第23話 本気、時々、本気【3】


 総士の目の前で足を止めた空璃。


 「最近は痛みに鈍感になっとるじゃろ?」


 言い終えた空璃は一歩前に踏み出すと、総士の腹部目掛けて掌底を放つ。

 動かぬ体では逃げること叶わず、総士は歯を食いしばる。


 まるで鉄塊にでも殴られた衝撃で体を九の字に曲がるも、総士の体を押さえている何かのせいで吹き飛ぶことは無く、襲ってきた衝撃全てを体で受けることになる。


 「───っ!!?」


 視界が揺れ、口の中を満たす胃液。舌を噛まぬようにと食いしばった歯が勝手に開く。


 「ぬしがやっとる事はこんなもんじゃなかろう?」


 ゆらりと前のめりになった空璃は足を滑らせ、今度は両の手で掌底を放つ。

 九の字になっていた体に突き刺すような一撃。

 それは、逃げ場の無くなった総士の体を中から破壊する。


 皮膚は弾け飛び、肉は引き裂かれ、口からは赤黒い血が漏れ出る。

 それと同時に、総士の体を押さえていた鎖状の空気は消え去り、重力に身を任せるようにしてコンクリートのひんやりとした感触が総士の頬に伝わって来る。


 (───ソウっ!! 何があったの!?)

 (総士さんっ!!)


 自分の中から聞こえてくる必死な声。


 答えようにも答えられない総士。


 一瞬にして満身創痍となった総士の頭はまるで時が止まっている様だった。


 ────俺は……なにをやってるんだ?


 陽葵を探しに行かなくてはいけないのに。

 陽葵は自分の至らなさのせいでいなくなってしまったのに。

 陽葵は……。

 陽葵は……。



 虚ろな意識のまま、総士は手のひらを地面に突き立てる。 



 ─────こんなところで寝てる場合じゃないだろ。


 

 地面に突き立てた腕は重く、立ち上がる為の足は震えている。

 それでも、何とか起こした体で空璃へと虚ろな視線を向ける。


 「そうじゃ。その一歩は傷付ける為の一歩であってはいけないじゃ。ぬしが、ぬしの守りたいモノの為の一歩でなくてはいけないんじゃ」


 総士は握りしめた凶器の感触を確かめていた。


 (少しだけ、本当に少しだけ……。違う気がする)


 言葉に出来そうで出来ない気持ち悪さ、と言えばいいのだろうか。総士それを感じながらも思い出す。


 廃校の時、教室にいた全員の前で迦具耶を顕現させ、総士は次々に刀を振るった。相手は総士を殺そうとしたのだから殺した理由は成立している。


 そこまで考えて、気持ち悪さが増す。


 神鬼となった空璃を目の前に、総士は殺す事だけを考えてはいない。陽葵を探すために逃げるを算段に入れ始めている。

 もちろん空璃から逃げるという事は思想省を敵に回すことになりかねない。それでも陽葵と会う為ならどうでも良いとさえ感じ、逃げる事を考えている。


 ───あぁ、そうか。


 「慣れとは本当に怖いもんじゃ。いるのが当たり前、殺すのが当たり前、傷付けるのも、傷つくのも当たり前。だから見過ごすんじゃ、可能性を、選択肢を」


 本当に当たり前の話。

 空璃が言ったのはそういう話だ。

 

 「……これじゃ……ただの馬鹿だな」


 「少しは落ち着いたかの?」


 「……あぁ」


 「じゃあイナミ様を呼んで治してもらうのがええじゃろう」


 「そうだな……」


 急激に襲ってきた情けなさやら恥ずかしさを取り繕い、総士が内側へと声を掛けると左右に現れる暗闇。


 「どうしたんですかっ!?」


 ユイは総士に視線を向けると、驚愕に顔を染め総士を支えるように近付く。

 腹部が抉れ、血が溢れる状況をいきなり見せられる二人に申し訳なさも混ざる総士。


 イナミは───。


 「……イナミのソウに何したの?」


 深紅の瞳は濁り、その視線は全てを射抜く。

 総士と空璃以外の人間はそれだけで体を震わせ、動ける者はその場から去るために足掻き、動けない者は腰を抜かす。


 「嬢ちゃん、その位にしときな」


 「……あなた…だぁれ?」


 イナミの視線を真っ向から受け止め、それでも不敵に笑うのは、空離と呼ばれた神。


 「一応は嬢ちゃんと同類なんだけどな。まぁ俺の場合はちーっとばっかし特殊っちゃ特殊なんだけどよ。───それより嬢ちゃんの大事な人なんだろ? さっさと治してやんな」


 「イナミ、その人の言う通り先に治してもらってもいいか?」


 表情が抜け落ちていくイナミを止めたのは総士。というよりも、総士以外の言葉でイナミが止まる事はないのだが。


 「……イナミのソウが傷つくのをイナミは認めないっ!」


 空離を見ながらも歯噛みしたイナミが言葉を口にすると、総士の体は逆再生が始まり、瞬く間に傷が無かったかのようになる。

 元通りになった総士は今にも泣きそうな顔をしているユイの頭を撫でた後、イナミの元へと向かう。


 「心配かけたな。悪いのは俺で、その人は俺にそのことを教えてくれたんだよ」


 「……ほんとうに??」


 「あぁ。それと悪いんだけどあいつらも治してやってくれないか?」


 総士は未だガタガタと震えている錬や錬の友達に視線を向ける。


 「………」


 頬をむすっと膨らませたイナミは総士の目をしっかりと見ながらも、納得がいかない様だった。とはいえ、イナミは総士に嫌われる事の方が嫌な訳で……。


 「もぉーーっ!! ソウ以外の人なんてどうでもいいのにぃぃぃーー!! ───イナミの前で傷つく事をイナミは認めないっっ!!」


 やけくそ。

 そんな言葉がお似合いなシュチエーションに苦笑いで返しながらも、なんだかんだで言う事を聞いてくれるイナミの頭をそっと撫でることにしておく。


 その姿を微笑ましい姿で見ながら、空璃は自身が呼び出した神を己の中に戻して総士へと歩み寄る。総士とイナミがそれに気付いて視線を向けると、空璃は片膝を折ってイナミへと頭を垂れた。


 「イナミ様、この度はワシの甘さが招いたことですじゃ。これからは更に精進する故、どうにか怒りをお納めになってもらえますじゃろうか?」


 ───誰?

 とでも言いたそうに見上げてくるイナミに再び苦笑いを返し、頭を撫でて頷く総士。

 空璃とは何度かあっているはずだが、イナミにとって総士以外は本当にどうでもいいらしく覚えたいないみたいだった。




 それからは空璃が呼んだ惟神大社の人達が錬たちを保護した。もちろん治療以外にも同意書の記入と簡単な事情聴取が待っているのだが。


 誰もいなくなった倉庫で、自身と同じだった空璃へと質問をなげかる総士。だが、空璃の答えは「総士殿とは少し違うんじゃよ」とだけ言って話ははぐらかされてしまい、深く聞く事も出来なかった。


 なによりも「陽葵嬢の事が優先じゃろ?」などと言われれば「そうだ」としか言いようのない総士は、気になって仕方がなかったが諦めることにした。


 「じゃぁ総士殿、ワシも一旦戻るぞい?」


 「あぁ。でもいいのか?」


 「気にするでない。わしもこのままじゃ終われんからのぉ。こちらである程度の範囲くらいは絞れるだろうて。……それにのぉ」


 空璃は改まったようにすると困惑した表情を作る。


 「まだ知ってる人間はそんなに多くないんじゃが………陽葵嬢がいなくなるよりも先に、神蔵嬢も姿をくらましとるんじゃよ」


 総士は「はぁ!?」と素っ頓狂な声を上げてしまう。

 両親の次はその娘。しかも神の眼を持つとされ、保護してきた少女が消えたのだ。


 「どうやら郷が送迎をしている最中に立ち寄った高速のサービスエリアで姿をくらましたようでの。陽葵嬢と同じく自分からなのか拉致なのかは分からずじまいじゃ」


 「追跡は出来て無いのか?」


 「持っていた追跡用のGPSは全て外された上にスマホも捨ててあった様じゃ。今は探索用のドローンで捜索しとる最中じゃよ。それである程度の方向が分かれば次の段取りに進む予定なんじゃが……」

 

 「そう……だな。とりあえず明日の朝にもう一度連絡する。ある程度でも場所が分かれば探しに行くよ」


 「そうじゃな」



 総士は空璃と明日の動きや今後の流れに付いて空璃と話を済ませ、自宅へと向かう事にした。

 近くの駅までは空璃が用意してくれた車で向かい、それからは来た時と同じように電車で仙川町へと向かう。惟神大社側が「自宅までお送りします」と言ったのだが、それを丁寧に断ったうえでの電車だ。それは総士自身が心の整理したかったから。


 改めて空璃と話して感じたこともある。それは覚悟という部分で自分が何も準備をしていなかった事。


 状況や時期から見ても、御神体の盗難と陽葵と神蔵の失踪。これは何かしらの形で繋がっている可能性が高い。十中八九その絡みであるだろうと予想はした空璃だが、「決めつける事は視野を狭くする行為じゃて」と言って想定の範囲に収めておくことを総士に伝えていた。


 ───今度は陽葵が……。


 御神体で思い出されるのは千刻の義。

 体を千カ所刺し、神を移す儀式。


 他にも総士たちの知らない使用方法があるかもしれないが、どうしても頭に浮かんでくるのは、あの時の記憶。


 だとすれば、既に陽葵が五体満足などという保証は無くて、その事実を想像しただけで体が沸騰したように熱くなる。もしも、そんな現場を目の当たりにしたら冷静でいられる自信が無い。


 それでも、目的は陽葵を助ける事。

 仮に陽葵で千刻の義をしたとするならば、総士という神鬼が近くにいるにも関わらず、なぜ陽葵を選んだのかは聞き出す必要がある。そうでなければ再び狙われる危険があるのだから。


 たったそれだけの考えすら思い浮かばなかった自分を恥じたからこそ、何があってもいい様に心を整理したかったのだ。


 結局、整理はついたとは言えず、理性とは別に体が勝手に熱くなったりと自分の未熟さだけを痛感する帰り道となった訳だが、沸騰と冷静を繰り返しながらも自宅の前まで辿り着いた総士は足を止め、佇んでいた。


 「よぉ、久しぶりだな。元気してるか?」


 自宅の前でタバコを吸っていたその男は、紺と黒の縦ストライプ柄のスーツにロングコートを羽織った白髪混じりの中年男性。


 「───和馬っ!?」

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る