第14話 神頼み、時々、神鬼【6】


死への階段。

静脈を切り裂かれ、湧き水の様に溢れ出る血は意識をゆっくりと奪い、死が訪れるの理解させる時間。誰に殺されたのかを理解させるための時間。


そして、その時間が見せるのは走馬灯のような景色ではなく、全てが黒く塗りつぶされていく光景。夢は潰え、訪れるはずだった幸福も不幸も喜びも悲しみも。全てが消えて行くのをただ眺めるだけの時間。


 空を見上げ、大粒の涙を流しながら表情を歪めていく真司を見れば、彼に訪れた感情がどんなものだったのか、想像するまでもない。


 絶望に染まる真司を眺めながら、総士は自分の内側へ声を掛ける。

 

 (ユイ……。俺にできるのはここまでだ)


 (ありがとう……ございます)


 (それは俺じゃなくて、天国に行った兄貴にとっといてやれ)


 (……うん。ありがとう……)


 (それと、これからのことは一緒に考えよう。今は他にもやらなきゃいけないことがあるけど、必ず声を掛けるから)


 (……はい)


 すすり泣くような声は消え、代わりに流れ込んできたのは繁栄と祝福。兄を思う一途な想いは生命へと姿を変え、祝福と繁栄を約束させるはずだった。それにも関わらず、真司が使った鏡は相手から全てを奪う呪いの鏡。理不尽な世界から全ての源である生命を奪う鏡。奪ったモノへの憎悪が姿を変え、本来は全てを照らしだす鏡を反転させていた。


 「うんうんっ。これでソウの寿命も戻ったねっ」


 元気に目を垂らしたイナミを見て、頬が緩む総士。


 「いつもありがとうな」


 近寄ってきたイナミの頭を撫でれば、頬をすりすりと擦り付けるイナミ。まるで猫の様だと思いながらも口には出さない様にしておく。


 総士にはまだやらなければいけないことがあるから。


 「それより……今回の被験者やつはまだ生きてるのか?」


 真司やユイ、ミツハやレイなど、一気に押し寄せてきた出来事で本来の目的を忘れかけていた総士は鳥居の中心へと歩き出す。


 今までは助けることが一度も叶わなかった被験者。向かう先々で椅子やテーブルに括りつけられている被験者の全員が息を引き取り、幸せそうな表情を浮かべていた。まるで苦しみから解放されたのだと言わんばかりに。


 「まだ生きてるか?」


 総士の声に反応するでもなく、項垂れたまま動かない少女。


 傾いた椅子に縛られているのは多分女性だろう。総士はそう感じた。

 身に纏っている服やスカートは真っ赤に染まり、長く艶やかであただろう黒髪も毛先は乾いた血でパリパリに。露出していた肌も凹凸が激しうえに体は痩せ細り骨と皮だけに。もしもこれがジーパンで髪の短い人であったなら総士は女性だとは思えなかったから。


 総士は括りつけられている女性の手首に指を当て、かなり微弱ではあったが脈が動いてるのを確認して続けざまに声を掛ける。


 「おい、助けにきたんだ。名前くらい教えてくれ」


 ピクリと体を震わせた女性は、震える首をゆっくりと総士に向ける。


 「わた……しは……たすかるん……です……か?」


 声は掠れ、途切れ途切れで聞きずらくはあったが、どうやら生きているらしい。


 「まだ生きててよかったよ。とりあえず刺されることは無いから安心していい。───イナミ、この人治せそうか?」


 「うん、ソウの時とおんなじ感じだから治せるけど……」


 どこか気乗りしないようなイナミに首を傾けた総士。


 「ん? どうかしたのか?」


 「ソウ以外の人治すのヤダ」


 ぶすうーっと頬を膨らませたイナミ。

 今日は普段見ないイナミの表情が多くて嬉しくなるが、「分かった」と言う訳にもいかずにイナミの頭を撫でる。


 「このままじゃ話も聞けないし運ぶのにも困るんだ。この人を背負って歩くのは流石に疲れるからな。お願いできないか?」


 「……??? ねぇソウ?」


 「なんだ??」


 「イナミが治さないとソウがその女をせおうの?」


 「あぁ。流石に今のままじゃ歩けないだろうし……そうなるな」


 嘘である。

 実際は神蔵たちが手配した人員が運び、それ以降は丸投げする予定である。ただ、自分で歩けるようにしておいた方が本来なら総士達がするはずの報告をまるっと投げられるのだから、帰るまでの時間短縮には繋がるのだ。


 いつもの神頼みと違って真司やユイ、目の前で羽交い絞めにされた陽葵などを見たせいでメンタルの方がゴリゴリと削られていた。明日も学校がある事を考えれば早めに帰りたいという気持ちがいつもより増し増しなのである。


 「……無理、絶対無理。殺したくなっちゃう……けど殺したらソウとの約束破っちゃう……」


 「イナミ?? どうしたんだ? 急にぶつぶつと」


 「ううん。なんでもない。ソウのお願いだから治すけど……イナミはソウ以外の人治したくないんだからねっ」


 「わがまま言ってごめんな。それとありがとう」


 イナミの姿に再び頬を緩ませた総士はイナミの頭を撫でながらお礼を言うと、いまだむくれたままのイナミが椅子に腰かけている女性の前まで歩き出した。


 「───戻っておいで。イナミは認めてないよ」


 逆再生が始まる。


 「……見慣れない……な」


 イナミの力は万能ではない。

 死んだ人間を蘇らせるような事が出来ないのはもちろん、今まさに目の前で始まった逆再生も完全なる物理攻撃での傷であれば治る事など無い。イナミが治せるのは神の力───神意でのみ傷付けられた場合であり、治癒を受けている本人の精神的なダメージまでは払拭する事は叶わないし、今回の様に千刻の義みたいに少しでも神が関わっていないダメージはイナミの力では治せない。


 塞がっていた傷口はまさに口の様に血をジュルジュルと飲み始め、それが肌のいたる所で行われる。


 ほんの数十秒。目の前の女性の傷は全て消えていた。


 陽葵が女性の縄を解き、自由になった体を狐につままれた様な表情で隅々まで眺めていた。


 余程信じられないのだろう。肌をつまんでみたり撫でてみたりと忙しい様だった。


 「大丈夫そうだな」


 「あ、ありがとうございます……」


 「俺じゃない。この子だ」


 イナミの後ろに立って頭を撫でながら少女に言うと、撫でられたのが気持ちよかったのかイナミはぶすぅーとしていた頬を緩める。


 少女はおどおどとしながらも陽葵に視線を向けると、視線がぶつかった陽葵は間違いではないと言いたげに頷いた。


 「あ、ありがとうございます」


 「イナミはソウが助けてあげてっていうから助けただけ。あなたに興味ないもん」


 つまらない物を見る様な視線で応えるイナミに頭を撫で続ける総士。


 そんな総士たちの元へと、静かに近づく二つの気配があった。


 「総士様、無事に終えられたようで」


 総士たちが潜ってきた扉から足音も無く現れたのは郷。


 「イナミ様、神鬼様、遅ればせながら只今到着いたしました」


 郷の後ろから言葉を発したのはメガホンで 「───ソウ、ちゃんと電話に出てくれないと困ります!!」みたいなことを言ったり、イナミが姿を見せていない時には「マジ朝からうぜぇ……」みたいなことを言っていた神蔵その人である。


 二人は総士達の前まで足を進めると膝まづき、首を垂れる。


 総士は心の中で「気持ち悪……」と嘔吐しながら軽く頷いておく。

 というのも、初めて出会った頃にイナミが神蔵を殺しかけたこともあり、実際に力を見せつけられたこともありで、イナミが姿を現している時は大抵こんな感じになる。


 「神鬼様、そちらの方が今回の?」


 「詳細はまだ聞いてない」


 「分かりました。以降、詳細等はこちらで動きますのでご安心を。少し時間が掛かるかと思われますのでお三方はごゆるりとして下さい」


 「あぁ、勝手にやらせてもらう」


 神蔵も見慣れてしまっているのか、息絶えた真司がいるのには目もくれず、事務的に自分の仕事をこなしていく。


 イナミは面倒になったのか、総士の中へと姿を消した。総士はというと陽葵に目配せしてから屋上を後にするのだった。




 二人の背を見送った神蔵は一つ溜息を吐き出し、営業スマイルを顔に張り付かせる。


 「私は思想省、惟神大社所属の降神巫をしております、神蔵芽愛と申します」


 「───っ!? わっ、私ふぁ島津 梢しまづ こずえです!! も、もしかして神蔵さんってあの神蔵さんですか!?」


 「どの神蔵を言っているのかは分かりませんが、多分ご想像通りだと思いますよ」


 神蔵の営業スマイルは同年代の人たちには破壊力抜群なのである。総士たちを除いて。


 「あ、あ、あ、あ、あとで握手とかしてもらってもいいですかっ!?」


 「それは梢様の傷が完治してからにしましょう。───それよりも詳細を伺ってもよろしいでしょうか?」


 「は、はいっ!」


 こういう時に自分の名前は便利だと素直に感謝する神蔵。鬱陶しいときもあるけど大抵は自分の名前を出せば素直に情報を吐き出してくれるのだから。



 詳細を聞き終えた神蔵は「迎えを呼びます」とだけ梢に伝え、その場を郷に任せて歩き出す。


 屋上の隅へと移動した神蔵はスマホを耳に当てる。もちろん連絡先は上司でもある空璃だ。


 「お~神蔵嬢、そちらはどんな状況じゃ?」


 「今回は被験者も無事でした。ただ、あまり有力な情報は何も。詳細は聞き終えたのでこれから神物の回収に入ります」


 「了解じゃ。神の眼に関しては自由に使ってもええから安心せぃ」


 「ありがとうございます」


 「それで……どうだったんじゃ?」


 「それでしたら何も問題ない様に思います。イナミ様の神意は衰えておらず、状況から見て被験者の傷も完治に近い状態でした。神鬼様にいたってはご健在の様です。三階は酷く油の匂いが鼻に付きますから。───これだけ力を使用したならそちらでも観測できたのではないですか?」


 「そうじゃな。規模はともかく、だいぶ長い間観測不能エリアが続いていたからの ぉ~。───とにもかくにも、神蔵嬢の話もあればしばらくは抑えられるじゃろうて。それよりも被験者が生きているのであればご家族に連絡もしないとじゃな……。こちらから警視庁に連絡を入れるからフルネームを教えてくれんかの?」


 「島津 梢です」


 「了解じゃ」


 通話の切れたスマホをしまいながら盛大なため息を一つ吐き出した。


 神蔵もまだ15歳。面倒なものは面倒なのだ。


 (まじさっさと終わらせてさっさと帰る!!)


 神蔵はその場で静かに目を閉じ、静かに呟き、降神巫としての力を使う。


 「───神意を示せ」


 神蔵の降神巫としての力。それは瞬く間ではあるが神を自身に宿すこと。願いを思い浮かべて言葉を紡ぐだけで瞬く間だけ願いが叶う力。便利そうに聞こえるかもしれないが、実際には失せ物を探すか占い位にしか使えないなんとも微妙な力である。


 そんな力でも的中率だけは百発百中。


 姿形の分からない力を使う事に幼い時は躊躇いもあったが、十年も付き合っていけばどうでもよくなっていくもので。今では「使えるものは使ってなんぼ」という精神で神蔵も使用している力。


 瞼に映る景色は視界だけが勝手に飛んでいくような感覚。その感覚に身を委ね、儀式で使われる予定だった御神体へと延びる視界を記憶していく。


 (……だっる)


 郷と梢がいる場所まで戻った神蔵は梢に聞かれないように郷に耳打ちする。


 「御神体は校舎裏の枯れた井戸の中。まっじで臭そうだから行ってきてくれる?」


 「分かりました。何かあればすぐに声を上げてください」


 神蔵は従順なボディーガードを営業スマイルで見送ると不意に「ピピピッ」とい着信音が鳴り響く。


 「もしもし、神蔵です」


 念のために再び屋上の隅っこへと歩を進めながら話す神蔵。電話の主は先程報告を終えたばかりの空璃からだったからだ。


 「神蔵嬢、少し予定変更じゃ」


 「……と言いますと?」


 「島津梢さんのご家族に警視庁から連絡を入れてもらったんじゃが、どうにもタイミングが悪かったようでの、迎えに行かせるはずだったドクターヘリに同乗することになったんじゃ」


 「えっ? 無関係な人をこの場に連れてきてしまうのですか?」


 スマホ片手に屋上の中心へと視界を向ける神蔵。いくらイナミが梢を治したとはいえ、身内に見せる様な場所ではない。いまだ両腕が斬り飛ばされた死体と、それがばら撒いた血。それに最後には失禁でもしたのだろう。外だというにも関わらず酸っぱい様な匂いも漂っているのだ。神蔵たちは見慣れてしまった光景ではあるが、一般人にとっては抵抗のある光景である。


 「話によるとあまりにしつこかったらしくての~。DNAサンプルの採取と同意書の記入を約束させてそちらに送ることにしたそうじゃ。” どちらにしろ同意書は書いてもらはないといけないからそちらで善処するように ” とのお達しじゃったよ。まったく……ワシらを便利屋か何かと勘違いしとるようじゃ」


 同意書は御神体から総士や神蔵のことなど、全てに関して秘匿にする旨を綴った同意書である。総士や陽葵なども惟神大社に保護された時に真っ先に記入させられたものである。


 「そう……ですか。では行き先は惟神大社で構わないのですか?」


 「そうじゃの。地下施設の療養所にご家族の方と一緒に居てもらうのが一番ええじゃろうて」


 「分かりました。こちらに到着次第、事情説明はしておきます」


 (────だっっっっる!)


 余計な仕事が増えたことに、内心では大きなため息を吐きながらも営業スマイルはキープしている神蔵だった。



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