第13話 神頼み、時々、神鬼【5】
「さぁ~神童治ぃ~、現実とおさらばする覚悟は出来たかぁ~? お前は死んで喜ぶ人間と悲しむ人間どっちが多いのか……って、んなこと聞くまでもねーか」
総士は真司の問いに答えられない。既に片膝を立てているだけで呼吸も苦しくて、視界も霞んでいる。
でも、もしも答えられたとするならもちろん喜ぶ奴の方が多いだろう。
地球上にいる幾数万の人間の内、知り合いなど数多くいる訳でもないし、今までの人生を振り返ればそんなことは考えるまでも無い。
─────それでも。
” お前たちがどんな目に遭ったか……。俺には想像しかできない。同じ経験をした訳じゃないからな。 でもな、誰だって不幸を抱えて、みんなが幸せを探して生きるんだ。誰だって幸せになっていいんだ。だから自分達を責める時間があるなら俺と笑って暮らそうぜ ”
葦原園の施設長である和馬がみんなに向けて言っていた言葉。それは総士の世界を1mmだけだけど、動かしてくれた言葉。
────俺は自分の幸せの為に生きてる。誰かに悲しまれたくて生きてるんじゃないっ。
「……だめ」
微かに聞こえた陽葵の声。
陽葵は隠れていた場所から走り出し、真司へと向かって体当たりをしようとする───が、真司は「おっと」なんて言いながら、歪めた表情はそのままにひらりと陽葵を躱す。
全体重を乗せた体当たりは虚しく、陽葵はバランスを崩す。もちろんそんな隙を真司が見逃すはずもない。
「だめじゃーん。陽葵ちゃんに用があんのはまだ先なんだよね~。ちょっと大人しくしてくんない?」
腕を掴まれた陽葵はそのまま羽交い絞めにされていた。それと同時に片膝で支えられなくなった体は前のめりに崩れ、頬が床の冷たさを伝える。なんとか視線だけを真司と陽葵へと向けるが、その行為が更に真司の笑みを深くする。
( ……イナミ、この状況どうにかできたりしないか? )
本来ならこんな危険な場面で頼りたくなどない。それでも、自分の内側に住んでいる住人は普通とはかけ離れているのだ。だからこそ弱い自分が顔を覗かせてしまう。
( ソウ……。ごめんね、さっきから何度も出ようとしてるんだけど……ソウの中から出られないの ……)
( いや、今は出てこない方がいい。俺の中からじゃ厳しそうか? )
(……うん)
(そうか……)
イナミが外に出られない理由に見当がつくはずも無く、ただ目の前で嗜虐に表情を染め始めた真司を強く睨むことしかできない自分。
それは弱い自分が悪い。
イナミに頼る事しか思い浮かばなかった自分が悪い。
貪欲に強さを求めなかった自分、知識を求めなかった自分が悪い。
視界に映した瞬間、殺してしまえばよかった。心底そう感じる総士。
真司が力を込めているのか、陽葵の表情が険しくなっている。そんな陽葵の姿を視界に映し、総士は黙ってなどいたくない、黙ってなどいてやらない。
やる前から諦めたら目の前にあるはずの道まで消してしまう。
「……あ、あ、あぁぁぁああああああっ!!!!」
出せないと諦めたら、出るはずの声だって出ない。
動かせないと諦めたら、動かせるはずだった体すら動かない。
助けられないと諦めたら、助けられるはずだった大切なな人さえ助けられない。
声は出た。
ならば次は体。
肩から下は動く。
でも、肘から下が言う事を聞いてくれない。そんなのは関係ない。
今動かなきゃいけないのに。
動かせないなら、体を支えてくれる棒にさえなってくれればいい。
手の甲を地面へと押し付け、バランスを保つ。手首に全体重を掛けたせいで痛みが走る。
────そんなものは今は関係ないっ。
(……ねぇソウ?)
突如聞こえてきた内側からの声に、イナミに何か異変でも起きたのかと構える。
(………ソウはイナミのこと認めてくれてるよね??)
何故、この状況でこういった質問が飛んでくるのか。総士には理解などできなかったが、その質問の答えだけなら昔から決まっている。
(当り前だろ。初めて会った時に約束しただろ? ずっと一緒にいるって)
(……ソウ。ありがと)
どこか切なさを含んだイナミの言葉。
それはいつもの様な何気ない会話とは違って、総士の体を反響し駆け巡る。
(……これは?)
違和感を覚え、自身の体へと視線を向ければ水飛沫の様な粒が足元から湧き、その周りををたゆたう雪の華が包み込む。
(──産まれたねっ!!)
(……迦具耶……なのか?)
イナミと出会った場所で体験したことを頭に思い浮かべた総士だったが……。
(違うよ。今度はねぇ……。───
総士の前に現れる二つの塊。
水の様に透き通った丸い塊と、まるで氷の彫刻で作られたような片翼。その二つが総士へ向かって膨れ上がる。
理由など知らない。それでも目の前に可能性が広がったのなら掴む以外に選択肢などある訳がない。ならばと、総士は目の前で膨らんでいく二つの光へと手を伸ばし、掴んだ瞬間───。
『
『
総士を包み込む二つの塊から流れ込んでくる声の様なものは、まるで全身を駆け巡る様に染み込み、頭の中を駆け巡る。そして感覚的にだが理解する。
御津羽は水神であり、その水は火から産まれた。全ての生命の根源とされる水で、時には焼きただれた大地を癒し、時には全てを飲み込む奔流となるモノ。それは流れた時間を刻む様に大地に傷跡を残すモノ。
龗は雪華の竜神。
見渡す限りの銀世界を統べる竜神ともなれば体を撫でる雪は隣人。空を覆う暗雲も空を舞う雪華も背に乗せて空を翔ける竜神にとって、無限に等しい力を宿す肉体は必然。
「くっつき虫っ!! てめー何しやがった!?」
総士を中心に起きた異変に真司は顔を歪めた。まばゆい光を伴って連れてきた景色は季節外れの銀世界。それも見渡す限り全てを白く染めていく光景。真司が目を凝らして見ても、さっきまで浮かべていた苦渋にまみれた表情などしていなくて、むしろ心地よさそうな笑みを浮かべている様にさえ思えた。
そんな真司の言葉で総士は我に返るが、控えめに言っても最悪な気分を感じずにはいられなかった。
「俺が何かしたらダメなのか?」
さっきまで声すら出すのにも必死だったにも関わらず、今では手を伸ばしていた死すら遠のいて行く。
総士は真司の言葉を待つことなく呟く。
「
総士に言葉に呼応した子らは、辺りの景色を変えていく。
迦具耶は火の粉となりて虚空を舞い踊り、総士の右手に集まっては深紅の刃を形作る。
御津羽が虚空の中を明鏡止水を体現するかのように留まり、それは秒針にも似た細い剣となり、総士の左手へと納まる。
龗の力は体へと宿り、雪華を統べる者の権限を持って無限に等しい力を。
さっきまでは立ち上がるのさえ苦労しそうだった体は自由に動き、両の手に納まった刀は総士の視界を介して二つの軌跡を描く。
「───陽葵に触るな」
総士が秒針の様な剣を一振りする。
それは一瞬の出来事。
虚空を斬ったはずの剣。
だが、その虚空を振り抜いた秒針の剣はナイフを持っていたはずの真司の腕を斬り離す。
「俺は ” 触れるな ” と言ってる」
今度は反対の手で握っていた深紅の刀で虚空を斬る。
深紅の刀が止まれば、陽葵を羽交い絞めにしていた真司のもう一つの腕が床に落ちる。
真司は咄嗟に自分の腕を見るも、水が描いた軌跡は通り道を別ちながらも触れた物全ての時を止め、火の軌跡は全てを焼き尽くし炭となる。
「
必死の形相で真司が叫び、総士を囲んでいた銀の鏡が消えると同時に真司の前に姿を現す。
「やれるもんならやってみろよくっつき虫っ!!」
銀の鏡が目の前に現れた瞬間、まるで勝ち誇ったかのように表情を歪めた真司を見て、総士は納得した。
総士が銀の鏡へと斬りかかろうとした時、横に現れた暗闇に足を止めてそれを見る。
「やっと出れたっ!!」
総士の目の前に現れたのは闇を張り付けた様な髪を景色と同化させ、ひと際目立つ深紅の瞳を嬉しそうに垂らした女の子───イナミ。
「イナミ、出てくるなって言っただろ?」
言ったことを守ってくれないイナミにはまた後で話をしなければ……と思いながら、出てきてしまったのだからどうしようもないと半ば諦めた。
そんな総士の気苦労など知る由もないイナミは銀の鏡に視線を奪われていた。目を細め、まるで鑑定士が骨とう品を鑑定するように目をさらにして眺めている。
「……ふ~ん。これじゃぁ……イナミ出てこれないよね」
ひとしきり鏡を眺めたイナミは真司に向かって歩を進める。真司もノーフェイスの端くれでイナミの存在を知っているのか、さっきまで浮かべていた歪んだ表情は恐怖に染まっている。
「ねぇ……あなた、ソウから奪ったモノ返すよね?」
遠目からでも分かる程に額に汗を貯めた真司。その姿はさっきまでの勢いなどは皆無で、小刻みに震えている様にも見えた。
「お、お、お前が死神だなっ」
声だけは大きいものの、震える声では脅しにもなるはずも無く……。
「イナミは口を開くことを認めない」
「……ん? んんぅーー!? んんぅぅぅぅぅっ!!」
「イナミは声を出すことを認めない」
「…………」
首を左右に動かすだけの真司。
「イナミがソウにされたこと気付かないと思ってるの? あの鏡、ソウの命を吸ってたよね?」
それを聞いて首をさらに傾げる総士。反して真司はカタカタと歯が音を出す。
「イナミのソウに手を出したんだから……ね? 分かってるよね? ねぇねぇねぇねぇ?」
何度も聞いたことのある言葉。それは気軽に命を刈り取る言葉で、それが続くものだと総士も感じていた。
だが、それに反してイナミは鏡と真司をもう一度見ると目つきを優しくする。
「ねぇ? あなたの中の人、ソウの中においで。イナミは
目を見開く真司と、理解が追いつかない総士と陽葵。
そんな3人差し置いて、呼応したのは7枚の銀鏡。
さっきまで円を描くように配置されていた鏡がイナミの声に呼応したのか、光の粒へと姿を変えて総士の元へと向かう。
驚きながらも見ていることしかできなかった総士だったが、集まってきた光の粒が一つ、また一つと総士の中へと吸い込まれるように消えていく。
「……これ…は?」
その言葉を差後に、総士は暗転した世界へいざなわれた。
暗闇だけが支配する空間。そこに吸い込まれたであろう光の粒が人の形を作り上げていく。
背はイナミよりも少し大きく、肩甲骨まで伸びる草色の髪を頭の後ろで二本に縛っている女の子。銀色の瞳からは涙が溢れ、幼さの残る女の子の顔は涙でグチャクチャになっていた。
「望んでない、望んでなんてないのに……。お兄ちゃん……」
「……君は?」
「───誰ですかっ!!?」
どこかで見た様な光景に自分が置かれた状況をなんとなく把握した総士はゆっくりと歩み寄り、視線を合わせるように片膝を折る。
「いきなり話しかけてごめんな。俺は神童治 総士って言うんだ。君の名前は?」
「……
” 木島 ” と聞いて、何か嫌な思い出を探り当ててしまった総士。
「……もしかしてお兄ちゃんがいるのか?」
総士の問いにうつむいた結は足元を濡らしながら震える声を絞り出した。
「ユイの大好きなつとむお兄ちゃんが死んじゃったの……。お兄ちゃんは最後までユイのこと心配してくれたのに……。ユイはなにもできなかった……」
総士は「そうだったのか……」と言いながら取り繕っているが、目の前にいる少女は総士が想像した人物で間違いが無いらしい。
彼は中学時代に真司と一緒に総士を虐めていた一人。
目の前にいる少女の兄に虐められていたはずの総士。
だけど、兄の死を悲しむただの少女を見て、総士は親近感が湧いてくるのを感じていた。
もしかしたら、仂は自分と同じで家族さえ笑顔でいてくれるなら他はどうでも良かったのかも知れない。そう思うと親近感を感じずにはいられないのだが、当の本人と話すことはもう叶わない。
「それは君が悪かった訳でも何でもない。殺した奴が悪いに決まってるだろ? そいつの名前とか分かるか?」
「……うん、” しんじ ” って。つとむお兄ちゃんがそう呼んでた」
これは予想通りとはいかないのだが。
真司が千刻の義をした言うならば、傷つくのは真司であって目の前の女の子でもその兄でもないはず。だが、分かったことがあるのも確かだ。
───殺さない理由はもうないだろ。
「……そうか。じゃあ約束だ。お兄ちゃんを殺した奴は俺がなんとかする。未来の話はそれからにしよう」
ユイは握りしめた手をわなわなと震わせると、俯いていた顔を上げ、総士を真っすぐに見る。その眼には決意がしっかりと宿っていた。
「………うんっ! お願いします!!」
純粋な目で誰かの死を願う少女。やること自体は変わらないが、それでも心がが冷えていくのを感じずにはいられない。
総士は静かに頷くと暗転した世界と目の前の少女が再び光の粒へと姿を変え、次の瞬間には視界が戻る。
目の前は先程と変わらず、尻餅をついた真司とそれを見下ろすイナミ。
「イナミ、悪いんだけどそいつと話があるんだ。喋れるようにしてもらってもいいか?」
「うんっ! ────イナミが声をだすことを認めてあげる」
「……あ、あ、あ。………マジだったのかよ……」
真司は声が出るのを確認した後、自分の見聞きした知識が正しかったことを確認し動揺していた。
「お前、なんであんなに仲が良かった仂を、仂の妹を殺した?」
「な、なんでお前がそれをっ!?」
総士は御津羽を自分の内側へと戻し、真司の元へと足を進める。
「妹のユイから聞いたよ。この銀の鏡にはユイが宿ってた。お前はどうやって神鬼になった? 千刻の義じゃないだろこれは」
「儀式の名前なんて聞いてねーんだよっ! ただ力が欲しかったら人を一人とそういつが大事にしてる物を持ってこいって話だったから………」
真司の言葉にあきれ果てた総士は真司の胸倉を掴んで持ち上げる。龗の力をせいもあってか、地面から足を浮かした真司は苦しそうにもがく。
「さっきもそうだ。お前は怖いからこそ力を求めて仂と妹を売ったんだ。人の命を代償に得た力なんだ。自分の命を捨てる覚悟くらいできてるよな?」
真司の首に迦具耶を添える。それだけで皮膚が焼けていく匂いが鼻をつく。
銀の鏡を自分を守るために移動させたとき、総士は真司が怖いのだと知った。それは真司が目の前の総士に怯えたとかではなかったはずで、歪んだ表情のまま「やれるものならやってみろよ」などと言ったことからも分かる。
真司は生きていることが怖いのだろう。だから力を鼓舞することで自分を守っているだけなのだと……。
「ちょっと待てって!!」
必死に叫ぶ真司。その姿に今度こそ溜息を吐き出した総士は首に当てた迦具耶をすっと引く。
「てんめぇーーーっ!!」
静脈を切り裂いたせいで溢れ出す血と、耳に残る真司の叫び声。それを無視して真司を物の様に投げ捨てる。
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