く。あったはずの壁掛けの時計や散らかっていた小物などはないが、紛れもなく総士とイナミが初めて出会った場所。ここはそういう場所だ。


「私は……初めてです」


 頬を緩めているイナミとは違い、辺りをキョロキョロと不安そうに眺めるユイ。


 「そうなのか?」


 誰も口を開いていないのに聞こえた声。その声がした方に視線を向ければ、少し離れた場所に和馬が立っていて、その足元には陽葵が仰向けに寝そべっていた。


 和馬は足元の陽葵には見向きもせず、総士たちの元へと歩み寄る。


 「和馬……、約束通り説明してもらうぞ。嘘は無しだ」


 総士は仰向けに寝そべっていた上半身を起こし、その場で胡坐をかく。


 「あぁ、分かってるさ」


 和馬が総士と向き合う様に胡坐をかき、総士を正面に見据える。


 「まずは……そうだな。俺を殺しても陽葵が生き返らない理由から説明した方がいいだろ」


 そう言って、和馬は説明を始めた。


 要約してしまえば、和馬が行ってきた任意の人間を神として再抽出する実験。今では神にしたい人間と、それに近しい者の二人がいれば高い確率で成功するらしいが、実験初期の段階では、手探りで実験をしていた為に、任意の人間を始めて神として抽出に成功した時は片手では数え切れない人が犠牲になったらしい。


 その過程で判明した事実では ” 三度目の抽出を行おうとすると確実に失敗する ” という結果論だった。


 そして、最低でも二回の抽出は行わないと任意の人間を神として抽出することができない。


 つまり、陽葵は和馬の体に宿っているいま、既に二回目の抽出を終えており、ここから和馬を殺して総士の体に移そうものなら………。


 「結局は一度この場所に来なきゃいけねんだけど、俺の場合はソウを殺してからすぐに自分の腕にナイフを刺してここに来ればそれで済む。だけどソウの場合は俺を殺した所で、この場所に来る手段も無ければ陽葵の抽出限界を迎えて元には戻らない。───そういう予定だったんだ」


 和馬が躊躇うことなくはっきりと口にした言葉に確かな覚悟を感じながらも、沈んでいく心を止められなった。それと同時に湧き上がる疑問もあったが、自分と陽葵が和馬にとってどうでもいい人間として和馬の心から追い出された。そんな実感が総士を覆っていた。


 「……なんで陽葵だった? なんで陽葵じゃなきゃだめだったんだ!!?」


 湧き上がってきた疑問にやりきれない思いが吐き出され、自然と語尾が強くなる。それに驚いたのか、両隣に座っていたイナミとユイはビクッと肩を揺らし総士へと視線を向ける。


 和馬の目的は娘である佳奈美のはず。本当にイナミが佳奈美だったとしても陽葵が殺される理由がどこにあったというのか。


 「……仮に、俺が陽葵を殺す前にソウに本当のことを言ったとして……お前は俺の為に死ねるか?」


 和馬も分かっている。施設に来た時から何かと行動を共にしていた総士と陽葵を。そして、総士を殺そうとすれば誰が一番先に邪魔になってしまうのかを。


 すぐに答えられない総士を見て、和馬は続け口を開く。


 「だから覚悟だけは決めてきた。誰に恨まれるとしても、俺は佳奈美を自分に宿すまで諦めない、ってな。───だが………ソウが生きてる状態でここに来ちまった時点で計算が狂っちまったんだけどな」


 覚悟を決めたような表情を浮かべながらも、その眼には失意を宿した和馬。さっきまでの言葉には確かな覚悟を感じていたのに、なぜ今はそんな顔をしているのか。


 それを訪ねようと口を開きかけた時────。


 「あら、どうりで……」

 「やっときた………おぉ、久しいな」


 総士達がいる場所から10m位だっただろうか、吸い寄せられた視線の先には2人の異様な容姿をした女性がいた。


 1人は闇夜を貼り付けた長い黒髪と、深紅の瞳で飾った造形の美しい女性。けれど、焼け爛れたように色の変わった下半身からは、漏れ出る黄緑色のドロリとした液体が真っ白な床を染めていた。


 もう1人の女性は温かみのある女性に思える。後ろ髪を向日葵のかんざしで纏めている姿に人の良さそうな笑顔とスキップでもしているかの様な軽い足取り。けれど、右腕を貫き、埋めつくしている無数のかんざし。


 総士は咄嗟に体の重心を落とし、和馬は両の手にナイフを取り出す。


 そんな二人を視界に納めながらも、下半身が焼き爛れた女性は嬉々とした表情を浮かべ、かんざしの女性は手を口に当てて首を傾ける。


 視線がぶつかった瞬間、背中や額から吹き出る汗と早鐘を打つ心臓。目の前の存在に対して今までに体感した事のない恐怖が総士を襲い、本能が逃げろと叫ぶ。


 (……くそっ!!)


 イナミとユイ、それに陽葵もいる。いくら本能が逃げろと言った所で、総士の選択肢にそんな文字があるはずも無い。心の内で悪態を吐きながらも、深く息を吸い込み、落ち着け、落ち着け、と自分自身に言い聞かせる。


 「面倒だから動かないでくれ・・・・・・・


 耳元で囁かれた氷の様に冷めきった声。咄嗟に後ろへ身を投げようとするも、自分の意思に反して体が動くことは無かった。


 さっきまで2人の女性全体を視界に収めていたはず。

 それなのに今目の前に映るのは、絹のようにキメ細かい白い首筋と耳の後ろに引っ掛けた闇夜にも似た艶やかな髪。それを見て初めて自分が瞬きをした隙に距離を詰められたのだと知るも、目の前の光景を見る以外にできることは無かった。


 数秒にも満たないはずの永遠の様に感じた時間。それは呆気なく終わりを告げる。総士の肩に顎を乗せる様にしていた顔をスっと引き、距離をあけた女性は総士を見ることなどなく、視線をイナミへと向けていた。


「……だぁれ?」


横目に見る事しかできない総士の耳に届いたのはイナミの声。


「おぉ……本当にまた来たのか」


 声音を優しくしながらイナミに視線を合わせた女性はイナミの頬をそっと手で撫でる。


 「……ねぇ? イナミのこと、知ってるの?」


 「やはり覚えてはいない……か。───今の君は幸せか?」


 「??? よく分からないけどイナミは幸せ。だって家族がいるもん」


 微笑んだイナミが総士へと視線を向ける。それを追う様に総士に視線を向けた女性はその切れ長の目を少しだけ垂れさせる。その姿がまるで雪解けから顔を覗かせた花の様で見惚れてしまう程だった。


 「おぉ、ぬしが家族か。それは申し訳ないことをしたようだ。───動いて良い・・・・・


 まるで氷が融解していく様に急激に動いた体。ガクンっと前のめりになった体を足で踏ん張ることで耐える。


 「この子らは私達の子と言っても過言じゃない。それが家族というのだからぬしには礼を言わねばならないな。だが───」


 氷の様に冷たさを帯びた声音を発した女性の視線が、総士の後ろへと注がれる。その刹那、突風の様に抜けていった殺気に再び背中から汗が吹き出る。


「───ぬしは別だ」


氷の様な声が響いたのは、和馬が立っている場所だった。


 もちろん、和馬も逃げようとしたのか、それとも攻撃しようとしたのか、あるいは同時だったのか。地面から少し足を浮かせたまま、持っていたナイフを床へと落とした状態で止まっていた。まるで一時停止を押した場面を切り抜いたかのように。


 そんな光景を目の当たりにした総士は遠目に2人を見ていることしか出来なかった。


 「あなたがソウって子かしら?」


 隣から聞こえてきた鈴を転がしたような音へと視線を向ける。


 「あなた達は一体……」


 右腕をかんざしで埋めつくした女性は、いつの間にか陽葵を胸の前で抱きながら総士へと微笑みかけていた。


 先程の下半身が爛れた氷のような声音の女性も、目の前にいるかんざしで右腕を埋めつくした女性も、自身の脳内から響く警鐘を耳に残しながらも、目は釘付けになってしまう。


 「それは本当に貴方が知りたいこと? それとも興味本位かしら?」


 「どちらも……じゃ、ダメですか?」


 「ワガママは良くないわ……と言いたい所なのだけど……今回は特別ね」


 総士の前で足を止めたかんざしの女性は「お願いできる?」と言うと、総士に陽葵を預ける。

 両手が空いた女性は自身の右腕に刺さっているかんざしに手をかけ、強引に引き抜くと同時に辺りを鮮血が染める。


 「私達はあなた達 ” 人 ” が言うところの神……になるのかしら?」


 「だいぶ……曖昧な言い方しますね」


 「それはそうよ。私は猿よ、私は豚よ、なんてことを言う動物なんて人間だけよ? 私が私である限りどうだっていいじゃない?」


 そのかんざしを陽葵の口元へと運ぶと、かんざしの先端からしたたる血は陽葵の口に吸いこまれていった。


 「あなたは嫌がっていたけれど、あなたが大事にする人が迎えに来たんだもの。怒らないわよね?」


 かんざしで埋め尽くされた手で、陽葵の頬を優しく撫でる女性。それは総士がイナミやユイを撫でるように、どこか慈しみを感じさせた。


 血を飲ませるなど普通では考えられない行為に「今のはなんですか?」と問う総士。そんな総士に女性は優しく微笑む。


 「死神にしてあげないとね」


 「しに……がみ?」


 静かに揺れた瞳孔。それを見て簪の女性はクスクスと肩を揺らしながら口元を手で隠すと───。


 「そんなに深い意味はないわ。死んだ魂に神と言われている私達の血を注ぐから死神。……人は本当に大変よ? 濃すぎても多すぎてもダメ。ほんのちょっとだけ含ませてあげればいいの。……でも最近は……ね?」


 口元を隠しながらも最後には険しい目を和馬の方へと向け、総士も追うように視線を向ける。視線の先には、さっきまで近くで胡坐をかいていた和馬が、遠くの方で深紅の瞳を持つ女性と抱き合っているかのように見えた。


 一体あの二人は何をしているのか?

 深紅の瞳を持つ女性がそこに向かうまでに放った殺気めいたモノは、毛穴という毛穴から汗が吹き出るくらいには殺伐としたものだったはず。


 隣を見れば、簪の女性も向日葵の簪が似合う笑みは消え、鋭さの増していく視線。


 見間違えや思い違いの類でないのだとするならば、なぜ抱きしめているのかが気になってしまう。更にいえば、抱きしめている氷の声音を持つ女性が微かに笑っているようにさえ見えたから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る